競輪場が避難所になる──立川市地域防災計画の令和8年修正
立川市は、地域防災計画を2年ごとに見直している。2026年4月の修正で、いちばん目を引くのは、立川競輪場を「特定避難所」に位置づけたことだ。

写真: Furmanj / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons
きっかけは、近くに住む人たちの声だった。市の概要資料によれば、競輪場に隣り合う高松町二丁目は、地震の「総合危険度」が高い地域で、近隣の住民から、災害時に競輪場を避難場所として使えるようにしてほしいという要望が寄せられた。
ところが、競輪場には、災害時にほかの役目もある。帰宅できなくなった人を一時的に受け入れる施設であり、全国から応援に来る職員を受け入れる拠点でもある。どれも市の復旧に欠かせない。住民の安全と、市の災害対応の機能。その二つを両立させるために、市は競輪場を、いくつもの機能を同時に果たす「特定避難所」とした。
使い分けは具体的に決められている。近所の住民の避難は「集合棟」、帰宅困難者は「観客席」、全国からの応援職員は「選手宿舎棟」。観客席が帰れない人で埋まっても、その夜、レースは始まらない。選手が泊まる部屋には、選手ではなく、遠くから駆けつけた職員が眠る。災害の日の競輪場は、ふだんとはまるで違う配役で動くことになる。
避難所の運営は、地域の「自主運営」が基本だと、市ははっきり書いている。競輪場の職員はほかの災害対応に回るので、受付も、物資の配布も、掃除も、避難した人たちが担う。周りで大きな火事が迫ったときには、第二中学校の一帯や国営昭和記念公園などの広域避難場所へ移るのが原則だ。
修正は、2024年の能登半島地震の教訓も取り込んだ。在宅避難や車中泊、テント泊など、避難所の外で過ごす人をどう支えるか。車椅子で使えるトイレをどう増やすか。応急の医療救護所が立川駅の周りに集中していて、市の北部の五日市街道沿いや南部の多摩川沿いが手薄になっている偏りをどう解くか。都が地域衛星通信ネットワークとして「スターリンク」を配置したことも、資料に書き込まれている。
地震だけではない。修正は、都市型の水害への備えも厚くした。台風に加えて線状降水帯が増え、川があふれる外水氾濫だけでなく、マンホールから雨水があふれて道路や家が水に浸かる内水氾濫も起きる。市は、気象の情報を見ながら一人ひとりが前もって避難の段取りを決めておく「マイ・タイムライン」づくりを勧め、「立川市雨水管理総合計画」をつくって浸水対策を計画的に進めるとしている。南の縁を多摩川が流れる街の、もう一つの「これから」である。
公平のために、見直しのもう一つの面も書いておく。市はこれまで、いくつかの公共施設を自衛隊の受け入れ拠点の候補地にしていたが、今回、その機能を外した。資料によれば、複数の役目を求められる施設があり、また市内に限った受け入れ拠点が、災害の規模に応じて動く自衛隊の計画と合わなかったからだという。今後は意見交換と訓練で連携を深める、としている。何でも足していく計画ではなく、合わないものは外して組み直す。修正という作業の地味な誠実さが、そこに出ている。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
駅前の1万1千人──帰宅困難者と「キタコンDX」
立川は、昼のあいだ人が増える街である。2020年の国勢調査をもとにした都の集計では、立川市の昼間人口は207,832人で、夜の人口183,581人より2万4千人あまり多い。昼夜間人口比率113.2は、都内の26の市でいちばん高い。JR立川駅だけで、1日におよそ15万人が乗る。

写真: RuinDig/Yuki Uchida / CC BY 4.0 / Wikimedia Commons
市の地域防災計画の概要資料によれば、都の被害想定では、多摩東部直下地震と立川断層帯地震のどちらの場合も、帰宅困難者は約3万6千人、立川駅の周辺で屋外にとどまる人は約1万1千人と想定されている。駅前のデッキの上に、1万1千人。休日のサンサンロードの人出を思い浮かべると、その数の重さが分かる。
これからの備えは、紙からデジタルへ移りつつある。東京都は2024年度の末から、帰宅困難者に情報を届ける「帰宅困難者オペレーションシステム(キタコンDX)」の運用を始めた。立川市は都と組んで、帰宅困難者に情報を出し、一時滞在施設へ案内し誘導する体制を整えていくという。市は「災害時の帰宅困難者・駅前滞留者に関する対応計画」と「帰宅困難者対策マニュアル」をつくり、災害対策本部に「帰宅困難者対策班」を置くことにした。
訓練も毎年続いている。2025年10月20日の午前10時、多摩直下地震で市内は震度6強、鉄道は止まり、立川駅の周りに多数の帰宅困難者が出た。そういう想定で、市は「立川駅前帰宅困難者対策訓練」を行った。駅のすぐそばの窓口サービスセンターに現地本部を置き、北口と南口に臨時の案内所を開き、帰宅困難者の役の人を一時滞在施設まで誘導した。協力した団体の一つが、立川駅前滞留者対策推進協議会である。
駅の周りの商業施設やホテルや事業所が、災害の夜には、見知らぬ人を受け入れる場所になる。ふだん買い物客を迎えている建物が、その夜は、帰れない人を迎える。立川駅前のにぎわいは、そのまま防災の資源でもある。
市民がつくる防災──140の組織と、10の消火隊
国も都も市も、計画を書く。だが、地震の直後、最初に動くのは、たいてい隣の家の人だ。市の頁は、阪神・淡路大震災で倒れた家などから救い出された約3万5千人のうち、約8割の2万7千人が家族や近所の人に救い出されたといわれる、と書いている。
立川市の市民防災組織、別の名を自主防災組織は、2026年4月現在で140ある。市は、組織をつくった年に2万円、翌年度からは1万5千円に世帯数×50円を足した額(上限7万円)を運営費として出し、結成時には腕章とメガホンと救急箱を渡す。200世帯以上の組織なら、腕章30枚にメガホン2個。地域の防災は、メガホン一つから始まる。
可搬ポンプを持って初期消火に備える市民消火隊は、10隊ある。定期的に放水や操法の訓練を重ね、隊員を募っている。民間資格の防災士を取る費用を、市は年度ごとに先着3人まで補助していて、女性の視点を生かした防災が大切だとして、女性の申請を歓迎している。防災の資格も、先着順である。
避難の仕方にも、立川の決まりがある。地震のときは、地域で決めた「一時集合場所」にまず集まり、そこから避難所へ向かう「2段階避難」が基本だ。避難所は、家に住めない人が暮らす場所であると同時に、家で避難生活を送る人が物資や情報を受け取りに来る場所でもある、と市は説明している。
避難所をどう回すかも、地域ごとに話し合いが進む。市は自治会や学校と「避難所運営連絡会」を開き、運営のルールやマニュアルを見直してきた。2023年度は富士見町・柴崎町・羽衣町、2024年度は栄町・幸町・柏町、2025年度は錦町・曙町・若葉町、そして2026年度は高松町・砂川・西砂。市内を順に巡っている。
2025年11月16日には、立川第六中学校を主会場に、市の総合防災訓練が開かれた。午前8時15分に多摩地域を震源とするマグニチュード7級の地震、市内は震度6強という想定である。協定を結ぶバス会社が避難の難しい人を避難所へ運び、運送会社が救援物資を届け、自治会の人たちが受け取った。炊き出しでは、豚汁300食とアルファ化米300食が配られた。訓練の日の豚汁が、本番の日の手順を体に覚えさせる。
家にいながら参加できる訓練もある。市の公式LINEでは、2023年7月から「LINEでつながる避難訓練」が始まっていて、地震と風水害の手順を、送られてくるトークに沿って確かめられる。スマートフォン一つで、寝転がったままでも、避難の練習はできる。起き上がるのは、本番のときでいい。
海外から来た人と、地震
旅の途中で大きな揺れに遭ったら、日本語の分からない人はどうすればいいのか。立川市は、外国人のための防災ハンドブックを、英語、中国語、韓国語、ベトナム語で出している。英語版の名前は「Tachikawa City Life Safety Handbook for Foreign Residents」。市の頁には、避難所となる小学校や中学校などが市内に30あること、避難者登録カードや指さしボードの案内、東京都の防災ブック「東京防災」の英語版や中国語版、韓国語版へのリンクが並ぶ。一次避難所の一覧は、英語、中国語、韓国語、スペイン語、ポルトガル語、タガログ語、タイ語でも読める。
立川防災館も、外国から来た人を意識して変わった。東京消防庁によれば、2026年3月20日に地震体験のコーナーがリニューアルし、「在留外国人にも分かり易く」することをうたっている。入館は無料だ。羽田空港から高速バスで立川駅に着き、翌朝、防災館で揺れを体験してから山へ向かう。日本の地震を知らない旅人には、なかなか実のある寄り道になるはずだ。
謎を回収する──立川は「予備」から何になるのか
冒頭の問いに戻ろう。首都を支える立川の役割は、これからどう変わるのか。
資料が示すのは、三つの動きである。国は、立川を最後の砦の一つとして残しつつ、東京圏の外にもう一段の備えを考え始めた。都は、立川に、都庁の同じ機能の倍の広さを持つ拠点を建てると決めた。市は、競輪場や駅前の建物まで使って、住む人と働く人と通りすがりの人を守る段取りを組み直している。
私の見立てでは、立川は「予備」から「受け止め役」へ変わりつつある。都心が使えなくなったときに代わりをする、というだけではない。最初の数日に、国の判断と、都の物資と、全国からの応援と、駅前に残された人々を、まとめて受け止める場所。新しい防災拠点の倍の広さと、競輪場の三つの配役は、どちらもその役目の大きさを語っている。
ただし、地面の下には、立川断層帯が眠っている。国の評価では、30年以内に地震が起きる確率は0.5パーセントから2パーセント。都の地域危険度の調査では、立川市は全体として都の東部より危険度が低い傾向にあるが、市自身が「油断はできません」と書いている。100年前の全壊率0パーセントは、次の地震の約束ではない。
立川は、地味な街だと言われることがある。だが、この国でいちばん大きな災害が起きた日、国も都も、この街を頼りにする計画を書いている。新宿から中央線で一本、川崎から南武線で一本。週末に立川防災館で揺れを体験し、隣の昭和記念公園で弁当を広げ、帰り道に、自分の家の非常持ち出し袋の中身を思い出してみてほしい。首都を支える街の空気を吸って帰ると、備えが少しだけ、自分のことになる。
寄り道クイズの答え
答えはBの「航空法による高さの規制」。都の基本計画の敷地条件の表は、高さ制限の欄に「第2種高度地区」と並べて「航空法による高さ規制(立川飛行場からの制限表面)」と書いている。隣で滑走路が生きている土地では、防災の建物も空に遠慮して建つ。
訪ねる前に
- 立川防災館(東京消防庁立川都民防災教育センター): 東京都立川市泉町1156-1。JR立川駅北口1番乗り場からバスで「立川消防署」下車すぐ、多摩モノレール高松駅から徒歩15分(東京消防庁の案内による)。入館無料。開館日と体験の予約は公式で: https://www.tfd.metro.tokyo.lg.jp/taiken/tachikawa/index.html
- 立川広域防災基地の施設(予備施設・都の防災センターや倉庫など)は、ふだん自由に見学できる場所ではない。外から眺める前提で歩いてほしい。
- 都の「多摩地域の新たな防災拠点の整備に向けた基本計画」(2026年1月): https://www.bousai.metro.tokyo.lg.jp/_res/projects/default_project/page/001/030/184/20260123-3.pdf
- 立川市地域防災計画(令和8年修正)と概要: https://www.city.tachikawa.lg.jp/shisei/sesaku/1024458/1024467/1006602.html
- 立川市の外国人のための防災ハンドブック(英語ほか): https://www.city.tachikawa.lg.jp/gaikoku/bosai/1021469.html
- 首都直下地震の国の計画と被害想定(内閣府): https://www.bousai.go.jp/jishin/syuto/index.html
- 羽田空港から: 高速バス「羽田空港線」が立川駅の北口と南口に停まる(立川バスの案内)。時刻と運賃は公式で: https://www.tachikawabus.co.jp/highway/haneda/
- 組み合わせるなら: 防災館の隣は立川広域防災基地、その南に国営昭和記念公園が広がる。防災館で揺れを知り、公園の広さを「広域避難場所」の目で歩くと、同じ芝生が少し違って見える。
揺れを知ったあとは、立川駅北口で
防災館で揺れを体験すると、思っていた以上に体が緊張していたことに、外へ出てから気づく。肩が上がり、呼吸が浅くなっている。備えの話を一日聞いたあとは、こわばった体をほどく時間もほしい。
立川駅の北口から徒歩1分、立川市曙町2-14-10のエトロワビル3階に、オンザショア立川店がある。溶岩プレートを敷いたスタジオで行うホットヨガのスタジオで、常温のヨガ、ピラティス、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングもある。ヨガだけで25種類以上のレッスンがそろう。
営業は8時から23時30分まで、年中無休で、曜日による違いはない。防災館を朝に回っても、夕方まで公園を歩いても、寄る時間はある。
ヨガの体験レッスンは税込1,980円。60分のレッスンに、バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれる。手ぶらで寄れる。
妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できないが、常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。
料金は https://ontheshore.jp/price/ 、店の案内は https://ontheshore.jp/ 、体験の予約は https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp で確かめられる。
100年前、揺れに強い台地として選ばれた街の、駅前のビルの3階で、自分の体の揺れを静める。立川の防災は、大きな建物の中だけでなく、一人ひとりの呼吸の中にもある。
冒頭の写真: 立川駅北口の駅舎と、赤いアーチの架かる歩行者デッキ(2021年撮影)(写真: DiKnK8713 / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons)
この記事の情報は2026年10月時点のものです。
立川さんぽ特集のほかの記事
- 立川の空襲と戦争の記憶 北口の広場は建物疎開の跡だった。山中坂の壕と13回の空襲
- 立川の紅葉・イチョウを歩く 都が選ばなかったケヤキと、市でただ一本の天然記念物
- 立川 基地の町の文化を歩く ユーミンが歌ったゲートと、コーラの瓶を返せという通達
- 立川基地と砂川闘争の歴史を歩く──広がらなかった滑走路と、返された土地の使いみち
- 立川の銭湯と湯の文化 6円が600円になるまで、市内に残る3軒の湯けむり
- 立川防災館と立川広域防災基地を歩く──首都の予備の頭脳は、なぜ立川にあるのか
- 立川の橋めぐり 「無名橋」から二階建ての立日橋まで、橋の名前が覚えている街の来歴
- 立川シネマシティの極上爆音上映──映画館が消えた街に、東京初のシネコンが立つまで
- 立川の文化施設をめぐる──「国立」音大は立川にあり、美術館は信用金庫の1階にある
- 立川をサイクリング──昭和記念公園の14キロと多摩川へ、飛行場が選んだ平らな街を走る
- 立川の踊りと市民の祭り 立川音頭は4つある、そして「立川はフラフラだ」
- 立川ゆかりの人びと 小澤征爾は立川の小学校に通い、彗星の発見者は立川で生まれた
- 立川ゆかりの有名人 ノッポさんは立川の高校を出て、「ダバダ〜」の作曲家は立川基地で弾いた
- 立川 ファーレ立川アートの見どころと回り方──世界の巨匠が、駅前で車を止めている
- 立川の農業と直売所を歩く 23区の畑の半分を超える町で、一番広く育つのは木だった
- 立川で始まった「日本初」 世界初の量産電気自動車、全国初の女性議長、サザエさん裁判
- 立川の民話と伝説を歩く 残堀川は大蛇の血の跡と伝わり、送り狼には「ごくろうさま」を
- 立川・普済寺と諏訪神社を歩く 国宝の石と千二百年の社、立川という名が生まれた村
- 立川で働く・生まれる仕事の今と未来──昼の人口が夜より2万人多く、開業率は多摩26市で一番の街
- 立川の新しい文化と公演のこれから──バレエの国際予選も「学園都市」の祭りも駅から歩ける
- 立川の緑と環境のこれから CO2を6割減らす街の足湯と、消えては現れる緑
- 立川と外国人観光の今と未来──東京を訪ねた旅人の2.3%だけが知る街へ、羽田からバス1本
- 立川の人口と子育てのこれから 外れた予言より4万人多い未来と、2028年の峠
- 多摩モノレール延伸はいつ? 箱根ケ崎まで7駅、町田へ16km──立川が多摩の背骨の真ん中になる日
- 立川・昭和記念公園のこれから レインボープール跡地に、なぜ誰も手を挙げなかったのか
- 立川駅周辺の再開発とこれから 「ベッドタウンにしない」と決めた駅前の、デッキとグリーン車の未来
- 立川・立飛とGREEN SPRINGSの次の十年 市の25分の1を持つ会社と予測を超えた街
- 立川 GREEN SPRINGSの見どころ 一等地にヤギがいて、屋上に多摩川が流れる
- 立川観光と散歩の総合案内──国宝も南極の氷も砂浜もある、空の都の歩き方
- 立川の地形と坂を歩く 平らな街は、なぜ北から南へ50メートルあまり傾いているのか
- 立川の歴史を歩く(出典つき年表) 畑と桑の村は、なぜ百年で多摩の中心になったのか
- 立川飛行場と神風号 午前2時にロンドンへ発ち、羽田へ帰った国産機と空の都
- 立川は神奈川県だった 明治26年の三多摩東京移管と、賛成の砂川・反対の立川村長
- 立川競輪場(立川けいりん)を歩く──グランプリ発祥のバンクが、街の図書館と学校を建てた
- 立川の子どもの昭和史 駄菓子屋「デモ屋」と、基地のクリスマスに配られた3.5トンの飴
- 立川の航空神社と、羽田より先の「東京飛行場」──空に祈った社はなぜ駐車場の片隅に
- 立川・昭和記念公園のこもれびの里と日本庭園──飛行場の跡に、狛江の名主の家が建っている
- 立川の図書館を歩く──たぬきと招き猫と牛のマーク、図書館の無かった市が全国上位になるまで
- 立川のライブハウスと音楽の街 元キャバレーの舞台と、「TM」が多摩だったころ
- 立川まんがぱーくの見どころと行き方──市役所だった建物で靴を脱ぎ、畳の上の4万冊にもぐる
- 立川の花火大会と祭り 昭和記念公園の五千発は、なぜ打ち上げ場所が秘密なのか
- 昭島散歩 立川から9分、海のない街にアキシマクジラと「島」がある理由
- 福生散歩 横田基地はなぜ横田にないのか、国道16号のアメリカンな街の親は立川飛行場
- 福生の酒蔵散歩 石川酒造と田村酒造場、多摩川のそばで川の水を使わない二つの蔵
- 八王子城跡散歩 立川の武士が仕えた、1日で落ちた山城と日本でただ一つの「桑の都」
- 八王子・高尾山散歩 立川から乗り換えなしで行く「世界一」の山と、首を賭けて守られた森
- 日野散歩 土方歳三と新選組のふるさとへ、立川の岸に「日野の渡し」の碑が立つわけ
- 国分寺散歩 お鷹の道と真姿の池、武蔵国分寺跡を立川から歩く 「はけ」は立川から始まっていた
- 国立散歩 「国立」の立は立川の立──大学通り、一橋大学、谷保天満宮を立川から歩く
- 御岳山散歩 武蔵御嶽神社と御岳渓谷、山の神社は参拝の道順を立川から書き起こす
- 青梅散歩 昭和レトロの街並みと映画看板、青梅線は青梅の人が立川へ引いた線路だった
- 立川・根川緑道から多摩川へ散歩 市名の「川」はどの川か、市も知らない
- 立川・猫返し神社(阿豆佐味天神社)と水天宮──名付け親は宮司ではなくジャズピアニストだった
- 立川の夜景と朝の富士山──冬至の夕日は富士の方角へ沈む、デッキとモノレールの空の時刻表
- 立川の夜を歩く──北口と南口の飲み屋街・横丁の歴史、闇市の広場と10館の映画館
- 立川のラーメンとうどん──ラーメンスクエアと武蔵野の小麦、婚礼のご馳走はうどんだった
- 立川は23区に負けているのか 公園は区部の3倍、富士山は新宿より23キロ近い
- 立川の古い村と史跡を歩く──石碑と井戸ばかり残るのは、村が引っ越し好きだったから
- 立川・オニ公園(錦第二公園)へ子連れで──鬼門を守る赤鬼は方角を45度まちがえたのか
- 立川の公園めぐり 一人あたり都平均の2倍、二百六十の公園と「やり投げの月曜日」
- 立川の町名・地名の由来を歩く 曙町と羽衣町は、なぜ名前を取り替えたのか
- 立川で南極に触れる 入場無料の南極・北極科学館と、飛行場の跡に生まれた研究所街
- 立川 雨の日の過ごし方と時間つぶし──雨が一番多いのは梅雨でなく9月、駅の二階から歩く
- 立川市歴史民俗資料館の見どころ──国宝は複製、蚕は本物。立川の歴史を預かる小さな館
- 立川の桜・花見の名所を歩く 駅前の「玉桜」から根川の土手、基地の引込線まで、百年の花の地図
- 立川の学校と学び舎の街──制服の無い百年校、夜の教室、鐘の鳴る音大、南極を学ぶ大学院
- 立川のロケ地と作品の舞台を歩く──神様も防衛隊員も、なぜ立川へ「休みに」来るのか
- 立川の養蚕と桑畑の歴史 砂川は桑苗の生産で全国一だった、空の都の下に眠る蚕の村
- 立川はなぜ「なんでもある」のか──商業の街の百年、魚屋のスーパーから都内初のIKEAまで
- 立川・昭和記念公園の見どころを歩く イチョウ並木が四角いのは、空のせいだった
- 立川の姉妹都市サンバーナディノと世界──東京で最初の姉妹市と、国際司法裁判所長になった交換高校生
- 立川のお土産と名物──59品の「立川のたいこばん」と、酒蔵のない街にある東京の地酒の本部
- 立川のスポーツ観戦と走る場所──仮設のアリーナから日本一が二度、滑走路から1万人が走る街
- 立川駅の歴史をたどる 村はずれの停車場は、なぜ多摩でいちばんの駅になったのか
- 立川の夏の過ごし方と水遊び レインボープールが眠る公園で、森は30分ごとに霧になる
- 立川・サンサンロードを歩く──車の入れない幅40メートルの道に、冬は60万の灯り
- 立川・立飛の歴史と見どころ 飛ばなくなった会社は、なぜ「飛」の字を手放さないのか
- 立川の歴史と立川氏 街の名を名乗った武士は去り、700年前の古文書だけが帰ってきた
- 立川・多摩モノレールの景色と車窓 立川の隣の駅で、富士に日が沈む
- 立川と多摩川の水害と橋の歴史 汽車は人より37年早く川を渡った、渡し船と堤防の物語
- 立川の玉川上水と砂川を歩く 散歩の見どころと歴史、江戸の水道はなぜ川の下へ潜ったか
- 立川の名物・名産品、東京うど 地下3メートルで白く育つ野菜は、夏を高原で過ごす
- 立川の鉄道さんぽ 200メートル遠回りする「短絡線」と、横田へ燃料を運ぶ列車
- 立川の水道と井戸 蛇口の水はどこから来るのか、街の下に眠る水源井戸をたどる
- 立川はなぜ「東京初」が多いのか IKEAも伊勢丹の支店もシネコンも、西の街から始まった
- 立川の野鳥と生きもの タヌキは下水管で眠り、ホタルは公園に住み、タカの居場所は書かれない
- 立川・矢川緑地と「はけ」を歩く──真冬も15度の小川と、20年減らない湧き水の謎
- 立川の週末さんぽ 横田基地から青梅線で14分、基地の「親」だった街を案内する
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
2




