立川のライブハウスと音楽の街 元キャバレーの舞台と、「TM」が多摩だったころ

TMは「多摩」だった──立川で育った二人と、「立川の空」

冒頭の三人組の話に戻りたい。

百科事典によれば、TM NETWORKの木根尚登は東京都立川市の出身だ。宇都宮隆は熊本県の生まれで、立川市で育った。二人は小学校から高校までの同級生で、付き合いは50年を超えるという。高校は、ともに山梨県上野原市の日本大学明誠高等学校を卒業している。立川から見れば、中央線で西へ、県境を越えた先の学校である。

1983年、二人は小室哲哉とともにグループを結成する。同じ百科事典の項目によれば、メンバーの3人が三多摩に住んでいたことから、小室は名前に「多摩」を入れたがった。木根がふと思いついた言葉から「ネットワーク」という語がひらめき、TAMA NETWORKとしたが、宇都宮が「多摩はカッコ悪くない?」と難色を示した。そこで小室の提案で、TAMAをTMと略すことで落ち着いた。

別の記述では、レコード会社の担当者がこの名前を拒んだ、という小室自身の証言も紹介されている。いずれにせよ、多摩という地名は、二文字の略号の中に隠された。公式には、TMはタイムマシンの略だと説明された。

可笑しいのは、そのあとだ。百科事典によれば、のちに3人は、テレビやラジオで、ユニット名の由来は多摩だったと何度も語っている。その中には、2023年の「立飛グループpresents東京042〜多摩もりあげ宣言〜」というラジオ番組もある。立川の会社が提供する、多摩を盛り上げると宣言した番組で、名前の由来を語る。隠した名前が、何十年もたって、地元の番組で答え合わせされる。いい話である。

木根尚登は、いまも立川とつながっている。百科事典によれば、2024年4月から、立川のコミュニティ放送局FMたちかわで「木根尚登の〜立川の空から〜」という番組を受け持っている。都道府県ごとのご当地ソングをまとめた一覧には、立川の曲として、木根の「立川の空」が挙がっている。全国に「Get Wild」を届けた人が、地元の放送局で、立川の空の話をしている。

TMという二文字は、立川という街の音楽のあり方を、うまく言い当てている気がする。中身は多摩なのに、表には多摩と書かない。けれど、知っている人は知っている。

では、立川という名前が、はっきりと音楽と結びついた夜はなかったのか。あった。それも、6万人規模の夏が。

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6万2200人の夏──昭和記念公園のアルフィー

平成10年(1998)8月16日、立川の国営昭和記念公園で、THE ALFEEの夏の野外コンサート「TOKYO ONE NIGHT DREAM」が開かれた。ライブの記録を集めたサイトにも、CS放送の番組案内にも、その日付と場所が残っている。百科事典のまとめでは、集まった人は6万2200人。

北口のTACHIKAWA STAGE GARDEN。2020年に完成したアリーナ
北口のTACHIKAWA STAGE GARDEN。2020年に完成したアリーナ
写真: Kakidai / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons

前の日の8月15日には、前夜祭として、ALFEEのコピーバンドの決勝大会などの催しが開かれたという。本物の前の晩に、本物をまねるバンドたちが腕を競う。立川の芝生は、二晩続けてアルフィーの曲を聴いたことになる。

この年の公演には、ちょっとした因縁がある。百科事典の記述によれば、前の年の夏の野外公演では、台風による強風で花火などの演出が使えず、1日目に使った銀テープが風にあおられて電線に架かり、付近が停電した。2日目のステージで、メンバーが謝罪したという。その反省から、立川の年には万全の風対策をして臨んだ。ところが、この年はほとんど無風で、酷暑の中の公演になった。

風に備えた年に、風は来なかった。かわりに太陽が来た。天気というものは、いつも一つ前の失敗にだけ律儀に応えてくれない。

昭和記念公園は、米軍立川基地の跡地の一部に、昭和58年(1983)に開いた国営公園だ。かつて米軍の輸送機が離着陸した土地に、6万人がロックを聴きに集まった。滑走路の時代を知る人にとって、その光景はどう見えたのだろう。私には想像するしかない。

いま、立川で数千人規模の音楽を聴くなら、北口のGREEN SPRINGSにあるTACHIKAWA STAGE GARDENがある。2020年にできた、多摩地域で初めての民間が運営するアリーナで、最大で約3,000人を収める。ライブハウスの音響と、ホールの柔軟さを併せ持つ設計だと、百科事典は紹介している。地下の30坪から、屋外の6万人まで。立川の音楽の器は、大きさの幅がずいぶん広い。

大きな舞台の話をしてきたが、立川の音楽でいちばん面白いのは、むしろ舞台の無い場所で鳴る音かもしれない。年に一度、街そのものが舞台になる週末がある。

街じゅうが舞台になる二日間──立川いったい音楽まつりと、横田のジャズ

毎年5月、立川の駅のまわりで「立川いったい音楽まつり」が開かれる。2024年の第13回のボランティア募集要項によれば、会場は市内の12か所、出演団体は約220。音楽はジャンルを問わず、ダンスや舞踊も加わる。第13回が2024年だから、第1回は2012年ということになる。2026年は5月23日と24日に第15回が開かれた。まつりの事務局は、錦町のたましんRISURUホール、つまり立川市市民会館の中に置かれている。ボランティアの活動は両日とも朝8時30分から夕方6時30分まで、昼には弁当が用意される、と募集要項は書いている。街じゅうの舞台を、街の人の手で組み、街の人の手で畳む。音楽まつりの裏側は、ずいぶん体力の要る祭りでもある。名前の由来や、市の年表に残るジャズのライブの話は、祭りと花火を歩いた回に書いた。

ここで書いておきたいのは、この祭りの前に開かれる、もうひとつの演奏会のことだ。

まつりの公式サイトには、毎年、開催前に「Pacific Showcase」を開いている、という一文がある。ある年の開催の御礼には、今年はシティーポップの世界的なヒットの影響だろうか、いつもより多くの日本の曲を取り上げてくれた、とも書かれている。

Pacific Showcaseという名前を、米空軍の音楽隊のサイトで探すと、横田基地を拠点とする米空軍太平洋音楽隊のジャズ・アンサンブルの名として出てくる。紹介によれば、その音楽は初期のニューオーリンズ・ジャズから現代の曲まで、100年の厚みにわたるという。

横田のジャズの楽団が、立川の街の音楽まつりの前に、日本の曲を演奏する。それも、シティーポップを。

ここで、私は少し考えこんでしまった。戦後、立川の基地のクラブでは、日本人のバンドが米兵のためにアメリカの曲を演奏していた。いま、立川の街では、米空軍の楽団が日本人のために日本の曲を演奏している。70年ほどのあいだに、舞台の向きが、ちょうど逆になった。

立川の基地の飛行活動が止まり、空輸の部隊が横田へ移っていった経緯は、福生と横田基地を歩いた回に書いた。けれど、音楽のつながりは、フェンスが無くなったあとも、こうして続いている。横田で暮らすアメリカの人々にとって、立川は、週末に出かける隣の大きな街のひとつだろう。その街の祭りの幕開けを、自分の国の楽団が鳴らしている。悪くない話だと思う。

音楽まつりの当日、駅前の広場や商業施設の店先には、ふだんは客として歩いている人々が、楽器を抱えて立つ。募集要項の言葉を借りれば、音楽はオールジャンル、そこにダンスや舞踊が加わる。観客と演者の境目が、ここでは曖昧になる。数字で書いた「約220団体」という数を思い出してほしい。会場によっては、聴く人より弾く人のほうが多い時間もあるに違いない。それを寂しいと思うか、豊かだと思うか。私は、後者だと思う。

名乗らない音楽の街──立川はなぜ「音楽の街」と言わないのか

冒頭の問いに戻ろう。立川は、なぜ音楽の街を名乗らないのか。

歩いてきた道を振り返ると、答えらしきものが見えてくる。立川の音楽は、いつも誰かの舞台として鳴ってきた。基地の時代には、米兵のための舞台だった。航空自衛隊の音楽隊は、日本の空の部隊の音楽として、立川で65年を過ごした。TM NETWORKは、多摩の名を二文字に縮めて全国へ出ていった。昭和記念公園の6万人は、ALFEEを聴きに来たのであって、立川を聴きに来たわけではない。

立川は、主役を名乗らずに、舞台を貸してきた街なのだ。

それは、基地の街の性分だったのかもしれない。自分の土地の真ん中に、他人の飛行場があった。自分の街の夜を、他人のための店が照らしていた。その時代を通り抜けた街は、自分の名前を大きく掲げるより先に、来た人に舞台を差し出すことを覚えた。

だが、半分だけ答えたところで、私は手を止めたい。残りの半分は、たぶん地下にある。

キャバレーの扇形の舞台は、いまは地元のバンドとディスコ好きの70代のものになった。南口の地下の三軒は、それぞれ20年近く、無名の若い音楽家に舞台を貸し続けてきた。地上の大きな器は時代とともに入れ替わる。けれど、地下の小さな舞台は、看板を掛け替えずにここにある。

あのころ、立川の音楽は、基地のフェンスの内側で、他人のために鳴っていた。いま、立川の音楽は、駅前の地下で、立川の人のために鳴っている。名乗らなくても、音はちゃんとここにある。

寄り道クイズの答え

正解は3の約65年。昭和33年(1958)7月に浜松から立川分屯基地へ移り、令和5年(2023)の春に府中基地の新しい庁舎へ移った。東京オリンピックの演奏も、吹奏楽ポップスの先駆けとなった録音も、立川にいたころの仕事だ。

訪ねる前に

  • ライブハウスの場所: A.A.COMPANY(立川市柴崎町3-10-4 コーラル立川ビル地下1階、JR立川駅南口から徒歩5分)、Heart Beat(立川市錦町2-1-35 地下1階、南口から徒歩3分)、BABEL The Rock Tower(南口から徒歩3分ほど)。どれも南口から歩いて回れる距離にある。公演の予定、料金、開場時間は店ごとに違うので、公式サイトで確かめてほしい。
    • A.A.COMPANY: https://www.livehouse-tachikawa-aacompany.com/
    • Heart Beat: https://live-heartbeat.net/
    • BABEL The Rock Tower: https://babel-rocktower.net/
  • 大きな舞台: TACHIKAWA STAGE GARDENはJR立川駅から徒歩8分、多摩モノレール立川北駅から徒歩7分(立飛ホールディングスの案内による)。公演の予定は主催者の案内で。
  • 音楽まつり: 立川いったい音楽まつりは例年5月。会場と出演の予定は公式サイトで: https://tachikawa-ittai.jimdofree.com/
  • 組み合わせるなら: 昼は国営昭和記念公園を歩き、夕方に南口へ戻って地下の店の扉を開ける。基地の時代の夜をたどるなら、北口と南口の夜の街の来歴を歩いた回、基地の文化をたどった回と合わせて読むと、扇形の舞台の意味がもう少し立体的に見えてくる。
  • 来やすさ: 新宿から中央線の快速で30分台。神奈川からは、川崎から南武線で乗り換えなしに約1時間。終電を気にせず地下で音を浴びて帰れる距離に、立川はある。

地下の音のあとは、立川駅北口で

ライブハウスの地下から地上に出ると、耳の奥にまだ低音が残っている。立って聴いた2時間のあとの体は、思っているより固まっているものだ。

立川駅の北口から徒歩1分、立川市曙町2-14-10のエトロワビル3階に、オンザショア立川店がある。溶岩プレートを敷いたスタジオで行うホットヨガのスタジオだ。常温のヨガやピラティス、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングもあり、ヨガだけで25種類以上のレッスンがある。

営業は8時から23時30分まで、年中無休で、曜日による違いはない。夜の公演の前に体をほぐしてもいいし、週末の音楽まつりの朝に寄ってから街へ出てもいい。

ヨガの体験レッスンは税込1,980円。60分のレッスンに、バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれる。楽器ケースを提げたままでも、身ひとつで寄れる。

妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できないが、常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。

料金は https://ontheshore.jp/price/ 、店の案内は https://ontheshore.jp/ 、体験の予約は https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp で確かめられる。

地下の舞台で鳴った音を、地上の3階で、ゆっくりと呼吸に戻す。この街は、音を鳴らすのも、静めるのも、駅のそばでできる。

冒頭の写真: 立川駅の南口。この駅前の数分の範囲に、地下のライブハウスが三軒ある(写真: Hector Martin / CC BY-SA 2.0 / Wikimedia Commons)

この記事の情報は2026年10月時点のものです。

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