
町の水道から、都の水道へ──立川の水の昭和史
立川市の年表を、水の項目だけで拾っていくと、もうひとつの戦後史が見えてくる。
昭和26年(1951)、立川市で上水道の事業が始まる。昭和33年(1958)、砂川町で上水道の事業が始まる。昭和36年(1961)、立川市で下水道の事業が始まる。昭和45年(1970)、北部浄水場が完成し、同じ年に栄町という町名が生まれている。いま、栄町には都の立川栄町浄水所がある。二つが同じ施設の来歴かどうか、私は資料で確かめきれなかった。ここは読者に手渡しておきたい。
昭和30年代の後半、多摩の水は限界に近づいていた。百科事典の小作浄水場の項によれば、昭和38年(1963)の三多摩の給水人口は85万6,000人、普及率は64.1パーセントで、1日の最大配水量は昭和35年(1960)からわずか3年で約2.3倍に増えた。上水や工業用水の水源の大部分は、井戸からポンプで汲み上げた地下水だったが、人口の急増で市町村や工場が深井戸を掘りすぎ、もともと低かった三多摩の地下水位が下がって、汲める量が減り続けたという。
都水道局は、この時代をこう説明する。水道法は、水道事業の経営を原則として市町村が担うと定めており、多摩地区でもそれぞれの市町村が独自に水道を営んできた。しかし昭和30年代後半からの急激な人口増加による深刻な水源不足や、区部と市町村の料金や普及の差を正すため、市町の要望に基づいて、都営の水道への一元化が行われた。小作浄水場は、三多摩の水を補うために造られ、昭和45年(1970)6月に完成している。
立川市の年表は、昭和56年(1981)の項に「水道一元化都と協定」と書く。その後も長く、多摩の各市町の水道の業務は都から市町に委託されていたが、平成23年度の末に、委託していた業務はすべて都に移された。いま多摩地区では、武蔵野市、昭島市、羽村市、檜原村を除く26の市町の水道を、東京都水道局が営んでいる。隣の昭島市はいまも自分の水道を持ち、深層地下水だけで水をまかなっていることは、昭島の記事で書いたとおりだ。
そして、その多摩の水道の司令塔が、立川にある。都水道局によれば、多摩の水道の改革を進める多摩水道改革推進本部は1か所で、立川市にある。施設の管理の拠点となる給水管理事務所と給水事務所の3か所のうちのひとつも立川市にある。料金や工事の窓口になる立川サービスステーションは、立川市緑町にあり、立川市と国分寺市、国立市を受け持っている。昭和27年に井戸が飲めなくなった街に、いま、多摩26市町の水道を束ねる本部が置かれている。
あのころ/いま
あのころ、立川の一部の家では、ガソリンの匂いのする井戸を前に、時間の限られた給水車を待った。いま、立川の蛇口には、利根川と多摩川の水が、ときに足もとの深い井戸の水と混ざって届き、その水道を束ねる多摩の本部は、立川にある。
数字で読む立川の水
- 80 — パーセント。東京の水源のうち、利根川と荒川の水系が占める割合。多摩川は、東京の水道では意外にも脇役である。
- 24 — 本。令和2年度の都の一覧に載る、立川市内の水道用の水源井戸の数。柴崎だけで九号まである。
- 30〜40 — 尺。昭和27年にガソリンの匂いがした井戸の深さ。およそ9〜12メートル。
- 230 — リットル。昭和27年の立川市の水道の計画で見込んだ、1人1日あたりの給水量。
- 3 — リットル。災害のとき、給水ステーションで配る1人1日あたりの水の目安。重さにすると3キロである。
- 825 — トン。立川市が避難所などに備蓄している飲み水の量。
旅人の寄り道クイズ
昭和28年(1953)の政府の答弁書が、立川の井戸水を汚した疑いのある原因として、駐留軍の基地からのガソリンに加えて新たに挙げたものは何だろう。(A)多摩川の洪水(B)旧日本陸軍の地下のガソリンタンク(C)工場の排水。答えは最後に明かす。
数字の最後に並べた3リットルと825トンは、災害の日の数字である。立川の水の話は、未来の非常時にもつながっている。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
災害の日の水──給水ステーションと、校庭の下の20トン
地震で水道が止まったら、水はどこでもらえるのか。
都水道局は、断水したときに水を配る場所を「災害時給水ステーション」と呼ぶ。住まいからおおむね半径2キロの距離に1か所を目安に、都内213か所の浄水場や給水所、応急給水槽などに開設する。震災のときは、成人が1日に必要な飲み水の量である3リットルを目安に配る。水道の施設や公園の下に水を貯めておく施設の全体で、1人1日3リットルで計算して、都民約1,400万人の約3週間分以上の飲み水を確保しているという。
令和7年(2025)11月1日現在の都の一覧で、立川市の災害時給水ステーションは4か所ある。柴崎町一丁目の柴崎給水所、栄町五丁目の立川栄町浄水所、砂川町六丁目の立川砂川給水所、そして西砂町一丁目の市立松中公園である。ふだん井戸の水を汲み上げている施設が、非常時には、近所の人に水を手渡す場所になる。
公園の応急給水槽は、ただの水槽ではない。都水道局によれば、応急給水槽は水道管とつながっていて、水が入れ替わる仕組みになっており、地震などが起きたときは、水道の中の飲み水を守るために水の出入りを止める。ふだんは流れ続けている水が、その日だけ、公園の下に静かに留め置かれる。浄水場や給水所などの水道施設は、夜間や休日でも開設できるよう体制を整えている、と都は書く。開設の状況は、水道局のホームページやアプリのほか、拡声器付きの広報車やビラ、在京のラジオ局の放送でも知らせるという。昭和27年の給水車は時間が限られていた。令和の給水ステーションは、夜も休日も開く前提で用意されている。
注意がひとつある。給水ステーションに容器は用意されていない。都水道局は、3リットル、つまり3キロの水は重いので、背負えるタイプの給水袋や、空のペットボトルとリュックサックを用意してほしいと書いている。片手で3キロを提げて2キロ歩く自分を想像すると、腕より先に心が折れそうだ。給水袋は、地震の前に買っておくものらしい。
立川市も、独自に水を備えている。市によれば、一次避難所になる小中学校29校と、たちかわ創造舎(旧多摩川小学校)に、それぞれ20トンの飲み水を備蓄している。市民体育館や給食の共同調理場などにも蓄え、合計で825トン。さらに、水道の本管が無事で建物への管が壊れたときのために、道路の消火栓から水を出すスタンドパイプなどの資機材を、市民防災組織30組織と全ての一次避難所に配備したという。
市内には、ふだんは畑に水をまき、災害のときには周りの住民に洗濯などの生活用水を出す「防災兼用井戸」も44基ある。畑の記事で書いたとおりだ。昭和の立川は井戸が汚れて水道を求めた。令和の立川は、水道が止まったときのために井戸を残している。井戸と水道は、70年かけて、互いの予備になった。
平時の楽しみも書いておく。都水道局は、水道水を水筒などに汲める水飲み場を「Tokyowater Drinking Station」と名づけて、一覧を公開している。立川市内には、立川都民防災教育センター(立川防災館)、ファーレ立川センタースクエアの女性総合センター・アイムと中央図書館、立川市総合福祉センター、水道局の多摩水道立川庁舎、若葉図書館の6か所が載っていた。散歩の途中で、立川の水を一口飲める。どの井戸の、どの川の水かは、蛇口の向こうにしか分からないけれど。
寄り道クイズの答え
答えは(B)。昭和28年3月10日付の答弁書は、原因は駐留軍の基地からのガソリンの地下浸透とされてきたが、最近になって旧日本陸軍用の地下のガソリンタンクからも漏れているのではないかとの疑いが出てきた、と書いている。立川の地下には、二つの時代の燃料が眠っていた。

訪ねる前に
- 水の施設は見学の場所ではない: 柴崎給水所(立川市柴崎町1-1-41)、立川栄町浄水所(栄町5-38-5)、立川砂川給水所(砂川町6-41-1)は水道の施設で、ふだん中には入れない。場所は、災害のときの給水ステーションとして覚えておきたい。一覧は都水道局で: https://www.waterworks.metro.tokyo.lg.jp/kurashi/shinsai/ichiran
- 近くの給水ステーションを探すなら: 都水道局は「東京都水道局アプリ」で、現在地から近い順に給水拠点を表示し、災害時には開設状況も知らせると案内している: https://www.waterworks.metro.tokyo.lg.jp/kurashi/shinsai/kyoten
- 立川の水を一口飲むなら: 立川防災館(立川市泉町1156-1)。JR立川駅北口の1番乗り場からバスで「立川消防署」下車すぐ、多摩モノレールの高松駅から徒歩15分(東京消防庁の案内による)。入館の方法と休館日は公式で: https://www.tfd.metro.tokyo.lg.jp/taiken/tachikawa/index.html 。ファーレ立川センタースクエアの中央図書館にも水飲み場がある(一覧: https://www.waterworks.metro.tokyo.lg.jp/documents/d/waterworks/103003-25-02 )。
- 立川市の備蓄と給水の案内: https://www.city.tachikawa.lg.jp/bosai/m-bosai/1008366/1008399.html
- 来かた: 都心からはJR中央線で新宿から乗り換えなしで立川駅へ。神奈川からは川崎駅から南武線で乗り換えなしで立川駅に着く。
- 組み合わせると良い近くの場所: 防災館の隣の立川広域防災基地は「防災」の記事、玉川上水と砂川の分水は「玉川上水」の記事、崖の下の湧き水は「根川と多摩川」「矢川とハケ」の記事で歩いた。
週末、新宿から中央線で立川へ来て、防災館で水を一口飲み、立川の地下に20本あまりの井戸が眠っていることを思い出してほしい。それだけで、立川の水は少しだけ違う味になる。
水の街の、北口で
水の話を読みながら歩くと、のどが渇く。給水ステーションの場所を一つずつ確かめて回れば、なおさらだ。
立川駅の北口から徒歩1分、立川市曙町2-14-10のエトロワビル3階に、オンザショア立川店がある。溶岩プレートを敷いたスタジオで行うホットヨガのスタジオだ。常温のヨガやピラティス、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングもあり、ヨガだけで25種類以上のレッスンがある。
営業は8時から23時30分まで、年中無休で、曜日による違いは無い。防災館で水を飲んだ帰りにも、夜の散歩のあとにも、寄る時間はある。
ヨガの体験レッスンは税込1,980円。60分のレッスンに、バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれる。汗をかいたあとは、水を一杯。身ひとつで寄れる。
妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できないが、常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。
料金は https://ontheshore.jp/price/ 、店の案内は https://ontheshore.jp/ 、体験の予約は https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp で確かめられる。
蛇口から落ちる水の音を聞くたびに、私はいまも、足もとのずっと下にある井戸のことを少しだけ考える。
冒頭の写真: 多摩湖(村山貯水池)の水面。東村山浄水場の水源のひとつで、岸の林と青空が映っている。(写真: Guilhem Vellut from Annecy, France / CC BY 2.0 / Wikimedia Commons)
この記事の情報は2026年10月時点のものです。
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