立川はなぜ「なんでもある」のか──商業の街の百年、魚屋のスーパーから都内初のIKEAまで

業務核都市と、そごうが来なかった南口

1977年、立川基地が全面返還された。国土交通省の資料は、その後の流れをこう並べる。1986年6月、国の第四次首都圏基本計画で、八王子と立川が「業務核都市」に位置づけられる。1995年8月、八王子・立川業務核都市基本構想が承認される。東京の都心にばかり集まる会社や役所の働きを、郊外の拠点に分けて受け持たせようという考え方で、立川はその受け皿のひとつに選ばれた。

返還された基地の跡地には、1994年にファーレ立川がまちびらきを迎え、翌1995年3月、髙島屋の立川店がいまの場所へ移った。ファーレ立川の街とアートの話は、この特集に別の一編がある。

そして南口である。立川市の年表の1999年の項には、こう書かれている。「立川駅南口合体ビルオープン」。

合体ビル。行政の年表とは思えない、少年漫画のような言葉だ。正体は、立川駅のターミナルの開発と南口の再開発を一体で進めた、いわゆる合併再開発の建物で、それがいまのグランデュオ立川である。1999年4月18日の開業だった。

この合体ビルには、前史がある。事典の記述によれば、JR東日本は1993年12月に、そごうと共同で子会社をつくり、1997年をめどに「ジェイアール立川そごう」を開く方針で合意していた。ところが、そごうの経営状況の悪化で、計画は1996年に白紙になる。JR東日本は新しい相手として阪急百貨店を選び、1997年にジェイアール東日本商業開発を設立した。グランデュオは、その会社が最初に開いた店だった。

そごうが、もし予定どおり立川に来ていたら。百貨店のそごうは、その数年後の2000年に経営破綻している。立川の南口は、すんでのところで大きな空き家を抱えずにすんだのかもしれない。これは私の勝手な想像で、資料はそこまでは書いていない。

2001年1月、伊勢丹は30年あまり使った金辰ビルを離れ、いまの場所に移って増床した。事典の年表によれば、新しい店の売場面積は4万平方メートルを超える。1947年の売店が23坪、およそ76平方メートルだったことを思えば、半世紀で500倍あまりに育ったことになる。旧店舗はビックカメラの立川店になった、とこのまちアーカイブスは書く。1970年に北口へ来た丸井も、2012年に閉店して立川ロフトに替わり、その跡地は2020年に別のビルになった。店は入れ替わる。だが、北口の地面が商いの場所であることは変わらない。

あのころ、と年配の人なら指を折るだろう。伊勢丹は曙町の金辰ビルにあり、駅ビルは「WILL」と名乗り、北口の西には天井の低い第一デパートが立ち、丸井の看板が見えていた。その後、金辰ビルはビックカメラの店になり、丸井の跡は別のビルになった。そしていま、WILLはルミネ立川と名乗り、第一デパートの跡には立川タクロスが建っている。若い人にとって、北口とは最初からこの姿の場所だろう。同じ角に立って、片方は昔の看板を思い出し、片方は今の看板しか知らない。立川の北口は、世代ごとに違う地図を持たせてくれる街角でもある。

この入れ替わりの激しい店々を、ひとつの街にまとめているものがある。足もとを見ると、それが分かる。

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デッキが、百貨店と駅ビルを一本の道にした

立川駅の北口を出ると、人は地面に降りずに歩きはじめる。駅から伊勢丹へ、髙島屋S.C.へ、モノレールの駅へ。歩行者専用のデッキが、二階の高さで店と店をつないでいるからだ。

立川市の年表をたどると、このデッキがどう育ったかが分かる。1990年に北口駅前の土地区画整理が始まり、1998年に北口の駅前広場の整備工事が始まった。2001年、北口と南口の駅前広場で歩行者専用デッキが一部開通し、2005年に南口と北口のデッキが開通した。立川市が自分の街を紹介するときに、わざわざ「歩行者専用のデッキが整備され」と書き添えるのは、このデッキが、駅と店とを結ぶ立川の背骨だからだろう。

ちょうどデッキが伸びはじめたころ、伊勢丹がいまの場所へ移った2001年に、立川商工会議所の専務理事が、中央大学の刊行物にモノレールと立川の関係を寄稿している。その年の1月の伊勢丹立川店の開店で大型店の出店ラッシュが一応終わったと書き、市内には36店の大型店が展開し、大型店が小売全体の売場面積に占める割合は91%に達した、と記す。若者からお年寄りまで、すべての年代の買い物の求めを満たせる、と。モノレールの立川北駅と立川南駅がJR立川駅とデッキで結ばれ、東西南北の交通の結節点が完成した、とも書いている。

寄稿は、モノレールで通う中央大学の学生209人への聞き取りも紹介している。モノレールで行ったことがある場所の1位は駅ビルのグランデュオで38%、2位は駅ビルのルミネと「友人・知人の家」が37%で並んだ。駅ビルは、学生にとって友だちの家と同じくらい行きつけの場所だったらしい。

立川のイメージを尋ねると、「買い物が楽しめる街」が男子で80%、女子で78%と1位だった。ところが「ブラブラ歩きが楽しい街」は5割前後にとどまる。そして専務理事は、こう書き添えている。コンパひとつやるにしても、立川はまだまだ十分な飲食の「まち」が形成されていないのではないか。反省させられるところです。

商工会議所の幹部が、大学生のコンパの店選びを本気で反省している。立川という街の、こういう生真面目さが、私は嫌いではない。そして、その反省のあとに、立川の雑居デパートは、商工会議所もたぶん予想しなかった方向へ進んでいく。

オタクの聖地と呼ばれた、北口の二つのビル

2007年3月のニュース記事は、立川が秋葉原、中野に次ぐ「オタクの聖地」とされ、多摩地区だけでなく長野や山梨からも中央線で客が来ている、と伝えた。そう呼ばれはじめたのは、ここ1、2年のことだという。

モノレールの軌道の向こうに建つ、取り壊される前の第一デパート
モノレールの軌道の向こうに建つ、取り壊される前の第一デパート
写真: Altomarina / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons

主役は、あの二つのビルだった。記事によれば、第一デパートでは、古くから入っていたテナントがアニメやフィギュアの商品を扱ったところ支持を得て、ほかの店も続いた。フロム中武には2006年6月、人形やフィギュアの店が約660平方メートルの売場で出店し、それが「聖地」化を決定づけた。立川で生まれた壽屋も、その知名度で多摩のファンを引き寄せた、と記事は書く。

記事の見立ては、はっきりしている。もとは地元の地権者が建てた小さなデパートに、高島屋や伊勢丹、家電量販店などの大型店が次々と出て、競争が激しくなった。その中で、二つのビルはオタク系の店を増やして、大型店との違いを出したのだという。

大きな店が来ると、小さな店が新しいことを始める。1956年に向かいの魚屋がスーパーになったのと、同じ形の話が、半世紀後にもう一度起きていた。百貨店にできないことを、寄り合いのデパートがやった。

第一デパートは、駅の北口西側の再開発で取り壊された。事典によれば、壽屋の立川店はそれにともなって2012年5月に閉まり、2016年5月、モノレール沿いに建てた新しい社屋で立川本店を開いた。再開発の跡地には、2016年に立川タクロスが完成している。

駅前の二つの雑居ビルの話はここまでにしよう。立川の商業の最後の幕は、駅から少し離れた、広い広い土地の上で上がる。

基地の跡地に、都内で最初のIKEA

2014年4月10日、立川市緑町にIKEA立川が開いた。報道によれば、国内で7番目、東京都内では最初の店だった。

晴れた空の下のIKEA立川。黄色い看板の大きな店舗と立体駐車場
晴れた空の下のIKEA立川。黄色い看板の大きな店舗と立体駐車場
写真: Kakidai / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons

東京で最初のIKEAが、23区ではなく立川に来た。都内の人に話すと、たいてい少し驚かれる事実である。

場所の緑町は、返還された基地の跡地に広がる町だ。公式サイトの案内によれば、JR立川駅の北口から歩いて10分、多摩モノレールの高松駅から歩いて7分。駐車場は1,500台分ある。それでも公式サイトには、深刻な交通渋滞が起きているので公共交通機関を使ってほしい、と書かれている。1,500台では足りない店なのだ。

開業の前には、多摩モノレールの車両をIKEAの商品で飾り、抽選で選ばれた会員を乗せて車内でパーティーを開く催しがあった、と報道は伝えている。紙ナプキンで飾りをつくる車両と、スウェーデンの食べものを試食する車両に分かれていたらしい。空中を走るモノレールの中でミートボールの試食をする。立川という街は、ときどき、こういう妙に楽しいことを真顔でやる。

翌2015年12月には、モノレールの立飛駅の隣に、ららぽーと立川立飛が開業した。事典によれば、ららぽーとが多摩地域に出た最初の店である。その土地を持つ会社の来歴は、この特集の立飛の一編に書いた。どちらも、もとは飛行場や基地の広い土地だった場所だ。

大型の店が駅の外へ広がる一方で、駅前でも変化が起きた。2022年、髙島屋は立川店の百貨店としての営業を2023年1月31日で終えると発表する。同じニュースサイトによれば、社長は、百貨店と専門店をどう融合させるかという戦略が「実際のマーケットとのズレが生じた」と説明した。施設は2023年11月、全館が専門店の立川髙島屋S.C.として新しく開いた。公式サイトの大型店の欄には、食品スーパーや、家具の店や、大きな書店の名前が並んでいる。

1970年に駅前に並んだ二つの百貨店は、こうして一つになった。だが、それを街の衰えと読むのは早い。百貨店の看板を下ろした建物には、相変わらず人が入っていく。看板が変わっても、人の流れは変わらない。立川の買い物は、店の形よりも、人の来る力のほうに支えられているらしい。

なぜ多摩で、立川にこれほど店が集まったのか

さて、冒頭の問いに戻ろう。人口なら八王子のほうが3倍ほど多い。それなのに、なぜ立川なのか。

資料をたどってきて、私の手もとには、答えが三つと半分ほど残った。

一つめは、線路の結び目であることだ。立川市の紹介によれば、立川駅にはJRの中央線、青梅線、南武線、五日市線が乗り入れ、多摩モノレールが南北を結び、市は立川駅を「多摩地域の交通の要衝」と呼ぶ。東京都の資料も、立川市は複数の鉄道が結節するという好条件を背景に、多摩の商業中心の一つとして発展してきた、と書いている。青梅の山の人も、南武線の川崎寄りの人も、モノレールで多摩センターから来る人も、乗り換えのついでに立川で降りる。人口は市の中にいる人の数だが、商業が相手にするのは、駅を通る人の数だ。その引力は、隣の街の資料にまで書きこまれている。東京都の多摩の拠点づくりの計画は、立川の西隣の昭島市について、既存の中小小売業は、立川駅周辺の商業集積や周辺の大規模商業施設の影響から伸び悩みの傾向にある、と書いている。立川の駅前は、隣の市の商店街の悩みの種になるほど、人を引き寄せてきた。

二つめは、返された土地の広さだ。1977年に返還された基地の跡地が、駅のすぐ北に広がっていた。ファーレ立川も、IKEAも、ららぽーとも、昭和記念公園も、その平らで広い土地の上にある。駅から歩ける距離に、これほどまとまった空き地が生まれた街は、多摩にほかにない。飛行場をつくるために選ばれた平らさが、半世紀後には大型店を呼ぶ平らさになった。

三つめは、国と都が与えた役目である。業務核都市に選ばれ、国の研究機関や裁判所が基地の跡地へ移ってきた。東京都の資料は、2005年の国勢調査の時点で、立川市の就従比、つまり市内で働く人と市内に住んで働く人の比が1.25と多摩地域で最も高かったと書く。昼に働く人がいれば、昼の買い物が生まれる。百貨店と駅ビルは、勤め帰りの人の財布でも支えられている。

そして、残りの半分。それは、この街の商人たちの、負けず嫌いの気質のようなものだ。百貨店が向かいに来れば、魚屋はスーパーになった。大型店が並べば、寄り合いのデパートは聖地になった。大きな店の陰で、小さな店がいつも新しいことを始めてきた。数字にはならないが、資料の行間からは、確かにそれが読める。

立川は「なんでもある」街だと言われる。だが、ここまで歩いてみて、私は少し言い直したくなった。立川は、なんでも「来る」街なのだ。人が来る。店が来る。来たものに負けまいとして、また新しいものが生まれる。なんでもある、というのは、その繰り返しが積み重なった結果の、とても控えめな言い方にすぎない。次に「立川って何があるの」と聞かれたら、なんでもある、のあとに、ひとこと足していい。魚屋がスーパーを始めた街だ、と。

週末、新宿から中央線で30分ほど、川崎からなら南武線に乗ったまま立川に着く。北口のデッキに上がれば、百二十年ぶんの「来る」が、一度に見渡せる。

寄り道クイズの答え

答えは(B)スーパーマーケット。いなげやの沿革とこのまちアーカイブスによれば、稲毛屋は1956年に立川北口店でセルフサービス方式を取り入れ、都下で最初のスーパーマーケットになった。同じ年、向かいでは伊勢丹が百貨店として本格的な営業を始めている。

訪ねる前に

  • 伊勢丹立川店: 立川市曙町2-5-1。JR立川駅の北口からペデストリアンデッキを通って2階の正面玄関まで徒歩2分、多摩モノレール立川北駅から3階の連絡口まで徒歩1分(公式の案内による)。営業時間は公式で: https://www.mistore.jp/store/tachikawa/access.html
  • 立川髙島屋S.C.: 立川市曙町2-39-3。2023年11月から全館が専門店になっている。営業時間と店の一覧は公式で: https://www.takashimaya.co.jp/tachikawa/
  • ルミネ立川(駅の北口側の駅ビル)とグランデュオ立川(南口側。駅から直接入れる改札がある): https://www.lumine.ne.jp/tachikawa/ / https://www.granduo.jp/tachikawa/
  • IKEA立川: 立川市緑町6番。JR立川駅北口から徒歩10分、多摩モノレール高松駅から徒歩7分。公式サイトが渋滞を理由に公共交通での来店を勧めている: https://www.ikea.com/jp/ja/stores/tachikawa/
  • ららぽーと立川立飛: 多摩モノレール立飛駅の隣。公式: https://mitsui-shopping-park.com/lalaport/tachikawa/
  • 歩く目安: 伊勢丹、髙島屋S.C.、ルミネ、グランデュオは駅の北と南のデッキでつながっていて、歩いて回れる。IKEAまで足を延ばすなら、北口から10分ほど歩く。ららぽーとへはモノレールで北へ2駅。
  • 組み合わせて回るなら: 北口のデッキの下に広がるファーレ立川のパブリックアート、サンサンロードの先のGREEN SPRINGS、多摩モノレールの車窓、立飛の砂浜。いずれもこの特集に一編ずつある。

両手の紙袋を置いて、北口のビルの3階へ

伊勢丹から髙島屋S.C.へ、デッキを渡ってルミネへ。IKEAまで歩いた人なら、帰りの腕には大きな袋がぶら下がっているだろう。立川の買い物は、楽しいぶん、肩と腰にくる。

立川駅の北口から徒歩1分、立川市曙町2-14-10のエトロワビル3階に、オンザショア立川店がある。溶岩プレートを敷いたスタジオで行うホットヨガのスタジオだ。常温のヨガやピラティス、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングもあり、ヨガだけで25種類以上のレッスンがある。

営業は8時から23時30分まで、年中無休で、曜日による違いはない。百貨店が閉まったあとでも、まだ開いている。

ヨガの体験レッスンは税込1,980円。60分のレッスンに、バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれる。タオルとマットの分だけ、買い物の袋を増やさずにすむ。

妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できないが、常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。

料金は https://ontheshore.jp/price/ 、店の案内は https://ontheshore.jp/ 、体験の予約は https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp で確かめられる。

魚屋の大八車から始まった駅前に、いまは夜遅くまで灯りがともる。立川の北口は、百二十年あまり、人の来る場所であり続けている。

冒頭の写真: 青空を背に立つ伊勢丹立川店の建物。壁面に店の名前の看板が見える(写真: shigen / CC BY 3.0 / Wikimedia Commons)

この記事の情報は2026年10月時点のものです。

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