国立散歩 「国立」の立は立川の立──大学通り、一橋大学、谷保天満宮を立川から歩く

昭和の国立──スカラ座の行列と、国高フィーバー

国立市の「くにたちの歴史」の頁には、昭和の街の手ざわりが、短い文章でいくつか書き留められている。

戦争中の疎開と、戦後の住宅の復興で、谷保村の人口はうなぎのぼりに増えた。昭和40年(1965)、8千人規模が入居する公団の富士見台団地が完成し、人口は一気に5万人を超えた。そして昭和42年(1967)1月1日、国立市が生まれた。

市は、昭和の国立の思い出として、二つの光景を挙げている。ひとつは映画館だ。旭通り沿いに、市内で唯一の映画館「国立スカラ座」があり、毎日1千人を超す映画ファンでにぎわっていた。昭和61年(1986)に閉館している。もうひとつは野球だ。昭和55年(1980)、都立国立高校が、都立高校として初めて甲子園に出場した。市内は「国高フィーバー」一色になったという。

隣の立川にも、映画の街の顔があった。立川市の年表によれば、立川で最初の映画館「立川キネマ」が開いたのは大正14年(1925)。シネマシティの回で書いたように、北口には地元の商店主や市民が出資して開いた劇場があり、昭和26年(1951)からそこで興行を始めた会社が、のちに東京で最初のシネコンをつくった。旭通りの行列に並ぶ人もいれば、一駅乗って立川の劇場へ出る人もいただろう。一駅の距離は、その晩の一本を選ぶ距離でもあった。

あのころ、国立駅の改札を出れば、赤い三角屋根の木造駅舎の扉をくぐって、駅前のロータリーへ出た。旭通りには映画館の行列があり、夏の終わりには、都立の野球部が甲子園へ行くというので、街じゅうが浮き足立った。いま、中央線は高架になり、駅は新しくなった。三角屋根の駅舎は、平成18年(2006)、中央線の高架化工事のために、80年の駅としての役目を終えて解体された。

ここからが、国立という街の面白いところだ。解体を惜しむ声を受けて、市は部材を保管し、ほぼ元の場所に、創建当時の姿で建て直した。令和2年(2020)4月、旧国立駅舎は、駅ではなく「まちの魅力を発信する拠点」として帰ってきた。白壁、左右非対称の赤い三角屋根、アーチ型の屋根窓。中に入ると、大正のころの雰囲気のままの改札口や切符売り場の窓口が再現されている。市がつけた活用のキャッチフレーズは「三角屋根で“まちあわせ”」。昔の駅の役目だった「待ち合わせ」と、街と出会う「街会わせ」を掛けたものだという。昭和の国立を知る人は、この屋根の下で昔の待ち合わせを思い出す。知らない若い人は、ここで初めて、大正の駅に出会う。

いちど壊した駅を、同じ場所に建て直す。かつて文教地区を選んだ町らしい、手間のかかる選び方だと思う。

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谷保天満宮──東日本最古の天満宮と「野暮天」の語源

大学通りを南へまっすぐ歩くと、南武線の谷保駅に着く。そこから天満宮までは、公式の案内で徒歩3分。立川から来るなら、南武線に乗れば、国立市の案内で谷保駅まで約6分だ。

甲州街道側から見た谷保天満宮の入口。鳥居の奥に鎮守の森が茂る。
甲州街道側から見た谷保天満宮の入口。鳥居の奥に鎮守の森が茂る。
写真: Suikotei / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons

谷保天満宮の由緒は、平安時代にさかのぼる。天満宮の公式サイトによれば、昌泰4年(901)、菅原道真が筑紫の太宰府に左遷されたとき、三男の道武は、武蔵国多摩郡分倍庄栗原郷、いまの国立市谷保に流された。延喜3年(903)、父の死の知らせを受けた道武は、父をしのんでその姿を刻んでまつった。それが谷保天満宮の始まりだという。明治18年(1885)に府社となり、東日本で最も古い天満宮として、湯島天神、亀戸天神と並ぶ関東三天神のひとつとされた。

境内に入って、まず驚くのは、参道が下っていることだ。天満宮の公式サイトによれば、17世紀ごろまでの甲州街道は、谷保のあたりでは立川段丘の下を通っていた。そのため社殿は街道に面して南向きに建てられた。街道が段丘の上を通るようになると人の流れが変わり、参拝者はいまの甲州街道や谷保駅の側から、鎮守の森を抜けて社殿へ下っていくようになった。上ってお参りするのが普通の神社で、ここは下ってお参りする。街道の引っ越しに、天神さまは付き合わなかったのである。

宝物も古い。国立市の文化財の頁によれば、「天満宮」と書かれた木造の扁額は、鎌倉時代の建治元年(1275)のもので、国の重要文化財。書いたのは、能書家として名高い世尊寺家の藤原経朝だ。本殿に置かれていた木造の獅子狛犬も、13世紀後半の作と考えられる重要文化財で、ひげは銅線を植えて表していた痕跡が残る。鎌倉時代の狛犬が、針金のひげを生やしていた。想像すると、少し愛嬌がある。天満宮によれば、元禄3年(1690)には水戸徳川家から「天満宮」の扁額も奉納されている。

さて、谷保天満宮といえば、もうひとつの名物がある。「野暮天」の語源説だ。江戸の狂歌師、大田南畝が「神ならば出雲の国に行くべきに目白で開帳やぼのてんじん」と詠み、そこから「野暮天」の言葉が生まれた、という逸話である。谷保の天神さまが、出張先の目白で開帳したのを、粋でないとからかった歌だ。

ところが、この話には落とし穴がある。精選版日本国語大辞典は「野暮天」の初出の例として、元禄元年(1688)の浮世草子『好色通変歌占』の「やほてんみるより」という一節を挙げている。大田南畝が生まれたのは寛延2年(1749)。南畝が生まれる60年前に、すでに「やほてん」という言葉はあったことになる。百科事典も、南畝の逸話は後世の付会と考えられる、と書いている。語源の名所が、辞書をひくと語源ではなくなる。ずいぶん野暮な結末だが、それでもこの社が「やぼ」の天神として江戸の人に親しまれていたことは、狂歌が残っていること自体が物語っている。

ついでに読み方の話もしておく。天満宮の公式サイトのアドレスは「yabotenmangu」で、天満宮は「やぼ」と名乗る。一方、南武線の駅は「やほ」と読む。百科事典によれば、南武鉄道が谷保駅を開いたときに「やほ」としたため、地名までそう読まれるようになったが、本来の読み方は「やぼ」だという。駅で「やほ」と聞いて、境内で「やぼ」と読む。一字の濁点を探しに来るのも、谷保の歩き方のひとつだ。

そして、立川との縁が、思わぬところから現れる。

天満宮は「交通安全祈願発祥の地」を名乗っている。由来は明治41年(1908)8月1日の出来事だ。くるまのニュースの記事によれば、皇族の有栖川宮威仁親王の呼びかけで、日本初の「遠乗会」、いまでいうドライブツアーが開かれた。11台ほどの車が日比谷公園に集まり、親王のダラック号を先頭に、国産初のガソリン車とされるタクリー号などが列をつくった。走るルートは、日比谷公園を出て甲州街道を西へ走り、「道の果て」だった立川で引き返し、谷保天満宮に立ち寄って帰る道筋だった。当時の甲州街道には多摩川に架かる橋がなく、立川が道の果てという位置づけだったという。百科事典にも、甲州街道を立川までの遠乗会と書かれている。

一行は谷保天満宮の梅林で昼食をとった。境内には「有栖川宮威仁親王殿下記念碑」が建ち、天満宮は、わが国初のガソリン自動車の遠乗会を記念して旧車祭を開いている。2025年12月14日の「117周年記念 谷保天満宮旧車祭」には、戦前のモデルから昭和のクラシックカー、スーパーカーまで190台が集まったと、天満宮は伝えている。

ここで立川の年表を開くと、話がつながる。立川市によれば、日野橋が開通したのは大正15年(1926)だ。明治41年、立川はまさに甲州街道の行き止まりで、日本最初のドライブの一行は、立川の川べりでUターンしたことになる。日本の自動車旅行は、立川で折り返すところから始まったのである。そう書くと、少し大げさに聞こえるだろうか。大げさだが、嘘ではない。

谷保天満宮の縁は、西にも延びている。昭島市の拝島天神社は、文禄年間(1592〜1596)に谷保天満宮から分霊してまつったと伝えられる。立川をはさんで、東の谷保と西の拝島に、天神さまの親子がいる。2027年、令和9年は道真の没後1125年にあたり、天満宮は25年に一度の式年大祭を予定している。神幸祭の行列は、天満宮を出て国立駅前を回り、大学通りを通って戻ってくる道筋が案内されている。谷保の天神さまが、自分の地名を譲った新しい街を一周する。その光景は、一度見てみたい。

ハケの下の国立──湧水と田んぼと、4本の石棒

天満宮の裏手から南へ下ると、国立のもうひとつの顔が現れる。

国立市は、自分の街の魅力を「二つの顔」と書く。ひとつは大学通り。もうひとつは南部の田園地帯だ。そこには「ハケ」と呼ばれる段丘の崖が連なり、ハケの下には湧き水が流れ、その周りの自然が四季折々に美しい。大学通りとはまったく違う国立が、そこにある、と。市によれば、土地は北の立川段丘から、南へ青柳段丘、水田地帯の3つに分かれる。天満宮が下り宮になったのも、この段差のせいだった。

天満宮の境内の南側には、弁天池が広がる。天満宮によれば、古くから湧き水に恵まれた一帯で、谷保の自然を象徴する場所だ。池の周りは初夏にあじさいが咲く。

崖の下の土地からは、思いがけないものが出てきた。国立市によれば、平成24年(2012)の発掘調査で、青柳の緑川東遺跡から、縄文時代の大形の石棒が4本見つかった。長いもので112.5センチ、重いもので30.8キロ。約4000年前、縄文時代中期の末から後期の初めのもので、ほぼ完全な形の4本が、中央に空間をはさんで2本ずつ向かい合うように並べて置かれていた。石棒は土偶と並ぶ縄文の祭りの道具だが、ふつうは焼けていたり壊れていたりして、どう埋められたのかがよく分からない。ほぼ完全な形で4本も並んで出た例は、国内で初めてだった。平成29年(2017)に国の重要文化財となり、国立市が所有する文化財として初めての重要文化財になった。平成30年には東京国立博物館の特別展「縄文―1万年の美の鼓動」にも出品された。

市の解説は、少しおもしろい一文で終わっている。緑川東遺跡は類を見ない出土状況だったため、考古学者のあいだでは物議をかもしており、さらなる調査が期待される、と。4000年前の国立の人々は、4本の石の棒を前に、いったい何を祈ったのか。答えはまだ出ていない。石棒はいま、くにたち郷土文化館で常設展示されている。

同じ南部には、矢川のほとりに滝乃川学園がある。市によれば、日本で最初の知的障害児・者のための施設で、昭和3年(1928)に竣工した本館は、現存する国内最古の障害児教育施設だという。創立者の妻、石井筆子が愛用した「天使のピアノ」は、日本に現存する最古のアップライトピアノとされる。城山の近くには、江戸時代から使われていた農家の母屋を復元した茅ぶき屋根の古民家もある。

駅から大学通りを下ってきた人は、ここで気づく。国立の歴史は、新しい北の街ではなく、崖の下の谷保から始まっていた。湧き水があり、田んぼがあり、天神さまがいて、4000年前の人が石の棒を並べた。大正の終わりに北の山林へやってきた学園都市は、その長い歴史の、いちばん新しい一ページにすぎない。

そして、そのページの見出しに書かれた街の名には、隣の立川の一字が入っている。

都心から中央線で来る人は、国立で降りて大学通りを南へ歩き、谷保から南武線に乗ればいい。川崎の側から南武線で来る人は、その逆をたどればいい。どちらから来ても、一筆書きの終わりには立川の駅がある。週末の半日で歩ける、名前の貸し借りをたどる散歩だ。

寄り道クイズの答え

答えは(A)ペリカン。国立市の旧国立駅舎の頁によれば、開発の当初、駅前広場の中央の円形公園に水禽舎が置かれ、ペリカンが飼われるなど、人が集まる場所として計画されていた。

訪ねる前に

  • 立川からの行き方: JR中央線で立川の隣が国立駅(上り方面)。南武線なら、国立市の案内で立川駅から矢川駅まで約4分、谷保駅まで約6分。大学通りを国立駅から谷保駅まで南へ歩き、南武線で立川へ戻れば、一筆書きの散歩になる。
  • 都心・神奈川から: 新宿から立川まではJR中央線快速で30分台(国立はその一つ手前)。川崎からはJR南武線で乗り換えなしの約1時間で立川に着き、谷保駅もその途中にある。
  • 大学通りと一橋大学: 国立駅南口からすぐ。一橋大学の構内は守衛所で手続きのうえ入れるが、兼松講堂など建物には原則として関係者以外は入れない。入試などで入構が制限される日もある(国立市の文化財の案内による)。
  • 旧国立駅舎: 国立駅南口の前。開館時間や催しは特設サイトで確かめてほしい: https://www.city.kunitachi.tokyo.jp/kyukunitachiekisha_specialsite/index.html
  • 谷保天満宮: 国立市谷保5208。JR南武線谷保駅から徒歩3分。国立駅からはバスで約10分、「谷保天神」下車(公式の案内による)。参拝時間は公式で確かめてほしい: https://www.yabotenmangu.or.jp/ 。梅まつりは例年2月、例大祭は9月25日に近い土日。
  • くにたち郷土文化館(緑川東遺跡の石棒を常設展示): 国立市谷保6231。JR南武線矢川駅から南へ徒歩10分。開館時間・休館日は市の案内で: https://www.city.kunitachi.tokyo.jp/bunka/bunkazai/9918.html
  • 組み合わせるなら: 国立の名を持つ国立音楽大学の楽器学資料館は、いまは立川市柏町にある(立川の文化施設の記事で歩いた場所)。谷保天満宮の分霊をまつる昭島の拝島天神社まで足を延ばせば、立川をはさんだ天神さまの東西がそろう。
  • 国立市の観光・まちの紹介: https://www.city.kunitachi.tokyo.jp/bunka/kanko/1/index.html

一駅戻って、立川駅の北口で

大学通りを端から端まで歩き、天満宮の石段を下り、ハケの下の湧き水をのぞく。歩いた距離は、地図で見る以上に脚にこたえる。南武線で立川へ戻れば、6分ほどで駅に着く。

立川駅の北口から徒歩1分、立川市曙町2-14-10のエトロワビル3階に、オンザショア立川店がある。溶岩プレートを敷いたスタジオで行うホットヨガのスタジオだ。常温のヨガやピラティス、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングもあり、ヨガだけで25種類以上のレッスンがある。

営業は8時から23時30分まで、年中無休で、曜日による違いはない。朝の大学通りを歩いても、夕方に天満宮の梅を見ても、帰りに寄る時間はある。

ヨガの体験レッスンは税込1,980円。60分のレッスンに、バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれる。散歩の帰りに、身ひとつで寄れる。

妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できないが、常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。

料金は https://ontheshore.jp/price/ 、店の案内は https://ontheshore.jp/ 、体験の予約は https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp で確かめられる。

明治の自動車の一行が引き返した「道の果て」の街で、今度は自分の体のほうを、ゆっくり折り返す。

冒頭の写真: 国立駅前から南へ延びる大学通り。両側に満開の桜並木が続く。(写真: 江戸村のとくぞう / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons)

この記事の情報は2026年10月時点のものです。

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