根川貝殻坂橋 緑道の終わり、多摩川のはじまり
緑道は、貝殻坂橋のところで終点になる。市の案内では「根川貝殻坂橋」と呼ばれている。

写真: 根川緑道 / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons
平成2年(1990)、東京都の「武蔵野の道」計画にもとづき、立川市が架けた橋だ。吊り橋をイメージしたコンクリートの橋で、近くにある貝殻坂から名づけられた。吊ってはいない。あくまで、イメージである。その少しずらした見立てが、かえって橋の表情をやわらかくしている。
ここから甲州街道までの根川は、土の護岸で昔の姿をよく残し、桜の名所になっている、と市は書く。整備された緑道と、昔のままの土の岸。その境目に、この橋がある。
根川緑道の最下流部、多摩川と合流するこの付近は、東京都が計画した「武蔵野の路」の是政から昭島へのコースの一部に位置づけられている。つまりこの橋は、立川の小さな緑道を、もっと長い多摩川沿いの道へとつなぐ継ぎ目でもある。
緑道の終わりは、多摩川のはじまりだ。橋を渡ると、空が急に広くなる。
数字で読む根川と多摩川
- 1.3km … 根川緑道の延長。迷おうと努力しても、迷えない。
- 毎分1.7トン … かつて市の案内が書いた、水路に流す下水処理水の量。いまは循環式に替わったので、この数字自体がもう歴史の一行になりつつある。
- 2.4km … 詩歌の道の全長。歩く速さより、読む速さが問われる道だ。
- 64.9m … 立川市でいちばん低い地点の標高。錦町6丁目付近、つまり多摩川の近くにある。いちばん高い西砂町4丁目付近は124.7m。平坦だと市自身が書く街の中に、60mの高低差が隠れている。
- 138km … 多摩川の全長。立川は、その旅の途中の一駅にすぎない。川から見れば、の話だが。
- 367.3m … 大正15年に架けられた日野橋の長さ。渡し船の時代には、季節ごとに舟と仮の橋で渡っていた距離である。
数字を並べると、立川の地面が北西から南へ、多摩川に向かってゆっくり傾いていることが分かる。根川の湧き水も、緑道の水も、その傾きに従って、いちばん低い場所へ集まっていく。その低い場所には、百年前まで、橋が無かった。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
多摩川の河川敷と、日野の渡し
多摩川は、山梨県甲州市の笠取山に源を発し、羽田沖の東京湾へ注ぐ。全長138km、流域面積は1,240㎢。山梨、東京、神奈川の1都2県を流れる一級河川だと、国土交通省の京浜河川事務所は説明する。事務所は、多摩川の河川敷を1,300万人(平成15年度の調査)もの人が訪れると記している。長い水害の歴史を持ち、勾配が急なことも特徴だという。荒々しく、広く、よく使われる川。都会の川の、ひとつの典型である。

写真: MosaMint / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons
立川の河川敷には、多摩川緑地がある。市営の競技場や野球場、サッカー練習場があり、それらを結ぶ散策路が整っている。市の作った「たちかわウォーキングマップ」は、柴崎市民体育館から出発して根川緑道、普済寺、そして多摩川サイクリングロードと日野の渡し碑をめぐる4.5kmの周回コースを紹介している。所要は約67分だという。
日野の渡し。その名を刻んだ碑が、錦町の下水処理場の敷地の角に立っている。
日野橋を通る都道256号線は、かつて国道20号線の一部だった。もとは新宿と甲府をつなぐ旧甲州街道で、五街道のひとつである。その旧道は柴崎体育館の東を通り、錦町の下水処理場の南西で多摩川に出た。大正時代まで、ここには橋がなかった。冬の渇水期には仮の橋を架け、夏の増水期には渡し船で人を通した。それが「日野の渡し」である。
江戸と甲府を結ぶ大街道に、橋がなかった。街道は、ここでいったん途切れていたのだ。五街道のひとつが、冬は仮の橋、夏は舟と、季節ごとに乗り物を替えていた。国の大動脈が、川の機嫌をうかがっていたのである。
その後、アメリカの会社で長く働いた経験のある増田淳が、自動車が多く通ることを見込んで、鉄の桁橋として日野橋を設計した。完成は大正15年(1926)。令和元年の台風のあとにまとめられた東京都の資料によれば、橋長367.3m、20径間の鋼鉄製の鈑桁橋で、大正15年の架橋時の主構造がその時点でもまだ使われていた。百歳近くまで現役を続けた鉄の桁である。立川でいちばん長く通勤ラッシュに耐えたのは、たぶんこの橋だ。
日野の渡しが廃止され、日野橋が完成してからちょうど60年がたった昭和61年(1986)10月、渡し場の近く、下水処理場の敷地の角に、立川観光協会を中心とした人々によって「日野の渡し」の記念碑が建てられた。
日野橋はその後、令和元年(2019)の台風で橋脚の一部が被害を受け、一時通行止めになった。東京都の資料には、多摩川の水位が平常時より3.2m上がり、立川側の橋脚の沈下が確認されたと記されている。交通は上流側の立日橋と、下流側の石田大橋へ迂回させた。老朽化した日野橋は架け替えが進められていて、令和7年5月には交通が仮橋へ切り替えられた。市は新しい橋の完成を2030年頃と案内している。古老は仮橋に仕事を譲り、ようやく引退の支度に入ったわけだ。
この橋のほとりは、立川の夏の始まりの場所でもある。立川まつり国営昭和記念公園花火大会の主催者は、その始まりを、昭和29年に日野橋のほとりの多摩川の河原で開かれた第1回の立川納涼花火大会だと記している。いまは昭和記念公園の原っぱで上がる花火も、最初は川の上の夜空で開いていた。立川の夏は、川原から始まったのだ。
百年前、渡し船の代わりに架けられた鉄の橋が、いま次の橋に代わろうとしている。川を渡る方法は時代ごとに変わる。だが川そのものは、変わらずにそこを流れている。
多摩川緑地から見る、夕暮れと冬の富士
河川敷を歩くなら、夕方がいい。
広い空の下では、時間の進み方が目に見える。日が傾くにつれて、河原の草の影が長く伸び、川面の色が少しずつ沈んでいく。西の山並みの輪郭が濃くなり、やがて空との境目だけが光る。街の中ではビルに遮られて見えない一日の終わりが、ここでは最後まで見届けられる。
国土交通省関東地方整備局は「関東の富士見百景」のひとつに、この多摩川緑地を選んでいる。この地点から南西の方向に、丹沢山塊と秩父山塊がぶつかり合うあたりの背後に、悠然とそびえる富士山を望むことができる。とくに天気の良い冬場によく見られる、とその紹介は書く。周辺の見どころとして挙げられているのは、日野の渡し碑と根川緑道である。
冬の夕方、河川敷で風に吹かれていると、体の芯まで冷えてくる。その冷たさの中で、遠い富士の影が、空の色に溶けずに残っている。私はなぜか、その小さな三角形を見ると安心する。県境のはるか向こうの山が、街の南の端から見える。それだけのことが、この平らな街の、ひとつの特権のように思える。
立川市は毎年、多摩川の清掃活動を行っている。令和7年12月6日には、多摩川サイクリングロード付近と残堀川の下流部で、62人が約1時間半かけて80kgのごみを集めた。河川敷のこの広さを保っているのは、川の力だけではない。
根川緑道を、上流から下流へ歩いてきた。湧き水の川が、残堀川を受け入れ、桜の名所になり、埋められ、また水路としてよみがえった。その水は、貝殻坂橋の先で多摩川へ出ていく。多摩川は、そのまま羽田沖の海まで旅を続ける。
ここで、最初の二つの問いに戻る。
緑道の水はどこから来ているのか。答えは、時代によって違う、だった。崖の下の湧き水、残堀川の水、下水処理水、そしていまは、同じ水を浄化してめぐらせる仕組み。水の素性は変わり続けたが、水を流し続けたいという人の意志だけは、昭和47年に川が埋められた後も途切れなかった。根川の水の本当の出どころは、その意志なのだと私は思う。
では、立川という名前の中の川は、多摩川なのか。市は、確証が無いと言う。たてかわ説も、湍川説も、館川説も、決め手を欠く。だが、立川の南の端に立ってみると、少なくともひとつのことは確かだと思える。市でいちばん低い場所は、多摩川のそばにある。台地の上に降った雨も、崖の下から湧いた水も、根川を流れた水も、最後はみなこの川へ集まってくる。この街の水は、すべて多摩川へ帰る。名前の由来がどの説であれ、川はこの街の、いちばん低くて、いちばん確かな場所を流れている。
立川は、乾いた街だと思われている。駅前のビルと、買い物と、乗り換えの街だと。だが、その足元には、埋められても生き返った川があり、千二百年前の勧請を伝える神社と、南北朝時代に開かれた寺があり、富士を望む河原があり、花火の始まりの河原がある。昭和15年(1940)12月1日に市制を敷いたとき、立川は東京府で東京市、八王子市に次ぐ3番目の市だった。多摩では八王子に次いで市になった街が、自分の名前の由来だけは決めかねている。自分の名前の由来を「分からない」と書ける街は、分からないことを楽しむ余裕のある街なのだと思う。
私は河川敷に立って、緑道のほうを振り返る。崖線の緑が、夕暮れの中で黒い帯になっている。あの崖の下からにじみ出た水が、かつて根川を流れていた。その水のゆくえを、私は最後まで見届けたわけではない。だが、少なくともここまでは来たのだと思う。
川崎から南武線に乗れば、乗り換えなしで終点の立川に着く。南武線は、もとは多摩川の砂利を運ぶために敷かれた鉄道である。同じ川の下流に住む人にとって、根川緑道は、自分の家の前を流れる水の上流にある散歩道だ。桜を植えた大正の青年から、川を掃除する今日の市民まで、この水辺は地元の手で守られてきた。週末に一度、川をさかのぼって来てみるといい。
寄り道クイズの答え
答えはA。立川市の案内によれば、昔この付近には蟹がたくさんいたので「がにがら」と呼ばれており、それが平成29年4月に開園した広場の愛称になった。市は続けて「今はカニはいません」と正直に書いている。そのかわり、多種多様な動植物を見つけることができる、とも。
訪ねる前に
- 都心からは、JR中央線で新宿から乗り換えなしで立川駅へ。神奈川からは、JR南武線が川崎駅と立川駅を結んでいて(全長35.5km)、乗り換えなしで来られる。横浜方面からは、横浜線で八王子へ出て中央線に乗り換える道もある。時刻と所要時間は JR東日本の公式で確かめてほしい。
- 根川緑道(立川公園)は立川市柴崎町と錦町にまたがる。JR立川駅南口から徒歩約15分、多摩モノレール柴崎体育館駅から徒歩約1分(立川市の案内による)。
- 根川貝殻坂橋は根川緑道の最下流部、多摩川と合流する付近にある。緑道の上流から貝殻坂橋まで歩き、多摩川の河川敷へ出るのが、この記事の順路。
- 歩く距離の目安は、市の「たちかわウォーキングマップ」による。柴崎市民体育館を起点に、日野の渡し碑、多摩川サイクリングロード、根川緑道、普済寺をめぐって戻るAコースは4.5km・約67分。柴崎市民体育館から根川緑道沿いを歩いて普済寺、山中坂地蔵堂を経て歴史民俗資料館へ向かうDコースは約2.6km・約39分。どちらも時速4kmで計算されている。
- 組み合わせるなら、この特集の普済寺と諏訪神社の記事の題材が、緑道から歩ける範囲にある。帰りは柴崎体育館駅から多摩モノレールに乗れば、立日橋で多摩川を渡る車窓も見られる(多摩モノレールの記事を参照)。
- 春の桜は緑道の古木のソメイヨシノと、貝殻坂橋から甲州街道までの土の護岸の区間がよい。冬の晴れた日の夕方は、多摩川緑地から南西に富士を探したい。
- 多摩川の河川敷は増水時には近づかないこと。水位や川の様子は、国土交通省や立川市の防災情報で確かめられる。
- 日野橋は架け替え工事中で、令和7年5月から交通は仮橋を通っている。規制の最新は立川市・東京都の案内で確認を。
- 立川市「立川公園」: https://www.city.tachikawa.lg.jp/kanko/sports/1002924/1003007.html
- 立川市「立川市の散歩コース【2.矢川から多摩川方面を歩く】」: https://www.city.tachikawa.lg.jp/kanko/bunka/1004244/1004848/1004890.html
- 国土交通省関東地方整備局「関東の富士見百景 多摩川緑地」: https://www.ktr.mlit.go.jp/chiiki/fujimi0057.html
水辺を歩いたあとは、立川駅北口で
多摩川から立川駅までは、段丘を登って北へ戻ることになる。南口に着いたら、駅を抜けて北口へ。北口から徒歩1分、曙町2-14-10のエトロワビル3階に、オンザショア立川店がある。
溶岩プレートを敷いたスタジオでホットヨガをする店だ。ほかに常温のヨガ、ピラティス、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングがあり、ヨガだけで25種類以上のレッスンがある。
営業は8時から23時30分まで、年中無休で、どの曜日も同じ時間。河川敷で夕暮れを見届けてから立ち寄っても、まだ間に合う時間だ。冬の川風で冷えた体を、溶岩の熱の中でゆっくりほどいていく。そういう一日の閉じ方もある。
初めてなら、ヨガの体験レッスンがある。税込1,980円で、60分のレッスンに、バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれる。手ぶらに近い格好で歩いてきても、そのまま入れる。
妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できず、代わりに常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。
料金は https://ontheshore.jp/price/ に、店のことは https://ontheshore.jp/ にある。体験の予約は https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp から。
湧き水から始まった川の話を、温かい部屋の中で思い返す。水は、いつも低いほうへ流れていく。
冒頭の写真: 立川公園・根川緑道の親水エリア。せせらぎに木道が沿い、岸の若葉が水に映る(写真: 根川孝太郎 / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons)
この記事の情報は2026年10月時点のものです。
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