西国立にあった立川機関区──蒸気の時代と「チョコ電」の昭和
立川駅から南武線で一駅、西国立駅で降りる。駅名は「西国立」だが、所在地は立川市羽衣町1丁目で、国立市の境とは少し距離がある。立川市にあるのに国立を名乗る駅。立川の人は、このささやかな不条理に、とうに慣れている。

写真: VVVF / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons
この駅の隣に、かつて立川機関区があった。百科事典の西国立駅の項は、昭和19年(1944)5月に隣接地に立川機関区が開設され、昭和59年(1984)7月1日に廃止されたと記す。南武線の項は、開設を昭和20年(1945)5月としている。資料によって1年ずれている。戦争の最後の年の1年は、とても長い1年だったはずだ。
機関区とは、機関車が出入りし、整備を受け、休む場所である。いまはその姿は無い。けれども駅には痕跡が残っている。同じ項によれば、西国立駅の駅舎と上りの1番線ホームは、かつて機関区への入出庫線があった跡に設けた短い通路で結ばれている。機関区が廃止される前は、川崎方面のホームが島式で、2面3線の配線だった。機関車が出入りした線路の跡を、いまは通勤客が歩いて改札へ向かう。
西国立駅には、もうひとつ小さな謎がある。この駅を始発とする川崎行きが毎日2本あるのに、ここで終わる電車は1本も無い。立川駅の留置線からはホームに直接入れない配線なので、始発の電車はいったん西国立駅まで回送してから営業を始めるのだという。行きはあっても帰りは無い。西国立は、南武線にとっての朝の玄関口なのである。
この界隈を、昭和の電気機関車も走っていた。昭和50年(1975)に西国立駅の近くで南武線を走るED16形を写した一枚が、写真の共有サイトに残っている。青梅線の百科事典の項は、長く青梅線の貨物輸送に使われてきたED16形が、昭和58年(1983)3月25日に定期の運用を終えたと記している。
そして南武線の主役は、長いあいだ茶色い電車だった。
百科事典によれば、南武線には昭和53年(1978)まで茶色の旧形国電が走り、「チョコ電」と呼ばれて南武線の代名詞になっていた。1960年代まではおおむね17メートルの車両の4両編成で、20メートルの車両を4両つなげなかったのは、南武鉄道の時代のままのホームの長さが71メートルしかなかったからだ。私鉄の時代の寸法が、国鉄の電車の長さを縛っていた。
チョコ電を置き換えたのは、他の路線から移ってきた101系だった。塗り替えが間に合わず、朱色やスカイブルーのまま走った車両が多く、当時の利用者からは南武線の色が分からないという声が上がったという。あちこちの線のお下がりが、ちぐはぐな色のまま一本の列車につながって走る。旅の雑誌の連載で、ある書き手は、自分の高校のころの南武線は山手線や総武線のお古がちぐはぐにつながっていて、「南武線の駄菓子電車」とからかわれていた、と書き残している。駄菓子屋の店先に色とりどりの菓子が並ぶ姿を、電車に見立てたのだろう。言い得て妙である。
平成元年(1989)には、南武線のために新しく造った205系が走りはじめた。南武線のために新車が直接入ったのは、国有化の前、南武鉄道の時代の昭和17年(1942)以来、47年ぶりだった。このとき車体の帯の色は、沿線の住民へのアンケートで決めた。旧形国電の茶色、中央線から借りた車両のオレンジ、そして路線の色の黄色。どれも南武線を走った歴代の車両の色である。
いまの南武線の電車はE233系で、平成26年(2014)10月4日に走りはじめた。事典によれば、先頭車の側面の帯には、沿線の街並みを描いたロゴが入っている。川崎の側から順に、ミューザ川崎、武蔵小杉の高層ビル群、とどろきアリーナと並び、多摩川、よみうりランドの観覧車、一橋大学と続いて、最後は多摩都市モノレール、立川駅北口のアーチ、立川ルミネで終わる。川崎から走ってきた電車の脇腹で、立川はいちばん端の、終点の席に座っている。立川駅の7・8番線に止まっている南武線を見かけたら、先頭車の帯に目を寄せてみてほしい。車体の左右で、建物の並びが逆になっているそうだ。
あのころ/いま
あのころ、南武線は茶色い車両の短い編成で、「チョコ電」と呼ばれ、立川駅の南武線ホームの片側には番線の名前すら無かった。いま、南武線は銀色の車体に黄色い帯を巻いた6両で、帯の端には立川駅北口のアーチが描かれ、8番線ができて、立川駅の構内まで含めて全線が複線になった。
数字で読む立川の鉄道
- 8 — 番線。立川駅の島式ホーム4面に並ぶ線路の数。ほかに貨物線や留置線などが4本ある。
- 200 — メートル。青梅短絡線が本線より遠回りになる距離。消えた鉄道の線路が渡り線として残されてから、もう80年を超える。
- 71 — メートル。南武鉄道の時代のホームの長さ。これが、チョコ電を短い4両に縛っていた。
- 1999 — 年。立川駅に南武線の8番線ができ、南武線の完全な複線化がやっと完成した年。立川駅の構内だけが最後まで残っていた。
- 154,091 — 人。2024年度の立川駅の1日平均乗車人員(JR東日本の集計、百科事典による)。多摩の駅では最も多い。
- 47 — 年。南武線に新車が直接入るまでに空いた年月。お下がりの時代は長かった。
旅人の寄り道クイズ
立川駅と西立川駅を結ぶ青梅短絡線は、もともと何の線路だったのだろう。(A)青梅鉄道の本線(B)五日市鉄道と南武鉄道の連絡線(C)立川飛行場への引込線。答えは最後に明かす。
数字を並べると、立川の線路は、遠回りと、短さと、遅れの物語に見えてくる。では実際に、どこへ行けば電車が見えるのか。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
立川で電車が見える場所──駅のホームから、多摩川の鉄橋まで
電車を眺めるのに、立川はなかなか恵まれた街である。三つの路線と一本のモノレールが、駅の周りで重なり合っているからだ。
まず立川駅そのもの。南武線の7・8番線のホームは、川崎へ向かう黄色い帯の電車の始まりの場所で、令和5年(2023)にはスマートホームドアの使用が始まっている。中央線と青梅線のホームでは、平成17年(2005)からは「あずさ」と「かいじ」の全列車が、令和4年(2022)3月からは中央線の定期の特急の全列車が停まるようになった。遠くの山の街へ向かう特急が、立川で必ず一度、足を止める。そのたびに、ホームの立川市民は少しだけ誇らしい。
次に、多摩モノレール。立川駅の西側を多摩都市モノレールが南北に縦断している。モノレールは、JRの線路の上を横切って、立川北駅と立川南駅を結ぶ。上から線路を見下ろす席が、運賃だけで手に入る。
西立川駅は、青梅短絡線の終わりの場所だ。百科事典によれば、駅の西で青梅線の本線と青梅短絡線が合わさる。青梅短絡線を通る上り列車は、この駅では通過の扱いになる。国営昭和記念公園の西立川口へはデッキでつながっていて、公園の行き帰りに、あの「遠回りの近道」の終点を見ることができる。
この駅には、少し可笑しい逸話もある。平成18年(2006)3月31日、発車メロディが、この駅をモチーフに作られた松任谷由実の「雨のステイション」に変わった。もとは3か月の予定だったという。それが1年延び、結局、令和8年(2026)1月19日まで使われ続けた。3か月のつもりが、20年近い。西立川の「ちょっとだけ」は、どうやら長い。
立川駅から南へ下り、多摩川に出れば、中央線の多摩川橋梁がある。明治22年(1889)に甲武鉄道が架けた、全長444メートルの鉄道橋で、上り線の橋脚には煉瓦の楕円形の橋脚が残っている。多摩川の水害と橋の記事で歩いたとおり、この鉄橋は人より先に川を渡った。河川敷から、オレンジ色の帯の電車が19の径間を渡っていくのを眺めるのは、立川の鉄道さんぽの締めくくりにふさわしい。
最後に、もう線路の無い鉄道も挙げておきたい。立川飛行場の東西には貨物専用の引込線が敷かれていたが、昭和52年(1977)に基地が全面返還されると撤去され、昭和55年(1980)に遊歩道の栄緑地に生まれ変わった。電車は来ないが、線路の通った幅だけ、細長い緑が続いている。
鉄道を見に行く作法──明治の法律は、駅での発砲まで禁じている
電車を見に行くなら、作法の話をしておかなければならない。
鉄道の決まりの土台に、鉄道営業法という法律がある。明治33年(1900)の法律で、いまもカタカナまじりの条文のまま生きている。その第37条は、停車場その他の鉄道地内にみだりに立ち入った者は科料に処す、と定める。写真のために線路へ一歩入るのは、マナー違反ではなく法律違反だ。
同じ法律を読み進めると、第39条には、車内や停車場、そのほかの鉄道地内で発砲した者への罰がある。第40条は、列車に向かって瓦や石を投げた者への罰だ。明治の駅には、どうやら発砲を想定しなければならない客がいたらしい。令和の撮影者に求められているのは、さすがにそこまでではない。三脚を立てない、身を乗り出さない、その程度のことである。
JR東日本は、令和7年(2025)12月15日、駅のホームでの危険な録音や撮影への注意を呼びかける取り組みを発表し、翌16日から主要駅にポスターを掲げた。交通の情報サイトによれば、線路や設備に近づくなどの危険な撮影には、感電や列車との接触のおそれがあり、周りの利用者の迷惑になり、列車の運行にも影響するからだという。
JRの各社が掲げる撮影の作法は、だいたい共通している。たとえばJR北海道は、控えてほしい行為をこう並べる。運転中の列車に向けてフラッシュを使うこと。ホームで脚立や三脚、自撮り棒を使うこと。ホームから線路に身を乗り出すこと。点字ブロックの上で立ち止まったり、荷物を置いたりすること。場所取りや大声で、他の客ともめること。
立川駅は、多摩でいちばん人が乗り降りする駅である。ホームで撮るなら、通勤の波が引いた時間に、黄色い線の内側から、撮らせてもらう気持ちで。それが、二重生活を送るこの駅への礼儀だと思う。
横田基地線を見に行く人は、もうひとつ覚えておきたい。旅の情報サイトによれば、線路の中は米空軍の施設なので立ち入りが禁止されており、線路も基地の構内の扱いになる。見学は踏切からになり、遮断機も警報機も無い踏切もあるので、列車が来るときは注意が要る。めったに来ない列車ほど、来たときの用心が要るのだ。
寄り道クイズの答え
答えは(B)。立川駅から武蔵上ノ原駅までは、昭和5年(1930)に開業した五日市鉄道の線路で、武蔵上ノ原駅から西立川駅までは、昭和6年(1931)に南武鉄道が敷いた貨物用の連絡線だった。昭和19年(1944)に五日市鉄道の立川と拝島のあいだが休止されたあとも、この部分だけが青梅線の渡り線として残った。近道の名は、消えた鉄道の形見である。
訪ねる前に
- 立川駅への道: 都心からはJR中央線で新宿駅から乗り換えなしで立川駅へ。神奈川の側からは、川崎駅から南武線で乗り換えなしで終点の立川駅に着く(南武線は全長35.5キロの路線)。立川駅の構内図や設備は、JR東日本の公式サイトの駅の情報で確かめてほしい。
- 西国立駅: 立川市羽衣町1丁目。立川駅から南武線で1駅。機関区の跡に設けた通路は、駅舎と1番線ホームのあいだにある。
- 西立川駅: 立川市富士見町1丁目。立川駅から青梅線で1駅。公園口からデッキで国営昭和記念公園の西立川口へつながる。公園の開園時間と入園料は公式サイトで: https://www.showakinen-koen.jp/
- 多摩川橋梁を眺めるなら: 立川駅の南、多摩川の左岸の河川敷から。鉄橋と線路の敷地には入らないこと。
- 組み合わせると良い近くの場所: 立川駅の来歴は「立川駅の歴史」の記事、空の上の鉄道は「多摩モノレール」の記事、多摩川と鉄橋は「多摩川の水害と橋」の記事で歩いた。昭和記念公園の散策と西立川駅をつなげば、半日の行程になる。
- 鉄道の歴史を資料で見るなら: 立川市歴史民俗資料館(立川市富士見町3-12-34。開館時間・休館日は市の案内で): https://www.city.tachikawa.lg.jp/kanko/bunka/1004244/1004849/1004905.html
- 撮影の前に: 線路や鉄道の敷地に入らない、ホームで三脚や脚立を使わない、運転中の列車にフラッシュを向けない。横田基地線は踏切から見るだけにする。
週末、新宿から中央線に乗って立川で降り、南武線の茶色い帯を確かめてから、西立川で短絡線の終点を見に行く。それだけで、鉄道好きの一日はたぶん足りる。
線路の街の、北口で
鉄道さんぽは、思った以上に足を使う。ホームの端から端まで歩き、西国立まで一駅戻り、多摩川の河川敷まで下りれば、帰りの電車の座席がやけにありがたく感じられる。
立川駅の北口から徒歩1分、立川市曙町2-14-10のエトロワビル3階に、オンザショア立川店がある。溶岩プレートを敷いたスタジオで行うホットヨガのスタジオだ。常温のヨガやピラティス、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングもあり、ヨガだけで25種類以上のレッスンがある。
営業は8時から23時30分まで、年中無休で、曜日による違いは無い。朝いちばんの南武線を見送ってからでも、夜の特急を見届けてからでも、寄る時間はある。
ヨガの体験レッスンは税込1,980円。60分のレッスンに、バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれる。カメラ一台を提げたままでも、身ひとつで寄れる。
妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できないが、常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。
料金は https://ontheshore.jp/price/ 、店の案内は https://ontheshore.jp/ 、体験の予約は https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp で確かめられる。
近道を名乗る遠回りの線路は、今日も駅の西で中央線をまたいでいる。急がなくてよい、と言われている気がする。
冒頭の写真: 立川駅の南武線7・8番線ホーム。両側に黄色とオレンジの帯の電車が止まり、奥に階段がある。(写真: MaedaAkihiko / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons)
この記事の情報は2026年10月時点のものです。
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