立川の玉川上水と砂川を歩く 散歩の見どころと歴史、江戸の水道はなぜ川の下へ潜ったか

小平監視所、水がふたつの顔に分かれる場所

玉川上水駅から東へ歩くと、東京都水道局の小平監視所がある。名前は小平だが、立川市の散歩コースの解説は「幸町の小平監視所」と書いている。小平を名乗って、立川に住んでいる。本籍と住所が違う人のようで、少し親しみがわく。

玉川上水の小平監視所。コンクリートの水路が並び、その脇に流れを見張る施設が建つ。
玉川上水の小平監視所。コンクリートの水路が並び、その脇に流れを見張る施設が建つ。
写真: sewmew / Public domain / Wikimedia Commons

ここが、上水の二つの顔を分ける。その来歴は明治から始まる。

水道局の解説によれば、明治に入ってしばらくすると、上水にはごみや泥水の流れこみ、木樋の腐朽、市中でのコレラの流行といった問題が重なった。浄水場でろ過した水を鉄管で配る近代水道が求められ、明治31年(1898)12月、淀橋の浄水場から神田、日本橋方面への給水が始まる。明治34年(1901)、玉川上水は市内への直接の給水をやめ、浄水場へ原水を運ぶ導水路に役目を変えた。

水路を守るため、熊川、砂川、小川、境、久我山、和田堀、淀橋、大木戸の8か所に水衛所が置かれた。江戸の水番所の役目を受け継ぐもので、水衛所の職員は、水路の下流から上流に向かって、隣の水衛所までの区間を受け持ったという。立川市内では、金比羅橋の上流に砂川水衛所の跡が残る。

昭和38年(1963)、小川水衛所が廃止されて小平水衛所、いまの小平監視所が置かれた。昭和55年には砂川などの水衛所も廃止される。昭和40年(1965)に淀橋浄水場が廃止されると、上水の原水はここから東村山浄水場へ送られることになった。羽村からこの監視所までの約12キロは、江戸の開削以来、いまも東京の水道の原水を運び続けている区間だ。その終点が、立川市幸町にある。立川市内の上水は、まるごとその上流側に入る。緑道の脇を流れているのは、いまも誰かの家の蛇口へ向かう水なのだ。

監視所から下流は事情が違う。淀橋浄水場の廃止とともに、監視所から下流には水が流れなくなった。水道局は、暗渠の上や水路沿いに公園や緑道が整えられる一方、法面の崩落やごみの不法投棄に悩まされたと書く。上水を愛する人々の尽力もあって、東京都は昭和57年(1982)に清流復活事業を決め、昭和61年(1986)、監視所から約18キロ下流の杉並区の浅間橋のあたりまで、ふたたび水が流れた。水はそこから管路で神田川へ合流する。野火止用水は昭和59年、千川上水は昭和63年に、同じ事業で流れを取り戻している。いま下流を流れているのは、昭島市の多摩川上流水再生センターから地下のパイプで送られてくる水である。平成15年(2003)、上水は竣功350年を記念して国の史跡に指定された。

昭和40年から61年まで、監視所から下流の上水は21年のあいだ空堀だった。昭和の後半に下流の町で子ども時代を過ごした人は、水の無い溝を「上水」と呼んで育ったことになる。いまの若い人には、水の流れていない玉川上水のほうがよほど想像しにくいだろう。

上流側の立川でも、昭和の土手の風景はいまと少し違っていた。金比羅橋の上流に跡が残る砂川水衛所は、昭和55年まで置かれていた。職員は下流から上流へ、隣の水衛所までの区間を受け持った。上水の土手には、水を見張る仕事の人がいたのである。いま同じ土手を行き来するのは、犬を連れた人と、走る人と、ときどき私のような物好きだ。

立川の区間は、江戸の時代から一度も「上水」であることをやめていない。飲み水の通り道であり続けたこと。それが、のちに川との上下関係を決めることになる。

初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。

体験レッスンを予約体験専用 03-6665-0898LINE

阿豆佐味天神社と金比羅山、乾いた台地の祈りと舟の記憶

上水から五日市街道へ下りると、砂川の村の芯にあたる場所がある。

立川市砂川町の阿豆佐味天神社の社殿。冬の晴れた日の境内に、静かに建つ。
立川市砂川町の阿豆佐味天神社の社殿。冬の晴れた日の境内に、静かに建つ。
写真: Araisyohei / CC BY 4.0 / Wikimedia Commons

阿豆佐味天神社は砂川の鎮守で、寛永6年(1629)、村山郷殿ヶ谷(いまの瑞穂町)の阿豆佐味天神社から分社して祀られた。宝永5年(1708)の棟札を残す本殿は市内最古の木造建築物、文久2年(1862)完成の総欅造りの拝殿は、都内でもまれに見る豪壮な建物だと立川市は書く。元日には多摩地区で最も早いだるま市が立ち、大きなかがり火が焚かれるのは午前0時から。年の始まりに対して、これ以上せっかちにはなれない。

街道沿いの流泉寺は、砂川村一番組から十番組までの菩提寺だ。立川市によれば、慶安3年(1650)に創建され、承応3年(1654)に開創された。上水が通じたのと同じ年である。偶然なのか、水の見通しが立ったから寺を整えたのか。記録は年号が重なっていることしか示さない。明治時代には約30年のあいだ、境内に学校が置かれていた。

境内の蚕影神社は、安政7年(1860)に常陸国筑波郡(いまの茨城県つくば市)から勧請された養蚕の神だ。遠い常陸国から守り神を迎えるほど、砂川では養蚕が盛んで、村の経済を支えていたと市は書く。田の乏しい台地は、米の代わりに絹を育てた。この社は「猫返し神社」とも呼ばれる。近くに住む著名人の飼い猫が、ここに参ったら戻ってきたと雑誌に載ったのが始まりで、市の解説はさらに、養蚕では繭を鼠に食われるため、鼠よけに猫の絵のお札を出していたことも縁があるのかもしれない、と添える。鼠よけのお札の猫が、時代が下って迷い猫を連れ戻す神様になった。ずいぶんな出世である。

金比羅橋の近く、砂川三番には、高さ10メートルほどの築山がある。金比羅山だ。立川市が作った散歩地図は、ここを山と紹介している。登山靴はいらないが、山であることに変わりはない。上水を掘った土砂を盛ったものではないかという説と、江戸時代に流行した富士塚ではないかという説があり、いつ築かれたかははっきりしない。安政年間に砂川村の名主の村野家が願主となって、富士浅間神社、金比羅大権現、秋葉神社を勧請したと伝えられる。

金比羅大権現は、上水で舟運が行われていたころ、舟の神として祀られたのだろうと立川市は書く。水道局によれば、上水に舟を通す話は、水質への影響や地元の反発で江戸時代には実現しなかった。明治になって地元の名主らが願い出て、ようやく許される。明治3年(1870)4月、羽村から内藤新宿まで上水を船が行き交い、大変な繁盛だったという記録が残る。見影橋の下流には舟着き場だった巴河岸の跡があり、市の散歩地図によれば、物資の運搬のほか観光目的の船も含めて、1日に何便もの船が行き来した。だが明治5年(1872)5月、わずか2年で通船は廃止される。理由は水質の悪化と考えられている。名主らはその後も再開を願い出たが、認められなかった。

舟は分水の形も変えた。立川市の解説によると、明治3年、通船事業などにともなって分水口がまとめられ、砂川分水は武蔵野市や三鷹市までの10の分水とつなげられた。砂川用水の分水口は松中橋のいまの場所に移され、翌年には深大寺分水がつくられて、調布市の野川まで届く長い用水になった。いま松中橋の上流に並ぶ小さな取り入れ口が、かつて野川まで水を送っていた。小さな口に、調布までの仕事が任されていたわけだ。

飲み水の上を観光の舟が行く。2年で終わったのは当然だろう。むしろ2年続いたことに、明治という時代の大らかさを感じる。そして「水質」という言葉が、ここで初めて上水の歴史に顔を出す。明治の上水は、汚れはじめていた。その汚れが、やがて川との上下関係をひっくり返す。

天王橋のそばで、川と上水が上下を入れ替えた

謎の現場は、天王橋の少し下流にある。立川市の解説が「残堀川下の伏越」と書いた場所だ。五日市街道に架かるこの橋は、南側にあった天王社が名の由来とされ、かつては「五日市橋」とも呼ばれていた。川と上水と街道が交わる場所は、橋の名前まで一つに決まらない。

東京都の土木技術支援・人材育成センターの年報に、残堀川の来歴を調べた論文がある。それを読むと、二つの水の関係は、思っていたよりずっと込み入っていた。

残堀川は、瑞穂町の狭山池を源とし、武蔵村山市、昭島市、立川市を流れて多摩川に合流する一級河川だ。論文によれば、江戸期に玉川上水ができたとき、残堀川は五日市街道の天王橋のあたりで上水と交わるように流路を付け替えられた。上流でも、狭山池から堀を削って残堀川と結び、上水の水を補う「助水」とした。つまり「砂の川」は、最初は上水を助ける側だったのである。

風向きが変わったのは明治だ。論文は、明治期の玉川上水は養蚕や織物などの産業が盛んになった結果、江戸期に比べて水質の悪化が著しかったと書く。明治36年から41年にかけて、残堀川が上水の下を伏せ越す流路に改修された。東京市の水道改良事業として行われたもので、残堀川の水を上水の助水として使うことをあきらめた結果だという。明治40年ごろには、汚れてきた殿ヶ谷分水の水も、上水ではなく残堀川へ落とすように付け替えられた。

ここで私は、蚕影神社のことを思い出さずにいられない。砂川を潤した養蚕は、明治の上水を濁らせた産業のひとつでもあったことになる。

そして昭和。流域の開発が進み、残堀川は大雨のたびにあふれやすくなった。論文によれば、増水した残堀川の水が上水の流水と混ざらないよう、また流量の安定している上水のほうが水理的にもコントロールしやすいことから、昭和38年、上水が残堀川を伏せ越す現在の形に作り直された。

謎は、これで解ける。上水が川の下をくぐるのは、溝が川に遠慮したからではない。暴れる川から飲み水を守るために、上水のほうが地下へ身を隠したのだ。昭和38年は、小平監視所ができた年でもある。上水が「上水」であり続けるために、立川の北の縁では同じ年に二つの手が打たれていた。

助水として呼び寄せられ、明治に下をくぐらされ、昭和には上を通る側に回った残堀川。乾いた「砂の川」は、いつのまにか、上水が避けて通るほどの川になっていた。

昭和38年は、砂川にとっても節目の年だった。この年、砂川町は立川市と合併し、いまの立川市になる。市史編さん広報紙は、立川市は二つの自治体が合わさってできた市なのだと書く。南の柴崎村と、北の砂川村。その少し前の砂川には、もう一つの歴史がある。立川市のウォーキングマップによれば、昭和30年(1955)、米軍立川基地の拡張を求められた砂川町は、まちぐるみの反対運動、いわゆる砂川闘争を繰り広げた。長い運動の末、昭和43年(1968)に滑走路の延長は取りやめとなり、翌年、米軍は横田飛行場への移転を決めた。昭和50年(1975)には、その20周年を記念した平和の礎の碑が建てられている。上水の土手から少し南へ下りれば、戦後の砂川の記憶にも触れられる。

立川の北の端には何も無い、と思っていた人に、私はこの交差点のことを話したい。江戸の水道がいまも原水を運ぶ区間の終点があり、その水を守るために川と上下を入れ替えた場所がある。多摩地区でいちばん早いだるま市が立ち、市内最古の木造建築が覆殿の中に眠っている。地味に見えるのは、話が地面の下と記録の中に隠れているからにすぎない。

300年以上の土肌を見下ろしながら、私はもう一度割り算をする。43キロで92メートル。その細い傾きを守るために、この堀は370年あまり、川や人や時代と折り合いをつけ続けてきた。

堀の底を、今日も水が東へ流れていく。音はほとんどしない。

寄り道クイズの答え

答えは(A)2年。明治3年(1870)から明治5年までの2年間だけ、上水に舟が通った。物資だけでなく観光の船も1日に何便も行き来したが、水質を保つために廃止された。上水の汚れが語られはじめるのは、ここからである。

訪ねる前に

  • 行き方: JR立川駅から多摩モノレールの立川北駅へ。上北台方面に乗り、玉川上水駅まで約9分(多摩モノレールの運賃・所要時間表による)。駅の南側を玉川上水が東西に流れ、沿道が緑道になっている。西武拝島線の玉川上水駅も同じ場所にある。
  • 歩く目安: 立川市のウォーキングマップは、武蔵砂川駅から巴河岸跡や金比羅山を通って立川市役所へ向かう約3.8キロ・約57分のコースと、玉川上水駅から阿豆佐味天神社を経て古民家園へ向かう約5.7キロ・約86分のコースを載せている: https://tokyo-walkingmap.metro.tokyo.lg.jp/resources/course/502/pdf/tachikawa_2.pdf
  • 立川市の散歩コース「砂川新田発祥の地を歩く」(阿豆佐味天神社・蚕影神社・金比羅山・分水口): https://www.city.tachikawa.lg.jp/kanko/bunka/1004244/1004848/1004892.html
  • 玉川上水全体の歴史と散策の案内: 東京都水道局「史跡玉川上水」 https://www.waterworks.metro.tokyo.lg.jp/kouhou/pr/tamagawa
  • 川越道緑地古民家園(立川市幸町4丁目65番地)は、管理施設の改修工事のため、2026年6月1日から2027年3月31日まで休園の予定と立川市が告知している。開園状況は公式で確かめてほしい: https://www.city.tachikawa.lg.jp/shisetsu/1008065/1008100.html
  • 阿豆佐味天神社の本殿は覆殿の中にあり、公開されていない。元日のだるま市や9月の例祭の日程は、その年の案内で確かめるとよい。
  • 組み合わせるなら: 行き帰りの多摩モノレールの車窓、同じ砂川の地下で育つ東京うど(直売所は国営昭和記念公園の北側)と合わせると、立川の北半分を一日で歩ける。

歩いたあとは、立川駅北口で

秋から冬、上水の緑道と五日市街道を歩いてきた体は、思った以上に冷えていることがある。

立川駅に戻ったら、北口から徒歩1分のところにオンザショア立川店がある。住所は立川市曙町2-14-10、エトロワビル3階。溶岩プレートを敷いたスタジオで行うホットヨガのスタジオだ。常温のヨガやピラティスのほか、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングもある。ヨガだけで25種類以上のレッスンがそろう。

営業は8時から23時30分まで、年中無休で曜日による違いはない。朝に上水を歩いても、夜に駅へ戻っても間に合う。

はじめての人のためのヨガの体験レッスンは税込1,980円。60分のレッスンに、バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれている。散歩の帰りに、ほとんど手ぶらで寄れる。

妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できないが、常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。

料金の詳細は https://ontheshore.jp/price/ 、店の案内は https://ontheshore.jp/ 、体験の予約は https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp から確かめられる。

300年前の堀の縁を歩いた足で、駅前のビルの3階へ上がる。上水なら、数キロかけてようやく下りる高さである。

冒頭の写真: 立川市の見影橋から眺めた玉川上水。緑の木々の下を、石積みの岸に沿って水が流れる。(写真: sewmew / Public domain / Wikimedia Commons)

この記事の情報は2026年10月時点のものです。

立川さんぽ特集のほかの記事

立川さんぽ特集の一覧

初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。

体験レッスンを予約体験専用 03-6665-0898LINE

💬 ご質問がある場合はこちらからどうぞ

オンザショアのチャットで質問する(24時間受付)

レッスン内容・料金・体験のご予約など、気になることをお気軽にお尋ねください。

1

2


Warning: Attempt to read property "show_author" on false in /home/c1531448/public_html/ontheshore.jp/wp-content/themes/heal_tcd077/single.php on line 165

関連記事

PAGE TOP
ご体験予約