町田へ16km、B案という答え
町田方面の延伸は、まだ事業になっていない。だが、どこを通すかについては、一度答えが出ている。

写真: DiKnK8713 / CC BY 4.0 / Wikimedia Commons
東京都は、導入空間となる道路が決まっていない区間について、客観的かつ合理的なルートを検討するため、ルート検討委員会を置いた。委員会は2019年10月から4回開かれ、2021年12月27日の第4回で、四つの案からB案を選んだ。
都が公開した検討結果は、四つの案を数字で並べている。A案は延長約13km、需要は1日約8万人、費用対効果は約1.4。B案は約16km、約7万5千人、約1.1。B案の短縮版のB’案は約16km、約7万4千人、約1.1。C案は約13km、約7万3千人、約1.4。数字だけ見れば、短くて需要も多いA案が勝っている。それでも選ばれたのは、いちばん遠回りのB案だった。
理由は、まちづくりとの組み合わせにある。B案は、町田市立陸上競技場まで南下し、日大三高、小山田桜台団地、桜美林学園などを経由して町田駅へ向かう。検討結果は、B案について、速達性はほかの案よりやや劣るとしながら、いま確実に需要が見込める拠点を通り、現道のある地域を経由するので新しい駅のまわりで開発が期待でき、さらに陸上競技場や高校など需要の増加が見込める拠点も通る、と評価した。A案は小山田緑地をトンネルで抜けるため、沿線の開発の余地が少なく、環境への影響も懸念される、とされた。急がば回れ、を役所の表にすると、こうなる。
ただし、話はここで止まっていない。町田市によれば、東京都は2024年度から、都と町田市、多摩市、多摩都市モノレール株式会社で「多摩都市モノレール町田方面延伸連絡調整会議」を始めた。駅の位置を含めたルートを決めるため、B案を基本にしつつ、答申のときに示されたA案なども含めて、近年の建設費の高騰も踏まえ、事業性と収支採算性をあらためて精査している、という。都自身も、まちづくりの深まりや採算の精査の結果によっては、A案やC案をあらためて検討することもある、と書き添えている。一度出た答えにも、鉛筆で書いた余白が残されているのだ。
町田市は、その余白を待たずに動いている。市は「多摩都市モノレール町田方面延伸加速化プロジェクト」を進めている。モノレールの導入空間になる都市計画道路3・3・36号線(都立町田高校付近から芹ヶ谷公園付近まで、約1km)の用地を、都の事業着手より先回りして買っておくのだ。第1号は約1,000平方メートルで2019年10月1日、第2号は約160平方メートルで2023年12月19日。2024年3月には「モノレール沿線まちづくり構想」もまとめた。線路が来る前に、土地と構想を用意しておく。こちらの物差しもまた、長い。
もう一つの方面、八王子については、答申の書きぶりがはっきり違う。箱根ケ崎と町田には「具体的な調整を進めるべき」と書いた答申が、八王子方面には、事業性に課題があるため、事業計画について十分な検討が行われることを期待、とだけ書いた。期待、という言葉は、役所の文書のなかでは控えめな部類に入る。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
立川は、多摩の背骨の真ん中にいる
ここで、地図を頭のなかで縦に置いてみる。
多摩都市モノレールは、いまは南の多摩センターから北の上北台まで、16.0kmを19駅で結んでいる。会社の運賃表によれば、立川北駅から多摩センターまでは10.6km、上北台までは5.4kmだ。箱根ケ崎まで7.0km延びると、北の端までは12.4kmになる(私の計算)。南に10.6km、北に12.4km。延伸が終わったとき、立川北駅は、多摩を縦に貫く空の道のほぼ真ん中に立つことになる。
この線は、生まれたときから立川を軸にしていた。会社によれば、最初に開業したのは1998年11月27日の立川北〜上北台で、多摩センター〜立川北はその次、2000年1月10日だった。会社の本社も立川市にある。町田市は、モノレールの全体構想は約93キロメートルだと書いている。いま走っているのはその6分の1ほどにすぎない。93kmの夢の、最初の糸は立川で結ばれた。そもそもこの線は、なぜ構想されたのか。会社の説明は短い。東京を職と住のバランスのとれたまちにするため、そして多摩地域の公共交通をいっそう充実させるため。都心に通うための線ではなく、多摩の中で人が行き来するための線として考えられたのである。町田市も、町田方面の延伸の意義の筆頭に、多摩地域の南北方向の公共交通をより充実させることを挙げている。東西の線ばかりが太く育った多摩に、南北の線をもう一本。その考え方は、構想のころから変わっていない。
立川駅の上では、二本の軸が交差している。東西には、新宿から乗り換えなしで来られるJR中央線が走り、川崎からは南武線が乗り換えなしで入ってくる。南北には、空の上をモノレールが渡る。東京都の計画は、延伸の効果を、JR箱根ケ崎駅から多摩センター駅までがつながり、多摩地域の公共交通のネットワークが強化される、と書く。私の見立てを付け加えるなら、その強化された網の結び目は、立川にある。八高線の箱根ケ崎で乗った人が、乗り換えなしで空の道を南へ下り、立川で中央線に乗り換えて都心へ向かう。あるいは町田からの線がいつか多摩センターにつながれば、神奈川県と接する町田と、埼玉県に近い瑞穂町とが、立川を真ん中にして一本の線になる。
その未来は、数字の上でもう始まっている。会社が2026年6月に発表した2025年度の決算では、延べ輸送人員が約5,303万3千人、1日平均で約14万5千人となり、運輸収入とともに過去最高を記録した。通勤定期も通学定期も定期外も、そろって前の年度より増えている。会社は、沿線の商業施設の集客力や沿線での住宅開発に支えられた、と説明する。空の道は、延びる前から混みはじめているのである。
あのころ・いま・これから
あのころ、立川の空には梁がなかった。昭和の終わり、駅の北口に立って見上げれば、そこにあったのは、基地が返された街の広い空だけだった。この特集のモノレールの回で書いたとおり、会社ができたのは1986年4月、最初の工事が始まったのは1990年11月である。
いま、立川北駅のホームでは、4両の車両が灰色の梁にまたがって出ていく。北へ13分走れば、空中で切れた線路の終点、上北台に着く。
これから、その切れ端の先に、7つの駅が並ぶ。延伸が描かれる新青梅街道では、いまのところ、道を広げる工事が先に進められている。空の道そのものは、まだない。2030年代半ばという目標が、文字どおり守られるかどうかは誰にも分からない。それでも、答申から認可までの10年の手続きを一段ずつ見てきた目には、少なくとも、この線が気まぐれで引かれたものではないことだけは分かる。
未来を褒めるだけでは足りない──延伸の論点
公平のために、論点も書いておく。
まずお金だ。延伸の事業費は約1,290億円で、7.0kmで割れば1kmあたりおよそ184億円になる(私の計算)。会社自身も、2025年度の決算の発表で先行きを慎重に書いている。施設の老朽化に伴う設備の更新や大規模修繕、物価の高騰に加え、延伸事業の設備投資も本格化する。だから経営環境は一層厳しさを増していくと見込んでいる、と。過去最高の決算を報告するその同じ紙に、気を引き締める文が並んでいる。
かつての苦い記憶もある。この特集のモノレールの回で触れたように、会社は一度、債務超過に陥り、2008年度に都の財政支援を受けて危機を脱した。空の道は、延びることより続けることのほうが難しい。
町田方面については、都と市がそろって、需要を生み出すまちづくりと、収支採算性の精査を課題に挙げている。建設費の高騰を踏まえてルートを見直す可能性も、都は否定していない。八王子方面は、答申の時点で事業性に課題があると書かれたままだ。
環境の面では、箱根ケ崎方面の延伸は、騒音・振動から景観、史跡・文化財まで8つの項目で環境影響評価の手続きを経てきた。街道の真ん中に高架の構造物が立てば、沿道の景色は確実に変わる。延伸を待つ人と、景色の変化を惜しむ人は、同じ沿道に住んでいるかもしれない。
海の外から来た人へ──空港から、空の道へ
多摩モノレールの英語の社名は、Tokyo Tama Intercity Monorail Co., Ltd. という。都市と都市のあいだを結ぶモノレール。日本語の「多摩都市モノレール」より、この線の役目がよく伝わる名前だと私は思う。
海外から来た旅行者にとっての入口も、少しずつ整ってきた。会社のお知らせによれば、株式会社パスモは、訪日外国人向けのICカード乗車券「TOURIST PASMO」を、2026年5月に成田空港や羽田空港の周辺の鉄道駅などで発売すると発表した。空の玄関口で手にしたカード一枚で、多摩の空の道まで来られるようにしよう、という話である。
羽田空港から立川までは、乗り換えなしの空港バスもある。立川バスと京浜急行バスの羽田空港線は、昭島駅、立川駅、国立駅、谷保駅と羽田空港を結んでいる。立川から空港へ向かうときは予約がいらず、先着順の座席定員制で、交通系のICカードも使える。運賃や時刻は変わるので、立川バスの公式の案内で確かめてほしい。
立川駅の改札の内側、エキュート立川の3階には、東京都の観光情報センターの多摩の窓口がある。東京の観光の公式サイト GO TOKYO によれば、都が置く6つの観光情報センターのうち、23区の外にあるのはここだけだ。
海外から来た人が驚きそうなことを一つ挙げるなら、この乗り物の姿そのものだろう。1本の太い梁に、車両がまたがって走る。その梁の下には、ふつうに車が流れる道路がある。いつかその梁が、上北台の先の空へ延びていく。
寄り道クイズの答え
答えは(A)多摩南北線。東京都のパンフレットによれば、延伸区間の専用道は「立川都市計画道路9・6・1号多摩南北線」と「福生都市計画道路9・6・1号多摩南北線」として都市計画が決められた。モノレールの桁は、都市計画の上では「特殊街路(都市モノレール専用道)」、つまり道路の一種として扱われている。
訪ねる前に
- 立川から延伸の起点へ: 多摩モノレールの立川北駅から上北台駅まで5.4km、所要約13分(会社の運賃・所要時間の案内による)。上北台駅のまわりからは、線路が空中で終わっている様子を見上げられる。その先の新青梅街道では道の拡幅が進められていて、延伸の構造物はまだない。工事の区域には立ち入らず、歩道から見てほしい。
- 多摩都市モノレール公式(運賃・時刻・延伸のお知らせ): https://www.tama-monorail.co.jp/
- 延伸の公式資料: 国土交通省の特許の発表 https://www.mlit.go.jp/report/press/content/001888276.pdf / 東京都の事業着手の発表 https://www.metro.tokyo.lg.jp/information/press/2025/11/2025112701
- 町田方面の動き: 町田市「多摩都市モノレール町田方面延伸の概要」 https://www.city.machida.tokyo.jp/kurashi/sumai/kotsu/tetsukido/tamamonorail/tamamonorail.html
- 来かた: 都心からは、JR中央線で新宿から乗り換えなしで立川駅へ。神奈川からは、JR南武線が川崎駅と立川駅を結んでいて、乗り換えなしで来られる。横浜方面からは、横浜線で八王子へ出て中央線に乗り換える道もある。羽田空港からは、立川駅行きの空港バスがある(立川バスの羽田空港線: https://www.tachikawabus.co.jp/highway/haneda/ )。時刻と所要時間は各社の公式で。
- 組み合わせて回るなら: 立川北駅の目の前に、パブリックアートの街ファーレ立川がある。モノレールで北へ2駅の立飛、車窓に富士山を探す南行きの旅も、この特集にそれぞれ一編ずつある。
空の道の真ん中で、ひと休み
上北台まで行って、空中の線路の切れ端を見上げ、また立川北駅まで戻ってくる。モノレールに座っていた時間は短くても、駅の階段とデッキを上り下りするうちに、足には意外と疲れがたまる。
立川駅の北口から歩いて1分、立川市曙町2-14-10のエトロワビル3階に、オンザショア立川店がある。溶岩プレートを敷いたスタジオで行うホットヨガのスタジオだ。常温のヨガやピラティス、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングもあり、ヨガだけで25種類以上のレッスンがある。
営業は8時から23時30分まで、年中無休で、曜日による違いはない。朝いちばんのモノレールで北の終点を見にいっても、夜に南の多摩センターから戻ってきても、寄る時間はある。
ヨガの体験レッスンは税込1,980円。60分のレッスンに、バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれる。身ひとつで寄れる。
妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できないが、常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。
料金は https://ontheshore.jp/price/ 、店の案内は https://ontheshore.jp/ 、体験の予約は https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp で確かめられる。
あの空中の切れ端が、いつか向こう岸へ届く日のことを考えながら、立川の真ん中で深く息を吐く。10年先の空は、まだ誰の目にも見えていない。
冒頭の写真: 立川北駅のホームの多摩モノレール1000系。延伸後は空の道のほぼ真ん中の駅になる(写真: プログラマリオ / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons)
この記事の情報は2026年10月時点のものです。
立川さんぽ特集のほかの記事
- 立川の空襲と戦争の記憶 北口の広場は建物疎開の跡だった。山中坂の壕と13回の空襲
- 立川の紅葉・イチョウを歩く 都が選ばなかったケヤキと、市でただ一本の天然記念物
- 立川 基地の町の文化を歩く ユーミンが歌ったゲートと、コーラの瓶を返せという通達
- 立川基地と砂川闘争の歴史を歩く──広がらなかった滑走路と、返された土地の使いみち
- 立川の銭湯と湯の文化 6円が600円になるまで、市内に残る3軒の湯けむり
- 立川防災館と立川広域防災基地を歩く──首都の予備の頭脳は、なぜ立川にあるのか
- 立川の橋めぐり 「無名橋」から二階建ての立日橋まで、橋の名前が覚えている街の来歴
- 立川シネマシティの極上爆音上映──映画館が消えた街に、東京初のシネコンが立つまで
- 立川の文化施設をめぐる──「国立」音大は立川にあり、美術館は信用金庫の1階にある
- 立川をサイクリング──昭和記念公園の14キロと多摩川へ、飛行場が選んだ平らな街を走る
- 立川の踊りと市民の祭り 立川音頭は4つある、そして「立川はフラフラだ」
- 立川ゆかりの人びと 小澤征爾は立川の小学校に通い、彗星の発見者は立川で生まれた
- 立川ゆかりの有名人 ノッポさんは立川の高校を出て、「ダバダ〜」の作曲家は立川基地で弾いた
- 立川 ファーレ立川アートの見どころと回り方──世界の巨匠が、駅前で車を止めている
- 立川の農業と直売所を歩く 23区の畑の半分を超える町で、一番広く育つのは木だった
- 立川で始まった「日本初」 世界初の量産電気自動車、全国初の女性議長、サザエさん裁判
- 立川の民話と伝説を歩く 残堀川は大蛇の血の跡と伝わり、送り狼には「ごくろうさま」を
- 立川・普済寺と諏訪神社を歩く 国宝の石と千二百年の社、立川という名が生まれた村
- 立川で働く・生まれる仕事の今と未来──昼の人口が夜より2万人多く、開業率は多摩26市で一番の街
- 立川の新しい文化と公演のこれから──バレエの国際予選も「学園都市」の祭りも駅から歩ける
- 立川の緑と環境のこれから CO2を6割減らす街の足湯と、消えては現れる緑
- 立川と外国人観光の今と未来──東京を訪ねた旅人の2.3%だけが知る街へ、羽田からバス1本
- 立川の人口と子育てのこれから 外れた予言より4万人多い未来と、2028年の峠
- 立川と首都直下地震のこれから──465億円の新しい防災拠点と、競輪場が避難所になる日
- 立川・昭和記念公園のこれから レインボープール跡地に、なぜ誰も手を挙げなかったのか
- 立川駅周辺の再開発とこれから 「ベッドタウンにしない」と決めた駅前の、デッキとグリーン車の未来
- 立川・立飛とGREEN SPRINGSの次の十年 市の25分の1を持つ会社と予測を超えた街
- 立川 GREEN SPRINGSの見どころ 一等地にヤギがいて、屋上に多摩川が流れる
- 立川観光と散歩の総合案内──国宝も南極の氷も砂浜もある、空の都の歩き方
- 立川の地形と坂を歩く 平らな街は、なぜ北から南へ50メートルあまり傾いているのか
- 立川の歴史を歩く(出典つき年表) 畑と桑の村は、なぜ百年で多摩の中心になったのか
- 立川飛行場と神風号 午前2時にロンドンへ発ち、羽田へ帰った国産機と空の都
- 立川は神奈川県だった 明治26年の三多摩東京移管と、賛成の砂川・反対の立川村長
- 立川競輪場(立川けいりん)を歩く──グランプリ発祥のバンクが、街の図書館と学校を建てた
- 立川の子どもの昭和史 駄菓子屋「デモ屋」と、基地のクリスマスに配られた3.5トンの飴
- 立川の航空神社と、羽田より先の「東京飛行場」──空に祈った社はなぜ駐車場の片隅に
- 立川・昭和記念公園のこもれびの里と日本庭園──飛行場の跡に、狛江の名主の家が建っている
- 立川の図書館を歩く──たぬきと招き猫と牛のマーク、図書館の無かった市が全国上位になるまで
- 立川のライブハウスと音楽の街 元キャバレーの舞台と、「TM」が多摩だったころ
- 立川まんがぱーくの見どころと行き方──市役所だった建物で靴を脱ぎ、畳の上の4万冊にもぐる
- 立川の花火大会と祭り 昭和記念公園の五千発は、なぜ打ち上げ場所が秘密なのか
- 昭島散歩 立川から9分、海のない街にアキシマクジラと「島」がある理由
- 福生散歩 横田基地はなぜ横田にないのか、国道16号のアメリカンな街の親は立川飛行場
- 福生の酒蔵散歩 石川酒造と田村酒造場、多摩川のそばで川の水を使わない二つの蔵
- 八王子城跡散歩 立川の武士が仕えた、1日で落ちた山城と日本でただ一つの「桑の都」
- 八王子・高尾山散歩 立川から乗り換えなしで行く「世界一」の山と、首を賭けて守られた森
- 日野散歩 土方歳三と新選組のふるさとへ、立川の岸に「日野の渡し」の碑が立つわけ
- 国分寺散歩 お鷹の道と真姿の池、武蔵国分寺跡を立川から歩く 「はけ」は立川から始まっていた
- 国立散歩 「国立」の立は立川の立──大学通り、一橋大学、谷保天満宮を立川から歩く
- 御岳山散歩 武蔵御嶽神社と御岳渓谷、山の神社は参拝の道順を立川から書き起こす
- 青梅散歩 昭和レトロの街並みと映画看板、青梅線は青梅の人が立川へ引いた線路だった
- 立川・根川緑道から多摩川へ散歩 市名の「川」はどの川か、市も知らない
- 立川・猫返し神社(阿豆佐味天神社)と水天宮──名付け親は宮司ではなくジャズピアニストだった
- 立川の夜景と朝の富士山──冬至の夕日は富士の方角へ沈む、デッキとモノレールの空の時刻表
- 立川の夜を歩く──北口と南口の飲み屋街・横丁の歴史、闇市の広場と10館の映画館
- 立川のラーメンとうどん──ラーメンスクエアと武蔵野の小麦、婚礼のご馳走はうどんだった
- 立川は23区に負けているのか 公園は区部の3倍、富士山は新宿より23キロ近い
- 立川の古い村と史跡を歩く──石碑と井戸ばかり残るのは、村が引っ越し好きだったから
- 立川・オニ公園(錦第二公園)へ子連れで──鬼門を守る赤鬼は方角を45度まちがえたのか
- 立川の公園めぐり 一人あたり都平均の2倍、二百六十の公園と「やり投げの月曜日」
- 立川の町名・地名の由来を歩く 曙町と羽衣町は、なぜ名前を取り替えたのか
- 立川で南極に触れる 入場無料の南極・北極科学館と、飛行場の跡に生まれた研究所街
- 立川 雨の日の過ごし方と時間つぶし──雨が一番多いのは梅雨でなく9月、駅の二階から歩く
- 立川市歴史民俗資料館の見どころ──国宝は複製、蚕は本物。立川の歴史を預かる小さな館
- 立川の桜・花見の名所を歩く 駅前の「玉桜」から根川の土手、基地の引込線まで、百年の花の地図
- 立川の学校と学び舎の街──制服の無い百年校、夜の教室、鐘の鳴る音大、南極を学ぶ大学院
- 立川のロケ地と作品の舞台を歩く──神様も防衛隊員も、なぜ立川へ「休みに」来るのか
- 立川の養蚕と桑畑の歴史 砂川は桑苗の生産で全国一だった、空の都の下に眠る蚕の村
- 立川はなぜ「なんでもある」のか──商業の街の百年、魚屋のスーパーから都内初のIKEAまで
- 立川・昭和記念公園の見どころを歩く イチョウ並木が四角いのは、空のせいだった
- 立川の姉妹都市サンバーナディノと世界──東京で最初の姉妹市と、国際司法裁判所長になった交換高校生
- 立川のお土産と名物──59品の「立川のたいこばん」と、酒蔵のない街にある東京の地酒の本部
- 立川のスポーツ観戦と走る場所──仮設のアリーナから日本一が二度、滑走路から1万人が走る街
- 立川駅の歴史をたどる 村はずれの停車場は、なぜ多摩でいちばんの駅になったのか
- 立川の夏の過ごし方と水遊び レインボープールが眠る公園で、森は30分ごとに霧になる
- 立川・サンサンロードを歩く──車の入れない幅40メートルの道に、冬は60万の灯り
- 立川・立飛の歴史と見どころ 飛ばなくなった会社は、なぜ「飛」の字を手放さないのか
- 立川の歴史と立川氏 街の名を名乗った武士は去り、700年前の古文書だけが帰ってきた
- 立川・多摩モノレールの景色と車窓 立川の隣の駅で、富士に日が沈む
- 立川と多摩川の水害と橋の歴史 汽車は人より37年早く川を渡った、渡し船と堤防の物語
- 立川の玉川上水と砂川を歩く 散歩の見どころと歴史、江戸の水道はなぜ川の下へ潜ったか
- 立川の名物・名産品、東京うど 地下3メートルで白く育つ野菜は、夏を高原で過ごす
- 立川の鉄道さんぽ 200メートル遠回りする「短絡線」と、横田へ燃料を運ぶ列車
- 立川の水道と井戸 蛇口の水はどこから来るのか、街の下に眠る水源井戸をたどる
- 立川はなぜ「東京初」が多いのか IKEAも伊勢丹の支店もシネコンも、西の街から始まった
- 立川の野鳥と生きもの タヌキは下水管で眠り、ホタルは公園に住み、タカの居場所は書かれない
- 立川・矢川緑地と「はけ」を歩く──真冬も15度の小川と、20年減らない湧き水の謎
- 立川の週末さんぽ 横田基地から青梅線で14分、基地の「親」だった街を案内する
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
2




