サザエさんがバスを降りた日——漫画キャラクターの著作権裁判
立川に本社を置く立川バスの観光バスには、かつてサザエさんの顔が描かれていた。
裁判所が公開している判決文によれば、立川バスは昭和26年(1951)4月ごろに観光バスの部門を設け、その名を「サザエさん観光」とした。判決が認めた事実はこうだ。観光バスの名前「サザエさん」は、そのころ一般から募集して決めたものだった。同じ年の5月、車体の両側にサザエ、カツオ、ワカメの顔を描いた観光バス1台で営業を始め、昭和39年(1964)にはそのバスが27台になっていた。ただし、作者の長谷川町子の許しは得ていなかった。
名前を公募で決めたというのが、いかにも昭和らしい。応募した人も、選んだ人も、まさかその名前が20年あまりのちに、判決文の中で40回以上も繰り返されることになるとは、思いもしなかっただろう。1台で始めたバスが27台に増えていく13年は、立川が「基地の町」として全国に名を知られていった時代とも重なっている。
それが作者の知るところとなったのは、運行開始から19年後の昭和45年(1970)だったという。19年。バスはそのあいだ、サザエさんの顔をつけて堂々と走り続けていた。長谷川は使用の差し止めを求めたが立川バスは応じず、昭和46年(1971)に東京地方裁判所に訴えた。請求額は3,672万円。
判決は昭和51年(1976)5月26日に出た。判決文の主文は、立川バスに1,824万4,099円とその利息を支払うよう命じている。判決文によれば、裁判所は原告の求めた1台月3万円という基準を裏づける証拠がないとして退け、代わりに、キャラクターの使用を許す契約では使用料を商品の販売価格の少なくとも3パーセントとするのが業界の慣行だという証言を採った。そして、観光バスの運行収入を「商品の販売価格」に見立てて、その3パーセントを損害の額とした。バスの運賃を、サザエさんの絵柄のついた商品の値段とみなしたわけである。判決はまた、バスに描かれた絵が、登場人物の容ぼう、姿態、性格などを表現するものとして、著作権の侵害にあたると認めた。
百科事典の立川バスの項は、この事件を、日本で初めて漫画のキャラクターの著作権が争われた訴訟として注目された、と書いている。ここにも但し書きを添えれば、これは百科事典の評価で、私は判例集を全部めくって確かめたわけではない。それでも、昭和の立川の街を走ったサザエさんのバスが、日本のキャラクター・ビジネスの決まりごとをつくる裁判の主役になったことは、判決文の日付と金額が証明している。
この話には後日談がある。百科事典によれば、立川バスはのちにキャラクターを描いたラッピングバスも走らせているが、この反省を踏まえて、所定の手続きをとり、著作権の持ち主の了解を得るようになったという。立川の駅前で、キャラクターを描いたバスを見かけたら、それは50年前に高い授業料を払った会社のバスである。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
競輪場と駅ナカの「全国初」
裁判の話のあとは、少しにぎやかな「初」を拾っていく。

写真: Ytani0323 / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons

写真: Furmanj / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons
立川競輪場については、年末のKEIRINグランプリの第1回が立川で開かれたことを、この特集の競輪の回で書いた。百科事典によれば、立川競輪場はほかにも、平成7年(1995)9月に車番連勝式の車券を、平成13年(2001)11月に3連単や3連複、ワイドの車券を、いずれも全国で初めて発売している。昭和63年(1988)に場内に大画面の映像装置を初めて設けた競輪場も立川だという。いまでこそ当たり前の3連単は、競輪では立川から始まったわけだ。外れたときに誰を恨めばいいかも、これでよく分かる。
同じ項には、昭和60年(1985)11月2日、日本シリーズを制した阪神タイガースの日本一の祝勝会が、立川競輪場の3階の特設会場で開かれたという話も載っている。これは「初」ではないが、書かずにはいられない。大阪の球団の日本一を、東京の西の端の競輪場が祝った夜があったのだ。
スポーツの「第1回」も、立川の年表にはいくつも並ぶ。昭和61年(1986)には立川マラソンが日本陸連の公認レースとなり、平成24年(2012)には第1回の立川シティハーフマラソンが開かれた。平成28年(2016)には37年ぶりに立川で大相撲の巡業があり、平成30年(2018)には女子テニスの東レ パン パシフィック オープンが立川で開かれている。競輪の街は、いつのまにか、いろいろな競技の「初めての立川」を迎える街になっていた。
駅の中にも「初」がある。百科事典によれば、JR東日本の駅ナカ商業施設「エキュート」のうち、改札の外にも店を構えたのは立川駅が初めてで、平成19年(2007)10月に第1期が開業した。JR東日本の社史を引く百科事典によれば、駅の南口の駅ビル、グランデュオを運営する会社は、品質の国際規格ISO9001の認証を、日本の百貨店業界で初めて取ったという。
基地の跡地にも「初」が建った。平成26年(2014)4月10日、IKEA立川が開業した。百科事典の店舗の一覧を見ると、それまでの店は横浜や船橋、神戸、埼玉の三郷、福岡にあり、東京都内の店は立川が最初だった。土地は、立川基地の跡地の国有地である。米軍の滑走路の街に、北欧の家具の青い箱が建った。昭和の人が聞いたら、何の話か分からないだろう。
ここで、よくある思い違いも正しておきたい。「IKEAもコストコも、日本の1号店は立川のあたりだった」と覚えている人がいる。私もそう思いかけていた。だが、どちらも違う。IKEAの日本法人の沿革を記す百科事典によれば、いまのイケアの日本1号店は、平成18年(2006)4月24日に開いた千葉の「イケア船橋」で、さらにさかのぼれば昭和47年(1972)に名古屋と渋谷の百貨店がイケアの家具を扱いはじめている。立川は日本初ではなく、東京の大型店として初めてだった。コストコの日本1号店は、平成11年(1999)に福岡県の久山町に開いた久山倉庫店である。百科事典の店舗一覧によれば、立川から近い町田市の多摩境倉庫店は平成14年(2002)9月の開業で、日本で3番目、東京では最初の店だった。立川の近所にあるのは、日本初ではなく「東京初」のほうである。
ついでに、この特集の別の回で書いた「初」を並べておく。昭和22年(1947)、伊勢丹が初めての支店を開いたのは立川で、百科事典は中央線の沿線で初めての百貨店として注目されたと書く。平成6年(1994)、北口のシネマシティは東京で初めてのシネマコンプレックスになった。国営昭和記念公園には、日本で初めての国営の盆栽の展示施設がある。立川の「初」は、思い出すたびに一つずつ増えていく。
学校の「初」——ヒマラヤの女子高生と、小中高一貫
学校にも、立川の「初」がある。
大正14年(1925)に開校した立川女学校、いまの立川女子高校は、山岳部が強いことで知られる。百科事典によれば、昭和53年(1978)12月、日本の高校生として初めてヒマラヤの登頂に成功した。平成7年(1995)8月には、中国の崑崙山脈の最高峰コングール山の、それまで誰も登ったことのなかった第4峰、標高6,650メートルを制覇している。その挑戦は『女子高生・汗と涙の初登頂』という本にもなった。多摩の平らな台地で育った女子高生が、6,000メートルを超える未踏の峰に立つ。平らな街は、山への憧れも人一倍だったのかもしれない。
令和4年(2022)には、都立の立川国際中等教育学校に附属小学校が開校した。百科事典によれば、公立の小中高一貫教育校は全国で初めてだという。東京都教育委員会も、この学校を「都立小中高一貫教育校」として案内している。もっとも、同じ百科事典には、この学校の校地の大半は隣の国立市にある、とも書いてある。立川の「全国初」は、半分ほど国立にはみ出していた。
令和7年(2025)4月には、立川市錦町に都立立川緑高校が開校した。不登校や中途退学を経験した生徒などを受け入れる、東京都のチャレンジスクールの7校目で、多摩地区では初めてだと百科事典は書く。
さかのぼれば、明治34年(1901)に駅の南に開校した東京府立第二中学校、いまの立川高校も、東京府では第一中学校に次ぐ設置だった。多摩で最初の府立の中学校が立川にできた理由の一つが「繁華街がなく学業の環境がよいこと」だったという話は、この特集の駅の回に書いた。
モノレールの結婚式と、婚姻届のグッドデザイン賞
「初」の中には、ほほえましいものもある。
百科事典の多摩都市モノレールの項によれば、平成11年(1999)、モノレールで初めて、貸し切りの車両を使った結婚式「モノレールウェディング」が開かれた。立川北と上北台のあいだが開業した翌年のことだ。高架の上を走る車両の中で永遠を誓う。式の途中で駅に停まるたびに、ドアの外の乗客がどんな顔をしたのか、記録は教えてくれない。同じ項によれば、このモノレールは平成24年(2012)、開業から13年7か月で乗客が5億人を超え、これはモノレールとして国内最速とされる。5億人のうち、車内で結婚を誓った人は、たぶんごく少ない。
結婚つながりで、もう一つ。市の年表によれば、立川市は平成28年(2016)に「プレミアム婚姻届」を売り出した。翌年には「ふるさと名品オブ・ザ・イヤー」のコト部門で地方創生大賞を受け、令和元年(2019)にはグッドデザイン賞を受けている。婚姻届がデザインの賞を取る。役所の書類で賞を取った街を、私はほかに知らない。もっとも、その書類が出された後の家庭のデザインまでは、市も保証していないだろう。
「初」の数え方、そして立川で初めて分かったこと
最初の問いに戻ろう。立川の「初」は、本当に初なのか。
全部が、文句なしの初というわけではなかった。空の定期便には堺という先輩がいたし、世界初の電気自動車にも、どこまでを数えるかという但し書きがつく。小中高一貫の学校は半分国立にはみ出していたし、「たま」の工場は府中にあった。
それでも、但し書きを全部つけ終えたあとに、残るものがある。全国で最初の女性の議長は、立川の議場に座った。漫画のキャラクターの値段を決めた裁判は、立川のバスから始まった。3連単も、駅ナカの改札の外の店も、都内のIKEAも、立川が最初だった。どれも、ほかの街が「次」になるために、誰かが先に踏まなければならなかった一歩である。
市の年表には、最後にもう一つ、私の好きな「初めて分かったこと」が載っている。平成27年(2015)、東京大学地震研究所が立川断層についての講演会で、断層が市内に存在しないことを報告した。立川の名を冠した断層が、立川を通っていなかった。何かがあると思われていた場所に、確かめてみたら無かった。それもまた、調べて初めて分かる「初」である。
年表の一行は、今日も同じ大きさの活字で並んでいる。「市立第○小学校開校」の隣に、「全国初」がさりげなく置かれている。この街の自慢は、たいてい小さな字で書いてある。
新宿から中央線で一本、川崎からなら南武線で一本。週末の立川で、その小さな字の自慢を一つずつ拾って歩くと、一日ではたぶん足りない。
寄り道クイズの答え
答えは(B)工場のある土地の地名。三樹書房の連載によれば、昭和22年(1947)に完成した電気自動車は、地名にちなんで「たま」と名づけられた。百科事典も、車名は工場の位置する地名の「多摩」から命名されたと書いている。
訪ねる前に
- 立川市の年表(市の歴史): 「全国初の女性市議会議長」「都下で初の立川交通相談所」などの一行は、市の公式サイトの年表で読める。https://www.city.tachikawa.lg.jp/shisei/gaiyo/1005930/1005948/1005965.html
- 立川市議会の歴代議長: https://www.city.tachikawa.lg.jp/shigikai/gicho-fukugicho/1007607.html
- 立川競輪場: 立川市曙町3丁目32番5号。JR立川駅・多摩モノレール立川北駅から徒歩15分。開催日などは立川北駅前から無料バスもある(公式サイトによる。開催日と便は公式で): https://www.tachikawakeirin.jp/access/
- エキュート立川: JR立川駅の南改札の内外にある。
- IKEA立川: 立川市緑町、立川基地の跡地にある。駐車場は有料。行き方と営業時間は公式で確かめてほしい: https://www.ikea.com/jp/ja/stores/tachikawa/
- 立川バス: 立川駅を起点に各方面へ路線がある。キャラクターを描いた車両に出会えることもある。
- 都心と神奈川から: 新宿からはJR中央線快速で立川まで乗り換えなし(30分台)。神奈川からは、川崎からJR南武線で乗り換えなし(立川まで約1時間)。時刻と所要時間はJR東日本の公式で確かめてほしい。
- 組み合わせるなら: 午前は北口のシネマシティやファーレ立川、昼は南口のエキュートとグランデュオ、午後はIKEAのある基地の跡地や、昭和記念公園の盆栽苑へ。立川の「初」を一日でめぐれる。
歩いたあとは、立川駅北口で
「初」を探して一日歩くと、足は意外なほど疲れている。初めての場所ばかり歩いたせいかもしれない。
JR立川駅の北口から徒歩1分のところに、オンザショア立川店がある。住所は立川市曙町2-14-10、エトロワビル3階。溶岩プレートを敷いたスタジオで行うホットヨガのスタジオで、常温のヨガやピラティス、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングもある。ヨガだけで25種類以上のレッスンがそろう。
営業は8時から23時30分まで、年中無休で、曜日による違いはない。朝の競輪場でも、夜のシネマシティの後でも、寄る時間は十分にある。
はじめての人には、税込1,980円のヨガの体験レッスンがある。60分のレッスンに、バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれている。文字どおり「初」の一回を、手ぶらで試せる。
妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できないが、常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。
料金は https://ontheshore.jp/price/ 、店の案内は https://ontheshore.jp/ 、体験の予約は https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp から確かめられる。
この街で何かを最初にやった人たちも、きっと最初の一歩は、少し怖かったはずだ。
冒頭の写真: 2025年の展示会に並んだ、たま電気自動車の乗用車E4S-47型。(写真: SuFlyer / CC0 / Wikimedia Commons)
この記事の情報は2026年10月時点のものです。
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