
売上の坂道と、窓口の700人
平成4年度に1,172億円だった立川競輪の売上は、令和2年度には162億円になった。前述の組合と市の資料の数字である。入場者数は、昭和49年度の152万人から、令和2年度には4万人になった。令和2年度は特殊な年だったにせよ、下り坂そのものは、ずっと前から始まっていた。
平成23年の市の報告は、その坂を正直に記録している。本場で一人が一日に買う車券の額は、平成4年度には53,800円だったが、平成22年度には14,000円になった。7割以上減ったことになる。景気の波と、人々の財布の紐の締まり方を、競輪場の窓口は几帳面に記録していた。
その窓口に立つ人の数も、同じ坂を下った。車券を売り、払い戻しをする従事員は、平成4年度には約700人いた。辞めた人のあとを補わずに来た結果、平成23年4月1日の時点では295人になっている。平成16年度からは発売窓口そのものを縮め、仕事の日数を減らす雇用調整も、多い年には一人あたり年9日にのぼった。700人が並んだ窓口を、いまの静かなスタンドから想像するのは難しい。だが、その数字は、この競輪場がかつて街の大きな雇い主でもあったことを教えてくれる。窓口の向こうにいたのは、この街や近くの街で暮らす人たちだったはずだ。
報告書の経費の表を読んでいくと、節約の跡がひとつずつ見えてくる。平成22年度、電力の自由化にあわせて電気の買い方を見直し、競争見積もりで新しい事業者と契約したところ、1年で1,700万円、約27パーセントの電気代が減った。出走表の印刷代はシステムの統合でなくなった。特別観覧席の客に配っていたジュースは有料になり、スポーツ新聞の買い取りもやめている。1,300億円を街に注いだ競輪場が、ジュース代を見直している。笑えない。家計を預かる人なら、誰でも身に覚えがある。
周りの街との付き合い方も、資料に書かれている。競輪場の周辺の住民の安全と暮らしを守るため、市は周辺の自治会などに交付金を出し、市が配置した警備員や清掃員と住民が協力して、交通安全の対策や防犯パトロール、清掃を続けてきた。入場者が減るにつれて、違法駐車やごみの投げ捨ては減り、迷惑の及ぶ範囲も狭まった、と報告は書く。客が減って喜ばれることが一つだけあるとすれば、たぶんこれだ。
競輪を売る場所は、本場の外へ広がっていった。立川市によれば、平成8年度に立川の競輪を中心に売る場外車券売場として「サテライト六郷」が開かれ、その後、中越、水戸、双葉、妙高にも開設された。平成22年度には、5つのサテライトで立川のレースを延べ271日発売している。新潟の妙高の山あいで、立川のバンクの名前が呼ばれていた。
走らせる側の顔ぶれも変わった。平成18年度までは、東京都市収益事業組合が年に5回、市営競輪が年に7回の開催を受け持っていた。その組合が収益の悪化から撤退し、平成19年度からは、市が年12回のすべてを担うことになった。
同じ時期、全国では競輪場が姿を消しはじめていた。市の平成23年の報告によれば、かつて全国に50あった競輪場は、45に減っていた。平成22年度をもって大津市が累積赤字の解消の見通しが立たずに撤退し、大津びわこ競輪場が廃止された。平成24年4月からは観音寺競輪場が場外の車券売場になることが決まっていた。平成26年版の報告は、平成26年3月末に一宮競輪場が廃止され、全国は43場になったと書き足している。令和3年の資料でも、全国は43場のままだ。
櫛の歯が抜けるように競輪場が減っていく中で、立川は走り続けた。昭和48年度以来35年ぶりに売上が200億円を切った平成21年度にも、バンクは止まらなかった。グランプリを開いた平成25年度には、売上は290億円に戻っている。発祥の地は、意地を見せるように、年末の大一番を何度も呼び戻してきた。
では、そのスタンドに座っていたのは、どんな人たちだったのか。市は、客に直接たずねている。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
アンケートに書かれた、熱湯とトイレ
平成23年の報告には、過去のアンケートで、一人で来場した60歳以上の男性が半数以上だった、という一文がある。誰とも連れ立たず、一人で来て、一人でバンクを見つめる。そういう人たちが半分を超える場所は、街の中にそう多くない。私は、そこに少しだけ親しみを覚える。私も一人で街を歩く人間だからだ。
平成26年版の「将来像」には、もう少し詳しい調査が載っている。2014年9月4日と9月15日の2日間、正門と裏門で、それぞれ304人に話を聞いた。9月4日の入場者は4,424人、祝日の9月15日は6,789人だった。
結果の書きぶりが、行政の文書にしては妙に生々しい。来場者のほとんどが男性で、女性は夫に連れられて来る人ばかりだった。平日は60歳以上が8割を超えた。施設への要望でいちばん多かったのは「綺麗にしてほしい」で、具体的には映像の表示、トイレを洋式に、休憩場所を増やす、冷暖房、そして熱湯の提供が挙がっている。熱湯である。何に使うのかは書かれていない。書かれていないのに、冬のスタンドでカップ麺をすする背中が、どうしても浮かぶ。
場内のイベントの評価も面白い。ファンサービス品の無料配布は高得点だったが、予想会の評価は低かった。報告はその理由を、お客様がすでに競輪を熟知しているためと推測している。教えを請いに来る人は、ここにはいない。皆、自分の読みを持って来ているのだ。
調査を担当した側の感想も、一行だけ残っている。他の競輪場に比べて、記述欄に時間を割くお客様が多く、立川競輪に期待しているお客様が多かったことが印象的だった、と。熱湯を求め、予想会を見切り、それでも記述欄をびっしり埋める。そこには、この競輪場を見放していない人たちの顔がある。
新しい客を呼ぶための手も打たれていた。平成23年の報告は、翌年の7月から女子の競輪が「ガールズケイリン」の名で始まる予定だと書いている。プロを目指す第1回の生徒35名が訓練を受けていて、その中には立川をホームバンクとする生徒もいるという。2014年の調査では、ガールズケイリンを「おもしろい」と答えた人が約6割だった。
客に耳を傾けた市は、やがて、器そのものに手をつける。

定員30,600人のスタンドと、市民の丘
市は、競輪場そのものを作り直すことに決めた。平成23年度に施設改修の基本計画をつくり、平成27年7月に工事に着手。平成28年12月、設計のおよそ半分が完成して、リニューアルオープンを迎えた。市が掲げたコンセプトは三つ。市民に愛される競輪場、安定的な事業収益を確保できる競輪場、そして、防災機能を強化した競輪場である。平成23年の報告は、東日本大震災の教訓を生かして防災機能を強めること、レースのない日には子どもが自由に遊べるようにすることも書いている。
賭けの場の改修計画に、防災という言葉が並んでいる。それを奇妙に思う人もいるだろう。だが、立川という街を少し知ると、腑に落ちる。駅の北西には、首都で大きな地震が起きたときに国の機関が集まる防災の基地がある。広い敷地を持つ競輪場にも防災の役目を持たせようと考えるのは、いかにもこの街らしい発想に思える。
今のメインスタンドは、公式サイトの施設案内によれば、2階から5階が指定席になっている。5階のロイヤルルームが18席、4階の特別観覧席が446席、3階が306席、2階が304席。2階には、キッズルームとウッドデッキもある。1階には給湯室とおむつの交換台がある。熱湯を求めた声が、どこかで届いたのかどうかはわからない。ただ、給湯室の文字を見つけたとき、私は少しだけうれしくなった。
その考えが形になった場所の一つが、「市民の丘」だ。公式サイトによれば、場内の緑化工事にあわせて、誰でも利用できる丘として設けられた。入場料は、レースの日も場外発売の日も無料である。開門は4月から9月が朝6時から夕方6時、10月から3月が朝6時から夕方5時。賭けをしない人にも、この場所は開かれている。
その後も工事は続く。市によれば、第2期では開催規模に応じて、開催エリアと市民に開くエリアを分けられるようにする。正門棟、ステージ棟、トイレ棟、裏門棟を新しく建てる計画で、工事は令和5年2月から令和7年10月にかけて行う予定とされた。30,600人のために建てられた巨大な器を、今の暮らしの寸法に合わせて仕立て直す作業が、ここでは何年もかけて続いている。
自転車が建てた街
冒頭の問いに戻りたい。焼け跡の市は、なぜ自転車を選び、それは街に何を残したのか。
資料が示す答えの半分は、単純だ。戦後の立川には、学校も道路も下水も市役所も足りなかった。国は、自治体が自分で財源をつくる手段として、競輪を用意していた。市はそれをいち早くつかみ、他の競輪場に先駆けて施設を整え、1,300億円を超える金を街に注ぎ込んだ。今、立川駅の周りを歩いて目に入る公共の建物のいくつかは、その金でできている。
もう半分は、私の推測になる。この街の中心には、長いあいだ、市民が入ることのできない飛行場があった。立川は、自分の土地の真ん中を自由に使えなかった市だ。だからこそ、自分の手で回せる財源を持つことは、ほかの街以上に切実だったのではないか。基地の金網の外で、400メートルの楕円が回り続け、その回転が少しずつ、街を市民の手に取り戻していった。そう読むのは、旅人の勝手かもしれない。
数字を並べ直してみる。開設は全国で59番目。それでも、年末の一億円のレースはこの街で生まれ、41回のうち22回がこの街に割り振られた。売上の頂点から下り坂に入っても、全国で競輪場が次々に閉じていく中でも、バンクは回り続け、その収益は図書館と学校と下水道になった。遅れて来た者が、いちばん長く、いちばん多く、主役を務めてきたのである。
立川に何があるのか、と次に聞かれたら、こう答えようと思う。年末の一億円のレースが生まれた街で、そのバンクが図書館と学校を建てた街だ、と。地味だと言われがちなこの街は、40年前から、日本一を決める年の瀬を、どの街よりも多く迎えてきた。
新宿から中央線で一本、川崎から南武線で一本。車券を買わなくても、市民の丘は無料で開いている。週末の朝、31度の壁を眺めに来るだけでも、この街の見え方は少し変わる。
寄り道クイズの答え
答えはC、約31度である。公式サイトの施設案内によれば、センター部の傾斜は31度13分6秒。直線部分は2度17分27秒しかないから、選手はほぼ平らな道から、急な壁へと乗り移ることになる。

訪ねる前に
- 所在地: 東京都立川市曙町3丁目32番5号。JR立川駅・多摩都市モノレール立川北駅から徒歩15分(公式サイトによる)。駅の北口を出て、曙町の街を抜けていく。
- 無料バス: 開催日などに、立川北駅前から約10分、西武線玉川上水駅から約15分(公式サイトによる)。立川北駅からの便は、10時から15時ごろまでは1時間に5〜6本と案内されている。道路事情で所要は変わり、最終便の時刻は開催によって異なるので、公式で確かめてほしい(電話042-524-1121)。
- 市民の丘: 入場無料。開門は4月〜9月が6時〜18時、10月〜3月が6時〜17時(公式サイトによる)。場内は改修工事が続いているので、使える場所は公式の場内マップで確かめるとよい。
- 車券は20歳にならないと買えない(法律で決まっている)。場内のファン相談室には、ギャンブル依存症の相談窓口が置かれている(立川市公営競技事業部などの資料による)。
- 遠くから: 新宿からはJR中央線快速で立川まで乗り換えなし(30分台)。神奈川からは、川崎からJR南武線で乗り換えなし(立川まで約1時間)。駅の北口へ出る
- 公式サイト: https://www.tachikawakeirin.jp/ (開催日程・アクセス・施設案内)
- 立川市「たちかわ競輪」: https://www.city.tachikawa.lg.jp/kanko/sports/1002977/index.html
- 組み合わせるなら: 駅の北口からの往き帰りに、ファーレ立川のアートを見て歩くのがいちばん自然だ。モノレールで北の高松や立飛へ足をのばせば、飛行機の街だった立川の別の顔にも出会える。駅からの道は片道15分なので、往復だけで30分ほどになる。丘でひと息つく時間は、その上に足しておきたい。
楕円をめぐったあとは、立川駅北口で
競輪場からの帰り道は、来たときと同じく15分ほど歩く。カーブの角度や賞金の額を頭の中で転がしながら歩くと、いつのまにか肩に力が入っている。
立川駅の北口から徒歩1分、立川市曙町2-14-10のエトロワビル3階に、オンザショア立川店がある。溶岩プレートを敷いたスタジオでのホットヨガが中心のスタジオで、ほかに常温のヨガ、ピラティス、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングもある。ヨガだけで25種類以上のレッスンがある。
営業時間は8時から23時30分まで、年中無休で、どの曜日も変わらない。朝のうちに丘を歩いてから寄ることも、夕方まで街を回ってから寄ることもできる。
初めての人には、税込1,980円のヨガの体験レッスンがある。60分のレッスンに、バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれている。
妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できないが、常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。
- オンザショア: https://ontheshore.jp/
- 料金: https://ontheshore.jp/price/
- 体験の予約: https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp
駅へ戻る道の先で、31度の壁は、今日も誰かが駆け上がるのを待っている。
冒頭の写真: 立川競輪場のバンクで、色とりどりのユニフォームの選手が発走機に並ぶレースのスタート(写真: Furmanj / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons)
この記事の情報は2026年10月時点のものです。
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