御師と講、山の上に20を超える宿坊が並ぶ理由
御岳山の参道を歩くと、山の上とは思えないほど立派な屋敷が並んでいるのに驚く。宿坊である。御岳登山鉄道によれば、御岳山は山岳信仰の御嶽講で栄え、いまも20を超える宿坊が立ち並び、一般の人も泊まることができる。日本大百科全書は、参道に参詣者の宿泊所として約40戸の御師の集落があると書いた。

写真: Guilhem Vellut from Annecy, France / CC BY 2.0 / Wikimedia Commons
御師とは何者か。武蔵御嶽神社は、その名は「御祈祷師」を略したものとも言われると説明する。参拝者の祈祷はもちろん、地域の案内や宿泊の世話をし、各地へ出向いて信仰を広めた神職である。かつては日本の各地にいたが、時代とともに姿を消していった。この山の御師たちは、関東一円の「御嶽講」とともに、昔ながらの活動を続けているという。
神社の説明で、私が目を留めたのは次の一文だ。この神社は多摩川の源流に位置することから、水を司る農耕神として、河川流域の農家から信仰が篤かった。
多摩川の流域の農家。立川も、その流域にある。
御師は御神札を背負って山を下り、幾日もかけて村々や家々を回って札を配り歩いた。講は村や一族の単位でつくられ、村の字や氏族の名を冠して「○○御嶽講」と呼ばれた。毎年決まった時節に、講は数人の代参人を選んで山に上らせた。家々から集めた初穂やお金で、御師の先導のもと参拝する。神社によれば、信仰心はもちろん、物見遊山や娯楽が伴うことから代参は人気があり、各地から来た代参人どうしの情報交換の場にもなっていた。干ばつや台風、害虫に強い稲を持ち寄ることも行われたという。
村の代表として山へ行き、ついでに隣の地方の稲の情報を仕入れて帰る。信仰の旅であり、農業の研修旅行であり、ちょっとした物見遊山でもある。毎年誰が代参人に選ばれるかで、村の空気は少し華やいだのではないか、と私は想像する。
この習わしは、いまも続いている。神社によれば、とくに秋から冬にかけて、御師たちは山を下りて各地の講を訪ね、一軒一軒に札を配る。春には各地の講の代参人が山を上り、スーツ姿など、かしこまった服装の団体が多く見られるのが春の風物詩だという。参道には各講の参拝記念碑が立ち並び、関東一円の地名を見ることができる。
参道の石碑を一つずつ読んでいくと、知っている町の名前に出会うことがある。山の上で自分の暮らす土地の名前に出会うと、少し背筋が伸びる。立川から来た人なら、多摩の地名を探しながら歩いてみるとよい。
山の上の御師の家に泊まると、夜は静かだ。御岳登山鉄道は、宿坊に泊まれば運がよければ雲海が見られるかもしれないと書く。関東平野を見下ろす展望の場所からは、晴れた日には遠く筑波山まで見え、夜は東京や横浜の夜景が眼下に広がるという。立川の灯りも、その中のどこかにあるはずだ。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
神代ケヤキ、ロックガーデン、天狗の腰掛け
参道の切り立った斜面には、国の天然記念物「御岳山の神代ケヤキ」が立っている。御岳登山鉄道によれば、推定樹齢は1,200年、樹高約23メートル、幹回り約8.2メートル。日本大百科全書は樹齢約1,000年と推定している。どちらにしても、行基がこの山に蔵王権現を祀ったころに芽を出していてもおかしくない古さだ。200年の差は、この木にとっては誤差の範囲なのだろう。
神社の奥、天狗岩から綾広の滝までの約1.5キロは、ロックガーデンと呼ばれる。青梅市観光協会によれば、大小さまざまな奇岩があり、苔むした岩のあいだを清流が流れ、ケーブルカーの駅から近く初心者でも歩きやすいため、御岳山でいちばん人気のハイキングコースだという。往復でおよそ3時間をみておくとよい。
綾広の滝は、古くから武蔵御嶽神社の神事の場として使われてきた、別名「修行みそぎの滝」だ。御岳登山鉄道は、高さ10メートルから真っ白い滝水が流れ落ちると書く。七代の滝は、大小7段の滝が、最上段の落差約50メートルから飛沫を上げる。
天狗の腰掛杉という大木もある。高さ60メートルの杉の幹の途中から、枝が水平に1メートルほど伸びたあと、ぐっと真上に伸びている。この枝に天狗が腰を掛けて人々を見下ろしていると言われる、と御岳登山鉄道は書く。見上げると、たしかに座りやすそうな枝ぶりである。天狗も、どうせ座るなら眺めのいい場所を選ぶのだろう。
夏の御岳山には、もう一つ名物がある。レンゲショウマだ。御岳登山鉄道によれば、約3万平方メートルに約5万株が自生する、全国でも珍しい群生地で、淡い紫の花が7月下旬から9月上旬まで見られる。
川合玉堂が晩年を過ごした渓谷
山を下りて、もう一度、御岳渓谷へ戻る。御嶽駅から歩いて3分ほど、多摩川の岸に玉堂美術館がある。
日本画家の川合玉堂は、明治・大正・昭和の三代にわたって日本の風景を描いた画家だ。美術館を紹介する小澤酒造の案内によれば、玉堂は昭和19年(1944)から昭和32年(1957)に亡くなるまでの10余年を青梅市の御岳で過ごした。自然と人を愛した玉堂の人柄は土地の人々からも慕われ、玉堂の愛した御岳渓谷に美術館を建てようという声が上がり、皇后陛下をはじめ諸団体、地元有志、全国の玉堂ファンから多くの寄付が集まって、没後4年の昭和36年(1961)5月に開館した。15歳ごろの写生から84歳の絶筆まで、季節に合わせて年7回の展示替えをしているという。
昭和19年は、奥多摩電気鉄道が敷いた線路が国鉄青梅線として御嶽から先へ開業した年でもある。戦争の末期、画家は疎開してこの谷に来て、そのまま戦後も住み続けた。
昭和の青梅の年表には、この美術館にちなんだ一行がある。青梅市の「青梅のあゆみ」は、昭和天皇と良子皇后の両陛下が玉堂美術館へ行幸啓したことを記している。鉄道史の記録によれば、昭和36年(1961)10月25日、両陛下の乗ったお召し列車が原宿駅と御嶽駅のあいだを往復した。山の小さな美術館のために、都心から特別な列車が仕立てられた。昭和の御嶽駅にとって、いちばん晴れがましい一日だったろう。
渓谷沿いの遊歩道を下流へ歩くと、小澤酒造の酒蔵がある。銘柄は澤乃井。同社によれば、元禄15年(1702)の古文書で酒造業を営んでいたことがわかり、この年を創業としている。酒銘の「澤乃井」は、かつてこの地が「沢井村」と呼ばれていたことにちなみ、その「沢井」は、豊かな名水が沢となって流れるところから付いた地名だという。仕込み水は、秩父古生層の岩盤を掘り抜いた洞窟の奥から湧く。
川岸には、同社の敷地の中に寒山寺という小さなお堂もある。同社によれば、書家の田口米舫が中国・蘇州の寒山寺の主僧から釈迦仏の木像を託され、帰国後の昭和5年(1930)、小澤太平の協力によってここに建てられた。
小澤太平という名前に、私は見覚えがあった。青梅鉄道の成り立ちを調べた立教大学の論文に、明治21年(1888)、日向和田の石灰石を掘る計画を立てた三人の一人として、三田村の小沢太平の名が出てくる。立川へ線路を引こうとした人々の中に、同じ名前があるのだ。同じ人なのか、名を継いだ別の代の人なのか、私の調べた範囲では確かめられなかった。ただ、立川へ向かう線路の物語と、この渓谷の酒蔵の物語は、一つの名前のところで触れ合っている。
立川へ帰る
御嶽駅のホームは、山の斜面の一段高いところにある。上りの電車が来るまでのあいだ、谷の向こうの山を眺める。
ブリタニカの事典は、御岳山を、夏の林間学校や都民のレジャーでにぎわう山と書いている。ケーブルカーが休んでいた戦争の時代を越え、昭和26年に再び動き出してからは、山は子どもや家族の行き先になった。いま、この山には犬を連れた家族も来て、ケーブルカーの斜めの床に並んで座る。山へ来る人の顔ぶれは変わっても、その多くは、変わらず立川で青梅線に乗り換えてやって来る。
立川は、この山の入口だった。神社は道順を立川から書き起こし、立川から始まった私鉄はこの山の麓を終着駅に選び、その先の線路を敷いた会社は立川の駅前に本社を置いている。そして立川の北と南を流れる水は、この谷を通ってきている。入口のほうが、それを知らなかっただけだ。
東京に、電車とバスとケーブルカーを乗り継げば日帰りで行ける神域があることを、都心に住む人の多くはまだ知らない。週末の朝、立川のホームで青梅行きを待つところから、始めてみてほしい。
青梅で乗り換えた電車が平野に出ると、窓の外がふっと明るくなる。その先に、立川の平らな空が待っている。
寄り道クイズの答え
答えは(A)三日月。武蔵御嶽神社によれば、「おいぬ様」の御札の狼の目に三日月がかたどられているのは、日本三御嶽を「雪月花」にたとえ、武蔵御嶽神社が「月」とされたからだ。木曽の御嶽神社が「雪」、甲府の金峰山の金櫻神社が「花」にあたるという。
訪ねる前に
- 行き方: JR立川駅から青梅線で青梅駅まで約30分、青梅で奥多摩行きに乗り換えて御嶽駅まで約20分(武蔵御嶽神社の交通案内による)。御嶽駅から西東京バスで約10分の「ケーブル下」で降り、滝本駅からケーブルカーで約6分、御岳山駅から神社まで徒歩約25分。青梅から先は本数が少ないので、時刻表を先に確かめてほしい: https://musashimitakejinja.jp/information/access/
- 都心・神奈川から: 神社の案内のとおり、まず中央線か南武線で立川へ。新宿からはJR中央線快速で30分台、川崎からはJR南武線で乗り換えなしの約1時間。
- ケーブルカーの時刻と運賃(2026年10月1日に運賃改定)は御岳登山鉄道の公式で: https://www.mitaketozan.co.jp/timetable.html 。車で行く場合、カーナビには「御岳山」ではなく御岳登山鉄道の滝本駅を入れるよう、神社と鉄道会社の両方が注意している。
- 武蔵御嶽神社: 青梅市御岳山176番地。宝物殿の拝観は土曜・日曜・祝祭日(神社の案内による): https://musashimitakejinja.jp/
- 宿坊に泊まるなら: 御岳山には20を超える宿坊がある。宿泊先は、みたけ山観光協会の案内から探せる(御岳登山鉄道の宿泊の頁より): https://www.mitaketozan.co.jp/ti_hotel.html
- 御岳渓谷遊歩道: 御嶽駅を中心に多摩川の両岸約4キロ。玉堂美術館、小澤酒造をめぐれる(青梅市観光協会による): https://www.omekanko.gr.jp/spot/80401/
- 玉堂美術館: 御嶽駅から徒歩約3分。展示替えは年7回。開館日と入館料は公式で: https://www.sawanoi-sake.com/service/gyokudo/
- 組み合わせるなら: 青梅駅で途中下車して、昭和レトロの街並みと青梅鉄道公園を歩く(特集の別の記事で書いた)。立川に戻ったら、同じ水がたどり着く根川と多摩川の河原、玉川上水の緑道を歩くと、川の上流と下流がつながる。
帰り道に、立川駅北口で
御岳山の330段の階段と、渓谷の岩場を歩いてきた脚は、帰りの電車に座ったとたん、正直に重さを訴えはじめる。山の一日は、平地の散歩とは使う筋肉が違う。
立川駅に戻ったら、北口から徒歩1分のところにオンザショア立川店がある。住所は立川市曙町2-14-10、エトロワビル3階。溶岩プレートを敷いたスタジオで行うホットヨガのスタジオで、常温のヨガやピラティスのほか、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングもある。ヨガだけで25種類以上のレッスンがそろう。
営業は8時から23時30分まで、年中無休で曜日による違いはない。山で一日を過ごし、夕方の電車で立川に戻っても間に合う。
はじめての人のためのヨガの体験レッスンは税込1,980円。60分のレッスンに、バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれている。登山の荷物とは別に、着替えだけ持っていけばよい。
妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できないが、常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。
料金の詳細は https://ontheshore.jp/price/ 、店の案内は https://ontheshore.jp/ 、体験の予約は https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp から確かめられる。
山の神社が道順を書き起こした駅の、北口の階段を上る。山の入口は、一日の出口でもある。
冒頭の写真: 御岳渓谷の秋。紅葉した木々のあいだを、多摩川の青い流れが下っていく。(写真: Guilhem Vellut from Annecy, France / CC BY 2.0 / Wikimedia Commons)
この記事の情報は2026年10月時点のものです。
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