空中の歩道は、まだ完成していない
立川駅の北口と南口を歩く人は、たいてい地面に降りない。JR立川駅と、多摩モノレールの立川北駅・立川南駅を結ぶ歩行者専用のデッキが、二階の高さで駅と街をつないでいるからだ。デッキがいつ、どのように伸びたかは、この特集の立川駅の回で書いた。

写真: RuinDig/Yuki Uchida / CC BY 4.0 / Wikimedia Commons
意外なのは、このデッキ網が、計画のうえではまだ完成していないことだ。
市の「立川駅前歩道立体化計画」は、もともと1993年度にまとめられ、2008年3月に改められた。目的の欄には、歩道を立体にすることは、人と車を分ける便利さにとどまらず、駅周辺の歩道を、ただ通り過ぎる場所から、市民が集い、憩い、楽しむ場所へ変えるためだと書かれている。基本の考え方は、安全性、賑わい性、シンボル性、利便性の四つ。「賑わい性」という言葉は辞書ではあまり見かけないが、言いたいことはよく分かる。
市は2018年度から2019年度にかけて、この計画のうち、2017年度末の時点でまだできていないデッキについて、本当に要るのか、つくれるのかを調べ直した。2018年9月の平日と休日に、それぞれ朝6時から夜9時までの16時間、対象のエリアの11か所で歩行者を数えた。結果は、未整備の準メインデッキとそこへ至るサブデッキは、すべて必要性が確認できた、というものだった。
ただし、地下に問題があった。デッキの計画地の下には、下水道管をはじめ多くの埋設物が通っていて、橋脚を立てるには移設が要る場所や、移設が難しい場所が見つかった。概算の整備費は、デッキによって約4.6億円から約33.3億円まで開きがある。評価では、曙橋交差点とあけぼの口交差点の準メインデッキの順位が高くなった。
空に道を通そうとしたら、地面の下が混んでいた。立川らしい、と言えば立川らしい。この街は、空を見上げて計画を立てると、たいてい足元の何かとぶつかる。それでも、検証は「必要」と結論づけている。空中の歩道の物語は、まだ途中なのである。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
中央線の2階建てグリーン車と、南武線の高架
立川駅の変化は、街の上だけでなく、線路の上でも進んでいる。

写真: Plaraildaisuki / CC BY 4.0 / Wikimedia Commons
オンライン百科事典のウィキペディアによれば、中央線快速では2024年10月13日から、2階建てのグリーン車2両を組みこんだ12両編成の運転が始まり、翌2025年3月14日までは「お試し期間」として料金なしで乗れた。グリーン車のサービスは2025年3月15日に始まり、区間は東京駅から大月駅まで、そして青梅線の立川駅から青梅駅まで。事典は、これで関東の鉄道路線およびJRの路線で初めて、グリーン車と女性専用車の両方がある路線になったとも書く。
事典の記述でいちばん可笑しいのは、その導入の遅れ方だ。当初の予定は2020年度だったが、ホームを延ばす駅の改築工事などに想定以上の時間がかかると分かって延期された。当時の社長は「5年も遅れることはない」と話したという。結果として、サービス開始は2025年3月。予定の年度から数えて、ほぼ5年後である。言葉は、ぎりぎりのところで守られた。
立川駅は、このグリーン車の路線の分かれ道にある。グリーン車をつないだ電車は、立川から先、中央線を西へ大月へ向かうものと、青梅線を青梅へ向かうものとに分かれる。新宿から立川まで、2階建ての車両に座って来られる。都心からの「来やすさ」に、座り心地という物差しが加わった。
南へ目を向けると、南武線にも変化の計画がある。東京都と国立市、立川市、JR東日本は、2025年10月、南武線の谷保駅から立川駅までの連続立体交差化の都市計画案の説明会を開いた。都のパンフレットによれば、谷保駅と立川駅のあいだの約3.7kmの区間で線路を高架にし、19か所の踏切を除却、または廃止する。踏切での交通渋滞をなくし、道路と鉄道それぞれの安全性を高め、鉄道による地域の分断を解消することが目的だ。立川市は、これに合わせて西国立駅に約4,000平方メートルの交通広場をつくる計画も示した。工事の完成の時期は、まだ示されていない。
川崎から乗り換えなしで立川へ来られる南武線は、神奈川の人にとっての立川への道だ。その道の最後の区間から、踏切が消えようとしている。
さらに先の話もある。国の交通政策審議会が2016年にまとめた答申第198号には、「京葉線の中央線方面延伸及び中央線の複々線化(東京〜三鷹〜立川)」という項目が載っている。中央線の混雑の緩和と、東京都西部と都心とのアクセスの向上が意義とされる一方、複々線化については、事業の仕組みも含めた事業計画について十分な検討が行われることを期待、とある。立川市の都市計画マスタープランも、JR中央線の複々線化と多摩都市モノレールの延伸を、公共交通ネットワークの確保の柱に挙げている。いまのところ、これは構想の段階にある。
南北の軸では、多摩都市モノレールの上北台から箱根ケ崎への延伸が、2030年代半ばの開業を目指して事業に入っている。その話はこの特集の別の回に譲る。
誰が決めるのか──シンポジウムと「新しいしくみ」
駅前の未来は、誰が決めるのか。市はその答えを、官民の共創に求めている。
2025年10月23日の夜、立川市女性総合センターのホールで、立川駅周辺エリアまちづくりシンポジウムが開かれた。主催は、立川市、立川駅北口駅前地区まちづくり協議会、立川南口まちづくり協議会、立川商工会議所。副題は「未来を拓く次のステージへ 官民共創のまちづくり いまキックオフ」。都市工学の研究者の基調講演と、エリアマネジメントの担い手、商工会議所の会頭、市長らによるパネルディスカッションがあり、155人が参加した。
もう一つ、地味だが大事な動きがある。市は「新しいまちづくりのしくみ」の検討を始めた。市の説明によれば、立川市は1976年に宅地開発の指導要綱をつくり、1993年からは「立川市宅地開発等まちづくり指導要綱」で開発を導いてきた。一方、多摩地域では多くの自治体が「まちづくり条例」を定め、大きな開発を早くつかみ、住民が意見を言える仕組みを制度にしている。立川には、大規模な開発のための土地の売買や土地利用の転換を早くつかんで助言する仕組みも、地域の住民に知らせる仕組みも、市民の意見を反映させる仕組みも無い、と市は自ら課題に挙げている。多摩の中心の街が、まちづくりの仕組みでは周りの街に追いつこうとしている。少し意外で、少し正直な告白だ。
市の最上位の計画である第5次長期総合計画(2025年4月)は、10年後のまちの姿を『魅力咲きほこり つどい華やぐまち 立川 〜新風を吹き込み 美風を守る〜』と掲げた。2026年3月に改定された都市計画マスタープランは、これをそのまま立川市の将来像とし、立川駅周辺については、国内外の人々の活発な活動や交流が行われ、イノベーションが生まれ続ける拠点をつくる、と書いている。新風を吹き込み、美風を守る。マンションを建てさせない地区計画と、新しい開発のルールづくりは、その二つの言葉を同時に実行しようとする試みに見える。
あのころ・いま・これから
あのころ、北口の駅前広場は地面の上にあり、バスが広場をぐるりと回っていた。南口の通りの両側には、低い屋根が並んでいた。都は「多摩都心」という名の計画を掲げ、基地が返された広い土地を前に、街は大きな夢を描いていた。
いま、人は二階の高さを歩き、駅前のデッキからそのままモノレールに乗る。2階建てのグリーン車が、青梅と大月へ向かって駅を出ていく。基地の跡地の開発は一段落し、駅前の土地には、住宅という別の需要が押し寄せている。
これから、駅前の一角には住宅を建てさせない線が引かれ、まだ架かっていない空中の歩道の続きが検討され、南武線の踏切は消える計画になっている。そして市は、地域と一緒に、駅周辺の未来の姿を書きはじめる。昭和の青写真が「多摩都心」だったとすれば、令和の青写真に何という名前が付くのか。それはまだ、誰にも分からない。
未来を褒めるだけでは足りない──駅前の論点
公平のために、論点も書いておく。
住宅を建てさせない地区計画は、拠点を守る一方で、駅前に住みたい人や、土地の使い道を考える地権者にとっては、選べる道を狭める。だからこそ、原案は縦覧にかけられ、意見書を出せる期間が設けられている。決まるのは、その手続きを経てからだ。
空中の歩道の続きには、お金と地下の難題がある。デッキ一つに数億円から数十億円、埋設物の移設が難しい場所もある。市の検証は、評価の低いデッキについて、実現の可能性が低いとはっきり書いている。
南武線の高架化は、完成の時期がまだ示されていない。中央線の複々線化は、答申で事業計画の十分な検討を「期待」された段階で止まっている。グリーン車は、座れる快適さと引き替えに、料金がかかる。
そして、市の未来ビジョンそのものが、まだこれから書かれる。危機感と期待が、どんな具体策に変わるのか。2026年10月28日の第1回のワーキンググループは、その最初の一歩になる。
海の外から来た人へ──富士山と羽田のあいだの駅
市が書いた「ゲートウェイ」という言葉は、海外から来た旅行者の目で見ると、よく分かる。立川駅は英語で Tachikawa Station。中央線をさらに西へ進めば高尾山や大月方面へ、青梅線に乗れば奥多摩方面へ向かう。都心から富士山や山の方へ向かう旅の途中で、乗り換えついでに降りるには、ちょうどいい場所にある。
羽田空港からは、乗り換えなしの空港バスも出ている。立川バスと京浜急行バスの羽田空港線は、昭島駅、立川駅、国立駅、谷保駅と羽田空港を結び、立川から空港へ向かうときは予約がいらない。運賃や時刻は立川バスの公式で確かめてほしい。
駅の改札の内側、エキュート立川の3階には、東京都の観光情報センターの多摩の窓口がある。東京の観光の公式サイト GO TOKYO によれば、都が置く6つの観光情報センターのうち、23区の外にあるのはここだけで、無料のWi-Fiや観光ルートの案内もある。
海外から来た人が驚きそうなのは、たぶん駅前の二階の広さだろう。駅を出ると、地面に降りないまま、百貨店にも、モノレールにも、パブリックアートの街にも歩いて行ける。そして、その空中の道の計画がまだ「途中」だと知れば、もっと驚くかもしれない。
寄り道クイズの答え
答えは(C)48年。立川市によれば、立川駅南口土地区画整理事業は1966年2月17日に事業が認可され、換地処分の公告は2014年10月1日だった。区域は約28.2ヘクタール。都市計画が決まった1964年から数えれば、ちょうど50年になる。
訪ねる前に
- 歩く順の一例: JR立川駅の北口からデッキに出て、ファーレ立川(北口から徒歩3分、ファーレ立川アートの公式案内による)の街区を歩く。ここが地区計画の原案の対象の約6.7ヘクタールだ。サンサンロードを眺めて駅へ戻り、南北の自由通路を抜けて南口へ。区画整理で生まれた南口の道とデッキを歩けば、駅前の半世紀をひととおりたどれる。駅とその周りだけなら、私の目安で1〜2時間ほど。
- 立川市「立川駅周辺の未来ビジョン(仮称)」: https://www.city.tachikawa.lg.jp/shisei/machizukuri/1026027/index.html
- 立川市「ファーレ立川関連地区地区計画の都市計画原案の縦覧と意見書の提出」: https://www.city.tachikawa.lg.jp/shisei/machizukuri/1006752/1006902/1028328.html
- 立川市「立川駅前歩道立体化計画」: https://www.city.tachikawa.lg.jp/shisei/machizukuri/1006752/1006896/1006911.html
- 来かた: 都心からは、JR中央線で新宿から乗り換えなしで立川駅へ(グリーン車も走る)。神奈川からは、JR南武線が川崎駅と立川駅を結んでいて、乗り換えなしで来られる。横浜方面からは、横浜線で八王子へ出て中央線に乗り換える道もある。羽田空港からは空港バス(立川バスの羽田空港線: https://www.tachikawabus.co.jp/highway/haneda/ )。時刻・所要時間・料金は各社の公式で確かめてほしい。
- 東京観光情報センター多摩(エキュート立川3階): https://www.gotokyo.org/jp/plan/tourist-info-center/index.html
- 組み合わせて回るなら: ファーレ立川のパブリックアート、駅の130年の来歴、商業の街の百年、多摩モノレールの延伸の話が、この特集にそれぞれ一編ずつある。
未来の駅前を歩いたあとで
駅前の二階を北へ南へ、地図と資料を頭に入れながら歩くと、思いのほか脚が張る。見上げてばかりいたせいか、首と肩もこわばっている。
立川駅の北口から歩いて1分、立川市曙町2-14-10のエトロワビル3階に、オンザショア立川店がある。溶岩プレートを敷いたスタジオで行うホットヨガのスタジオだ。常温のヨガやピラティス、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングもあり、ヨガだけで25種類以上のレッスンがある。
営業は8時から23時30分まで、年中無休で、曜日による違いはない。朝の通勤の波が引いたあとでも、グリーン車で夜に着いてからでも、寄る時間はある。
ヨガの体験レッスンは税込1,980円。60分のレッスンに、バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれる。身ひとつで寄れる。
妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できないが、常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。
料金は https://ontheshore.jp/price/ 、店の案内は https://ontheshore.jp/ 、体験の予約は https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp で確かめられる。
週末、新宿から中央線に乗って立川で降りてみてほしい。駅前の二階に立てば、半世紀かけてつくられた街と、これから書かれる街の両方が、同じ空の下に見えている。
冒頭の写真: 立川駅北口をペデストリアンデッキから望む。人は二階の高さを歩く(写真: DiKnK8713 / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons)
この記事の情報は2026年10月時点のものです。
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