松本清張『ゼロの焦点』の影に、立川がある
『ゼロの焦点』と聞けば、多くの人は能登の断崖を思い浮かべる。冬の日本海、岩に打ちつける波。映画やドラマで繰り返し描かれてきた、あの風景だ。

写真: 文藝春秋 / Public domain / Wikimedia Commons
だが、この小説の謎の根は、北陸ではなく立川にある。
百科事典によれば、『ゼロの焦点』は昭和33年(1958)に雑誌『太陽』で『虚線』の題で連載が始まり、その雑誌が休刊したあと、『零の焦点』と題を改めて『宝石』で書き継がれた。光文社のカッパ・ノベルスから本になったのは、昭和34年(1959)の暮れである。
新婚まもない妻の夫が、出張先の金沢で姿を消す。妻は夫の足取りを追って金沢と能登をたずね歩き、夫の知られざる過去にたどり着く。北海道大学の紀要に今年載った論文によれば、その過去とは、占領期に立川で警察の風紀係として、米兵相手の女性たちの取り締まりにあたっていたことだった。昭和36年(1961)の野村芳太郎監督の映画を紹介する評も、夫が一時期、立川で風紀係の警官をしていたことが判明する、と筋を書いている。
この先は、まだ読んでいない人のために書かずにおく。ただ、物語のすべての糸が、戦後の立川の夜の町に結び目を持っていることだけは言っておきたい。
小説が生まれたきっかけにも、立川が出てくる。百科事典は、推理作家の山村正夫の回想を引いて、こう伝えている。当時、練馬の上石神井に住んでいた清張は、仕事の合間に近所の食堂で、立川の米軍基地の女性と思われる人に出会った。彼女たちはその後どうしただろうか。そう思いをめぐらせたところから、構想をふくらませていったとされる、と。
能登の断崖で有名な小説の出発点が、海も断崖もない、平らな台地の上の立川だった。崖の上の場面ばかりが語られるが、その足もとには、武蔵野の台地の、広く平らな基地の町が埋まっている。
清張は、過去を隠して生きようとする人びとの必死さを書いた。その過去の舞台に立川を選んだ。基地の町に生きた人びとにとって、それは必ずしもうれしい役回りではない。だが、戦後という時代の痛みを、立川はたしかに引き受けていた。小説はそのことを、半世紀以上たったいまも、黙って教えている。
重い話が続いた。次は、もう少し笑える話をしたい。
数字で読む 立川ゆかりの有名人
- 1901 — 都立立川高校の前身、東京府第二中学校が生まれた年。ノッポさんも東海林さだおも、この学校の卒業生。
- 20年以上 — ノッポさんが「なにしてあそぼう」「できるかな」に出演した年月。そのあいだ、ほぼ無言。
- 200本近く — 八木正生が手がけた映画音楽の数。そのうえに「ダバダ〜」がある。
- 3年 — ジェームズ・メレディスが立川基地で過ごした年月。アメリカの大学の門が開くまで、あと2年。
- 5万円 — ザ・ロッカーズのメンバーの給料(本人談)。立川の一軒家の電話代は5人で割った。
- 1978 — 国立音楽大学が立川市に移った年。「国立」の音大は、ここから立川の音大になった。
旅人の寄り道クイズ
デビューしたばかりのザ・ロッカーズが立川の米軍ハウスで暮らしていたころ、事務所からの仕事の連絡は何で届いたか。(A)電話(B)電報(C)伝書鳩。答えは最後に明かす。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
陣内孝則とザ・ロッカーズ、上京して最初の家は立川の米軍ハウス
俳優の陣内孝則は、もとは福岡のロックバンド、ザ・ロッカーズのボーカルだった。百科事典によれば、5年のアマチュア活動を経て、昭和55年(1980)に博多でスカウトされ、レコードデビューを果たしている。
そのバンドが上京して最初に暮らしたのが、立川だった。
平成30年(2018)にニッポン放送の番組「あさナビ」に出たとき、陣内は自分でこう話している。上京していきなり、立川の米軍ハウスに住んだ。一軒家で練習もできるからと事務所が借りてくれた。それがよくなかった、と。
ここから先の話は、本人の言葉のほうが面白いので、要点だけを順に並べる。
福岡では5年間、仲良くアマチュアでやってきた。ところが、仕事と生活が一緒になると、靴や歯ブラシの置き方で腹が立つようになる。電話代は5人で均等に割るのに、一人だけやたらと長電話をする者がいる。誰も料金を払わないので、ライフラインが止まっていく。水道が止められたこともあり、元栓を針金で縛って止めてあったのを、ほどきに行ったりした。給料は5万円で、とても食べていけない。それでいて衣装は買う。
そして、仕事の呼び出しは電報だった。「キョウ シゴト ジムショコイ」。
80年代の話ですよ、と陣内は念を押している。聞き手の黒木瞳が思わず疑うほどの話だ。百科事典によれば、バンドは昭和57年(1982)に解散した。本人の言い方では、活動は1年半で、そのあいだにアルバムを3枚作った。
立川の基地が全面返還されたのは、市の年表によれば昭和52年(1977)。その数年後、米軍ハウスと呼ばれる家に、福岡から出てきた5人のロック少年が住みつき、歯ブラシの置き場所で喧嘩をしていた。
アメリカの名前で呼ばれる一軒家が、日本のロックバンドの、いちばん貧しくていちばん騒がしい時期の舞台になる。家のほうも、ずいぶん面食らったことだろう。
水谷豊が育った街、音大で学んだ歌のお兄さん
最後に、子どものころを立川で過ごした人と、立川の大学で学んだ人の話をしたい。

写真: Nyao148 / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons
刑事ドラマ『相棒』の杉下右京で知られる俳優の水谷豊は、昭和27年(1952)に北海道の芦別で生まれた。nippon.comに載った『水谷豊自伝』の書評によれば、工事現場で働く父の仕事の関係で東京都立川市に移り、12歳で劇団ひまわりに入って、『マグマ大使』で子役としてデビューした。百科事典は、小学2年のときに父が立川で土建業を始め、以後、立川で育ったと書いている。
工事現場で働く父を持つ少年が、立川で育ち、のちに日本でいちばん有名な警部の一人になる。立川の駅前を歩く人のうち、右京さんの少年時代がこの街にあったと知っている人は、たぶんそう多くない。知っていたら、駅前の人混みが少し違って見えるかもしれない。
学んだ人の話に戻ろう。玉川上水駅の近くにある国立音楽大学は、その名前に反して、立川市柏町にある。大学の公式の沿革によれば、昭和53年(1978)4月に大学の所在地が立川市に変わった。大学基準協会の評価の報告書も、1978年に立川市にキャンパスを移したことを記している。つまり、それより後にこの大学で学んだ人は、みな立川で学んだことになる。
では、なぜ「国立」なのか。同じ沿革をさかのぼると、答えがある。前身の東京高等音楽学院は大正15年(1926)4月に四谷の仮校舎で開校し、同じ年の11月に国立の大学町に校舎を建てて移った。名前は、生まれ育った町のものなのだ。半世紀を国立で過ごしたあと、引っ越し先の立川に、名前だけはそのまま連れてきた。大学は平成20年(2008)、立川市と連携・協力の協定を結んでいる。名前は国立、住所は立川、つきあいは両方。
その中には、子どもたちの人気者がいる。大学の公式サイトの卒業生紹介によれば、横山だいすけは千葉県の出身で、平成18年(2006)に国立音楽大学の声楽学科を卒業した。劇団四季をへて、平成20年(2008)にNHKの「おかあさんといっしょ」の11代目うたのお兄さんになっている。
もう一人、愛媛県西条市出身のテノール歌手、秋川雅史も、国立音楽大学とその大学院で声楽を学んでいる。日本サッカー協会の紹介によれば、「千の風になって」で、クラシックの歌手として史上初めてオリコンのシングルチャートの1位を取った人だ。
うたのお兄さんも、「千の風」のテノールも、立川で発声練習をしていた。立川の空には、ずいぶん良い声が上っていたことになる。
立川は、人が途中で立ち寄る街なのか
冒頭の問いに戻ろう。
今回たどった人たちは、一人も立川で生まれていない。京都で生まれた人が岐阜から転校してきた。高円寺で生まれた人が八王子から通った。ミシシッピで生まれた人が空軍の辞令でやってきた。福岡のバンドが事務所の借りた家に住んだ。北海道の少年が父の仕事で越してきた。
つまり、みな途中だったのである。人生のどこかへ向かう途中で、立川に寄った。
だが、並べてみると、その途中の時間に、たいてい何かが始まっている。ノッポさんは立川で高校を終えてから芸の道に進んだ。八木正生は基地のステージから映画音楽へ向かった。メレディスは立川で自分の国の間違いに気づいた。ロッカーズは立川の一軒家で、デビュー直後の、いちばん苦しい季節を過ごした。
立川は、昔から人と物が行き交う結節点だった。明治に鉄道が通り、大正に飛行場ができ、戦後は極東の空の玄関になった。通り過ぎる人が多い街は、記憶されにくい。けれど、通り過ぎる人の数だけ、何かが始まる。
立川の人は、そのことをあまり自慢しない。生まれた人のことさえ、名誉市民は一人しか選んでいない街である。寄っていった人のことまで、いちいち覚えてはいないのだろう。だから、代わりに書いておく。
あなたが立川駅で乗り換えるとき、隣を歩いている誰かも、もしかしたら途中なのかもしれない。何十年かたって、その人の名前を「立川ゆかりの有名人」の名簿で見つけることになっても、私はもう驚かない。
寄り道クイズの答え
答えは(B)電報。陣内孝則がニッポン放送の番組で語ったところでは、事務所からは「キョウ シゴト ジムショコイ」と電報が届いた。80年代の話である。電話代を5人で割っていた家に、電報で仕事が来る。どちらが安かったのかは、本人も語っていない。
訪ねる前に
- 都立立川高校: 東京都立川市錦町2-13-5。ノッポさんと東海林さだおが卒業した学校。在校生の学びの場なので、校内には入らず、門の前を通るだけにしたい。JR立川駅の南口側の街にある。公式サイト: https://www.metro.ed.jp/tachikawa-h/
- 国立音楽大学: 東京都立川市柏町5-5-1。大学の交通案内によれば、西武拝島線・多摩モノレールの玉川上水駅から、西武線の線路沿いに徒歩7分。演奏会の予定や公開の催しは大学の公式サイトで確かめてほしい: https://www.kunitachi.ac.jp/access/
- 国営昭和記念公園: かつての米軍立川基地の跡地の一部につくられた公園。メレディスや八木正生がいた時代の基地を思いながら歩ける。開園時間や入園料、休園日は公式サイトで: https://www.showakinen-koen.jp/access/
- 組み合わせるなら: 多摩モノレールで玉川上水駅に出て国立音楽大学の前を歩き、立川北駅まで戻って昭和記念公園へ。最後に南口の錦町を回れば、学んだ人と基地の時代の人の足跡を、半日でゆるく結べる。
歩いたあとは、立川駅北口で
基地の跡の芝生と、音大の前の線路沿いと、錦町の校門。足跡をたどって歩くと、思ったより距離が延びる。頭は人の名前でいっぱいなのに、体は少し冷えている。
JR立川駅の北口から徒歩1分のところに、オンザショア立川店がある。住所は立川市曙町2-14-10、エトロワビル3階。溶岩プレートを敷いたスタジオで行うホットヨガのスタジオで、常温のヨガやピラティス、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングもある。ヨガだけで25種類以上のレッスンがそろう。
営業は8時から23時30分まで、年中無休で、曜日による違いはない。朝に昭和記念公園を歩く前でも、夜に錦町から戻ってからでも間に合う。
はじめての人には、税込1,980円のヨガの体験レッスンがある。60分のレッスンに、バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれているので、手ぶらで寄れる。
妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できないが、常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。
料金は https://ontheshore.jp/price/ 、店の案内は https://ontheshore.jp/ 、体験の予約は https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp から確かめられる。
ノッポさんは身ぶりだけで、すべてを伝えた。言葉を置いて、体だけで一時間を過ごすのも、たまには悪くない。
冒頭の写真: 立川市錦町にある都立立川高校の正門の前。ノッポさんと東海林さだおの母校(写真: jullyzip / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons)
この記事の情報は2026年10月時点のものです。
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