南口のすずらん通りに、500人のセビジャーナス
南口の錦町には、スペインがやってくる。
立川観光コンベンション協会の告知によれば、2026年の4月29日、すずらん通りの街路は車両通行止めになり、ステージが建った。フラメンコのライブがあり、街路では数百人が「ストリートフラメンコ」を踊る。地元のライブハウス2軒、場外馬券場のウインズ立川の建物でもライブがあり、駐車場の屋上ではフードコートとフリーライブの「カセタ」が開かれる。前日の夕方にはウインズ立川で前夜祭があり、その前の週には、フラメンコの流しが飲食店をめぐる「出前フラメンコ」もある。商店街の店で使えるクーポンにまで、「踊る」の名がついている。この日の立川の南口は、一日、スペインの色に染まる。
告知は、全国から500人を超えるフラメンコの愛好者が参加する、日本のフラメンコでは有名な春の催しだと書く。主催は立川南口すずらん通り商店街振興組合。2026年が第23回だった。
地元の情報誌によれば、始まりは2004年。すずらん通りを初めて車両通行止めにしてパレードをしたのが、この年だった。運営には、錦町で生まれ育ったプロのフラメンコの踊り手も携わっている。2016年の第13回の記事は、こう書いている。年齢も性別も、体型のメリハリさえも乗り越えて、衣装をつければ自分が主役。圧巻はダンサー500人の舞、と。
観光協会の告知によれば、路上で踊られるのはセビジャーナスなどの踊りだ。商店街の道いっぱいに、色とりどりの衣装が広がる。場外馬券場で前夜祭をやり、商店街でスペインの祭りの踊りを踊る。立川の南口は、昔から、肝が据わっている。
その南口には、平成のころ、サンバのパレードもあったと、同じ情報誌は創刊40年の連載で振り返っている。柴崎町2丁目を、演奏しながら、踊りながら進んでいく。写真の奥には、中央線の電車が走っていた。「立川といえばフラメンコ」「いやいや、立川はフラの聖地」「かと思えば、サンバもあって、民謡流しもあって。何でもあるのが立川なんです」と、その記事は書く。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
北のフラと、福生から来た妖怪盆踊り
北口のフラは、比較的新しい。

写真: Kakidai / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons
立川観光コンベンション協会の告知によれば、GREEN SPRINGSの「Aloha Hawaiian Festival」は、2023年4月29日と30日に、立飛グループの創立100周年の記念事業として開かれた。ハワイアン音楽とフラの野外ステージ、アロハマーケット。主催は立飛ホールディングス。飛行機をつくっていた会社の100年目の祝いが、フラだった。その後も続き、2026年は4月25日と26日に、隣のTACHIKAWA STAGE GARDENでも催しがあった。地元の情報誌は、2024年の前夜祭の「メレフラ・パーティー」で、ステージガーデンに大勢の人が集まり、一斉にフラを踊ったと伝えている。同じ曲でも流派ごとに踊りが違い、見ているほうも楽しいが、踊っている人がいちばん楽しそうだった、と。
夏の駅ビルでも、フラは踊られる。2026年の8月1日と2日、グランデュオ立川で開かれたフラフェスティバルには、多摩地域で活動するフラの教室の8つのグループが出て、それぞれ30分ずつ踊った。中には、タヒチの踊りのグループも一つ混じっていた。
そして秋、同じGREEN SPRINGSの広場に、妖怪が出る。
「妖怪盆踊り」は、日本に古くから伝わる「妖怪」に扮して盆踊りを踊る催しだ。散歩の情報サイト「さんたつ」の記事によれば、きっかけは2019年、国境を越えて盆踊りを楽しんでもらおうと、福生市の国道沿いの公園で開かれた「ふっさ妖怪盆踊り」だった。2022年から、会場を立川のGREEN SPRINGSに移した。
福生は、横田基地の街である。国境を越えて、という言葉には、たぶん、基地の隣の街らしい実感がこもっている。その盆踊りが、かつて立川飛行場だった土地の上の広場に引っ越してきた。立川から横田へ移っていった飛行場の歴史を、妖怪たちが逆向きにたどってきたような話だ。
主催者の告知によれば、2025年の10月には3日間で推定5万人が集まった。やぐらステージの周りは有料のエリアで、入るには、妖怪の仮装か浴衣か公式グッズの着用が要る。ドレスコードが「妖怪」の盆踊りは、世界でもそう多くはないはずだ。生演奏の盆踊りに、電子音楽の石野卓球や民謡クルセイダーズらのライブ、妖怪コンテスト、狐の嫁入り、「立川百鬼夜行」。無料のエリアでは、立川おはやし保存会がお囃子を奏でる。昔ながらの囃子と、妖怪と、テクノ。盆踊りは、ここではほとんど何でも受け止める器になっている。
よいと祭りの民踊流しと、モノレールの下のYOSAKOI
秋のもう一つの踊りの場が、立川よいと祭りだ。
祭りの来歴と山車や万灯みこしのことは、この特集の花火とサンサンロードの一編で書いた。ここでは踊りだけを見る。2026年の第38回の内容に並ぶのは、民踊流し、YOSAKOI、太鼓、松明回し。民踊流しは、第1回から続く祭りの柱の一つだ。鳴子を手にしたYOSAKOIの踊り手と、浴衣で輪をつくる民踊流しの踊り手が、同じモノレールの下を通っていく。
いまは10月の祭りだが、ずっと秋だったわけではない。地元の情報誌によれば、令和元年(2019)の第31回は8月3日、真夏のサンサンロードで開かれた。翌年の東京大会で、立川がパンアメリカン地域の国々の事前キャンプ地になるのを受けて、この年はサンバのパレードが特別に加わり、猛烈な暑さの中で会場は大いに盛り上がった。開催日は年によって変わる。行くなら、必ずその年の告知を見てほしい。
民踊流しには、事前の練習会もある。主催者の案内に載る2026年の曲目の、最初の1曲は「新立川音頭」だった。ここで私は首をかしげた。4つの立川音頭のうち、「新」がつくのはどれなのか。郷土史家の一覧には、「新」の名を持つ音頭は出てこない。昭和48年の4つ目なのか、それとも別の歌なのか。私には確かめきれなかった。練習会に行けば、たぶん、踊っている誰かが知っている。
町会の盆踊りと、ねぶたっ子──踊りを継ぐ人たち
大きな催しの陰で、町会の盆踊りは、いまも続いている。
地元の情報誌は2024年の夏、声をかけてくれた町会を訪ね歩いた。羽衣会の納涼盆踊り大会、愛宕神社の東栄会の盆踊り、諏訪神社の盆踊り、七番組の夏まつり、あけぼの夏まつり。7月20日には、昭和第一学園の人たちの演奏のあと、これからという時に雷雨になり、あちこちで盆踊りが中止になった。その分、翌日にみんなで楽しく踊ったという。7月28日の盆踊りは、子どもが多くてにぎやかだった。雨に流された盆踊りは、翌日に持ち越される。それくらい、踊りたいのだ。
担い手の悩みも、同じ情報誌は隠さない。2019年の秋の号は、諏訪神社の例大祭でも神輿の担ぎ手不足の声を聞いたと書く。そして、関東一と言われる羽衣のねぶた祭も立川の人だけで支えているのではないと聞いたと続け、別の地域の人の力を借りるのも一考だ、と結んでいる。
その「よその力」は、いまや立川の踊りの、いちばんの特徴かもしれない。ねぶた会の青年部は都内から来る。フラメンコには全国から500人が集まる。妖怪盆踊りは福生からやって来た。そして子どもたちも、自分の踊る場所を求めている。立川市の子ども委員会は、かつて「中高生がダンス、バンド活動に利用できる場所がほしい」という声を受けて、その実現のための催しを開いた。羽衣町の「ねぶたっ子」の次に、どんな踊りの子どもたちが、この街から出てくるのだろう。
謎の答え──立川は、踊りを「つくる」街だった
最初の問いに戻ろう。なぜ立川音頭は4つもあり、なぜ立川の踊りの多くは、よそから来ているのか。
資料をたどって見えてきた答えの半分は、こうだ。立川は、踊りを受け継ぐだけでなく、つくってきた街だった。昭和12年、飛行場の町の誇りを歌に込めようとして1つ目の音頭がつくられた。戦後、川と森を歌い直し、合併の年には東西南北を一つの輪にしようとした。駅の100歳の年には、よいと祭りが生まれた。商店街は補助金とちゃんこからねぶたを呼び、別の商店街は道を止めてスペインの踊りを持ち込み、飛行機会社は100歳の祝いにフラを選んだ。歌も祭りも、誰かが「やろう」と言うたびに、新しくできた。
もう半分は、この街の成り立ちにある。立川には、大正11年(1922)に飛行場ができ、戦後は基地の街になった。昭和40年代には団地が建ち、1965年から1978年までの14年で、市立の小学校が11も開いている。柴崎の諏訪神社の獅子舞のように、300年ものあいだ同じ土地の人が継いできた踊りもある。けれども、その周りには、あとからやって来た人たちが大勢いた。よそから来た人たちが、自分たちの輪をつくるには、新しい歌と新しい踊りが要る。4つの音頭は、4回の失敗ではない。人が入れ替わり、街の顔が変わるたびに、輪をつくり直そうとした跡なのだと、私は思う。
「立川はフラフラだね」。それは、たぶん、悪口ではない。新しい踊りがやって来るたびに、ふらりと輪に入ってしまう、この街の人の気質のことだ。
週末に立川へ来るなら、暦を一度見てほしい。春なら南口の路上で、500人のフラメンコの輪の外側に立てる。秋なら、妖怪の扮装をしなくても、無料のエリアからお囃子を聴ける。踊れなくてもかまわない。この街の踊りは、もともと、よそから来た人のためにあるのだから。
寄り道クイズの答え
答えは(A)。羽衣ねぶた祭の実行委員長の話では、都と市の商店街の事業の補助金を受けて、東立川商店街で、青森出身の当時の理事長の縁で舞の海にちゃんこを作ってもらい配るイベントを開いたのが始まり。その翌年、会員から青森のねぶたを1基でも持ってこられないかという声が上がり、人形ねぶた1基で第1回が開かれた。
訪ねる前に
- 開催日は年ごとに変わる。行く前に、必ず主催者と立川観光コンベンション協会の最新の告知を確かめてほしい。観光協会のイベント一覧: https://tokyo-tachikawa.org/event/
- 立川よいと祭り: 会場はサンサンロード(立川駅北口、多摩モノレールの下)。2026年は10月11日(日)13時〜21時、荒天中止。主催は立川よいと祭り実行委員会、共催は立川市と立川市地域文化振興財団。民踊流しの練習会の案内もここに載る: https://www.tachikawa-chiikibunka.or.jp/b10-20261011/
- 妖怪盆踊り: 会場はGREEN SPRINGS 2階の中央広場(立川市緑町3-1、立川駅北口から歩ける)。やぐらステージの周りは有料で、ドレスコードがある。日程と券は公式で: https://yokaibonodori.tokyo/
- 立川フラメンコ: 立川駅南口のすずらん通りを中心としたエリア。入場無料で、例年は春の大型連休のころ。ストリートフラメンコに踊り手として加わるには事前の申し込みが要り、定員で締め切られる年もある: https://flamenco-tachikawa.tokyo
- 羽衣ねぶた祭: 羽衣町の東立川商店街で、例年8月。今年の日程は、観光協会や商店街の告知で確かめてほしい。
- 組み合わせるなら: よいと祭りの会場のサンサンロードと、その先のGREEN SPRINGSは、この特集の別の一編で歩いた道。砂川音頭が発表された阿豆佐味天神社は、玉川上水と砂川の一編で訪ねた。
- 都心から: 新宿から中央線で乗り換えなし。神奈川からは川崎から南武線で乗り換えなしで立川へ。
踊ったあとは、立川駅北口で
祭りの夜は、思ったより体を使う。輪の中で同じ手振りを何十回も繰り返し、人込みの中を立ちっぱなしで歩き、気がつけば、ふくらはぎがすっかり張っている。
立川駅の北口から徒歩1分、立川市曙町2-14-10のエトロワビル3階に、オンザショア立川店がある。溶岩プレートを敷いたスタジオで行うホットヨガのスタジオだ。常温のヨガやピラティス、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングもあり、ヨガだけで25種類以上のレッスンがある。
営業は8時から23時30分まで、年中無休で、曜日による違いはない。祭りの翌朝にも、平日の仕事帰りにも、開いている。
ヨガの体験レッスンは税込1,980円。60分のレッスンに、バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれる。浴衣を脱いだら、身ひとつで寄れる。
妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できないが、常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。
料金は https://ontheshore.jp/price/ 、店の案内は https://ontheshore.jp/ 、体験の予約は https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp で確かめられる。
輪の中で踊り、輪の外で息を整える。立川の祭りの夜は、そうやって更けていく。
冒頭の写真: GREEN SPRINGSの石畳の広場。秋には妖怪盆踊りの会場になる(写真: 突撃二号 / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons)
この記事の情報は2026年10月時点のものです。
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