立川の子どもの昭和史 駄菓子屋「デモ屋」と、基地のクリスマスに配られた3.5トンの飴

デパートの屋上と、銀座通りのローラーゲーム

子どもが少し大きくなると、遊び場は駅前へ広がる。

同じ人の連載によれば、昭和の立川の北口には、伊勢丹、高島屋、第一デパート、中武デパート、丸井と、たくさんのデパートが並んでいた。そして、あのころのデパートには、屋上に遊具があるのが普通だった。中武デパートにはコーヒーカップがあり、どこかのデパートの屋上にはゴーカートもあった。屋上へ上がる階段の途中には、ハツカネズミや虫を売る、ペットショップのような売り場があった。もっとも、カブトムシやクワガタのような立派なものではなく、せいぜいバッタくらいだった、と彼は書く。バッタを売るデパート。いまの子どもに話しても、たぶん信じてもらえない。

中武デパートの階段の踊り場には、透明な丸い天井の中にオレンジジュースが噴水のように吹き上がる自動販売機があった。1杯10円。駄菓子屋の粉ジュースと同じような味がした。三角錐の紙コップで出てくるので、一気に飲み干さないと、どこにも置けない。丸井の食堂の窓からは、西側に広がる立川基地が一望できたという。屋上で遊び、食堂から基地を眺める。立川のデパートの上には、ほかの街にはない眺めがあった。

北口の銀座通りは、日曜日になると歩行者天国になった。1972年から1975年まで、東京12チャンネルで「日米対抗ローラーゲーム」という番組が放送され、ローラースケートがはやった。当時のローラースケートは、靴にベルトで留める、伸び縮みするタイプのものだ。毎週日曜、友だちと銀座通りへ「遠征」してローラーゲームをし、飽きると高島屋の地下で焼きそばを食べた、と先の人は書く。中学生になると、150円の大盛りを食べたあと、100円の並をもう一皿食べた。帰り道で友だちに「歯に青のりついてるぜ」と言われた。

焼きそば屋のおじさんの一人には、子どもたちがテレビの登場人物にちなんだあだ名をつけていた。ある日、富士見町の銭湯へ行くと、そのおじさんが湯船につかっていて、「お兄ちゃん、どうもね」と声をかけてきたという。顔を覚えられるほど、通っていたのだ。駄菓子屋のおばさんにも、道で会うと挨拶されたというから、この少年の顔は、なかなか街に知れ渡っていたらしい。

叱られた話もある。普済寺の西側には昔、中央線をまたいで柴崎町から富士見町へ渡れる踏切があり、その下は空洞で、なぜか潜り込めるようになっていた。小学4年生のころ、そこへ入って頭の上を電車が通るのを眺めていたら、上から何やら汚いものが降ってきた。通ったのは特急で、当時の列車のトイレは垂れ流しだったのだ。家で口を滑らせると、こっぴどく叱られ、罰として蔵に閉じ込められた。その日は、楽しみにしていたウルトラマンの放送日だった。ビデオのない時代である。

子どもの遊び場は、川や水路にもあった。『たちかわ物語』の第14号の表紙には、立川市歴史民俗資料館が所蔵する昭和36年(1961)ごろの一枚、「砂川分水で遊ぶこどもたち」が載っている。玉川上水から引かれた水路が、柏町の子どもたちのプールだった。

あのころ、子どもは駄菓子屋の木箱からブロマイドを引き、デパートの屋上でコーヒーカップを回し、水路で水しぶきを上げた。いま、駅前のデパートの屋上に遊具は見当たらない。けれども、子どもの居場所が消えたわけではない。形を変えて、街のあちこちに散らばっている。

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十四年で十一の小学校──子どもがあふれた街

昭和40年代、立川は子どもであふれた。

立川市立第一小学校の正門(2017年撮影)。いまの校舎の入口
立川市立第一小学校の正門(2017年撮影)。いまの校舎の入口
写真: Suikotei / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons

立川市の年表の学校の項を数えてみると、はっきりわかる。昭和40年(1965)に第十小学校、41年にけやき台小学校、42年に西砂小学校と南富士見小学校、45年に南砂小学校、46年に若葉小学校、幸小学校、松中小学校、47年に大山小学校、52年に柏小学校、53年に多摩川小学校。1965年から1978年までの14年で、11の市立小学校が開いている。団地が建ち、家族が越してきて、そのたびに校舎が足りなくなった。

その少し前の昭和35年(1960)、年表には「市立第一小学校防音校舎落成」の一行がある。飛行機の音から教室を守るための校舎が要る空だった。昭和26年(1951)には、市の小学校で完全給食が始まっている。

子ども自身が街のために動いた記録もある。『たちかわ物語』第10号によれば、昭和46年(1971)6月の「広報たちかわ」は、伝染病の予防を呼びかけるポスターをつくる南栄子ども会を取材している。ごみをポリバケツに直接入れて集めていた時代で、夏には赤痢や日本脳炎がはやり、蚊やハエが社会問題になっていた。ポスターづくりはその時点で7年目。子どもたちは、何が感染の原因で、何が対策に効くのかを、よく勉強していたと広報は伝えている。昭和の子ども会は、遊ぶだけでなく、街の衛生まで引き受けていたのだ。

昭和47年(1972)には、富士見町に市の児童館の第1号が開いている。そのことは、この特集のオニ公園の一編で書いた。

いまの立川の子どもの居場所──児童館、子ども食堂、そして議場

では、いまの立川の子どもは、放課後どこにいるのか。

立川市によれば、市内には公立の児童館が8館と、社会福祉法人が運営する西立川児童会館がある。対象は0歳から18歳まで、使うのは無料。公立の児童館は朝9時から夜8時まで開いていて、小学生は夕方6時まで、中学生は7時まで、高校生世代は8時まで遊べる。高校生まで来てよい児童館というのは、昭和の子どもには想像しにくいかもしれない。

小学校の放課後には、「くるプレ」がある。市によれば、地域の運営委員会が開いてきた放課後子ども教室を、令和4年度から、平日毎日開く民間運営の「くるプレ」へ順に切り替え、令和8年度には市内のすべての小学校で導入を終えた。

子ども食堂も増えた。市が令和7年(2025)11月に出した「子ども食堂マップ in たちかわ」には、23の食堂が並ぶ。西砂の会館の学習室で調理して、食後にはゲームをしたり吹奏楽を聴いたりできる食堂。テーブルに砂川の畑でとれた旬の野菜が並ぶ食堂。市は、子ども食堂は地域の市民団体などの自主的な活動で、市が運営や許可をしているものではない、と断っている。つまり、23の食堂の多くは、街の誰かが「やろう」と言って始めた場所なのだ。昭和の子ども会が衛生のポスターを描いたように、いまは大人たちが、子どもに温かいご飯を出している。

地域の子ども会も続いている。市の案内によれば、子ども会は市内12の地区にあり、デイキャンプやドッジボール大会、餅つき大会などを開いている。

そして、立川には、子どもが市議会の議場に立つ日がある。

「こどもとおとなのはなしあい in 市議会議場」は、市内の小学4年生から18歳までの子どもが、「あったらいいなこんなもの できたらいいなこんなこと」をテーマに、やりたい催しやほしいものを、市議会の議場で提案する催しだ。条件は、みんなのためになること、そして提案したら自分たちで本当に実現すること。審査に通れば、実現に要るお金を「ウドラ夢たち基金」から出してもらえる。この基金は、立川の子どもが夢をかたちにするのを資金で応援する市民団体で、平成30年(2018)に市と協定を結んだ。ウドラは、この特集の東京うどの一編に出てきた、白いうどから生まれた怪獣である。公認になりそこねた怪獣の名を冠した基金が、子どもの夢を本当に公認しているのだから、立川はおもしろい。

令和7年(2025)9月7日の第8回では、3つのグループが新しく提案し、支援を受けることになった。その一つは「街をくるっとうどらんど 立川謎とき×たいけんラリー」という。前の年には「立川南口商店街謎解きイベント」も通っている。昭和の子どもが路地裏を探検して駅までの近道を開拓したように、令和の子どもは、街そのものを謎解きの舞台に作り替えようとしている。

公募で集まる「子ども委員会」もある。市によれば、小学4年生から18歳までの子どもたちが、街の気になることを調べ、大人に意見を伝える。これまでに、安全で安心できるまちづくりとして街路灯の設置を提言し、2か所で実現した。「中高生がダンス、バンド活動に利用できる場所がほしい」という声から、催しを開いたこともある。子どもが「暗い」と言った道に、明かりがともった。

大人の側にも、少し可笑しくて温かい話がある。夏の大相撲の立川立飛場所の実行委員会から、市に寄附金が届いた。教育委員会はそれを、学校行事を安全に運ぶための備品に充て、市立の小学校19校と中学校9校が求めた105点を買った。いちばん多いのは、運動会に使うワンタッチのテントで、大きいものだけで36張。力士のぶつかり稽古の熱気が、いまは運動会の日陰になっている。

謎の答え──フェンスの向こうの学校は、どこへ行ったか

冒頭の問いに戻ろう。1961年に2,000人を超える子どもが通っていた学校は、どこへ消えたのか。

こどもの森の小道に埋め込まれた、白い動物を描いたモザイクの円
こどもの森の小道に埋め込まれた、白い動物を描いたモザイクの円
写真: Guilhem Vellut from Annecy, France / CC BY 2.0 / Wikimedia Commons

答えは、基地の中の小学校だった。アメリカの海外の学校の記録によれば、立川の基地の小学校は、1947年に44人で始まり、1961年に2,000人を超えた。その後、子どもは減っていく。1968年には幼稚園が加わったが、1972年度の児童は670人。1973年には基地の中の中学校が閉じ、7年生と8年生が小学校に通うようになった。最後の年の児童は340人。そして1977年8月、学校は閉じた。

同じ1977年、立川市の年表には「立川基地が全面返還」の一行がある。フェンスが消える年に、フェンスの内側の学校も消えた。市の年表に名前が無いのは、それが市の学校ではなかったからだ。けれども、そこにも確かに、立川で子ども時代を過ごした子どもたちがいた。昭和28年のクリスマスに、劇を演じた「立川米人小学校」の子どもたちである。

基地の跡地には、いま、国営の昭和記念公園が広がっている。公園の中には「こどもの森」があり、その来歴はこの特集の昭和記念公園の一編に書いた。かつて44人で始まった学校があった土地のどこかで、いまは別の子どもたちが、日本一の大きさだという虹のハンモックに寝転んでいる。

立川の子どもの昭和は、思っていたより、ずっと国際的で、ずっと甘かった。3.5トンの飴と、1枚5円のブロマイド。カラスの着物と、ガッチャマンのプラモデル。それらは、いまの子どもたちから見れば、たぶん同じくらい遠い昔話だろう。けれども、子どもが群れになって走り回り、大人がそれを見守る街であることは、明治の砂川の通学路から、令和の議場まで、変わっていない。

週末、子どもの手を引いて立川を歩いてみてほしい。駅の南の旧市役所の跡では、子どもたちが漫画を読みふけり、北の公園では、基地の跡地で子どもたちがハンモックに揺れている。その足元には、あなたの知らない昭和の子どもたちの足跡が、何層にも重なっている。

寄り道クイズの答え

答えは(B)。昭和の立川の柴崎町にあった駄菓子屋は、店のおじさんが「なんでも売っているから何でも屋」と答えたことから「何でも屋」と呼ばれ、富士見町の子どもたちがそれを縮めて「デモ屋」と呼んだ。同じ店を、柴崎町の子どもは店主の苗字で呼んでいたという。

訪ねる前に

  • 立川の子どもの昔を見るなら: 立川市歴史民俗資料館(立川市富士見町3-12-34)。入館無料。市史編さんの広報紙『たちかわ物語』のバックナンバーは、市の市史編さんのページや奈良文化財研究所の「全国文化財総覧」で読める。開館時間と休館日は市の頁で確かめてほしい: https://www.city.tachikawa.lg.jp/kanko/bunka/1004244/1004849/1004905.html
  • 基地の時代の資料: 立川市中央図書館は、立川基地と飛行場の資料を特別コレクションとして集め、分類番号W-3-10の書架にまとめている(市立図書館の調べ方案内による)。
  • いまの子どもの居場所: 児童館(公立8館と西立川児童会館、0歳から18歳まで無料)の場所と時間は https://www.city.tachikawa.lg.jp/kosodate/m-kosodate/1004941/1004990/1005011.html 、子ども食堂の一覧は https://www.city.tachikawa.lg.jp/kosodate/m-kosodate/1004941/1022498.html で。子ども食堂は団体ごとに日時や予約が違うので、必ず各団体に確かめてから。
  • 組み合わせるなら: 子ども未来センター(立川市錦町3-2-26、旧市役所の跡)とまんがぱーく、錦町のオニ公園(この特集の別の一編で歩いた)。北へ向かうなら、昭和記念公園のこどもの森。
  • 都心から: 新宿から中央線で乗り換えなし。神奈川からは南武線で立川まで乗り換えなしで来られる。

子どもの街を歩いたあとは、立川駅北口で

子どもの足跡をたどって南口と北口を往復すると、案外歩く。デパートの屋上を探して見上げ続けた首も、少し固くなっているかもしれない。

立川駅の北口から徒歩1分、立川市曙町2-14-10のエトロワビル3階に、オンザショア立川店がある。溶岩プレートを敷いたスタジオで行うホットヨガのスタジオだ。常温のヨガやピラティス、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングもあり、ヨガだけで25種類以上のレッスンがある。

営業は8時から23時30分まで、年中無休で、曜日による違いはない。子どもを送り出した朝にも、寝かしつけたあとの夜にも、開いている。

ヨガの体験レッスンは税込1,980円。60分のレッスンに、バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれる。身ひとつで寄れる。

妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できないが、常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。

料金は https://ontheshore.jp/price/ 、店の案内は https://ontheshore.jp/ 、体験の予約は https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp で確かめられる。

駄菓子屋の木箱の前で迷った子どもは、いま、どこかで大人になっている。立川の北口の3階で、その大人が、ゆっくり息を吐いている。

冒頭の写真: 昭和記念公園のこどもの森。木道の先に、木立に囲まれた芝の窪地が広がる(写真: Guilhem Vellut from Annecy, France / CC BY 2.0 / Wikimedia Commons)

この記事の情報は2026年10月時点のものです。

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