立川水天宮、安産の神が砂川五番から移ってきた
神社の正式な名前は、公式サイトの表題によれば「阿豆佐味天神社・立川水天宮」である。二つの名前が、中黒ひとつでつながっている。

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水天宮とは何か。デジタル大辞泉によれば、福岡県久留米市にある全国の水天宮の総本社で、水の守護神として、また安産・水難よけの神として知られる。東京の日本橋にある水天宮は、文政元年(1818)、久留米藩主の有馬頼徳が藩邸に久留米の水天宮の遥拝所を設けたのに始まる、と同じ辞典は書く。世界大百科事典は、戌の日に腹帯を分けることが東京の人々に広く知られるようになった、と記している。
その水天宮が、なぜ砂川にあるのか。
神社の歴史を伝える複数の資料が、同じ年を挙げている。立川水天宮は、もとは砂川五番にあり、昭和36年(1961)に阿豆佐味天神社の境内へ移された。御朱印を研究する人のサイトも、神社めぐりを記録している人のnoteも、そう書いている。そしてそのnoteとWikipediaは、移った理由を、米軍立川基地の拡張にともなうものだったと記している。
砂川五番。その地名を聞いて、立川の人ならある出来事を思い出すだろう。1955年、米軍立川基地の拡張計画が地元に通告された。拡張の予定地は、砂川の四番と五番の地区だった。のちに砂川闘争と呼ばれる長い反対運動の始まりである。闘争の歩みは、この特集の別の記事に譲る。ここでは、この神社が、その運動の舞台のひとつだったことだけを書いておく。
砂川闘争の記録を集めている市民団体の資料によれば、1955年6月18日、阿豆佐味天神社で立川基地拡張絶対反対の町民総決起集会が開かれ、1300人が集まった。その後も、この境内で何度となく集会が繰り返されたという。強制測量をめぐって激突が続いた1956年10月、測量の一時中止が発表された翌日にも、この神社で国民総決起大会が開かれ、4000人が集まったと、同じ団体の年表は記している。
安産の神が、基地の拡張に押されるようにして、その反対集会が開かれた神社の境内に移ってきた。資料がそう語る順に年号を並べると、そういうことになる。どんな事情や思いがあったのかまでは、私の読んだ資料からは分からなかった。
いま、立川水天宮に足を運ぶ人の多くは、そうした来歴を知らないだろう。来るのは、おなかの大きな人と、その家族だ。あのころ、この境内には、基地に反対する人々が1300人、4000人と集まった。いま、ここで静かに締められるのは、白い腹帯である。
公式サイトによれば、安産祈願は「帯祝い」ともいい、妊娠5か月目に入った戌の日に白い布の腹帯を締め、無事な出産と母子の健康を祈る。ここでは「いぬの日」とひらがなで書かれ、いぬの日に限らず祈祷を受け付けている。祈祷を受けると、お札やお守り、水天宮の安産祝帯、それに犬張子のついた安産護り矢などが授けられる。犬張子は、かわいらしい犬の形をした縁起物で、安産の守り神である犬には悪いものを追い払う力がある、と神社は書く。
祭りの情報を発信している会社のサイトによれば、境内の社の近く、「豊之泉」と書かれた立て札のそばの手水鉢の上に、この犬張子をかたどった像がたたずんでいる。そして記事の書き手は、「どう見ても猫に見えます」と書き添えている。安産の犬が、猫返し神社では猫に見える。土地の空気というものは、像の見え方まで変えてしまうらしい。
祈祷の席に上がれる大人は、原則として2人まで。ただし、祖父母も一緒に昇殿したい家族のために「祖父母参列祈願祭」という祈願が別に用意されていて、こちらは最大6人まで上がれる。孫の誕生を前に、祖父母も一緒に神前に並びたい。その気持ちは、どこの家族でも変わらないのだろう。神社の側も、それをよく分かっている。
公式サイトの問答集には、ほかにも家族の暮らしに寄り添う答えが並んでいる。初宮詣の祈祷を受けた人には、お食い初めに使う「歯固め石」を渡している。ただし石だけを渡すことはできない。安産祈願のお札は初宮詣のときに納め、初宮詣のお札は七五三のときに納める。参道は段差がなく、車椅子でもお参りできるが、祈祷を行う拝殿は江戸時代からの建物のため、車椅子のまま上がることはできない、とも正直に書いてある。
お札を納めながら、子どもの成長の節目ごとに同じ神社へ戻ってくる。安産祈願に来た人が、次は赤ん坊を抱いて初宮詣に来て、何年か後には七五三の晴れ着を着せて来る。お札は、次に来る理由を一枚ずつ預けていく仕組みでもある。
ここで、冒頭の問いに半分だけ答えが見えてきた気がした。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
砂川の総鎮守、390年余りの祭りと太鼓
阿豆佐味天神社そのものの話もしておきたい。寛永6年(1629)、砂川の新田開発に合わせて村の鎮守として祀られたこと、市内最古の木造建築とされる本殿のこと、元日のだるま市のことは、玉川上水と砂川の記事で触れたので、ここではそれ以外の話を書く。
まず、親の神社がある。東京都神社庁によれば、本社は西多摩郡瑞穂町殿ヶ谷にある阿豆佐味天神社で、延喜式に載る多摩郡の古社のひとつ、いわゆる式内社だ。寛平4年(892)の創建と伝える、と神社庁は書く。阿豆佐味という珍しい名前については、梓弓に由来するという説、楸という木の古い名「あずさ」によるという説、甘い水を意味するという説など、諸説がある。乾いた台地の新田に、甘い水の名を持つ神を迎えたのだとしたら、それはそれで切実な願いだったはずだ。もっとも、どの説が正しいのかを決める資料はない。
面白いのは、親と子の神社が、ほぼ同じバスの道の上にあることだ。砂川の阿豆佐味天神社へは、立川駅北口から箱根ヶ崎方面行きのバスで砂川四番へ。瑞穂町の本社へも、東京都神社庁の案内によれば、立川駅北口から箱根ヶ崎方面行きの立川バスに乗っていく。390年余り前に分かれた親子の神社を、いまはほぼ一本のバスの道が結んでいる。
立川市内には、もう一つの阿豆佐味天神社もある。西砂町の阿豆佐味天神社で、殿ヶ谷村の人々が享保年間に開いた殿ヶ谷新田の鎮守として、享保3年(1718)ごろに創建されたと伝わる。新田を拓くたびに、人々は同じ神を連れて台地を東へ進んでいったのだろう。
祭神の話もある。神社の公式サイトによれば、祭神は医薬・健康・知恵の神として知られる少彦名命と、文学・芸術の神とされる天児屋根命の二柱だ。もとは少彦名命の一柱だったが、のちに日枝神社を合わせたことで天児屋根命が加わった、と伝える資料がある。御朱印を研究する人のサイトは、その合祀を明治43年(1910)としている。医薬の神の社に、のちに文学・芸術の神が加わった。その約80年後、芸術家がやって来て、勝手に猫の名前をつけていった。神様の人選は、なかなか筋が通っている。
境内には、ほかにも神々が集まっている。公式サイトが挙げる境内社は、蚕影神社、八雲神社、疱瘡社、稲荷社、天神社、御嶽神社、浅間神社、金刀比羅社、八坂大神社。それぞれに、厄除け、疫病除けと縁結び、五穀豊穣、学問、火難盗難除け、縁結びと安産、交通安全、疫病除けといったご利益が添えられている。Wikipediaによれば、八雲神社はもと砂川一番に、浅間神社と金刀比羅社はもと砂川三番にあり、八坂神社はもともと水天宮の末社だったという。立川水天宮と同じように、ほかの番の神々も、時代の事情に合わせてこの境内へ集まってきたのだ。砂川の総鎮守とは、砂川じゅうの神々の引っ越し先でもあった。
本殿は、近年よみがえった。立川市の教育委員会の報告資料によれば、本殿は平成29年度から31年度にかけて保存修理が行われ、2019年の7月に工事を終えた。補助の対象になった事業費は合わせて約2,780万円で、その半分を市が補助している。同じ年の10月20日と26日には、一般公開も行われた。市の文化財の解説によれば、鎮座390年を記念したこの修復で、創建当初の弁柄色の彩色と、木鼻の獅子や龍などの彫り物が極彩色で復元された。報告資料に載った修理後の写真には、獅子、龍、獏の彫刻が並んでいる。ふだん本殿は覆殿の中にあって見えないが、その中で獏が極彩色に塗り直されている。悪い夢を食べる獏にしては、ずいぶん華やかな装いだ。
2019年の鎮座390年祭には、もうひとつの記念の品が生まれた。市の散歩コースの解説によれば、それを記念して、市内最大となる直径5尺2寸、およそ1.57メートルの大太鼓がつくられ、披露された。例祭は9月15日に近い日曜日に行われ、大太鼓や神輿が出てにぎわう、と市は書く。地元の情報サイトは、令和元年にお披露目の巡行をした大太鼓が、その後コロナ禍で途絶え、2023年に五日市街道での巡行が復活したことを伝えている。
砂川の祭りは、昔から大きなものを掲げてきた。江戸時代の末、祭礼のときに豊作を願って立てた砂川十番組の大幟は、竿の長さが約22メートル、関東地方でも最大級といわれる、と市は書く。その話は古い村の史跡を歩いた記事に詳しい。関東最大級の幟と、市内最大の太鼓。乾いた台地の長い村は、祭りの日にだけは、とにかく大きくなりたかったらしい。
昭和の境内、あのころといま
いまの参拝者には意外だろうが、この境内の名が記録に残ったのは、猫より先に、基地の話のほうだった。
1955年、昭和30年の6月、境内に1300人が集まったとき、ここはまだ立川市ではなかった。北多摩郡砂川町である。市の年表によれば、立川市と砂川町の合併が成ったのは1963年、昭和38年のことだ。水天宮が砂川五番から移ってきた1961年も、この神社はまだ砂川町の鎮守だった。
駅もなかった。神社の最寄りとして東京都神社庁が挙げる西武拝島線の武蔵砂川駅が開いたのは、市の年表によれば1983年、昭和58年である。それまで、この神社へ電車で来る人は、どこかの駅から長い道を歩くか、バスに揺られるしかなかった。いま神社庁の案内にある「徒歩12分」は、昭和の終わり近くになってようやく生まれた数字なのだ。
蚕影神社が単独の社から拝殿の横へ移ったのは1980年、昭和55年。山下洋輔さんの猫の話が『芸術新潮』に載ったのが1987年、昭和62年。猫返し神社という呼び名は、昭和という時代のいちばん終わりに生まれた名前だったことになる。
あのころ、この境内を埋めていたのは、先祖が拓いた土地を守ろうとする人々の声だった。いま、絵馬掛けを埋めているのは、帰ってこない猫を呼ぶ言葉だ。祈りの中身はまるで違う。けれども、どちらも、大事なものが自分の手から離れていくのを、ここで必死に引き留めようとしている。昭和の砂川の人々も、令和の猫の飼い主も、同じ鳥居をくぐって、同じ拝殿の前で頭を下げてきた。
猫が帰ってくる理由
なぜ、ここで猫が帰ってくるのか。
この問いに、資料は答えてくれない。神社自身は、絵馬に願いを書いたら無事に帰ってきたという報告も寄せられている、と書くだけだ。権禰宜は、神のみぞ知る、と言った。私もそれ以上のことは言えない。
ただ、資料と人々の声をたどってきて、ひとつだけ見えてきたことがある。
この神社は、待つ人のための場所なのだ。帰ってこない猫を待つ人が、絵馬に「家族みんなで待っている」と書く。生まれてくる子を待つ人が、いぬの日に腹帯を受けに来る。初宮詣でお札を納め、七五三でまたお札を納め、成長の節目ごとに戻ってくる。基地の拡張を前にした村の人々は、この境内に集まって、土地が奪われないことを願った。鎮座390年の祭りのためにつくられた太鼓は、コロナ禍でしばらく途絶えたあと、ふたたび街道を巡って宮へ戻ってきた。
迷い猫の帰りを待つことと、新しい命の到着を待つこと。この二つは、思っていたよりずっと近い。どちらも、自分の力だけではどうにもならない「おかえり」と「いらっしゃい」を、ひたすら待つことだからだ。猫の神と安産の神がひとつの境内に並んでいるのは、たまたまの事情が重なった結果にすぎないのかもしれない。けれども、待つ人の目で見れば、これほど似合いの組み合わせもない。
ただいま猫の頭は、たくさんの手に撫でられてきた。その手のひとつひとつが、誰かの帰りを待っていた手だ。
猫を飼っている人も、飼っていない人も、週末に一度、立川駅北口からバスに15分揺られて、砂川四番で降りてみるといい。絵馬掛けの前に立つと、東京の西のはずれに、これほど多くの「待っている」が集まる場所があることに、まず驚くはずだ。北海道からも岡山からも、ここへお礼の手紙が届く。
寄り道クイズの答え
答えはB。読売新聞の記事によれば、山下洋輔さんは猫が帰ってきたお礼に、雅楽の「越天楽」をピアノで演奏して録音し、神社に奉納した。そのピアノの調べは、今も境内で静かに流れているという。
訪ねる前に
- 所在地: 東京都立川市砂川町4-1-1(阿豆佐味天神社・立川水天宮)
- 都心と神奈川から: 新宿からJR中央線で立川駅まで約30分(東京都環境局の雑木林のみちのリーフレットによる)。JR南武線は川崎駅と立川駅を結ぶので、川崎方面からも乗り換えなしで立川駅に着き、北口からバスに乗り継げる。時刻はその日の時刻表で確かめてほしい。
- 行き方: JR立川駅北口の立川バス1番乗り場から、三ツ藤行きまたは箱根ヶ崎駅行きで「砂川四番」下車すぐ。乗車時間は約15分(神社の公式サイトによる)。西武拝島線の武蔵砂川駅から徒歩12分(東京都神社庁の案内による)。多摩モノレールの砂川七番駅からは歩いて20分ほど。
- 車: 五日市街道沿い「砂川四番交番前」の信号のところ。駐車場は32台。朝7〜9時と夕方17〜19時は右折で入れない交差点になる、と公式サイトが注意している。
- 開門時間、授与所(猫絵馬・猫守り・御朱印)の受付時間、祈祷の日程は変わることがある。最新は公式サイトで確かめてほしい: https://azusami-suitengu.net/ (猫返し神社の頁: https://azusami-suitengu.net/cat_came_homes/ )
- ペットを連れての入場はできない。抱っこでも不可。
- 御朱印は朱印紙で授与される。帳面の預かりはしていない(公式サイトによる)。
- 遠方の人は、猫の絵馬の郵送を頼める(現金書留で1,100円・送料込み。詳しくは公式サイトで)。
- 本殿は覆殿の中にあり、ふだんは見られない。
- 組み合わせるなら: 神社の北には玉川上水の緑道が東西に延びている。五日市街道に沿って短冊形の屋敷割りが残る砂川の村並みを歩き、天王橋や金比羅山を訪ねるのもいい。南へ下れば国営昭和記念公園の砂川口がある。
お参りのあとは、立川駅北口で
砂川から立川駅までは、バスでおよそ15分。五日市街道を歩き、境内でしゃがんで猫の石像を撫で、絵馬に願いを書いたあとの体は、思っているより冷えて、こわばっていることがある。
立川駅の北口から歩いて1分のところに、オンザショア立川店がある。住所は東京都立川市曙町2-14-10、エトロワビルの3階。溶岩のプレートを敷いたスタジオで行うホットヨガのスタジオで、常温のヨガやピラティスのほか、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングもある。ヨガだけで25種類以上のレッスンがそろっている。
営業は8時から23時30分まで、年中無休で、曜日による違いはない。朝のうちにお参りを済ませてからでも、夕方に駅へ戻ってからでも間に合う。
初めての人には、税込1,980円のヨガの体験レッスンがある。60分のレッスンに、バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれている。
妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できないが、常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。
- オンザショア: https://ontheshore.jp/
- 料金: https://ontheshore.jp/price/
- 体験の予約: https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp
五日市街道の砂川四番では、今日もただいま猫が、誰かの家の猫の代わりに、撫でられる順番を待っている。
冒頭の写真: 阿豆佐味天神社(立川市砂川町)の拝殿と境内(2019年12月撮影)(写真: Quatrogatos / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons)
この記事の情報は2026年10月時点のものです。
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