橋上駅舎と駅ビル、デッキでつながる街
立川市の年表をめくると、戦後の駅にまつわる出来事が細かく拾われている。昭和39年(1964)には、駅の構内で無人のタンク車が暴走し、火災事故が起きた。基地の街の駅は、事故の記憶も抱えている。

写真: DiKnK8713 / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons
転機は、基地の返還と重なる。昭和52年(1977)に立川基地が全面返還された同じ年、年表には「国鉄で立川駅舎改造構想」とある。昭和54年に国鉄が駅の改良に着手し、昭和56年に仮駅舎、そして昭和57年(1982)10月、新しい駅舎と駅ビル、南北自由通路が完成した。資料館の手引の年表にも、同じ月に新駅舎完成、南北自由通路の使用開始、駅ビル開業とある。
駅ビルは「WILL」という名前で開業し、このまちアーカイブスによれば平成4年(1992)にルミネ立川へと名を改めた。線路の上に駅舎を載せる橋上駅舎になったことで、北と南は線路をまたぐ通路で結ばれた。41年遅れて生まれた北口と南口は、ここでようやく、ひとつの通路の両端になった。
昭和62年(1987)に国鉄が分割民営化され、立川駅はJR東日本の駅になる。平成元年(1989)には、市が立川駅開設100周年の記念行事を開いた。100歳の駅は、まだ大きくなるつもりだった。
平成10年(1998)11月、多摩都市モノレールが上北台から立川北駅まで開業し、平成12年(2000)1月には多摩センターまで延びて立川南駅ができた。南北に走るモノレールが、東西に走る中央線と十字に交わる。資料館の手引の年表は、その二つの開業で終わっている。明治の甲武鉄道から始まった線の物語が、空中の軌道で締めくくられているのは、なかなか洒落た編集だと思う。
駅のまわりには、歩行者のための空中の道が張りめぐらされた。立川市の年表によれば、平成11年(1999)に南口の歩行者用デッキの供用が始まり、平成13年に北口と南口の駅前広場のデッキが一部開通、平成17年(2005)に南口と北口のデッキが開通した。車は地上を、人は二階を歩く。立川駅の北口に立つと、駅前に地面があることを、うっかり忘れそうになる。
同じ平成11年、このまちアーカイブスによれば、南口には駅に直結する商業施設グランデュオ立川が開業している。南口には、ようやく北口と肩を並べる玄関ができた。平成23年(2011)の東日本大震災の日には、立川市の年表に、立川駅の周りで帰宅できなくなった人々への対応にあたったと記されている。人が集まる駅は、人が動けなくなったときにも、人が集まる場所になる。
駅の中も変わった。平成19年(2007)、西改札と南改札ができ、駅の中の商業施設エキュート立川が開業した。平成28年(2016)には、モノレールの下を南北に結ぶ西側の自由通路が開通し、北改札口が開かれた。立川市の年表は、この年の項にタクロス広場と北改札口のオープン、西側自由通路の開通を並べている。開業のとき北口ひとつだった改札は、こうして五つになった。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
立川駅の歩き方、130年の跡を拾う
ここまで資料をたどってきて、私は駅を歩く順番を一つ思いついた。時代を追って、駅の上と下を行き来する歩き方だ。
まず北口のデッキに立つ。足元のバスターミナルのあたりは、明治の茶屋があった場所で、その一角に牧水の歌碑がある。デッキから見下ろして探すと、駅前の地面がまだそこにあることを思い出せる。立川市の年表によれば、北口の駅前に時計塔とモニュメントが置かれたのは昭和62年(1987)、デッキのアーチが塗り替えられたのは平成25年(2013)だ。待ち合わせの目印にも、ちゃんと来歴がある。
次に、北口から北へ延びる緑川通りの名前を確かめる。駅前の水に悩んだ町が掘った排水路の名が、通りに残っている。大正の町議会の陳情から数えれば、この名前の奥に100年分の雨がある。
駅舎へ戻り、昭和57年(1982)にできた南北自由通路を南へ渡る。開業から93年間、線路の上を渡るこの通路はなかった。通路の幅を眺めながら、地下道や踏切で線路の向こうへ回りこんでいた人たちの足取りを想像してみる。
南口へ出たら、デッキを降りて道の交わり方を見る。昭和の初めの耕地整理で引かれた碁盤の目が、いまの街路の骨格になっている。駅前の再開発で建物は変わったが、道の向きまではそう簡単に変わらない。
最後に、地下を通る。立川市の年表には、昭和37年(1962)に立川駅東踏切の地下道が完成し、令和5年(2023)には立川駅東地下道の壁面アートがアール・ブリュットの作家たちの手で新しくなったとある。令和元年(2019)には西側の地下通路にも壁面アートができた。名前を見るかぎり、踏切のそばに掘られた昭和の地下道の流れをくむ道が、いまは絵を見ながら歩く道になっているらしい。北口のデッキから地下道まで、上と下を往復すれば、この駅の130年をひととおり歩いたことになる。
ひとつ注意がある。地下道と自由通路とデッキを行き来していると、自分がいま駅の北にいるのか南にいるのか、ときどき分からなくなる。案内板は親切だが、案内板を読む前に歩き出す人間には効かない。
これらの点は、すべて駅の改札の外にあり、入場券は要らない。のんびり拾って歩いても、1時間あれば足りる。
村はずれの停車場が、多摩でいちばんの駅になった理由
数字を、もう一度並べてみる。JR東日本の2024年度の表で、立川駅の1日平均の乗車人員は15万4,091人、全駅の14位にあたる。同じ表で、吉祥寺は12万8,246人、国分寺は10万1,156人、町田は10万118人、八王子は7万7,401人。多摩地域の駅で、立川より上にいる駅はない。
なぜ、こうなったのか。資料をたどって見えてきた答えの半分は、こうだ。
賑わう街道筋が鉄道を断ったから、線路は人のいない台地を真っすぐ走り、その終わりに近いところで、村はずれの立川が鉄道を迎えた。駅の周りに家がなかったことは、裏を返せば、育つための余白がいくらでもあったということだ。北口は水と引き替えに開き、その北にのちに飛行場が来た。南口は耕地整理の碁盤の目とともに開き、商店街が生まれた。山の石灰石と川の砂利が、それぞれの線路を伸ばして立川で出会った。そして、何もないことを理由に中学校を呼び込んだ村の人たちがいた。
もう半分は、私にはこう見える。立川駅は、いつも何かを迎え入れる側に立ってきた。断られた鉄道を迎え、飛行機を迎え、基地を迎え、その基地が去ったあとの広い土地に、公園と街とモノレールを迎えた。迎えるたびに改札が増え、通路が増え、デッキが空中へ伸びた。駅というより、扉を増やし続けてきた家のようだ。
「立川には何もない」と思っている人は、いまも少なくないかもしれない。だが立川駅の歴史は、その「何もない」から始まっている。何もない台地だったから線路が真っすぐ通り、何もない駅前だったから学校が来て、何もない返還地だったから新しい街が描けた。1,920人の村が自分で呼び寄せた停車場に、いまは1日15万人が乗りにくる。その差の残りを埋めるのは、改札を出て、ここから歩きはじめる人の数だろう。
寄り道クイズの答え
答えはC、41年後である。立川駅は明治22年(1889)に北口だけで開業し、南口が開いたのは昭和5年(1930)3月だった(立川市歴史民俗資料館の手引、立川市の年表による)。
訪ねる前に
- 立川駅:東京都立川市曙町2丁目。JR中央線・青梅線(五日市線の電車も乗り入れる)・南武線。改札は東・西・北・南・グランデュオ改札の5か所。構内図・きっぷ売り場の時間はJR東日本の駅の情報で確かめてほしい: https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCD=958
- 駅を歩く順の一例:北口のデッキから駅前のバスターミナルを見下ろし、牧水の歌碑のある一角を探す。デッキ伝いにファーレ立川へ(JR立川駅北口から徒歩3分、ファーレ立川アートの公式案内による)。戻って南北自由通路を抜け、南口の碁盤の目の街並みへ。駅とその周りだけなら1時間ほどで回れる。
- 組み合わせると良い近くの場所:国営昭和記念公園のあけぼの口はJR立川駅北口から約10分(公式のアクセス案内による: https://www.showakinen-koen.jp/access/ )。南へは諏訪神社まで徒歩10分(神社の公式案内による: https://suwajinja.or.jp/access.html )。多摩モノレールで北へ南へ足を延ばすなら公式サイトで運行を確かめたい: https://www.tama-monorail.co.jp/
- 鉄道の歴史を詳しく知るなら:立川市歴史民俗資料館(立川市富士見町3-12-34。JR青梅線西立川駅から徒歩20分)。見学の手引「甲武鉄道の開通」は市のサイトで読める。開館時間・休館日は市の案内で確かめてほしい: https://www.city.tachikawa.lg.jp/kanko/bunka/1004244/1004849/1004905.html
- 駅ビル・エキナカ:ルミネ立川 https://www.lumine.ne.jp/tachikawa/ /エキュート立川 https://www.ecute.jp/tachikawa (営業時間は各公式サイトで)
改札を出て、北口で一息
五つの改札を見て回り、デッキを行き来し、南口の碁盤の目を歩くと、駅だけで思いのほか歩数が積み上がる。駅は通り過ぎる場所だと思っていたが、歩いてみると、なかなか広い。
その足で北口へ戻り、デッキを降りて歩いて1分。立川市曙町2-14-10、エトロワビルの3階に、オンザショア立川店がある。溶岩プレートを敷いたスタジオで行うホットヨガのスタジオだ。常温のヨガ、ピラティス、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングもあり、ヨガだけで25種類以上のレッスンがある。
営業は8時から23時30分まで、年中無休で、どの曜日も同じ時間に開いている。始発の人波が落ち着いた朝にも、終電が近づく夜にも寄ることができる。
初めての人には、税込1,980円のヨガの体験レッスンがある。60分のレッスンに、バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれる。
妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できないが、常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。
- オンザショア: https://ontheshore.jp/
- 料金: https://ontheshore.jp/price/
- 体験の予約: https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp
開業の日、改札はひとつだけで、それは北を向いていた。その北口の側で、今日も誰かが改札を出て、どちらへ歩くかを決めている。
冒頭の写真: ペデストリアンデッキから望む立川駅北口。2018年4月に撮影された一枚(写真: DiKnK8713 / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons)
この記事の情報は2026年10月時点のものです。
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