
車寄せの大木と、残された解体の痕跡
子ども未来センターの前には、芝生の広場がある。日建連の事例集によれば、設計者たちはこの広場と旧庁舎とのあいだに、ゲート状の大きな庇を差しこみ、広場に面した建具を更新して、内と外を一体で使える縁側のようなデッキをつくった。イベントのときには、内側の活動が半ば屋外へあふれ出し、市場のような賑わいが生まれることを狙ったという。
広場には、市役所の時代に車寄せにあった大木が、新しい施設の象徴として残され、木陰を落としている。役所に着く車を迎えていた場所の木が、いまは芝生で寝転ぶ親子に陰をつくっている。木のほうは、たぶん、どちらでもかまわないのだろう。
広場はデッキを舞台に見立てて、観客席のようなゆるい勾配に整えられた。新しい庇を建てるときに出た土を盛り土に使い、外へ運び出す土をゼロにするための工夫だったと、設計者は書いている。掘った土を、その場で客席にする。町内会の運動会の会場づくりのような手堅さだ。私はこういう話にめっぽう弱い。
建物の中では、屋上から1階までの床を抜いて吹き抜けがつくられた。そして、解体の痕跡は隠さず、建物が抱える時間の存在として、そのまま残したという。その残し方をデザインすることで、均質ではない、ひだのある空間ができたと、設計者は書いている。新品のように塗りこめるのではなく、市役所だった時間の傷を、見える場所に置いておく。漫画の館の背後には、そういう建築の考えがある。
建物ができる前から、使う人も呼ばれていた。日建連の事例集によれば、建築というハードと、まんがぱーくを中心にした賑わいのソフトを一緒に提案し、さらに完成前から市民団体とワークショップを重ねて、市民活動が積極的に加わるよう促したという。建物を直す人と、中で遊ぶ人と、そこで活動する人を、同じ机に着かせた。
広場では、立川まんがぱーくの主催する「まんがぱーく大市」が開かれてきた。公式サイトによれば、2026年11月1日の回で第117回を数える。2013年の第1回からの通し番号だ。内容はフリーマーケット、立川産野菜の販売、絵本やまんがの古本の販売、大道芸。なぜか、オレンジの販売まである。漫画とオレンジの関係について、公式サイトは何も説明しない。説明がないので、かえって行ってみたくなる。公式サイトに残る過去の回の一覧を数えると、2013年に第1回から第9回、2014年には第10回から第23回までが開かれている。ひと月に1回を超える勢いだ。2015年から2017年は、毎年12回ずつ。広場の市は、いつのまにか町の暦の一部になった。立川産の野菜を並べる農家、古本を広げる人、芸を見せる人。旧市役所の前の芝生は、月に一度、地元の小さな商いの縁側になる。
国の資料によれば、子ども未来センター全体の年間来場者数は、ピーク時で70万人に達した。市民活動団体のプログラムは年400回以上、子育て世代を対象にしたイベントは年150回以上開かれている。市民100人委員会が心配した南口の賑わいは、少なくとも錦町のこの一角では、建物ごとかたちを変えて戻ってきた。
では、なぜその賑わいの核が、ほかの何でもなく漫画だったのか。事業者が、自分の言葉で答えを書き残している。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
なぜ旧市役所は漫画の館になったのか
立川まんがぱーくの公式サイトには、「歴史と成り立ち」という頁がある。運営する会社は、そこで、このプランを提案した理由はいくつかあるが、最大の理由は立川という場所にある、と書いている。
中央線の沿線は、まんが、アニメ、フィギュアなどのサブカルチャーに懐の深い土地柄で、数々のまんがやアニメの舞台になり、「聖地」として訪れる人も多い。サブカルチャーに理解があり、その文化的な価値を尊重するこの土地なら、まんがを地域振興や観光に重ねて、互いに高めていけるのではないか。会社はそう考えたという。
その例として最初に挙がっているのが、中村光の「聖☆おにいさん」だ。映画の作品紹介によれば、ブッダとイエスが東京・立川のアパートで共同生活を送るという物語である。テレビ東京の番組「アド街ック天国」は、立川を、秋葉原に続くサブカルの聖地として進化している街と紹介し、ブッダとイエスがバカンスを楽しむ物語の舞台も立川だと伝えた。世界の二大宗教の開祖が休暇先に選ぶ街。観光協会のキャッチコピーとしては、これ以上強いものはなかなか思いつかない。
公式サイトの周辺案内には、その「聖☆おにいさん」の作中にも出てくる錦第二公園、通称オニ公園が紹介されている。オニの正体はすべり台で、注記には「傾斜強め」とある。施設の公式サイトが、近所のすべり台の傾斜にまで気を配っている。昭和の南口の子どもたちが、諏訪公園の長いすべり台を自慢にしていたことを思えば、すべり台の傾きにこだわるのは、この界隈の伝統なのかもしれない。
謎の答えを、ここでまとめておこう。
半分は、仕組みの答えだ。市は旧庁舎のうち、壊すものと残すものを分け、残した第2庁舎について、自分たちが決めることを「広場」と「子育て支援」という最低限にとどめた。残りの空間は、民間の自由な提案に委ねた。漫画の館は、市が考えついたものではない。市が考えつかないものが入ってこられるように、市が扉を開けておいたのだ。しかも事業者は、その部分を自分の負担で整え、自分の稼ぎで回すと約束した。役所が漫画を選んだのではなく、役所が選ばなかった余白を、漫画が選んだ。
もう半分は、場所の答えだ。事業者が最大の理由に挙げたのは、立川という土地だった。中央線の懐の深さ。作品の舞台になる街。そして、提案したグループの中には、戦後まもなく駅の北口の玩具店から始まった会社がいた。漫画とおもちゃの記憶を、もともとこの町は持っていた。
通り過ぎる街だと思っていた私は、ここで考えを改めなければならない。国の資料は、この館を「立川市を代表する観光スポット」と書き、旧庁舎の再生そのものを、国土交通省のスモールコンセッションプラットフォームが全国各地の事例の一つとして紹介している。古い役所を壊さずに漫画の館へ変えたやり方が、国の手本帳に載っているのだ。漫画の街を探しに、遠くへ出かける必要はなかった。それは、市役所の跡にあった。
それでも、なぜ畳なのか、なぜ押入れなのかという問いには、資料はまっすぐには答えない。公式サイトは古民家をイメージしたと書くだけだ。ここから先は、旅人の勝手な読みになる。市役所は、市民が靴のまま、番号札を持って、少し緊張して入る場所だった。その同じ建物で、今度は靴を脱がせ、寝転がらせ、押入れにまで入れてしまう。役所の記憶がいちばん濃い建物だからこそ、いちばんくつろいだ姿勢で使い直す。その反転こそが、立川まんがぱーくの本当の見どころなのだと私は思う。残りの半分は、押入れの中で、それぞれが考えればいい。
館を出て、ロッカーから靴を取り出す。畳に座りこんでいたせいで、膝の裏と腰が少しこわばっている。漫画に夢中のあいだ、体のことはすっかり忘れていた。
新宿から中央線で一本、川崎からなら南武線で一本。雨の土曜日に、靴を脱ぎに来る価値のある市役所が、東京の西にひとつある。
寄り道クイズの答え
答えはB、靴を入れるコインロッカーである。公式サイトによれば、靴箱ロッカーの代金が入館料になり、ロッカーには100円玉しか使えない。入館料は現金だけで、クレジットカードや交通系のカードは使えない。館内には両替機があるが、100円玉を用意しておくと入館がなめらかだ。

訪ねる前に
- 所在地: 東京都立川市錦町3丁目2番26号、立川市子ども未来センター2階(公式サイトによる)
- 道順: JR立川駅の南口から徒歩13分、多摩モノレールの立川南駅から徒歩12分、JR南武線の西国立駅から徒歩7分。いちばん近いのは西国立駅から
- 遠くから: 新宿からはJR中央線快速で立川まで乗り換えなし(30分台)。神奈川からは、川崎からJR南武線で乗り換えなし(立川まで約1時間)。南武線なら、ひとつ手前の西国立で降りると館にいちばん近い
- 開館時間(2026年10月時点の公式サイトの表示): 月曜から土曜は10時から18時。日曜と祝日は10時から13時30分と14時30分から18時の2部入替制で、整理券をひとり1枚ずつ配る。入館は閉館の1時間前まで。休館日はなく、メンテナンスなどで休むときは事前に告知される
- 所要時間の目安: 公式に決まった目安はないが、日曜・祝日は1部が3時間30分、2部が3時間30分の枠になる。平日なら開館から閉館まで最長8時間いられる
- 料金と支払い: 入館料は公式サイトで確かめてほしい。支払いは現金のみで、靴を入れるロッカーに100円玉を入れる方式。両替機あり。子ども未来センターにATMはない
- 館内: 蔵書の貸し出しはない。飲食物の持ち込みは可能だが、酒類は不可。併設のカフェがある。個人的な写真撮影はできるが、ほかの客が写りこまないように、と公式サイトは呼びかけている
- 子連れ: 絵本コーナー、母子優先トイレ、授乳室とおむつ替えの台がある。託児はないが、子ども未来センターの1階に市民向けの一時預かりの部屋がある
- 車: 提携の有料駐車場あり(利用者の割引は公式で確認を)
- 立川まんがぱーく 公式サイト: https://mangapark.jp/ (開館時間・入館料・イベントの最新は公式で)
- 近くと組み合わせる: 南口から歩けば、柴崎町の諏訪神社が近い(特集の「普済寺と諏訪神社」の回で歩いた)。「聖☆おにいさん」に出てくる錦第二公園(オニ公園)は立川市錦町1丁目5番13号。春や秋の「まんがぱーく大市」の日は、芝生の広場で古本や立川産の野菜が並ぶ(次回の日程は公式サイトで)
押入れを出たら、立川駅北口で
漫画を読む姿勢というのは、たいてい体に優しくない。畳にあぐらをかき、押入れで背中を丸め、気づけば同じ姿勢のまま2時間がたっている。館を出て南口から駅を抜け、北口へ回ると、歩いて1分のところにオンザショア立川店がある。東京都立川市曙町2-14-10、エトロワビルの3階だ。
溶岩のプレートを敷いたスタジオで行うホットヨガのスタジオで、ほかに常温のヨガ、ピラティス、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングがある。ヨガだけで25種類以上のレッスンがある。
営業時間は8時から23時30分まで、年中無休で、どの曜日も同じだ。まんがぱーくが閉まる18時のあとでも、まだ十分に時間がある。
初めての人向けに、税込1,980円のヨガの体験レッスンがある。60分のレッスンに、バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれる。身ひとつで寄れる。
妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できないが、常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。
- オンザショア: https://ontheshore.jp/
- 料金: https://ontheshore.jp/price/
- 体験の予約: https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp
南口の旧市役所の2階では、今日も誰かが靴を脱ぎ、押入れの奥で、次の頁をめくっている。
冒頭の写真: 多摩モノレール立川南駅と南口の街並みを北側から望む。昭和の南口を知る人は、このあたりに民家が立ち並んでいたと語る。まんがぱーくへはここから歩いて約12分(写真: Araisyohei / CC BY 4.0 / Wikimedia Commons)
この記事の情報は2026年10月時点のものです。
立川さんぽ特集のほかの記事
- 立川の空襲と戦争の記憶 北口の広場は建物疎開の跡だった。山中坂の壕と13回の空襲
- 立川の紅葉・イチョウを歩く 都が選ばなかったケヤキと、市でただ一本の天然記念物
- 立川 基地の町の文化を歩く ユーミンが歌ったゲートと、コーラの瓶を返せという通達
- 立川基地と砂川闘争の歴史を歩く──広がらなかった滑走路と、返された土地の使いみち
- 立川の銭湯と湯の文化 6円が600円になるまで、市内に残る3軒の湯けむり
- 立川防災館と立川広域防災基地を歩く──首都の予備の頭脳は、なぜ立川にあるのか
- 立川の橋めぐり 「無名橋」から二階建ての立日橋まで、橋の名前が覚えている街の来歴
- 立川シネマシティの極上爆音上映──映画館が消えた街に、東京初のシネコンが立つまで
- 立川の文化施設をめぐる──「国立」音大は立川にあり、美術館は信用金庫の1階にある
- 立川をサイクリング──昭和記念公園の14キロと多摩川へ、飛行場が選んだ平らな街を走る
- 立川の踊りと市民の祭り 立川音頭は4つある、そして「立川はフラフラだ」
- 立川ゆかりの人びと 小澤征爾は立川の小学校に通い、彗星の発見者は立川で生まれた
- 立川ゆかりの有名人 ノッポさんは立川の高校を出て、「ダバダ〜」の作曲家は立川基地で弾いた
- 立川 ファーレ立川アートの見どころと回り方──世界の巨匠が、駅前で車を止めている
- 立川の農業と直売所を歩く 23区の畑の半分を超える町で、一番広く育つのは木だった
- 立川で始まった「日本初」 世界初の量産電気自動車、全国初の女性議長、サザエさん裁判
- 立川の民話と伝説を歩く 残堀川は大蛇の血の跡と伝わり、送り狼には「ごくろうさま」を
- 立川・普済寺と諏訪神社を歩く 国宝の石と千二百年の社、立川という名が生まれた村
- 立川で働く・生まれる仕事の今と未来──昼の人口が夜より2万人多く、開業率は多摩26市で一番の街
- 立川の新しい文化と公演のこれから──バレエの国際予選も「学園都市」の祭りも駅から歩ける
- 立川の緑と環境のこれから CO2を6割減らす街の足湯と、消えては現れる緑
- 立川と外国人観光の今と未来──東京を訪ねた旅人の2.3%だけが知る街へ、羽田からバス1本
- 立川の人口と子育てのこれから 外れた予言より4万人多い未来と、2028年の峠
- 多摩モノレール延伸はいつ? 箱根ケ崎まで7駅、町田へ16km──立川が多摩の背骨の真ん中になる日
- 立川と首都直下地震のこれから──465億円の新しい防災拠点と、競輪場が避難所になる日
- 立川・昭和記念公園のこれから レインボープール跡地に、なぜ誰も手を挙げなかったのか
- 立川駅周辺の再開発とこれから 「ベッドタウンにしない」と決めた駅前の、デッキとグリーン車の未来
- 立川・立飛とGREEN SPRINGSの次の十年 市の25分の1を持つ会社と予測を超えた街
- 立川 GREEN SPRINGSの見どころ 一等地にヤギがいて、屋上に多摩川が流れる
- 立川観光と散歩の総合案内──国宝も南極の氷も砂浜もある、空の都の歩き方
- 立川の地形と坂を歩く 平らな街は、なぜ北から南へ50メートルあまり傾いているのか
- 立川の歴史を歩く(出典つき年表) 畑と桑の村は、なぜ百年で多摩の中心になったのか
- 立川飛行場と神風号 午前2時にロンドンへ発ち、羽田へ帰った国産機と空の都
- 立川は神奈川県だった 明治26年の三多摩東京移管と、賛成の砂川・反対の立川村長
- 立川競輪場(立川けいりん)を歩く──グランプリ発祥のバンクが、街の図書館と学校を建てた
- 立川の子どもの昭和史 駄菓子屋「デモ屋」と、基地のクリスマスに配られた3.5トンの飴
- 立川の航空神社と、羽田より先の「東京飛行場」──空に祈った社はなぜ駐車場の片隅に
- 立川・昭和記念公園のこもれびの里と日本庭園──飛行場の跡に、狛江の名主の家が建っている
- 立川の図書館を歩く──たぬきと招き猫と牛のマーク、図書館の無かった市が全国上位になるまで
- 立川のライブハウスと音楽の街 元キャバレーの舞台と、「TM」が多摩だったころ
- 立川の花火大会と祭り 昭和記念公園の五千発は、なぜ打ち上げ場所が秘密なのか
- 昭島散歩 立川から9分、海のない街にアキシマクジラと「島」がある理由
- 福生散歩 横田基地はなぜ横田にないのか、国道16号のアメリカンな街の親は立川飛行場
- 福生の酒蔵散歩 石川酒造と田村酒造場、多摩川のそばで川の水を使わない二つの蔵
- 八王子城跡散歩 立川の武士が仕えた、1日で落ちた山城と日本でただ一つの「桑の都」
- 八王子・高尾山散歩 立川から乗り換えなしで行く「世界一」の山と、首を賭けて守られた森
- 日野散歩 土方歳三と新選組のふるさとへ、立川の岸に「日野の渡し」の碑が立つわけ
- 国分寺散歩 お鷹の道と真姿の池、武蔵国分寺跡を立川から歩く 「はけ」は立川から始まっていた
- 国立散歩 「国立」の立は立川の立──大学通り、一橋大学、谷保天満宮を立川から歩く
- 御岳山散歩 武蔵御嶽神社と御岳渓谷、山の神社は参拝の道順を立川から書き起こす
- 青梅散歩 昭和レトロの街並みと映画看板、青梅線は青梅の人が立川へ引いた線路だった
- 立川・根川緑道から多摩川へ散歩 市名の「川」はどの川か、市も知らない
- 立川・猫返し神社(阿豆佐味天神社)と水天宮──名付け親は宮司ではなくジャズピアニストだった
- 立川の夜景と朝の富士山──冬至の夕日は富士の方角へ沈む、デッキとモノレールの空の時刻表
- 立川の夜を歩く──北口と南口の飲み屋街・横丁の歴史、闇市の広場と10館の映画館
- 立川のラーメンとうどん──ラーメンスクエアと武蔵野の小麦、婚礼のご馳走はうどんだった
- 立川は23区に負けているのか 公園は区部の3倍、富士山は新宿より23キロ近い
- 立川の古い村と史跡を歩く──石碑と井戸ばかり残るのは、村が引っ越し好きだったから
- 立川・オニ公園(錦第二公園)へ子連れで──鬼門を守る赤鬼は方角を45度まちがえたのか
- 立川の公園めぐり 一人あたり都平均の2倍、二百六十の公園と「やり投げの月曜日」
- 立川の町名・地名の由来を歩く 曙町と羽衣町は、なぜ名前を取り替えたのか
- 立川で南極に触れる 入場無料の南極・北極科学館と、飛行場の跡に生まれた研究所街
- 立川 雨の日の過ごし方と時間つぶし──雨が一番多いのは梅雨でなく9月、駅の二階から歩く
- 立川市歴史民俗資料館の見どころ──国宝は複製、蚕は本物。立川の歴史を預かる小さな館
- 立川の桜・花見の名所を歩く 駅前の「玉桜」から根川の土手、基地の引込線まで、百年の花の地図
- 立川の学校と学び舎の街──制服の無い百年校、夜の教室、鐘の鳴る音大、南極を学ぶ大学院
- 立川のロケ地と作品の舞台を歩く──神様も防衛隊員も、なぜ立川へ「休みに」来るのか
- 立川の養蚕と桑畑の歴史 砂川は桑苗の生産で全国一だった、空の都の下に眠る蚕の村
- 立川はなぜ「なんでもある」のか──商業の街の百年、魚屋のスーパーから都内初のIKEAまで
- 立川・昭和記念公園の見どころを歩く イチョウ並木が四角いのは、空のせいだった
- 立川の姉妹都市サンバーナディノと世界──東京で最初の姉妹市と、国際司法裁判所長になった交換高校生
- 立川のお土産と名物──59品の「立川のたいこばん」と、酒蔵のない街にある東京の地酒の本部
- 立川のスポーツ観戦と走る場所──仮設のアリーナから日本一が二度、滑走路から1万人が走る街
- 立川駅の歴史をたどる 村はずれの停車場は、なぜ多摩でいちばんの駅になったのか
- 立川の夏の過ごし方と水遊び レインボープールが眠る公園で、森は30分ごとに霧になる
- 立川・サンサンロードを歩く──車の入れない幅40メートルの道に、冬は60万の灯り
- 立川・立飛の歴史と見どころ 飛ばなくなった会社は、なぜ「飛」の字を手放さないのか
- 立川の歴史と立川氏 街の名を名乗った武士は去り、700年前の古文書だけが帰ってきた
- 立川・多摩モノレールの景色と車窓 立川の隣の駅で、富士に日が沈む
- 立川と多摩川の水害と橋の歴史 汽車は人より37年早く川を渡った、渡し船と堤防の物語
- 立川の玉川上水と砂川を歩く 散歩の見どころと歴史、江戸の水道はなぜ川の下へ潜ったか
- 立川の名物・名産品、東京うど 地下3メートルで白く育つ野菜は、夏を高原で過ごす
- 立川の鉄道さんぽ 200メートル遠回りする「短絡線」と、横田へ燃料を運ぶ列車
- 立川の水道と井戸 蛇口の水はどこから来るのか、街の下に眠る水源井戸をたどる
- 立川はなぜ「東京初」が多いのか IKEAも伊勢丹の支店もシネコンも、西の街から始まった
- 立川の野鳥と生きもの タヌキは下水管で眠り、ホタルは公園に住み、タカの居場所は書かれない
- 立川・矢川緑地と「はけ」を歩く──真冬も15度の小川と、20年減らない湧き水の謎
- 立川の週末さんぽ 横田基地から青梅線で14分、基地の「親」だった街を案内する
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
2



