立川市歴史民俗資料館の見どころ──国宝は複製、蚕は本物。立川の歴史を預かる小さな館

多摩川の漁具が語る、昼の鵜飼と鮎の料亭

資料館が保管する「多摩川漁撈具」は、昭和57年に市の有形民俗文化財に指定された。市の文化財保護審議会の会長だった三田鶴吉が、長い年月をかけて集めた、立川の近くの多摩川で使われていた漁の道具である。市民が集めたものが、市の文化財になった。

立川と日野のあいだを流れる多摩川と日野橋。対岸に集合住宅が並ぶ(2019年撮影)
立川と日野のあいだを流れる多摩川と日野橋。対岸に集合住宅が並ぶ(2019年撮影)
写真: MosaMint / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons

資料館の手引「多摩川の漁法と漁具」によれば、多摩川では釣り、網、笯、鵜飼など、100種類を超える漁法が行われてきたといわれる。いずれも、川の様子と魚の習性を巧みに利用したものだった。

手引が並べる伝統の漁法は、名前だけでも楽しい。おとりの鮎を流れに送り出し、縄張りを守ろうとして体当たりしてきた鮎を針に掛ける「友釣り」。おどし手が鮎を驚かせ、跳ね上がった鮎を後ろの受け手が網で受ける「はね網」。稲わらで作った「おかざり」を川幅いっぱいに張り、驚いた鮎を仕切り網の先の「もじ」に誘いこむ「瀬張り」。白い網の白さと重りの音で魚を驚かせ、雑魚笯に追いこむ「寄せ網」。どれも、魚を力でつかまえるのではなく、魚の気持ちを読んで動かす漁だ。

道具もそれぞれに理屈がある。雑魚笯は、入り口は広いが中に返しがついていて、いったん入った魚は出られない。友釣りの道具には、糸のついたおとりの鮎を入れる通い筒と、おとり鮎を元気に生かしておくための箱があり、箱は川の流れに浸しておく。木の箱の前面にガラスをはめた箱めがねは、水の中をのぞいて魚を探したり、川底の様子を確かめたりするのに使った。

そして、鵜飼である。手引によれば、多摩川の鵜飼は江戸時代にはすでに行われていた。昼間に人が川を歩いて行う「徒歩鵜」という方法で、かがり火をたいて夜に舟から行う長良川などのやり方とは違っていた。鵜飼といえば夜と舟とかがり火、と思いこんでいた私は、ここで一度、頭の中の絵を描き直すことになった。多摩川の鵜匠は、昼の光の中で、川の中を歩きながら鵜を操っていたのだ。

江戸時代、多摩川の鮎は「上げ鮎」として江戸城に納められた、と市は書く。明治になって甲武鉄道が通ると、東京から多摩川へ遊びに来る人が増え、川べりは行楽地として賑わった。手引によれば、明治時代の立川の近くには鮎料理の料亭が3軒あり、客は川原の小屋や屋形船の上で鮎料理に舌鼓を打った。鵜飼は、料亭の屋形船の前で、一種のショーとしても行われていたという。

屋形船から昼の鵜飼を眺め、獲れたての鮎を食べる。明治の立川には、そういう遊び方があった。市の解説は、「多摩川の川面を屋形船が行き交い、鵜飼がくり広げられる光景を想像してみてください」と読み手に呼びかけている。市の文化財の解説に「想像してみてください」と書かれているのを見ると、書いた人もきっと、その景色を見てみたかったのだろうと思う。

その後、都市化で多摩川は汚れ、水が減った時期もあったが、多くの市民が「多摩川をきれいにしよう」と協力し、いまは清流を取り戻している、と市の解説は続く。屋形船と鵜飼の明治、汚れた川の昭和、水の戻った令和。同じ川べりに、三つの時代の景色が重なっている。資料館の刊行物には、『多摩川の砂利採取と人びと』という一冊もある。川は魚だけでなく、街をつくる砂利も人に与えてきた。漁の道具の一覧も、資料館の刊行物になっている。『多摩川中流域の漁撈具』、333ページ、1,240グラム。川の道具を集めた本は、川の石のように重い。

数字で読む立川市歴史民俗資料館

  • 33万 — 開館から40年で資料館を訪れた人の数。入館無料なので、入館料の合計は0円。
  • 3 — 東京にある、動かせない不動産の国宝の数。そのうちの一つが立川の石幢。ここにあるのは、その複製。
  • 1846 — 名主の日記に黒船が描かれた年。ペリーより7年早い。
  • 100 — 種類以上。多摩川で行われてきたといわれる漁法の数。魚のほうも大変だったと思う。
  • 55 — 令和6年に資料館が分けてもらった蚕の卵の粒の数。53頭が繭をつくった。
  • 2,180 — グラム。資料館の販売図書でいちばん重い発掘調査報告書。持ち帰るなら郵送がいい。

旅人の寄り道クイズ

資料館の手引によれば、多摩川の鵜飼は、長良川などで行われているやり方とどこが違ったのだろう。(A)昼間に人が川を歩いて行った(B)夜にかがり火をたいて舟から行った(C)鵜ではなく鷺を使った。答えは最後に明かす。

川の道具の次は、川と駅の景色を描いた絵である。それは、写真がまだ珍しかった時代の立川を、いまに残している。

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馬場吉蔵の「立川村十二景」と、駅前の千本桜

「立川村十二景」は、郷土画家の馬場吉蔵が明治30年代から40年代の立川村の様子をスケッチし、昭和の初めに色をつけた作品である。市によれば、立川駅や多摩川のまわりを描いたものが多く、写真が普及していなかった当時の風俗を切りとった貴重な資料として、昭和51年に市の有形文化財になった。

その中の一枚に「立川駅前千本桜」がある。市の解説では、明治35年ごろの立川駅と桜の木が描かれていて、その桜は「玉桜」と呼ばれ、駅の関係者や住民から親しまれていたという。駅ビルとデッキと百貨店に囲まれたいまの北口の前に、桜の並ぶ駅があった。その姿を知る手がかりは、一人の画家の筆しかない。

十二景の話は、まだ続いている。令和6年度に、馬場吉蔵の絵画作品が新しく資料館に寄贈された。資料館は令和7年の企画展「新収蔵品展」で原画を公開し、あわせて市役所の1階で、十二景をパネルにした出張展示も開いた。百年以上前のスケッチが、いまも誰かの家から資料館へと届きつづけている。市役所の出張展示は、午前8時30分から午後10時まで開いていた。勤め帰りの夜に、明治の立川駅前の桜を眺めて帰る。そういう寄り道を、市は用意していたことになる。

平成15年には、市の緑化の協議会が、市内の緑の名所を「立川市緑の十二景」として選んでいる。選んだ側は、それが市指定の「立川村十二景」に続く現代の緑の文化遺産になれば幸いだ、と書いた。明治の画家の十二景が、百年後の街の名所選びの手本になったのである。

資料館の一年は、村の暦に似ている

資料館だよりには、過去10年の企画展の一覧が載っている。眺めていると、この館の一年には決まった形があることに気づく。

春は「端午の節句」の人形を飾る。初夏は、前の年に寄贈された資料を見せる「新収蔵品展」。夏休みは、市内の発掘の成果を見せる「立川の遺跡」で、近年は縄文時代の火起こしの体験も添えている。秋は、年ごとにテーマを変えた企画展。ここ10年ほどを拾うだけでも、「“空の都”たちかわ」「立川てんしゃば物語」「東京1964オリンピック」「多摩川と立川」「街のかたち」「青梅線の始発 立川駅」と、題名だけで立川の性格が分かる。冬は「暮らしと道具」や昔の道具の展示。そして早春に、市民から寄贈された明治・大正・昭和のひな人形を飾る「桃の節句」で一年が閉じる。

節句の人形に始まり、節句の人形で終わる。その間に、収穫を見せるように新しい資料を並べ、夏に土を掘り、冬に道具を磨く。資料館の一年は、かつての村の一年に、どこか似ている。

体験学習も、村の行事のようだ。市によれば、資料館はボランティア団体と協働で、うどん作り、餅つき、繭玉飾り、十五夜飾り、機織りなどを行ってきた。たまねぎの皮でハンカチを染める会もある。機織りのボランティアのサークル「とんからりん」と開く「とんからりんはた織りまつり」は、令和8年の夏で第26回を数えた。機の音をそのまま名前にした会が、四半世紀続いている。

令和6年度、資料館は初めて蚕を育てた。資料館だよりによれば、令和6年5月16日、横浜のシルク博物館から蚕の卵を55粒分けてもらった。品種は「春嶺×鐘月」。蚕は孵化から1か月ほどで繭をつくりはじめる。5齢期に入った蚕は待ったなしに桑の葉を食べ続け、職員は桑の葉取りと朝夕の給桑に追われたという。2頭が死んでしまったが、53頭は見事な繭をつくった。きっかけは、館に残る養蚕の記録を、職員自身が体験しないと理解しにくかったことだと、だよりは書いている。見に来た人からは「懐かしい」「初めて見て感動した」という声が寄せられた。

資料を守る人たちが、資料の意味を確かめるために、自分の手で蚕を育てる。砂川の村が桑と蚕で暮らした時代のことは、この特集の養蚕の一編に詳しい。その時代の忙しさを、資料館はいま、小さな箱の中でなぞろうとしている。令和7年と8年の初夏にも、生きた蚕を見せる「蚕ってどんないきもの?」という展示が開かれた。

館は外へも出ていく。市によれば、職員が市内の学校を訪ね、収蔵資料を使って授業をする出張講座を開いている。昔の運搬の道具や履物を実際に使ってみる「むかしの道具体験」は小学生向けで、40分程度。博物館の学芸員をめざす実習生が、立川駅のまわりの街並みの移り変わりを定点で見つめた写真展を開いた年もある。服の移り変わりを紹介する写真展のミニコーナーには、「たちかわ✿FASHION SNAP」という題がついていた。町の資料館の企画の名前としては、かなり攻めている。

川越道緑地古民家園は、2027年3月まで休園中

資料館が見守るもう一つの場所が、市の北、幸町にある川越道緑地古民家園である。平成5年、1993年の10月17日に開園した。

園には、市の有形文化財の小林家住宅と、須﨑家内蔵が移されている。小林家住宅は江戸の末の茅葺の農家で、解体の調査で「嘉永五(1852)年」と書かれた部材が見つかり、建てた年が分かった。須﨑家内蔵は、類例の少ない木造3階建ての土蔵だ。二つの建物の見どころは、この特集の文化施設の一編と古い村の一編に書かれている。散歩好きの人のブログは、ここを綺麗に整えられた石庭をもつ古民家と紹介し、見学の時間は短いので、玉川上水の散策と合わせるといいと勧めている。

園では季節ごとの催しも開かれてきた。市の案内によれば、4月に端午の節句展、5月下旬に麦刈り、6月下旬に麦の脱穀、7月上旬に七夕飾り、10月にさつま芋の収穫、2月に桃の節句展。小林家住宅の囲炉裏の間で抹茶を味わう会もあった。

ただし、いまは訪ねても中には入れない。市によれば、古民家園は管理施設などの中規模な改修工事のため、令和8年、2026年の6月1日から令和9年、2027年の3月31日まで休園している。休園中は古民家の見学などはできない。茅葺の屋根を見に行くのは、改修が終わったあとの春まで待ちたい。その間は、富士見町の資料館のほうが開いている。

本物は街にあり、資料館は街の索引になる

さて、冒頭の問いに戻ろう。本物の国宝がない資料館に、なぜ40年で33万人が来たのか。

資料をたどってきて、私にはその理由が少し分かった気がする。この館は、本物を手もとに集めて閉じこめる場所ではない。国宝の石幢は普済寺に、鉦鼓は持ち主のもとに、本地仏は諏訪神社に、それぞれの場所にある。資料館は複製と解説で、そのありかを指し示す。展示室を見終えた人は、地図を一枚もらったように、街の中の本物を訪ねに出ていける。資料館は、立川という街の索引なのだ。

そして、ここに本物として残るものの多くは、市民が持ち寄ったものだ。審議会の会長が長年集めた漁の道具。家々から寄せられたひな人形。誰かの家に眠っていた画家の原画。養蚕の経験を語ってくれた人の記憶。資料館だよりは、養蚕を経験した人からの情報提供がとてもありがたかった、と書いている。立川の歴史は、立派な蔵から出てきたのではなく、市民の押し入れと記憶から、少しずつ集まってきた。

立川には歴史がない、と言う人がいる。私も、どこかでそう思っていた。だが、東京に三つしかない動かせない国宝の一つがこの街にあり、ペリーより7年早く名主が黒船を描き、多摩川では昼の光の中で鵜が鮎を追っていた。そのことを、この小さな館は40年かけて、一枚ずつの紙に書き、無料で配りつづけてきた。

週末、新宿から中央線で30分ほどの立川で降り、南口からバスに揺られてみるといい。入館料はいらない。払うのは、バス停から5分歩く脚の力だけである。

段丘の上の資料館を出ると、坂の下に多摩川へ向かう道が続いている。その道の先に、展示室で見たものの本物が、いまも静かに待っている。

寄り道クイズの答え

答えは(A)昼間に人が川を歩いて行った。資料館の手引「多摩川の漁法と漁具」によれば、多摩川の鵜飼は江戸時代にはすでに行われており、昼間に徒歩で行う「徒歩鵜」という方法で、かがり火をたいて夜に行う長良川などの方法とは異なっていた。明治時代には、料亭の屋形船の前で一種のショーとしても行われたという。

訪ねる前に

  • 立川市歴史民俗資料館: 立川市富士見町3-12-34。入館無料。開館は9時から16時30分、休館は月曜日(祝日の場合は翌日)と年末年始(市の案内による)。最新の開館日は市の施設案内で確かめてほしい: https://www.city.tachikawa.lg.jp/kanko/bunka/1004244/1004849/1004905.html
  • 行き方: JR青梅線の西立川駅から徒歩20分。JR立川駅の南口から「新道福島」行きか「富士見町操車場」行きのバスで「団地西」下車、徒歩5分。「立川駅北口」行きのバスなら「農業試験場前」下車、徒歩5分。駐車場は約8台で、大型車は入れない(市の案内による)。
  • 見学の目安: 市が団体向けに行う常設展の解説は1時間程度とされている。見学の手引10種類と、展示ガイドのアプリ「ポケット学芸員」の案内は市の頁にある: https://www.city.tachikawa.lg.jp/kanko/bunka/1004244/1004849/1015895.html
  • 企画展と体験学習の予定: https://www.city.tachikawa.lg.jp/kanko/bunka/1004244/1004849/1019990/index.html (令和8年10月17日には、隣の国立市の緑川東遺跡の発掘の見学会が立川市羽衣町3-29地内で開かれる、と市が案内している)
  • 資料館の刊行物(『公私日記』改訂版、『多摩川中流域の漁撈具』ほか)の一覧と郵送での買い方: https://www.city.tachikawa.lg.jp/kanko/bunka/1004244/1004851.html
  • 川越道緑地古民家園: 立川市幸町4-65。2026年6月1日から2027年3月31日まで休園の予定(市による)。再開後の行き方は、多摩モノレール砂川七番駅から徒歩15分、西武線玉川上水駅から徒歩20分、立川駅北口9番乗り場から「幸町団地」行きのバスで「古民家園東」下車徒歩1分(市の案内による): https://www.city.tachikawa.lg.jp/shisetsu/1008065/1008100.html
  • 組み合わせて回るなら: 本物の国宝の石幢と公私日記の名主の村は、柴崎町の普済寺と諏訪神社へ。資料館の坂を下れば根川緑道と多摩川。古民家園が開いたら、玉川上水と砂川の道へ。いずれもこの特集に一編ずつある。

段丘を下りて、駅の北口で一息

資料館は段丘の上にある。行きはバス、帰りは坂を下って根川や多摩川へ、という歩き方をすれば、帰りの立川駅に着くころには、足にいい疲れが残っているはずだ。

立川駅の北口から徒歩1分、立川市曙町2-14-10のエトロワビル3階に、オンザショア立川店がある。溶岩プレートを敷いたスタジオで行うホットヨガのスタジオだ。常温のヨガやピラティス、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングもあり、ヨガだけで25種類以上のレッスンがある。

営業は8時から23時30分まで、年中無休で、曜日による違いはない。資料館が閉まる16時30分を過ぎても、まだたっぷり時間がある。

ヨガの体験レッスンは税込1,980円。60分のレッスンに、バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれる。680グラムの『公私日記』を買って帰る日でも、タオルとマットを持ち歩く必要はない。

妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できないが、常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。

料金は https://ontheshore.jp/price/ 、店の案内は https://ontheshore.jp/ 、体験の予約は https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp で確かめられる。

名主が黒船を描いた村から歩いて、駅前のビルの3階へ上がる。立川の時間は、坂をひとつ下りるごとに、二百年ずつ新しくなる。

冒頭の写真: 修理前の2016年に撮影された普済寺の六面石幢の本物。仏の姿が石に刻まれている(写真: Nesnad / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons)

この記事の情報は2026年10月時点のものです。

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