残堀川の桜──「堀だけが残る川」に、花が延びてきた
残堀川という名前は、どうしても「堀だけが残る」と読めてしまう。そして、それはあながち冗談でもない。

写真: Kiyo / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons
残堀川は、狭山丘陵の西の端、瑞穂町の狭山池に源を発し、武蔵村山市、立川市、昭島市を通って、立川市柴崎町で多摩川に合流する。延長は14.5km。立川市一番町のあたりで玉川上水と交差し、国営昭和記念公園の西の縁に沿って流れ、公園の中で南に向きを変え、富士見町でほぼ直角に曲がって多摩川へ向かう。
この川は、何度も行き先を変えられてきた。承応3年(1654)に玉川上水が通ったとき、上水につなげられた。明治に入って水が汚れると、上水への影響を嫌って、明治26年から41年にかけて上水の下をくぐらせ、立川崖線の下の根川を通って多摩川へ流す形に付け替えられた。昭和38年には逆に、玉川上水が残堀川の下をくぐる形に変わった。川と上水が、上になったり下になったりを繰り返している。立体交差の先輩である。
昭和47年には洪水対策として、残堀川は柴崎町4丁目で南東に曲げられ、多摩川に直接入るようになり、下流の根川は埋め立てられた。根川の桜並木が残堀川の緑道へ延びたという緑の基本計画の一文は、この付け替えの歴史と重ねて読むと、すっと腑に落ちる。川が道を変えたので、桜もその後を追いかけたのだ。
ところが、残堀川には困った性質がある。昭和57年(1982)に定められた流域整備計画に沿って河川が改修されたあと、雨の降ったときとその直後を除けば、年間を通じて水の流れがほとんど見られない「瀬切れ」を頻繁に起こすようになった。場所によっては、その名のとおり堀だけが残る川になってしまった、と百科事典は書く。
名は体を表すというが、ここまで律儀に表さなくてもいい。それでも春になると、この川の岸には桜が咲く。水が流れていようがいまいが、花は咲く。川の機嫌と、桜の都合は別なのだ。
夜の街歩きを、通し番号が5,000を超えるまで記録し続けているブログがある。その中に、新奥多摩街道の立川橋の角から残堀川を見下ろした一編があり、川は蛇行し、河辺の緑も美しく、春はこのあたりが桜並木の景色に変わる、と書かれている。立川橋は、残堀川が多摩川へ出る少し手前に架かる橋だ。水の少ない川が最後に大きく曲がるあたりで、桜はいちばん華やぐらしい。
残堀川は、昭和記念公園の中も流れている。公園の花木園には「旧桜の園」があり、ふれあい橋から北を見ると、残堀川に沿ってソメイヨシノの薄いピンクと、陽光桜の濃いピンク、レンギョウの黄色が重なる、と公園は案内している。公園の中と外で、同じ川が桜を連れて流れている。
緑の基本計画には、市域を南北に流れて、北の農地、中央の昭和記念公園、南の立川崖線の緑、多摩川の緑地をつなぐ「残堀川の緑」という言葉がある。水は涸れても、緑の線は切れていない。春には、それが花の線になる。
数字で読む立川の桜
- 10 — メートル。大正の村人が根川の両岸に桜を植えた間隔。祝い事でも、間隔は守る。
- 250 — 本ほど。地域情報誌のサイトが書く、根川緑道の桜の数。上流はヤマザクラ、下流はソメイヨシノ。
- 14.5 — キロメートル。残堀川の長さ。そのかなりの区間で、水より桜のほうが確実に来る。
- 31 — 品種。昭和記念公園の桜の種類。約1,500本のうち半数がソメイヨシノ。
- 3月24日 — 東京のソメイヨシノの開花日の平年値。ただし最近は、3月14日にも3月29日にも咲いた。平年という言葉の肩身は年々狭い。
- 1.6 — キロメートル。基地の引込線の跡を歩く栄緑地の長さ。貨物の代わりに、いまはヤマザクラが並ぶ。
旅人の寄り道クイズ
根川の両岸に桜が植えられたきっかけは、何だっただろう。(A)立川飛行場の開設(B)大正天皇の即位の記念(C)東京オリンピック。答えは最後に明かす。
南の川をひと通り歩いたところで、北へ向かう。立川のもう一本の水の線、江戸の上水である。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
玉川上水と砂川の桜──巴河岸の桜のトンネル
玉川上水は、羽村の取水口から新宿区の四谷大木戸まで、約43kmを流れる上水路だ。承応2年(1653)の創設といわれ、立川市内を流れる区間は約5.6km、一番町から上砂町、砂川町、柏町、幸町を横切る。平成15年8月には国の史跡に指定された。上水そのものの来歴は、玉川上水と砂川の一編で詳しく歩いた。
ここで書きたいのは、春の上水である。立川市が発行したウォーキングマップのBコース、武蔵砂川駅から立川市役所までの約3.8km・約57分の道の最初の見どころは、巴河岸跡だ。玉川上水では明治3年から5年までの間、船の運航が許されていて、物資の運搬のほか観光目的の船も含め、1日に何便もの船が行き来していたという。そしてマップは、このあたりは桜の古木が多く、春は桜のトンネルとなります、と書く。
上水に船が浮かんでいたのは、わずか2年ほど。その河岸の跡に、いま桜がトンネルをつくっている。明治の船頭がこの景色を見たら、船を出すより花見をしたかったかもしれない。
上水の木には、昔から悩みもあった。東京都水道局によれば、上水沿いの木は大木になると落ち葉が多くなり、上水の管理に差し支えるので、大きくなった木は伐られていたという。水辺を飾る木が、育ちすぎると水の邪魔になる。
そもそも、上水の土手に桜を植えるという発想は、立川より下流で生まれた。元文2年(1737)、8代将軍徳川吉宗の命を受けた武蔵野新田の世話役、川崎平右衛門が、新田の振興と上水の堤を守るために、奈良の吉野山や常陸の桜川からヤマザクラの苗木を数千本取り寄せ、小金井橋を中心とする両岸に植えた。これが小金井桜の始まりで、大正13年(1924)には、桜として日本で初めて国の名勝に指定されている。
堤を守るために植えた桜が、大きくなりすぎると伐られる。上水と桜の三百年は、植えては伐り、伐っては植える、その繰り返しだったようだ。いまの立川市も、上水の緑道のうち市が管理する区間の樹木を調べていて、対象の木に管理票を貼り、はがさないでほしいと呼びかけている。桜の幹に貼られた小さな札は、三百年あまり続く同じ悩みの、最新の形である。
立川市緑の十二景の1番目は、この玉川上水の旧砂川一番のあたりだ。テーマは「原風景」。見どころは、江戸時代に通水され武蔵野の雑木林の中を流れる清流と、こもれびの散策路だと市は書く。桜の季節が過ぎても、上水の縁は緑のトンネルのまま続く。
上水からさらに西、西砂川の中里には、享保14年(1729)に中里新田の人々の菩提寺として創られた林泉寺がある。市の散歩コースの案内は、この寺を紹介する短い文の中に、春になると桜が美しく咲きます、と一行だけ添えている。寺の由緒を語る文に、さりげなく花の便りが混じる。こういう一行を書く市の職員と、私は気が合いそうだ。
水の線の桜は、ここまで。次は、もうひとつの線の話になる。立川という街に、川や上水と同じくらい長い線を引いたもの。飛行場と基地である。
引込線とモノレールの桜──栄緑地のヤマザクラと、泉体育館の桜のトンネル
栄町の南東の端から北西へ、町の中をまっすぐ縦断して芋窪街道に至る、約1.6kmの緑道がある。栄緑地だ。立川基地の時代、ここは物資の輸送に使われていた引込線だった。基地の跡地を使う第一歩として整えられ、昭和55年に遊歩道として完成した、と市は書く。
道の両側には、ケヤキ、ヤマザクラ、サンゴジュなどの高木と、ツツジなどの中低木、そして四季おりおりの草花が、途切れることなく植えられている。日当たりのよい明るい道は、のんびり散策するのにちょうどいい、と市の案内は続ける。
貨物列車の通った線路の跡に、ヤマザクラが並ぶ。一本の線の上で、運ぶものが物資から花に替わった。基地の返還が、まず遊歩道というかたちで市民の手に戻ってきたことも、私には象徴的に思える。最初に返ってきたものが、桜の咲く散歩道だったのだ。
ヤマザクラとソメイヨシノの違いについて、ひとつ面白い指摘がある。ソメイヨシノは、ヤマザクラより咲いてから散るまでが速いと思われがちだが、それは誤解だという。ソメイヨシノは一つの栽培品種を接ぎ木などで増やしたクローンなので、同じ場所ではいっせいに咲いて、いっせいに散る。一方、野生のヤマザクラは木ごとに花の時期がずれる。一本の木で比べれば、むしろソメイヨシノのほうが花の期間は長いのだそうだ。
全員がそろって咲き、そろって散るから、儚く見える。ばらばらに咲けば、長く見える。人間の世界でも、思い当たる節がないではない。
二つを見分けるのは、そう難しくない。ソメイヨシノは葉より先に花が咲き、満開を過ぎたころに葉が出る。ヤマザクラは多くの場合、赤みを帯びた若葉と花が同時に開く。花の間に赤茶色の葉がのぞいていたら、ヤマザクラだと思っていい。小金井の上水に江戸の人々が植えたのも、根川の上流に多いというのも、このヤマザクラである。栄緑地を歩くなら、花より先に、葉の色を見てほしい。
線は、空の上にも引かれている。多摩モノレールの泉体育館駅は、立川市の公共施設である泉市民体育館から名づけられた駅で、会社の駅案内は、モノレール沿線の中でも有名な桜の名所となっていて、体育館周辺の桜のトンネルには毎年多くの見物客が訪れる、と書く。体育館は泉町786-11、駅から歩いて1分だ。
泉体育館駅は、北の玉川上水駅と南の立川北駅のあいだにあり、モノレールは高架を走る。春には、その高架の上から桜のトンネルを見下ろせる。地面を歩く花見と、空から見下ろす花見。立川では、どちらも選べる。
昭和記念公園の桜──31品種、約1,500本を、どこで見るか
そして、基地の跡地のいちばん大きな桜の名所が、国営昭和記念公園である。公園の来歴と四季は別の一編で詳しく歩いたので、ここでは桜の見どころだけを短く書く。

写真: KCyamazaki / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons
公園には31品種、約1,500本のサクラが植えられ、その半数がソメイヨシノだ。見頃は3月下旬から4月中旬。見どころは、みんなの原っぱの近くにある「桜の園」と、花木園の中の「旧桜の園」である。桜の園には樹齢50年ほどの大木が並び、座った人の目の高さまで枝が垂れるものが多い。原っぱの花畑には、サクラの開花に合わせてナノハナが咲き、その背景に桜の園が並ぶ。渓流広場のチューリップも、見頃は3月下旬から4月中旬と、桜とほぼ重なる。
ソメイヨシノという名前の由来にも、少し触れておきたい。ソメイヨシノは、江戸時代の末から明治の初めにかけて、江戸の染井村、いまの豊島区駒込のあたりに集まっていた造園師や植木職人たちが育てた桜だとされる。はじめは「吉野」「吉野桜」の名で売られていたという。ソメイヨシノは葉より先に花をたくさんつけて華やかで、成長が速く若木から咲くことから、桜の名所をつくるのに向いた品種として明治以来広まり、第二次世界大戦のあとに爆発的な勢いで各地に植えられた、と百科事典は書く。日本中の桜の名所の多くは、つまり植木屋さんの仕事の上に咲いている。
ここで立川の話に戻る。立川市の緑の基本計画は、立川を、良質な植木の生産が行われているまちとして全国的に知られている、と書いている。花見の主役を生んだのが植木職人の村なら、その花見の名所を抱える立川も、植木の街だった。桜と植木屋の縁は、案外近いところでつながっている。
東京都の花も、ソメイヨシノである。昭和59年6月、都の花選考会で決まった。ちなみに東京都の木を決めたときにも、ソメイヨシノは候補に入っていたが、都民の投票でイチョウに敗れている。その選挙の顛末は、立川の秋を歩く一編で書く。
あのころ、と書いておきたいことがもう一つある。昭和50年代の初めまで、立川の街の真ん中はフェンスの向こうだった。立川基地の全面返還は昭和52年(1977)。返された土地の使いみちの第一歩として、引込線の跡が栄緑地になったのが昭和55年。そして昭和58年(1983)10月26日、昭和記念公園は、みんなの原っぱや花木園など70haで最初の開園を迎えた。旧桜の園のある花木園は、その最初の70haに入っている。
いま、春の公園で敷物を広げる若い人たちの多くは、ここが滑走路と基地だったころを知らない。年配の人の中には、フェンス越しに見た基地の景色を覚えている人もいるだろう。同じ土地の上で、半世紀たたないうちに、見る景色がフェンスから桜に替わった。
昭和記念公園は、花の季節には混み合う。けれども、ここまで読んだ人は、もう知っている。立川の桜は、公園の外にも、細長く、長く続いている。
立川の桜は、なぜ線の上に咲くのか
最初の問いに戻ろう。立川の桜は、なぜ細長い場所ばかりに咲いているのか。
並べてみれば、答えは単純だった。根川の桜は、湧き水の川の土手に、大正の村人が等間隔で植えた。残堀川の桜は、付け替えられた川の後を追って延びた。玉川上水の桜は、江戸の上水と明治の河岸の跡に並ぶ。栄緑地のヤマザクラは、基地の引込線の跡に植えられた。昭和記念公園の桜は、飛行場と基地が返された土地に咲いている。泉体育館の桜は、モノレールという空の線の下にある。
立川の桜は、この街に引かれてきた線の上に咲いている。ひとつは水の線、もうひとつは飛行場と基地の線、そしてその跡に通った道と軌道の線。人が水を引き、川を曲げ、線路を敷き、それをはがしたあとに、誰かが桜を植えた。だから桜の地図を描くと、そのまま立川の来歴の地図になる。
では、明治の駅前の「玉桜」は、どこへ行ったのか。それは、たぶんどこにも行っていない。駅前の一本は消えたが、駅を降りた人々が桜を目印にする街の性分は、残った。百年後の人々は、緑の十二景を選ぶときに、やはり桜の土手を選んだ。
春の立川で、桜の線を一本選んで歩いてみる。途中で川が涸れていても、気にすることはない。花のほうは、たいてい約束どおりに来ている。
新宿から中央線で一本、川崎からなら南武線で一本。今度の春の週末は、公園の門をくぐる前に、駅の南の土手へ寄り道してみてほしい。百年前の村人が植えた桜が、10メートルおきに待っている。
寄り道クイズの答え
答えは(B)大正天皇の即位の記念。立川市緑の基本計画によれば、大正天皇の即位を記念して、旧柴崎村の村民が根川の両岸1.3kmの間に10mごとに桜を植えた。のちに東京市の桜の名所となり、多くの文人や歌人が訪れたという。
訪ねる前に
- 見頃の目安: 昭和記念公園はサクラの見頃を3月下旬〜4月中旬と案内している。開花は年によって半月ほど前後するので、その年の花だよりで確かめてほしい: https://www.showakinen-koen.jp/flower-information/
- 根川緑道(立川公園): JR立川駅南口から徒歩約15分、多摩モノレール柴崎体育館駅から徒歩約1分(立川市による)。下流の貝殻坂橋のあたりから甲州街道までは、土の護岸の古い根川の姿が残る。詳しくは https://www.city.tachikawa.lg.jp/kanko/sports/1002924/1003007.html
- 残堀川: 根川緑道の上流端は、残堀川が奥多摩バイパスにぶつかるあたりから始まる(立川市による)。根川緑道と合わせて歩ける。川は水が少ないことがある。
- 泉体育館の桜: 多摩モノレール泉体育館駅から徒歩1分。JR立川駅北口から立川バスの村山団地行きで「泉市民体育館」下車、徒歩1分(立川市による)。
- 玉川上水の巴河岸跡: 立川市のウォーキングマップBコース(西武拝島線武蔵砂川駅〜立川市役所、約3.8km・約57分)の最初の見どころ。上水の緑道の案内は https://www.city.tachikawa.lg.jp/kanko/sports/1002924/1002996.html
- 栄緑地: 栄町の南東の端から芋窪街道まで、約1.6kmの緑道。案内は https://www.city.tachikawa.lg.jp/kanko/sports/1002924/1002995.html
- 遠くから: 新宿からはJR中央線快速で立川まで乗り換えなし(30分台)。神奈川からは、川崎からJR南武線で乗り換えなし(立川まで約1時間)。時刻と所要時間はJR東日本の公式で確かめてほしい。
- 国営昭和記念公園: あけぼの口はJR立川駅北口から約10分、西立川ゲートはJR青梅線西立川駅から約2分(公園による)。入園料・開園時間・休園日は公式で確かめてほしい: https://www.showakinen-koen.jp/
- 組み合わせるなら: 南の根川緑道から普済寺と諏訪神社へ回れば、半日で立川の古い村と桜を両方歩ける。北は玉川上水から阿豆佐味天神社へ。
- 花見のマナー: 公園の利用のマナーは立川市が案内している。ごみは持ち帰ろう。
花のあとは、立川駅北口で
桜の線を一本歩き終えると、思ったより足が疲れている。花見は、上を向いて歩く散歩だ。首と肩も、案外こわばる。
立川駅の北口から徒歩1分、立川市曙町2-14-10のエトロワビル3階に、オンザショア立川店がある。溶岩プレートを敷いたスタジオで行うホットヨガのスタジオだ。常温のヨガやピラティス、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングもあり、ヨガだけで25種類以上のレッスンがある。
営業は8時から23時30分まで、年中無休で、曜日による違いはない。朝の桜を見てから寄っても、夜の桜の帰りに寄っても、間に合う。
ヨガの体験レッスンは税込1,980円。60分のレッスンに、バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれる。敷物を畳んだその足で、身ひとつで寄れる。
妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できないが、常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。
料金は https://ontheshore.jp/price/ 、店の案内は https://ontheshore.jp/ 、体験の予約は https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp で確かめられる。
明治の駅前には、名前のついた桜があった。いまの駅前から歩きはじめれば、桜の線はどの方角にも延びている。
冒頭の写真: 2015年4月に立川で撮られた一枚。花畑の向こうに満開の桜が帯のように並ぶ(写真: sii_side / CC BY 2.0 / Wikimedia Commons)
この記事の情報は2026年10月時点のものです。
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