立川の町名・地名の由来を歩く 曙町と羽衣町は、なぜ名前を取り替えたのか

砂川の「番」と、九つの新しい町名

立川駅から北へ、モノレールで玉川上水を目指していくと、町名の雰囲気ががらりと変わる。栄町、幸町、若葉町、柏町、泉町。そして砂川町、上砂町、一番町、西砂町。

西武拝島線の武蔵砂川駅のホームに到着する電車。駅名に砂川の名が残る
西武拝島線の武蔵砂川駅のホームに到着する電車。駅名に砂川の名が残る
写真: 小川小平 / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons

ここはかつての砂川村、のちの砂川町だ。江戸のはじめに開かれた新田の村で、五日市街道に沿って細長く家が並んでいた。その来歴は別の記事にゆずるとして、ここでは名前の話だけをしたい。

砂川の人々は、長いあいだ住所を番号で呼んできた。『たちかわ物語』第4号は、「砂川○番」という呼び名は、村や市ができるより前の「組」という地域の共同体から来ている、と書く。砂川には一番組から十番組までの組があり、通称として長く使われてきた。組ごとに道や水路の管理、行事や農作業のとりまとめが行われていたという。いまでも交差点の標識や道路の名前に、砂川○番の名前が残っている。

一番から十番まで。名前というより、背番号である。だが、背番号には背番号の良さがある。一番組の人は、自分が村のどのあたりに住んでいるのかを、番号で言えた。東西に長い村では、それがいちばん分かりやすかったのだろう。

組の下には、もっと細かい呼び名もあった。同じ号は、いまの幸町のあたりを「下宿(しもじゅく)」「はけ」「田掘(たぼり)」などと、さらに細かく呼ぶ地名がかつてあり、砂川にはそうした通称が多かったと書いている。古い地名は文書に残らないものも多い、とも。

その砂川町が立川市と合併したのは、昭和38年(1963)のことだ。『たちかわ物語』第16号によれば、合併の前には、周りの町をまとめて「大立川市」にする案もあったが、まとまらなかった。隣の昭島市や国立町との交渉も不調に終わり、砂川町との合併だけが実った。もし大立川市ができていたら、この記事の町名はもっと増えて、私の調べものはもっと長くなっていただろう。

合併で、砂川町は立川市の中の「砂川町」になった。百科事典の記述によれば、読み方もこのとき「すながわまち」から「すながわちょう」に変わった。町は町のまま、読み方だけが一文字ぶん、市の側へ寄った。

そして合併の後、住所を整える仕事が始まる。立川市の年表の昭和45年(1970)の項には、砂川町の町名地番整理が始まったこと、そして「栄町スタート」とある。続いて昭和46年に若葉町、幸町、泉町、昭和47年に柏町、昭和54年に新しい砂川町、昭和56年に上砂町、昭和57年に一番町、昭和58年(1983)に西砂町がスタートした。13年かけて、一つの町が九つの町になった。

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アンケートで決まった町名

この九つの名前は、どうやって決まったのか。ここに、立川の町名でいちばん人間くさい話がある。

地元の情報サイトの連載は、立川民俗の会の『立川民俗』第3号を引いて、砂川の町名の多くが住民へのアンケートで選ばれたことを紹介している。合併の6年後に、砂川町の町名を整理する町名地番整理審議会が置かれ、九つの町名が決まっていったという。

第一号の栄町は、旧南砂川を中心に、八軒新田、芋窪新田、榎戸弁天新田といった古い集落と、戦中から戦後にかけて急に増えた住宅地をまとめた町だった。候補は五つ。結果は、1位が栄町、2位が青葉町、3位が美園町、4位があたご町、5位が東陽町。あたご町は地元の愛宕神社から来た案で、東陽町は今も自治会の名前に残っているという。

若葉町は、前新田と呼ばれた十番組や、田堀と呼ばれた九番組の一部、それにけやき台と若葉の二つの団地からなる町だった。古い地名の前新田と田堀を組み合わせた「前堀町」も候補になったが、順位は若葉町、弥生町、桜町、東野町、前堀町。古い名前を組み合わせた案は最下位だった。新しい団地に越してきた人たちにとって、「若葉」はたしかに似合う名前だったのだろう。

幸町の候補には、七番組の古い地名の坂下、青柳街道の見事な松並木から取った松並町、北に西武線の玉川上水駅があることから上水町、それに末廣町と幸町が並び、幸町が多くの票を集めた。

柏町の決まり方は、少し違った。候補は、六番組の古い字名の台上にちなむ台栄町、七番組に古くからある稲荷町、地区の幼稚園の名から取った双葉町、むつみ町、そして、いまの柏町団地の一帯がかつて柏久保と呼ばれていたことによる柏町。結果は柏町と台栄町の接戦で、審議会でも意見が割れた。最後は、歴史的な地名がいいということで柏町になったという。連載は、栄町、若葉町、幸町は地域の歴史や由来とはあまり関係のない新しい感覚の町名だったが、柏町は歴史や伝承にちなむ町名になった、とまとめている。

泉町については、かつてこの地域に泉が湧き出たという故事にちなむ町名だと、連載は『立川民俗』から紹介している。そして町名が付いた当時の泉町は、市立体育館や中学校、高校のほかは、旧飛行場の跡地と立川飛行機の敷地で、住んでいる人のまったくいない町だったという。住民のいない町にも、ちゃんと名前が要る。昭和の泉町は、旧飛行場の跡地と立川飛行機の敷地が広がるなかに、体育館と学校が点々とある町だった。そこに今は、市役所が建ち、大きな商業施設やアリーナが集まっている。昭和の泉町しか知らない人がいまの泉町に立てば、自分の住所録の地名を疑うだろう。

アンケートの票を数えた人たちのことを考える。一票差の柏と台栄。最下位になった前堀。住所という、毎日書くものの名前を、自分たちで選んだのだ。考えてみれば、こういう決め方をした町名は、そう多くないはずである。

消えた町名、残った呼び名

町名が新しくなると、消える名前もある。

『たちかわ物語』第10号の表紙には、大正12年(1923)12月、町制施行を祝って立川駅の北口から東を撮った写真が使われている。その説明によれば、写真の右手に見える「吾妻町」という町名は、当時、北口の東側、いまの立川郵便局のあたりを指す通称として使われていた呼び名だという。正式な町名ではないが、人々はそう呼んでいた。昭和17年の七つの町名にその名は入らず、今の地図にはない。

逆に、正式な地名ではなくなっても、生き延びている呼び名もある。砂川の「番」は、交差点の名前になって残った。玉川上水の天王橋は、南にあった天王社に由来するとされ、かつては五日市橋とも呼ばれたと『たちかわ物語』第4号は書く。人の口は、役所の決定にそうすぐには従わない。

そして、昭和17年に生まれた七つの名前も、いつのまにか古い名前の側に回りつつある。立川市の年表によれば、昭和39年(1964)には旧立川市の分の住居表示の作業が始まり、町名の下の丁目や番号が整えられていった。名前は変わらなかった。曙は曙のまま、羽衣は羽衣のまま、八十年あまりを生きてきた。

いま、16の町名を地図の上に並べてみると、立川の歴史がそのまま三つの層になって見えてくる。鎌倉時代から続く「立川」と、江戸の村の名を受け継いだ「柴崎」「砂川」。昭和17年、空の都の時代に考え出された、曙、羽衣、錦、高松、緑、富士見。そして昭和45年からの13年間、住民が票を投じて選んだ、栄、若葉、幸、柏、泉。地層のように積み重なった名前の上を、私たちは毎日、住所として書いている。

町名の謎を解く

曙町と羽衣町は、なぜ名前を取り替えたのか。

資料をたどって見えてきた答えの半分は、こうだ。昭和16年の市議会で、二つの名前は入れ替えられた。その理由として、飛行場の隣の町に「落ちる」羽衣はふさわしくないという軍部の声があったという説と、もとの朝日町の「朝日」を、春は曙の「曙」に言い換えたのではないかという見方がある。どちらも『立川の地名』が紹介し、どちらも確かめきれない。

もう半分は、私にはこう見える。昭和17年の町名は、空の都の夢と、失われていく武蔵野の景色の両方から付けられた。羽衣は空を飛ぶ連想から生まれ、緑は飛行場の草はらから生まれ、高松は消えていく赤松林から生まれ、富士見は段丘から見る富士山から生まれた。町名を考えた人たちは、空を見上げながら、同時に足元から消えていく松林や草はらを惜しんでいたのではないか。名前の取り替えは、空の夢のほうに少しだけ慎重になった結果だった。そう読むのは、旅人の勝手かもしれない。

「立川には古いものなんて残っていない」と思っている人もいるだろう。駅前はビルとデッキでできていて、昔の村の面影はほとんど見えない。だが、住所を一行書くたびに、立川の人は鎌倉時代の地名を書き、江戸の村の名を書き、昭和の空の夢を書き、住民が投じた一票を書いている。この街の古さは、建物ではなく、名前の中に残っている。

残りの半分は、曙町の駅前に立ったとき、それぞれが考えればいい。夜明けの名前の町で、今日も朝が始まる。

寄り道クイズの答え

答えはB、栄町である。地元の情報サイトの連載が『立川民俗』第3号を引いて紹介するところでは、五つの候補で行われたアンケートの結果は、1位栄町、2位青葉町、3位美園町、4位あたご町、5位東陽町だった。立川市の年表にも、昭和45年(1970)の項に「栄町スタート」とある。

訪ねる前に

  • 町名の境目を歩く道順の一例:立川駅北口(曙町)から南北自由通路を渡って南口(柴崎町)へ。南へ下り、段丘の崖の手前で東へ折れると錦町、さらに東が羽衣町になる。駅の周りの四つの町だけなら、ゆっくり歩いて1時間ほど。町名は電柱や街区表示板で確かめられる。
  • 富士見町の段丘と富士塚の記憶をたどるなら:立川市歴史民俗資料館(立川市富士見町3-12-34)。立川市の施設案内によれば、JR青梅線西立川駅から徒歩20分、または立川駅南口からバスで「団地西」下車徒歩5分。入館料は無料。江戸の村の姿を描いた「柴崎村絵図」(市指定有形文化財)が主な展示物として挙げられている。開館時間・休館日は市の案内で確かめてほしい: https://www.city.tachikawa.lg.jp/kanko/bunka/1004244/1004849/1004905.html
  • 柴崎町の古い寺社を組み合わせるなら:諏訪神社はJR立川駅から徒歩10分(神社の公式案内による: https://suwajinja.or.jp/access.html )。
  • 緑町の「緑」を確かめるなら:国営昭和記念公園のあけぼの口はJR立川駅北口から約10分(公式のアクセス案内による: https://www.showakinen-koen.jp/access/ )。入園料・開園時間は公式サイトで。
  • 砂川の「番」の名前を探すなら:多摩モノレールで北へ。交差点の名前に注目して歩くとよい。運行は公式サイトで: https://www.tama-monorail.co.jp/
  • 立川市の名前の由来の説明(立川市「立川市の概要」): https://www.city.tachikawa.lg.jp/shisei/gaiyo/1005930/1005954.html
  • 町名をさらに詳しく調べるなら、『立川の地名―立川編―』(立川市教育委員会、1988年)が立川市図書館にある。歴史民俗資料館や市政情報コーナーで頒布されていると『たちかわ物語』は案内している。

曙町の、駅のそばで

町名の境目を探して歩くと、ふだんは見ない電柱の表示や街区の札ばかり見上げることになる。首が少し疲れる。地図と首っぴきで歩いた日の夕方は、とくに肩が固い。

その足で、名前を取り替えたと伝わる曙町へ戻る。立川駅北口から歩いて1分、立川市曙町2-14-10、エトロワビルの3階に、オンザショア立川店がある。溶岩プレートを敷いたスタジオで行うホットヨガのスタジオだ。常温のヨガ、ピラティス、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングもあり、ヨガだけで25種類以上のレッスンがある。

営業は8時から23時30分まで、年中無休で、どの曜日も同じ時間に開いている。曙の町らしく、朝から扉が開く。

初めての人には、税込1,980円のヨガの体験レッスンがある。60分のレッスンに、バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれる。

妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できないが、常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。

  • オンザショア: https://ontheshore.jp/
  • 料金: https://ontheshore.jp/price/
  • 体験の予約: https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp

住所の欄に「曙町」と書くたびに、それがかつて羽衣町になるはずだった場所だと思い出す人は、たぶんいない。名前は、忘れられたまま、毎日きちんと仕事をしている。

冒頭の写真: 立川市緑町の銀杏並木を歩く人々。2013年11月、黄葉の季節に撮影されたもの(写真: KΛNΛTΛ / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons)

この記事の情報は2026年10月時点のものです。

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