立川の地形と坂を歩く 平らな街は、なぜ北から南へ50メートルあまり傾いているのか

玉川上水が下流で「坂を上る」場所──砂川三番と築土手

水は高いところから低いところへ流れる。小学校で習うことだ。ところが立川には、下流のほうが土地の高い水路がある。

立川市の玉川上水の案内は、市内の見どころを上流から並べたなかに、さらりと「地形的に下流が高い砂川三番」と書いている。初めて読んだとき、私は自分の読み違いを疑った。

種明かしは、同じ『たちかわ物語』の6号にあった。見影橋より下流の玉川上水は、河岸段丘のために下流の土地が高くなっている。そのため上流側に土手を築いた。この付近の地名は「築土手向」「土手下」「土手向」などだ、という。

上水そのものが坂を上ったわけではない。上水の底は、当然、下流へ向けて下っている。ただ、まわりの地面のほうが、段丘のせいで下流へ行くほど高くなっていた。そこで、低い上流側に土手を築き、水の道の高さを保った。江戸の人々は、土地の起伏に逆らって、水の道を一本のゆるい坂に仕立て直したことになる。地名は、その工事の跡をいまも言い当てている。築いた土手の向こうに「築土手向」。土手の下に「土手下」。地名が、工事の記録簿の代わりをしている。

1キロで2メートルあまりしか下らない水路を、43キロにわたって通す。立川の土地の傾きは、上水の勾配の3倍以上ある。土地の傾きがいつも水の流れる向きと同じなら苦労は少ないが、段丘の縁では、そうはいかない場所が出てくる。砂川三番の土手は、その帳尻を合わせた場所なのだろう。ただ、承応2年の工事でどれほどの土手を積んだのか、その高さを書いた資料には、今回たどり着けなかった。

砂川には、乾いた台地の暮らしの記憶も残っている。4号の『たちかわ物語』は、砂川をはじめとする武蔵野台地の地域は火山灰質の土に覆われて田畑にしにくく、水源にも恵まれなかったため、江戸時代の初めまで開発がほぼ手つかずだった、と書く。人が住みつく始まりは、砂川三番のあたりに掘られた、まいまいず井戸と呼ばれる形の古い井戸のひとつだったという。地面をらせん状に掘り下げて、ようやく水に届く井戸だ。南の柴崎では崖の下から水が湧き、北の砂川では地面をぐるぐる掘ってやっと水に会う。同じ市のなかで、水との距離がこれほど違う。

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段丘の縁で暮らす──湧き水、縄文のムラ、昭和の少年

崖の縁は、昔から人の暮らしの場所だった。

市史の広報紙は、河岸段丘の縁は日当たりや水はけがよく、崖の下には川や湧き水があり、上下水道や暖房のない時代にはとても暮らしやすい場所だった、と書く。立川市内で確認されている遺跡は21か所で、その多くが南の崖線沿いに並んでいる。台地に降ってしみこんだ雨が、崖の下で湧き水になり、小川になる。縄文の人々は、台地の上に暮らしの拠点を置き、緑と水の豊かな崖の下で食べ物を集めていたようだ、とも。

その崖線沿いの向郷遺跡には、少し愉快な話がある。広報紙の6号によれば、昭和45年から52年ごろ、小学生から中学生だった一人の少年が、向郷遺跡で土器や石器を掘り出し、ていねいに洗って分類し、ポスターカラーで掘った日付や場所を書き込んで整理していた。その資料は昭和57年に市へ寄贈され、いまは市の歴史民俗資料館に収められている。広報紙は、とても小・中学生が独力で行ったとは思えないほどだ、と感心している。私が同じ年ごろに掘っていたのは、せいぜい校庭の砂場だった。

その少年が土器を掘っていたころ、崖線のまわりはどんな景色だったのか。

あのころ。同じ号が載せている昭和15年ごろの柴崎町の写真では、崖線に沿って木々が一列に並び、台地の上には家が、崖の下の低地には田んぼが広がっている。根川には昭和20年代までボート乗り場があり、船着き場には茶店も建っていた。崖の下の田へ根川から水を引く用水路は、毎年5月1日に使う人たちが総出で手入れをしていたが、昭和40年代の後半には水が取れなくなり、使われなくなったという。

いま。崖の下の田んぼは住宅地になり、根川は緑道になった。それでも広報紙は、柴崎体育館駅のあたりから続く急な崖は、多摩川が台地を削った長い歴史をいまに伝えている、と書く。多摩モノレールで立川南駅から柴崎体育館駅へ向かうと、車窓の先で、街がふっと一段低くなるのが分かる。田んぼは消えても、段は消えていない。

崖は恵みだけをくれたわけではない。広報紙の12号は、崖の際は水源が豊富な反面、水害に遭いやすい場所でもある、と添えている。崖線沿いには、第六天神社、沢の稲荷、滝壺弁天、矢川弁天といった小さな社が点々と並ぶ。水の恵みに感謝する場所は、水を恐れる場所でもあった。沢稲荷のある塚は、6〜7世紀ごろの古墳ではないかと考えられている、と市の散歩コースの案内は書く。崖の縁は、千年をはるかに超えて、人が祈りを置いてきた場所なのだ。

富士見町の東京都農林総合研究センターのまわりには、いまも崖線に武蔵野の雑木林が残り、崖の一部から湧き水が見られる。立川市は、ここを「緑の十二景」のひとつに選んでいる。市が選んだ十二の緑の景色のひとつが、崖そのものなのである。

「立川断層」の崖は、何がつくったのか

最後に、4.5メートルの崖の話をしたい。

名栗断層と、立川断層とされてきた線の位置を描いた地図
名栗断層と、立川断層とされてきた線の位置を描いた地図
写真: Theodore Xu / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons

立川の地面をめぐる話で、いちばん名の知られたものは、おそらく立川断層だろう。国の地震調査研究推進本部は、埼玉県の名栗から立川市を経て府中市にいたる、長さ約33キロの立川断層帯を評価の対象にしている。武蔵野台地の上を北西から南東へまっすぐ延びる段差が、その証拠とされてきた。国の補完調査の報告書は、断層の動きでできた崖とみなせば、高さ8メートル以下、幅100〜300メートルのゆるやかな崖が続いている、と整理している。

市の中心部にも、その崖がある。国の重点調査の報告書は、立川市の中心部に、位置ははっきりしないものの、高さ約4.5メートルの、西側が低い崖の地形が存在する、と書いている。市役所のある泉町のあたりでは、4.5メートルのずれが見積もられてきた。

ところが、平成24年から26年度にかけて行われた国の重点調査は、思いがけない結論を出した。武蔵村山市の三ツ木から多摩川までの南側では、この崖が断層の動きでできたことを示す地質の証拠が得られなかった。地下を音波で探り、古いボーリングの記録を集めても、崖の高さと同じだけのずれは、地下の地層には見つからない。報告書は、北の金子台から箱根ヶ崎を経て三ツ木付近までの約12キロだけを活断層と認め、これを「箱根ヶ崎断層」と新しく名づけた。

この調査の途中には、報道をにぎわせた騒ぎもあった。当時の報道によれば、平成25年3月、調査チームが「新たな活断層を確認した」と発表した根拠の石が、じつはコンクリートの塊だったと分かり、発表の一部が撤回された。巨大な溝を掘った場所は、武蔵村山市の旧日産自動車村山工場の跡地だった。地面の下から出てきた人工物が、断層の顔をしていた。研究者の苦い経験は、そのまま、地面を読むことの難しさを物語っている。

では、立川の中心部に残る4.5メートルの崖は、何がつくったのか。断層でなければ、川か、風か、別の何かか。報告書は、崖の地形を断層の動きでできた崖と解釈する積極的な証拠はない、と書くにとどめている。答えは、まだ出ていない。

ただ、ひとつ書いておくべきことがある。地震本部のページは、いまも立川断層帯を約33キロの断層帯として載せている。国の評価が書き換えられたわけではない。立川市も、地域防災計画で立川断層帯の地震を想定のひとつに置いている。崖の正体が分からないことと、備えが要らないことは、別の話だ。

北の箱根ヶ崎には、断層がつくった池がある。補完調査の報告書は、瑞穂町の狭山池を断層湖と書いている。その狭山池から流れ出す川が、昭和記念公園の西を通って立川を縦に横切る、残堀川である。断層の池から出た水が、断層かどうか分からない崖のそばを流れて、多摩川へ注ぐ。立川の地面は、まだ自分のことを全部は語っていない。

坂の街としての立川──平らさと崖が、つくってきたもの

ここまで歩いて、冒頭の問いに戻る。

立川はなぜ傾いているのか。青梅を頂点に扇のように広がる台地の、ゆるやかな斜面の途中にあるからだ。北西の西砂町から南東の錦町へ、1キロで7〜8メートルずつ、目に見えない坂が続いている。

なぜ坂は南北にしか無いのか。多摩川が約2万年前の寒い時代に削り残した段丘の崖が、東西に走っているからだ。崖と並んで歩けば平らで、崖を横切るときだけ坂になる。

半分は、それで答えになる。残りの半分は、まだ地面の下にある。市の中心部の4.5メートルの崖は、誰がつくったのか。砂川の上水の土手は、どれほどの高さに積まれたのか。

それでも、ひとつはっきりしたことがある。立川の平らさは、ただの「何もなさ」ではなかった。広大で平らな台地だったから、ここに飛行場が置かれ、街は空の都になった。その台地の南の縁に崖があったから、縄文の人がムラをつくり、柴崎の村が生まれ、根川に桜が咲いた。平らさと崖の両方を持っていたことが、立川という街の骨格になった。

崖の上に立つと、南に多摩川の低地が開け、空がひとつ広くなる。都心の街は、ビルの谷間の坂で高低差を知る。立川は、空の広さで知る。

寄り道クイズの答え

答えは(A)東西に動くとき。立川市の市史編さん広報紙によれば、多摩川がつくった段丘の崖線がほぼ東西に走っているので、東西に動くと坂をほとんど感じず、南北に動くと、ある地点でまとまった坂に出会う。ただし若葉町と幸町は、東に国分寺崖線があるので例外だという。

訪ねる前に

  • 立川崖線の坂を歩くなら: 立川市の散歩コース「古村を歩く」は、JR立川駅南口を出発し、諏訪神社、普済寺、山中坂地蔵堂、歴史民俗資料館をめぐる。坂を下りて上る、段丘の上と下を行き来する道筋になっている(駅から南へ徒歩十数分で崖線に着く): https://www.city.tachikawa.lg.jp/kanko/bunka/1004244/1004848/1004889.html
  • 崖線の雑木林と湧き水: 東京都農林総合研究センター周辺の立川崖線(富士見町)は、立川市の「緑の十二景」のひとつ: https://www.city.tachikawa.lg.jp/koenryokuchi/kurashi/kankyo/mizutomidori/tachikawa/tachikawagaisen.html
  • 貝殻坂のあたりへ: 根川緑道の終点、根川貝殻坂橋の近く。市の散歩コース「矢川から多摩川方面を歩く」は、JR西国立駅を出発して矢川緑地、根川貝殻坂橋、根川緑道をめぐる: https://www.city.tachikawa.lg.jp/kanko/bunka/1004244/1004848/1004890.html
  • 下流が高い玉川上水: 見影橋から下流の砂川三番のあたり。西武拝島線の武蔵砂川駅が近い。玉川上水の見どころは市の案内に: https://www.city.tachikawa.lg.jp/kanko/bunka/1004244/1004847/1019994/1004854.html
  • 自分で高さを確かめるなら: 国土地理院の「地理院地図」で、地図を押すと、その場所の標高が表示される: https://maps.gsi.go.jp/
  • 自転車で北へ上るなら: 地元の情報紙の助言によれば、崖線の坂は東へ行くほどゆるやか。歩くなら、坂の途中は車の通りが多い場所もあるので気をつけたい。
  • 組み合わせるなら: 崖の下の湧き水は矢川緑地へ(矢川とはけの記事)、崖の下の緑道は根川と多摩川の記事、北の上水は玉川上水と砂川の記事の道筋につながる。

坂を上りきったら、立川駅北口で

立川の坂は、上りきると平らになる。南の崖線から駅へ戻る道は、段をひとつ上る道でもある。坂のあとの平らな道は、思ったより長く感じるものだ。

立川駅の北口から徒歩1分、標高83メートルあまりの曙町、立川市曙町2-14-10のエトロワビル3階に、オンザショア立川店がある。溶岩プレートを敷いたスタジオで行うホットヨガのスタジオだ。常温のヨガやピラティス、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングもあり、ヨガだけで25種類以上のレッスンがある。

営業は8時から23時30分まで、年中無休で、曜日による違いはない。朝のうちに崖線を歩いても、夕方まで台地の上を歩き回っても、寄る時間はある。

ヨガの体験レッスンは税込1,980円。60分のレッスンに、バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれる。坂歩きの帰りに、身ひとつで寄れる。

妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できないが、常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。

料金は https://ontheshore.jp/price/ 、店の案内は https://ontheshore.jp/ 、体験の予約は https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp で確かめられる。

2万年前の川が削った段を下り、また上ってきた脚で、ビルの3階へ。立川でいちばん新しい一段は、たぶん、この階段だ。

冒頭の写真: 立川の平らな台地に広がる国営昭和記念公園の緑と、遠くの山並みと富士山(写真: Nishifutsu / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons)

この記事の情報は2026年10月時点のものです。

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