福生の酒蔵散歩 石川酒造と田村酒造場、多摩川のそばで川の水を使わない二つの蔵

樹齢400年か700年か、石川家の大欅と国登録の蔵

石川酒造の敷地を歩くと、まず目に入るのは、空を覆う大欅だ。蔵の見学案内は、この木を「樹齢700年を経た御神木」と書き、樹高、幹周ともに市内最大級で、平成2年2月22日に「石川家のケヤキ」として福生市の天然記念物に指定された、と書く。ところが同じ見学案内の、少し上の段落では、樹齢400年を超える欅です、と紹介している。

400年と700年。同じ一枚のページの中で、木が300歳ぶん若返ったり、年を取ったりしている。考えてみれば、樹齢というのは、切って年輪を数えないかぎり、正確には分からない。切らずに守ってきたからこそ、年齢が分からないのだ。300年の幅は、その木が大事にされてきた証拠だと思うことにする。

敷地には、ほかにも古い建物が並ぶ。蔵の案内によれば、長屋門は江戸時代の建築で、石川家が造り酒屋を営む前、約250年前からのものと言われている。表札にある「石川彌八郎」という名は、当主が代々襲名して受け継いでいく名前だ。文庫蔵は文久3年(1863)の建築。熟成に使う新蔵は明治30年(1897)。向蔵の1階は、いまビール工房になっている。

ここで、クイズのビールの話に戻る。明治10年代から20年代にかけて、日本各地でビールが造られるようになった。石川酒造は明治20年からビール醸造に携わり、製造法はドイツ式で、年間約300石のラガービールを造った。その時に使ったビール釜が、いまも敷地に残っている。最初の醸造からちょうど100年目の1987年(昭和62年)に建てた「麦酒釜の館」の中だ。明治のビールは、わずかな期間で終わった。百科事典によれば、石川酒造がビールを再び造りはじめたのは、1998年。110年ぶりの再挑戦である。いまは「多摩の恵」と「TOKYO BLUES」という名のビールが、明治13年の土蔵の中で醸されている。

田村酒造場の敷地にも、白い土蔵と高い煙突、長い石垣がある。蔵の酒蔵見学の案内は、敷地内に点在する歴史ある文化財や豊かな自然、そして酒蔵を巡る、と書く。二つの蔵とも、見学には予約や日程の決まりがあり、内容も変わる。行く前に、それぞれの公式で確かめてほしい。

蔵の白壁を出て、川のほうへ下りてみる。昭和の福生には、いまの地図に無い橋と舟があった。

初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。

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昭和の福生、多摩川の渡しと永田橋と砂利

酒の水の話から、少し地上の川へ戻りたい。昭和の福生と多摩川には、いまとはまるで違う風景があった。

福生の多摩川に架かる永田橋。橋の手前に、草の茂る河原と浅い流れが広がる。
福生の多摩川に架かる永田橋。橋の手前に、草の茂る河原と浅い流れが広がる。
写真: W.CC / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons

まず、橋が無かった。福生市観光協会の「福生の橋」によれば、五日市の方から福生へ通じる道は狭く曲がりくねり、昭和27年4月、福生町と多西村が共同で、福生駅前から玉川上水を渡り、新しく多摩川に架ける永田橋に至る道を一直線に新設してほしい、と東京都議会に請願した。昭和32年9月に着工し、多摩川に架ける永田橋(長さ241.5メートル、幅6メートル)と玉川上水に架ける新橋の二つを主な工事として、総工費1億760万円を投じ、昭和36年3月31日に完成した。

その前は、どうしていたのか。百科事典によれば、永田橋は昭和10年代に木橋になったが、1947年9月のカスリーン台風で流された。福生には横田基地があったため、1949年にコンクリートの橋脚に板を渡した、長さ151メートル、幅3.6メートルの仮橋が架けられた。多摩川の渡しの一覧には、「福生の渡し」が昭和36年(1961年)、永田橋の架橋にともなって廃止された、と記されている。昭和の半ばまで、福生の人は舟で多摩川を渡ることもあったのだ。

あのころ/いま

  • あのころ(1949年)、多摩川を渡る永田橋は、幅3.6メートルの板の仮橋だった。いま、架け替えられた永田橋は、百科事典によれば総幅員16.8メートル、両側に3.5メートルずつの歩道がある。あのころの橋の幅は、いまの片側の歩道とほとんど変わらない。
  • あのころ(1955年)、百科事典によれば、東京都には20軒ほどの蔵元があり、特に福生は酒造が盛んだった。いま、東京で伝統を守っている酒造業者は10軒ほどで、そのうち2軒が福生に残る。
  • あのころ(1988年)、百科事典によれば、田村酒造場には岩手の南部杜氏10名が、11月下旬に蔵へ来て酒を造っていた。いま、蔵の公式によれば、田村酒造場の蔵人たちは地元出身で、杜氏は1983年に入蔵し1999年から杜氏を務める人だ。冬に北から来ていた造り手の技が、福生の人の手に渡っている。

もう一つ、昭和の多摩川には、砂利があった。百科事典によれば、明治以降、多摩川はコンクリートの材料となる砂利の大産地になり、戦後も、立川市や調布市のアメリカ軍基地の建設や、高度経済成長の工事のために、砂利の採掘が続いた。青梅線には、昭和2年(1927)に福生駅から多摩川の河岸積込所へ向かう1.8キロほどの貨物の支線が開業している。この支線は昭和34年(1959)に廃止された。福生市教育委員会は2013年に、この線と渡船を調べた『福生の砂利線・渡船』という報告書を出している(百科事典の出典による)。

青梅線そのものも、かつては貨物が主役だった。百科事典は、乗客から「青梅線 ヒトより砂利が 偉く見え」と揶揄された、と書きとめている。人より砂利が偉い路線。昭和の通勤客の、ぼやきの川柳である。

立川の基地を造った砂利の一部が、福生の河原から来ていたのかどうか。そこまでは、私には確かめられなかった。ただ、同じ多摩川の砂利が、同じ青梅線の線路を通って、同じ時代の基地の建設に使われていた。それだけは言える。

そして昭和の終わりに向かうころ、多摩川の河原は、別のものを失いかけていた。

カワラノギクと多摩川の河原の散歩道

カワラノギク、河原野菊。福生市観光協会によれば、かつて多摩川の草花のシンボルだった花で、環境省のレッドデータブックで絶滅危惧種に指定されている。多摩川の流域で1990年頃には約4万5千株が花を咲かせていたが、2002年には60株にまで減ってしまったという。4万5千が60。12年で、ほぼ750分の1である。

その後、研究者やボランティアの人たちが、福生の永田地区にある礫河原の再生実験区で、保全と復元の活動を続けてきた。観光協会によれば、約10万株が花を咲かせるまでになったが、人の手に頼らずに自生するまでには、まだ時間と努力が必要だという。百科事典は、多摩川中流の自生地が2019年の台風19号でほぼ壊滅し、残った数株からの種の飛散や種まきで、群落が小規模ながら再生しつつある、と書いている。福生市の新着情報には、いまもカワラノギク保全のボランティアを募る知らせが載る。花は、一度咲くと枯れる二年草だ。毎年、誰かが河原に立たないと、残らない。

花は10月から11月、薄い紫からピンクの色で、高さ50センチから70センチほどだという。石がごろごろした、時々水をかぶるような砂礫地にしか生えない。多摩川をはじめ、関東と東海の一部の川にしかない花である。

秋に福生の多摩川の河原を歩くなら、この花のことを少しだけ覚えておきたい。永田橋の下流には、福生十景の一つ、柳山公園がある。観光協会によれば、多摩川沿いに欅の大木が広がり、紅葉の秋、木枯らしの冬にも、移り変わりを見せてくれる。川沿いには、多摩川中央公園や多摩川緑地福生南公園といった河原の緑地もある。石川酒造の観光案内によれば、福生南公園には1.5キロのジョギングコースもある。台地の上の街から河原へは、段丘を一段ずつ下りていくことになる。

二つの水の街から、立川へ

福生の酒の水を探して歩いてきて、私が見つけたのは、川の水ではなく、川の下の水だった。田村酒造場は、大欅の根元の井戸から、秩父と奥多摩の山に降った雨がくぐってきた水を汲む。石川酒造は、地下150メートルの古い地層から水を汲む。そのあいだの地面には、玉川上水さえ吸いこんでしまう砂利の層があり、高台の熊川村は、明治まで分水を待たなければならなかった。

一方、立川の砂川村は、上水ができて3年後には分水を引いていた。同じ一本の上水が、福生では村人を待たせ、立川ではすぐに村を潤した。そしていま、福生の酒蔵の脇を流れた上水の水は、昭島を抜けて立川へ向かい、福生の河原を洗った多摩川の水は、立川の南を流れて、日野橋の下をくぐる。

永田橋を渡る道の名前は、百科事典によれば、東京都道29号立川青梅線だという。福生の多摩川の上で、道路の標識は、立川の名前を掲げている。

東京の地酒と聞いてぴんと来ない人ほど、週末に一度、立川で青梅線に乗り換えてみてほしい。200年続く蔵と150年を超える蔵、上水の掘り跡と多摩川の河原が、駅から歩ける範囲に収まっている。

酒蔵の黒い板塀の前で、水の来歴は、地上と地下の両方に分かれていた。立川へ戻る電車の窓から多摩川が見えたら、その下にも、もう一本の水が流れていることを思い出したい。

寄り道クイズの答え

答えは(B)。石川酒造の説明によれば、明治20年からラガービールを年間約300石造ったが、まだ王冠の技術がなく、瓶が破裂しやすいなどの理由で、明治23年に製造装置を売却した。ビールが再び造られるのは1998年、110年後のことだった。

訪ねる前に

  • 立川駅からの行き方: JR青梅線で拝島駅へ。石川酒造の案内では、立川駅から拝島駅まで快速で約12分、拝島駅から石川酒造(福生市熊川1番地)まではタクシーで約8分、徒歩で約20分。田村酒造場(福生市福生626)は、蔵の案内によれば JR青梅線の福生駅から徒歩で約10分(見学の案内では10分から15分程度)。ダイヤは JR東日本の案内で確かめてほしい。
  • 都心・神奈川から: 立川までは、新宿からJR中央線快速で30分台、川崎からはJR南武線で乗り換えなしの約1時間。立川で青梅線に乗り継ぐ。
  • 見学と営業: 二つの蔵とも、蔵の見学は予約制や開催日の決まりがあり、内容や料金も変わる。直売店や飲食の営業日も施設ごとに違う。必ず公式で確かめること。石川酒造 https://www.tamajiman.co.jp/ / 田村酒造場 https://www.tamurashuzojo.com/
  • 酒蔵での試飲は、20歳になってから。車や自転車で来た人は飲めない。
  • 歩き方の組み合わせ: 石川酒造の近くには、福生十景の南稲荷神社(市の天然記念物の大欅と赤い鳥居)がある。同じ熊川には、平安時代からと伝わる熊川神社もある。玉川上水の水喰土の掘り跡は、みずくらいど公園で見られる。多摩川の河原へ下りれば、永田橋や柳山公園、福生南公園。基地と国道16号の風景は、この特集の「福生の横田基地と国道16号」の回で歩いた。
  • 福生の見どころの全体: 福生市観光協会 https://www.fussakanko.jp/

酒蔵の街から戻ったら、立川駅北口で

酒蔵の敷地を巡り、上水の掘り跡を見て、河原まで坂を下りる。戻りは上り坂になる。福生の段丘は、行きより帰りのほうが、少しだけ高い。

立川駅の北口から徒歩1分、立川市曙町2-14-10のエトロワビル3階に、オンザショア立川店がある。溶岩プレートを敷いたスタジオで行うホットヨガのスタジオだ。常温のヨガやピラティス、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングもあり、ヨガだけで25種類以上のレッスンがある。

営業は8時から23時30分まで、年中無休で、曜日による違いはない。午前に福生を歩いて戻っても、夕方に戻っても、寄る時間はある。

ヨガの体験レッスンは税込1,980円。60分のレッスンに、バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれる。手ぶらで寄れる。ただし、蔵で試飲をした日は、体を温めるのは別の日にしたほうがいい。

妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できないが、常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。

料金は https://ontheshore.jp/price/ 、店の案内は https://ontheshore.jp/ 、体験の予約は https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp で確かめられる。

地下150メートルの水を汲む街から、地上3階のスタジオへ。水の来歴をたどった一日は、立川の階段を上って終わる。

冒頭の写真: 福生の田村酒造場。黒い板塀と白壁の土蔵が続き、奥に高い煙突が立っている。(写真: W.CC / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons)

この記事の情報は2026年10月時点のものです。

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