多摩川サイクリングロードへ、たまリバー50キロ
立川の南を流れる多摩川の河川敷には、東京都が沿川の区市とともに定めた「たまリバー50キロ」というコースがある。東京都都市整備局のページによれば、都民の健康づくりを目的として、多摩川の河川敷などを使い、羽村市の羽村取水堰の付近から大田区の大師橋緑地の付近までを結ぶ、ウォーキングやランニング、散策を楽しめる約53キロの連続したコースだ。

写真: Tx-re / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons
名前は50キロで、中身は約53キロ。3キロのおまけがついている。看板に偽りあり、と言いたいところだが、おまけの側の偽りなので、走る人は誰も文句を言わない。
コースマップを配っている窓口として、都のページは東京都の街路計画課のほかに、大田区、世田谷区、立川市、府中市、昭島市、調布市、国立市、福生市、狛江市、羽村市の担当課を挙げている。立川市の窓口は、まちづくり部の公園緑地課だ。地図は表と裏の2面で、表が羽村市から府中市まで、裏が府中市から大田区まで。立川は表の側、上流の半分に載っている。上流の羽村から河口近くの大田区まで、窓口に名を連ねる10の区と市が、一本の道でつながっている。
このコースは、もともと歩く人、走る人のための道として定められている。都のページは、自転車で走る人に向けて、はっきりと書く。たまリバー50キロでは、自転車と歩行者の接触事故が多発している。自転車は徐行し、歩行者を優先すること。すれ違いのときは速度を十分に落とし、追い抜くときは周りをよく確かめること。そして、利用するすべての人に向けて、コースの一部には自動車が通る区間があること、アスファルト舗装でない区間があること、コースは自己責任で使うこと、を注意している。
つまり、多摩川の道は、自転車が主役の道ではない。昭和記念公園の自転車専用コースとは、そこが違う。公園の中では、自転車が歩行者を気にせず走れる。川の道では、自転車が歩行者に気をつかって走る。立川の自転車乗りは、一日のうちに、王様と家来の両方を経験できる。
河口から40キロ、立川の岸
国土交通省の京浜河川事務所がつくった多摩川の散策マップには、川沿いに距離の数字が振られている。河口からの距離を示すその数字は、立川の岸のあたりで40キロから42キロを指す。日野橋と、多摩都市モノレールの走る立日橋のあたりが40キロ、柴崎町の岸が41キロ、「立川水辺の楽校」が42キロ。立川は、海から川をさかのぼって40キロあまりのところにある。
マップは、立日橋のあたりで江戸時代に甲州街道を行く人々が多摩川を渡っていたこと、根川緑道が根川に沿って整えられた緑豊かな道であることも書いている。根川緑道の最下流が多摩川と出会う場所については、この特集の別の記事に詳しい。駅の南口から緑道を下ってくれば、そのまま川の道に出られる。
川の道を上流へ向かえば、その先、多摩大橋のあたりの散策路わきに、ひとつの碑がある。散策マップによれば、東京オリンピックの自転車団体競技のコースを記念して立てられた「自転車競技第二関門地点の碑」で、競技はオランダが2時間26分31秒19で優勝した。昭和39年(1964)の東京大会である。
60年あまり前、世界の選手たちが、立川の少し上流の川沿いを走り抜けた。私が川の道を走っても、碑のところでタイムを測る気にはならない。測れば、オランダの選手たちとの差に、自転車を降りたくなるに決まっているからだ。
同じマップは、オリンピックの碑のほかにも、立川から上流へ数キロの岸に、妙に気になるものを並べている。河口から44キロ付近、昭島市の側には「くじら運動公園」がある。1961年に発見されたクジラの化石にちなんで名づけられ、野球場やテニスコート、少年サッカー場になっているという。多摩川の河原で、クジラ。海から40キロ以上さかのぼった場所の話である。その少し上流の45キロ付近には、東京都が1978年に運転を始めた下水処理場があり、敷地では紙の原料になるケナフを育て、「多摩川ふれあい水族館」まであるとマップは書く。下水処理場の中の水族館。川の道を走っていると、ときどき、世の中の思いがけない組み合わせに出会う。
立川から上流へ走れば、クジラの化石の公園、下水処理場の水族館、オリンピックの碑。下流へ走れば、府中や調布を抜けて、いずれ大田区の大師橋の近くで海の気配に出会う。どちらへ向かうかは、その日の風向きで決めればいい。向かい風の日に海まで行こうとするのは、やめておいたほうがいい。
数字で読む立川の自転車
- 14 — キロ。昭和記念公園の自転車専用コースの長さ。歩くことは禁止されている。
- 2,000 — 台。公園の3つのサイクルセンターがそろえる貸し自転車の数(約900、約600、約500台の合計)。
- 1 — か所。一輪車を借りられるサイクルセンターの数。立川口だけ。
- 125 — メートル。立川市で最も高い西砂町の標高。ここから南東へ、ゆっくり下り坂が続く。
- 53 — キロ。「たまリバー50キロ」の本当の長さ。3キロ分は、ほうびである。
- 40 — キロ。河口から立川の岸までの、多摩川の距離。海は、ずいぶん遠い。
旅人の寄り道クイズ
国営昭和記念公園で、立川口サイクルセンターだけが貸し出している乗り物はどれだろう。(A)タンデム自転車(B)一輪車(C)チャイルドシート付き自転車。答えは最後に明かす。
ところで、自転車の楽しさの裏には、いつも交通のルールがある。立川には、そのルールを街角で伝えていた、ちょっと目立つ人たちがいた。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
赤い制服の交通指導員と、いまの自転車のルール
『たちかわ物語』vol.1の「立川おっこぼれ話」は、昭和の立川の街角に立っていた人たちを紹介している。昭和40年(1965)ごろから、日本は空前のミニスカートの流行を迎えた。同じころ、交通事故は「交通戦争」とよばれるほど多く、その対策が叫ばれていた。
広報紙には、昭和46年(1971)3月27日に立川駅北口で撮られた写真が載っている。昭和45年の大阪万博では女性スタッフの制服にもミニスカートが採り入れられた、と広報紙は添え、写真の横断歩道を渡る女性たちも流行の装いだと書く。そして、その横で交通指導をしている女性のスカートも、短めである。
彼女たちは交通指導員とよばれ、立川市内では昭和45年(1970)ごろから活動が始まった。赤い制服を着て、市内の東橋や曙橋といった要所に立ち、学校へ出かけては紙芝居などを使って交通安全教室を開いた。曙橋は、北口の雨水を流すために掘られた緑川に架かっていた橋の名だ。川は昭和30年代から暗渠になり、橋の名はいま、交差点の名前にだけ残っている。昭和48年(1973)からは市の職員として活動した。昭和56年(1981)に活動を終えるまで、立川の交通安全を担っていた、と広報紙は書く。
交通戦争のさなか、立川の橋のたもとに、赤い制服の指導員が立つ。紙芝居を抱えて、子どもたちに道の渡り方を教える。真剣な仕事を、最新の流行の制服でやってのけるあたりに、昭和の立川の心意気を見る思いがする。いまの交通安全の啓発ポスターに、あれほどの華は、なかなかない。この街で育った人の中には、あの赤い制服に手を引かれて横断歩道を渡った子どもが、少なからずいたはずだ。
いまの自転車のルールは、もう少し地味な姿で、けれど確実に変わっている。東京都は、条例の改正で、令和2年(2020)4月1日から、自転車に乗る人に、事故で他人にけがをさせたときに備える保険への加入を義務づけた。都内で通勤や通学、買い物、レジャーに自転車を使う人と、未成年が乗る場合はその保護者が対象になる。昭和記念公園も、持ち込む自転車には保険への加入が必要だと案内している。条例は、レンタサイクルやシェアサイクルの事業者にも保険への加入を義務づけている。公園の貸し自転車に貼られた赤色のTSマークは、その答えのひとつだ。都の案内は、青か赤のTSマークが貼ってあり、点検日から1年以内であれば、自転車で他人にけがをさせたときの賠償を補う保険が付いている、と説明している。借りた自転車のどこかに貼られた、その小さなマークを探してみるといい。
ヘルメットについては、令和5年(2023)4月1日に施行された改正道路交通法で、年齢を問わず、自転車に乗るときのヘルメットの着用が努力義務になった。東京都の資料は、ヘルメットをかぶると致死率が下がることが確かめられている、と書く。警視庁の発表として、都内の自転車の死亡事故の6割以上で頭部に致命傷を負っていること、2018年から2022年の都内では、ヘルメットをかぶっていなかったときの致死率が、かぶっていたときの約2.3倍だったことも挙げている。2.3という数字は、私の頭の値段を急に上げる。
あのころ、曙橋のたもとには赤い制服の指導員が立っていた。いま、川も橋も消えた曙橋の交差点を、ヘルメットをかぶった自転車が渡っていく。
指導員はもう街角にいない。代わりに、私たちの頭の上にヘルメットがある。
平らさは、飛行機から自転車へ受け継がれた
なぜ、立川は自転車に向いているのか。

写真: fitm / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons
答えの半分は、地面にある。武蔵野台地の上に広がる立川の市街は、北西の西砂町の125メートルから南東へ、ほとんど気づかないほどの傾きで下っていく。南の端に多摩川の崖があるほかは、おおむね平坦だ。
だが、もう半分は、その平らさを誰が、何のために使ってきたかにある。大正の終わり、陸軍は「広大で平坦な土地」を求めて、立川に飛行場を造った。平らな土地に滑走路が延び、貨物の引込線が敷かれ、日本で最初の民間定期旅客便が飛び立った。戦後は基地になり、昭和52年に返された。返された平らな土地に、国は公園をつくり、その中に14キロの自転車専用の道を通した。線路の跡は、遊歩道になった。
平らさは、立川に最初からあった。けれど、その平らさを、広く、続いていて、誰でも走れる形に整えたのは、飛行機のための工事と、そのあとを引き継いだ人々の仕事だった。滑走路のために選ばれた地面が、いまは補助輪を外したばかりの子どもを受け止めている。立川の自転車は、飛行機の置き土産の上を走っている。
自転車で街を走るのが楽しい街は、坂の多い街とも、海辺の街とも違う種類の誇りを持っていい。立川について、人に話せることが三つある。日本で最初の民間定期旅客便が飛び立ったほど平らな土地であること。その跡地の公園に、14キロの自転車専用コースと、約2,000台の貸し自転車と、一輪車まで借りられるセンターがあること。そして南へ下れば、10の区と市をつなぐ53キロの川の道に出られること。地味だと思われがちな街は、ペダルを踏んでみると、なかなか気前がいい。
新宿から中央線で一本、川崎からは南武線で一本。輪行袋を提げてこなくても、駅から歩いて公園のゲートへ行けば、2,000台の自転車が待っている。週末に脚を試すなら、東京でこれほど気前のいい平地は、そう多くない。
夕方、川の道から台地へ戻る短い坂で、立川で一番きつい坂はこれかもしれないと思う。そう思えるほど、この街の坂は少ない。
寄り道クイズの答え
答えは(B)一輪車。国営昭和記念公園の公式サイトによれば、立川口サイクルセンターは、サイクルセンターで唯一、14インチから24インチの一輪車を貸し出していて、隣接する一輪車のコースで乗れる。
訪ねる前に
- 都心と神奈川から: 立川駅へは、新宿からJR中央線で一本。東京都環境局の散策案内は、新宿から立川までを中央線で30分としている。神奈川からは、川崎駅と立川駅を結ぶJR南武線で、乗り換えなしで着く
- 国営昭和記念公園のサイクリング(公式): https://www.showakinen-koen.jp/facility/facility_rental/ 料金、受付時間、車種、混み具合は変わることがあるので、出かける前に公式で確かめてほしい。開園時間は季節によって変わる(通常は9時30分開園)。
- 道順の目安(公式の案内による): 立川ゲート(立川口サイクルセンターまで徒歩約1分)へは、JR立川駅北口から徒歩約18分、多摩都市モノレール立川北駅から約16分。西立川ゲート(西立川口サイクルセンターまで徒歩約2分)へは、JR青梅線西立川駅から約2分。砂川ゲート(砂川口サイクルセンターまで徒歩約1分)へは、JR立川駅北口バスターミナル2番乗り場から立川バスで約13分、「昭和記念公園砂川口」で降りて徒歩約2分。
- 公園の行き方の一覧: https://www.showakinen-koen.jp/access/
- 自転車の持ち込み: 公式のよくある質問によれば、各ゲート(立川口・西立川口には自転車専用の持込口がある)から入り、必ずサイクリングコースを走る。補助輪付き自転車はコースを走れない。持ち込む自転車も東京都の条例による保険への加入が必要。ヘルメットはできれば持参を。
- 所要時間の目安: 自転車専用コースは約14キロ。貸し自転車の基本料金は3時間単位で、それを超えると30分ごとに加算される(公式の料金表)。花畑や広場で自転車を止めて歩く時間も見込んで、半日ほどの予定を組むと気が楽だ。
- たまリバー50キロ(東京都都市整備局): https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/kiban/tamariver/index.htm コースマップはこのページからダウンロードでき、立川市まちづくり部公園緑地課でも配っている。歩行者優先、自転車は徐行。
- あわせて回るなら: 昭和記念公園の中をゆっくり歩くなら、この特集の昭和記念公園の記事を。公園の北の砂川口から先には、玉川上水と砂川の短冊形の村が続く。多摩川へは、立川駅南口から根川緑道を下る道が近い(駅から歩いて約15分で緑道に着く)。川沿いで立日橋を渡るモノレールを眺めるのもいい。
走ったあとは、立川駅北口で
公園の14キロを走り、川の道まで足をのばした日は、脚だけでなく、ハンドルを握り続けた肩や背中もこわばっている。
立川駅の北口から徒歩1分、立川市曙町2-14-10のエトロワビル3階に、オンザショア立川店がある。溶岩プレートを敷いたスタジオで行うホットヨガのスタジオだ。常温のヨガやピラティス、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングもあり、ヨガだけで25種類以上のレッスンがある。
営業は8時から23時30分まで、年中無休で、曜日による違いはない。朝のうちにレッスンを受けてから公園へ向かうこともできるし、閉園まで走ってから夜に立ち寄ることもできる。
ヨガの体験レッスンは税込1,980円。60分のレッスンに、バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれる。ヘルメットとリュックだけ持っていれば、身ひとつで寄れる。
妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できないが、常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。
料金は https://ontheshore.jp/price/ 、店の案内は https://ontheshore.jp/ 、体験の予約は https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp で確かめられる。
かつて飛行機が降りた平らな地面の上を、今日も、補助輪を外したばかりの自転車が、少しふらつきながら走っていく。
冒頭の写真: 多摩川の左岸、立川の根川貝殻坂橋のあたり。木立の中を川沿いの道が抜けていく(写真: MWE / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons)
この記事の情報は2026年10月時点のものです。
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