立川のラーメンとうどん──ラーメンスクエアと武蔵野の小麦、婚礼のご馳走はうどんだった

武蔵野うどんという名の隣人たち

立川市は、東京都のほぼ中央にあって、八つの市と境を接している。そのうち北東の小平市と、北西の武蔵村山市には、文化庁の「100年フード」に認定されたうどんがある。どちらも令和3年度、伝統の100年フード部門、江戸時代から続く郷土の料理として、「武蔵野地域のうどん文化」の名で選ばれた。

武蔵野うどんの一例。豚肉とネギの温かいつけ汁で太い麺を食べる(埼玉県の店)
武蔵野うどんの一例。豚肉とネギの温かいつけ汁で太い麺を食べる(埼玉県の店)
写真: Ocdp / CC0 / Wikimedia Commons

ひとつは小平の糧うどんだ。文化庁の紹介によれば、地元でとれた小麦粉、つまり地粉を塩水でこね、足で三度踏んで固めて玉にし、寝かせる。表面が艶やかになった玉の空気を抜くために菊揉みをし、最後にもう一度足で踏んで、麺棒で伸ばす。手打ちうどんと呼ばれながら、いちばん働いているのは足かもしれない。地粉で打ったうどんはやや黄みがかり、切り落とした生地の端、いわゆるうどんの耳を載せるのが手打ちの証だという。

名前の由来がまたいい。小皿に盛られて添えられる、ゆでた大根や小松菜などの旬の野菜を「糧」と呼ぶ。これは、貴重なうどんを多く食べないように添えられたもので、栄養と満腹感を補う役目を担った、と文化庁は書いている。野菜は、うどんの見張り役だったのだ。うどんを好きなだけ食べられる時代に生まれた身としては、見張りの小皿の前で、少し背筋が伸びる。

もうひとつは武蔵村山の村山かてうどんである。こちらは古くは農家の日常食だった。赤小麦の表皮が入った茶色か灰色の麺を冷水で締め、温かい醤油味のつけ汁に浸けて、ゆでた地野菜の「かて」とともに食べる。かては、都内でも生産量の多い小松菜をはじめ、季節に応じてほうれん草やナスも使われる。近年は、つけ汁に豚バラ肉を加えた「肉汁うどん」が定番になった。文化庁の紹介は、ファンが武蔵村山市内のすべての店をコンプリートし、味の違いを楽しんでいる、とまで書いている。国の文化行政の文書に「コンプリート」という言葉が出てくるのは、なかなか見られない光景だ。

小麦の文化は、立川を挟んで東西に続くだけではない。農林水産省の「うちの郷土料理」は、東京都の料理として、奥多摩ののしこみうどんを載せている。奥多摩は東京で最も山が急で、水田に向かないため小麦や蕎麦の栽培が主になり、うどんや蕎麦を食べる粉の文化が根づいた、と説明する。煮干しとしいたけのだしに、幅の広い打ち立ての麺と季節の野菜を入れて煮込む。山仕事を終えて寒いなか腹を空かせて帰ってきた男たちに、手早く温かく出せる料理だった。鍋からずるずると引き出して食べるので「ずりだしうどん」と呼ぶ地域もあり、昭和50年ごろまでは、猟でとれたイノシシや鹿を入れることもあったという。同じ東京のうどんでも、山の奥では猪が入り、台地の宴では漆の椀に盛られる。北へ目を向ければ、同じページの埼玉県の項は、埼玉を全国有数のうどん王国と呼び、うどんの生産量は全国2位、かつては稲作の裏作として小麦を広く育てた、と書く。

山からも、北の平野からも、そして立川の両隣からも、小麦の話が聞こえてくる。立川は、粉の文化の真ん中に立っていた。

数字で読む立川の麺

  • 1737 — 年。柴崎分水が玉川上水から引かれた年。この水で、柴崎村の水車が回った。
  • 2005 — 年。ラーメンスクエアがラーメントライアウトを始めた年。以来、駅前のビルが登竜門になった。
  • 20 — 人。トライアウトなどを経てここに店を出し、「卒業」していった店主の数(公式サイトによる)。
  • 100 — 万円。トライアウトの優勝者に出る開業祝い金。調理機器は最初からそろっている。
  • 3 — 度。小平の糧うどんで、生地を足で踏む回数。最後にもう一度踏むので、足の出番は合計4度になる。
  • 6 — 種類。昭和40年、立川に現れて、ほとんど誰にも頼まれずに消えたピッツァの数。

旅人の寄り道クイズ

『たちかわ物語』によれば、昭和40年(1965)ごろの東京では、うどん1杯はおよそいくらだったか。(A)約50円(B)約100円(C)約250円。答えは最後に明かす。

最後の数字が気になった人のために、ここで一つ、寄り道をしておきたい。

初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。

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蕎麦屋がつくった、早すぎたピッツァ

『たちかわ物語』vol.5に、「立川おっこぼれ話」という小さな連載がある。そこに、かつて立川駅の南口にあった一軒の蕎麦屋の話が載っている。

その蕎麦屋は昭和6年(1931)に暖簾を掲げた。南口が開いた翌年である。当時の南口には飲食店が少なく、店は大繁盛したという。戦後、店の主は蕎麦屋のほかに、結婚式場の調理部門や小料理店など、さまざまな店を出していく。開いたばかりの駅の裏口で暖簾を上げ、戦争をくぐり、街の宴の台所まで引き受けた。立川の南口の食の地層は、こういう一軒一軒の商いが積み重なってできている。

結婚式場の調理部門、という一語に、私は立ち止まった。昭和30年代以降、宴の場が家から式場へ移り、膳椀を共有した組が役目を終えていったことは、先に見たとおりだ。村の男たちが並んでうどんを切っていた婚礼の台所は、やがて式場の厨房へ移り、その厨房を、駅前で蕎麦を出してきた店が引き受けるようになった。蕎麦屋と婚礼は、立川の南口で、細い麺のようにつながっていた。そのひとつが、昭和40年(1965)に柴崎町3丁目の東京都農業会館の新館ができたとき、その地下1階に開いた洋食のレストランだった。

計画段階のメニュー表に、「ピッツァ」が6種類ある。ペパロニやアンチョビを使った本格的なもので、値段もほかの料理より少し高めだった。提案したのは、厨房を任されたコック長だったそうだ。ところが、どんな料理なのかが知られていなかったため注文があまりなく、開店してまもなく提供をやめ、幻のメニューになってしまった、と広報紙は書く。

私はこの話がとても好きだ。蕎麦屋から始まった店が、南口の地下で、誰も知らないピッツァに賭けた。そして、見事に早すぎた。半世紀後のいま、ピッツァはどこの街でも頼まれる料理になっている。立川は、ときどき時代より一歩先へ出て、ひとりで待ちぼうけを食う。

同じ広報紙は、比べるための数字も添えている。そのころの東京ではカレーライスが約100円だった。うどんの値段は、クイズの答えとして最後にとっておく。

麺の話に戻ろう。立川には、麺にまつわる新しい顔もある。立川市は東京うどの生産量が都内1位で、東京都の地域資源の紹介によれば、市内の飲食店ではうどラーメンなど、うどを使った料理が登場している。地下3メートルの室で育った白い野菜が、ラーメンの丼にまで顔を出す。この街の麺は、土地の物を何でも受け止める器でもあるらしい。

さて、そろそろ、婚礼のうどんの謎に答えを出さなければならない。

ハレの日のうどんと、駅前の登竜門

なぜ、立川の祝いの膳はうどんだったのか。

答えの半分は、土にある。関東ローム層の台地は水田に向かず、水は分水が来てようやく手に入った。米を思うようには作れない土地で、人々は麦を育て、分水で回る水車で粉にした。たくさんの客をもてなせるだけの穀物といえば、麦だった。

だが、それだけでは「ご馳走」の説明にならない。隣の武蔵村山では、うどんは農家の日常食だったと文化庁の資料は書く。毎日食べるものが、なぜ晴れの日のいちばんになるのか。

残りの半分は、手間と、器と、人の数にあるのだと思う。うどんは、粉を練り、足で踏み、寝かせ、伸ばし、切る。何十人分ともなれば、男たちが並んで切るほどの仕事になる。それを、組で共同購入した漆の膳と、うどんのための切溜と湯桶で出す。立川の市史が「普段の一汁一菜ではなく、膳の形式で」と書いたとおり、ご馳走にしていたのは、うどんそのものよりも、うどんのために集まった人の手と、皆で守ってきた器だった。小平の糧うどんに添えられた見張りの小皿が教えるように、うどんは、たくさん食べてはいけないほど貴重でもあった。

そしてもう一つ。膳椀を皆で買ったのは、豊かな家も貧しい家も、宴の席で差が出ないようにするためだった。同じ漆の親椀に、同じ手で切ったうどんが盛られる。その夜、膳の前では、豊かな家の客も、そうでない家の客も、同じ一杯をすする。白い飯を山のように炊ける家とそうでない家の差は、米どころならすぐ膳に出てしまう。だが、畑の麦を皆で打ったうどんなら、差はつけにくい。立川のハレのうどんは、ご馳走であると同時に、村の平等のかたちでもあったのではないか。広報紙が「自治意識や平等意識の醸成」という言葉を添えたのを読んで、私はそう考えた。そこから先は、読む人に預けたい。

そう考えると、駅前のラーメンスクエアの姿が、少し違って見えてくる。全国から集まった店が並び、公募で選ばれた新しい店主が、既存の店と入れ替わって暖簾を掲げる。客は丼を前にして、今年の新顔を品定めする。かつて組の仲間が膳椀を持ち寄ってうどんを出したように、いまは駅前のビルが、毎日のように麺の宴を開いている。

あのころ、膳椀組合の男たちが並んで、婚礼のうどんを切っていた。いま、公募で選ばれた店主が、駅前のビルの3階で、毎日の客に丼を出す。

立川は昔から、麺を囲んで人が集まる街だった。

立川には麺の名物がない、と思っていた人に、伝えたいことが二つある。この街では、婚礼の締めくくりにうどんが出て、そのための漆の器を村でそろえていた。そしていまは、駅から2分のビルの3階で、20年あまりラーメン職人の登竜門を開いている。地味だと思っていた街は、麺に関しては、ずいぶん筋金入りだった。

新宿から中央線で一本、川崎からは南武線で一本。週末の昼に、駅から2分の登竜門で今年の新顔を品定めし、午後は分水の流れをたどって、婚礼のうどんが生まれた台地を歩く。麺好きの一日として、これ以上の筋書きはなかなか組めない。

殿ヶ谷の公会堂の飾り棚では、かつて婚礼のつゆを注いだ湯桶が、いまも静かに次の宴を待っている。

寄り道クイズの答え

答えは(A)約50円。『たちかわ物語』vol.5によれば、昭和40年当時の東京では、うどん1杯が約50円、カレーライスが約100円というのが一般的な値段だった(総務省の小売物価統計調査による)。うどん2杯で、カレー1杯。幻のピッツァは、それよりさらに少し高かった。

訪ねる前に

  • 都心と神奈川から: 立川駅へは、新宿からJR中央線で一本。東京都環境局の散策案内は、新宿から立川までを中央線で30分としている。神奈川からは、川崎駅と立川駅を結ぶJR南武線で、乗り換えなしで着く
  • ラーメンスクエア: 東京都立川市柴崎町3-6-29「アレアレア2」3階。JR立川駅南口・多摩都市モノレール立川南駅からペデストリアンデッキでつながり、デッキから徒歩約1〜2分(公式サイトによる)。入っている店、営業時間、メニューは入れ替わるので、公式で確かめてほしい: https://ramen-square.com/
  • ラーメントライアウトの募集の仕組み: https://ramen-square.com/tryout
  • 立川の婚礼のうどんと共有膳椀を詳しく知るなら: 市史編さん広報紙『たちかわ物語』vol.20(令和7年9月発行)。全国文化財総覧で読める: https://sitereports.nabunken.go.jp/143837
  • 立川市歴史民俗資料館: 立川市富士見町3-12-34。昭和60年(1985)に開館し、市内の膳椀組合から寄贈された共有膳椀の多くを所蔵している(『たちかわ物語』vol.20の表による)。展示の内容、開館日と時間は立川市の公式サイトで確かめてほしい。資料館は、立川市の散歩コース「古村を歩く」にも入っている: https://www.city.tachikawa.lg.jp/kanko/bunka/1004244/1004848/1004889.html
  • 武蔵野うどんを本場の隣町で食べるなら: 文化庁「100年フード」東京都の一覧(小平糧うどん・村山かてうどん): https://www.bunka.go.jp/seisaku/shokubunka/foodculture/hyakunenfood/jirei/list_tokyo.html
  • 所要時間の目安: ラーメンスクエアは駅から2分ほど。南口から足をのばすなら、柴崎分水と縁の深い諏訪神社はJR立川駅から徒歩10分(神社の公式の交通案内)、根川緑道は立川駅南口から歩いて約15分。
  • あわせて回るなら: 南口のラーメンスクエアで昼を食べ、柴崎町の普済寺と諏訪神社へ歩き、根川緑道を下って多摩川へ出る道が、麺の背景にある「水」をたどる順路になる。冬から春なら、北の砂川で東京うどを探すのもいい。ファーマーズセンターみのーれ立川(立川市砂川町2-1-5)へは、JR立川駅北口2番のバス乗り場からバスで約20分、砂川五差路で降りて徒歩2〜3分(JA東京みどりの案内)。玉川上水と砂川の短冊形の村も、その近くにある。

麺をすすったあとは、立川駅北口で

ラーメンの丼を空にしたあと、南口から自由通路を抜けて北口へ出る。徒歩1分、立川市曙町2-14-10のエトロワビル3階に、オンザショア立川店がある。溶岩プレートを敷いたスタジオで行うホットヨガのスタジオだ。

ほかに常温のヨガ、ピラティス、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングもあり、ヨガだけで25種類以上のレッスンがある。

営業時間は8時から23時30分まで、年中無休で、曜日による違いはない。昼にラーメンを食べた日なら、少し時間を置いて夜のレッスンに入ることもできる。

初めての人には、税込1,980円のヨガの体験レッスンがある。60分のレッスンに、バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれる。

妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できないが、常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。

料金は https://ontheshore.jp/price/ 、店の案内は https://ontheshore.jp/ 、体験の予約は https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp で確かめられる。

婚礼のうどんを切った手も、駅前で麺を打つ手も、同じ台地の上にある。立川では、麺はいつも誰かの手の中から始まっていた。

冒頭の写真: 武蔵野うどんの一例。太い麺に、肉の入ったつけ汁と天ぷらが添えられる(埼玉県の店)(写真: Ocdp / CC0 / Wikimedia Commons)

この記事の情報は2026年10月時点のものです。

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