立日橋──道路とモノレールの二階建ての橋
残堀川が多摩川に注ぐ場所のすぐ脇に架かるのが、立日橋だ。

写真: Tx-re / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons
読み方は「たっぴばし」。東京都建設局の広報紙が、そう振り仮名をつけている。立川の「立」と日野の「日」。両岸の街の名を一字ずつ並べた名前と見るのが自然だろう。国土交通省の京浜河川事務所の橋の紹介は、左岸を立川市柴崎町六丁目、右岸を日野市日野本町六丁目とし、竣工を平成元年3月としている。
この橋の何が珍しいか。道路の上に、もう一本の橋が載っているのだ。都道の道路橋の上空を、多摩都市モノレールの軌道が走る。二階建ての橋である。百科事典によれば、モノレールの建設のために、平成元年3月にまず道路橋の部分が先に開通し、平成12年1月に立川北と多摩センターのあいだのモノレールが開業して、上の段が使われはじめた。立川市の年表は、平成元年に部分開通、平成3年に全面開通と記している。一階が先に開業し、二階の住人は11年遅れて引っ越してきた。
長さは、日本橋梁建設協会の記録で417メートル。鋼の桁橋で、鋼の重さは781トンある。多摩川の流れの上を、道路とモノレールが重なって渡る景色は、写真で見るより実物のほうが、ずっと大きい。
この橋には、地元の人しか知らない小さな見どころがある。立川側の橋のたもとには道路の下をくぐるトンネルがあり、その内壁に絵が描かれている。新聞販売店のコラムによれば、冬の富士山、蛍、カワセミ、秋のススキ、サギ、カモの家族、ツバメが描かれ、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」が書かれている。描いたのは近くの「東京賢治の学校」の生徒と保護者で、以前はトンネルの落書きがひどかったため、東京都の許可を得て描いたところ、落書きがなくなったという。絵の力で落書きを追い出した。なかなかの知恵である。
立日橋から下流へ少し行けば、大正15年に架けられた日野橋がある。この橋の来歴と、令和の架け替えについては、根川と多摩川の記事、多摩川の水害と橋の記事に書いた。その上流には、明治22年に川を渡った中央線の鉄橋がある。立川の多摩川には、明治の汽車の橋、大正の街道の橋、平成の二階建ての橋と、三つの時代の橋が、歩いて回れる近さに並んでいる。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
根川の橋と、昭和の琴帯橋
立日橋から東へ、段丘の崖の下を根川緑道が延びている。
いまの緑道を西から歩くと、モノレールの通る都道の柴崎橋、新奥多摩街道の根川橋、甲州街道のよしみ橋の下をくぐっていく、と地元の情報サイトは書く。終点が、吊り橋をイメージした根川貝殻坂橋だ(その話は根川と多摩川の記事に書いた)。民間の技術者がまとめた古い橋のデータ集には、大正15年に根川に架けられた、鉄筋コンクリートのアーチ橋「吉見橋」の名が見える。日野橋と同じ年の生まれだ。
根川には、もうひとつ、昭和の写真に残る橋がある。
あのころ。『たちかわ物語』14号は、昭和16年に撮られた「根川に架かる琴帯橋とその周辺」の写真を載せている。根川は大正時代から土手に桜が植えられ、昭和20年代までは貸しボートの乗り場と茶店があった。琴帯橋の上流からは、根川の南側に2本の用水路が引かれていて、その手入れと掃除は、毎年5月1日に、水を使う人たちがそろって行っていた。昭和30年前後の写真には、堰や用水路の手入れを終えた人たちが、休んでいる姿が写っているという。
いま。その用水路は、昭和40年代の後半に根川から水が取れなくなり、使われなくなった。根川の下流は昭和47年の河川改修で埋め立てられ、平成9年に、かつての流れの上に緑道がつくられた。ボートの船着き場は、もう無い。琴帯という美しい名前の橋は、昭和の写真のなかで、いまも川を渡っている。
線路をまたぐ橋、消えた川の橋
立川の橋は、水の上だけに架かっているのではない。
立川駅の南西、中央線の線路をまたぐ「めがね橋」は、いまのものが三代目だ。新聞販売店のコラムが紹介する現地の説明板によれば、初代は日野煉瓦でつくられたアーチ橋で、昭和10年の立川・豊田間の複線化工事にともなって取り壊され、古いレールをアーチに使った二代目に架け替えられた。いまの三代目は、市の計画書でも平成22年(2010)の架設になっている。初代のめがね橋の姿は、立川市の指定有形文化財「立川村十二景」に描かれているという。十二景は、郷土画家の馬場吉蔵が明治30〜40年代の立川村の様子を写生し、昭和の初めに色を付けたものだ。説明板の足もとには、初代の煉瓦が記念に敷かれているそうだ。
めがね橋のすぐ近くには、もう一つ不思議な橋がある。線路の上を、水が渡っているのだ。玉川上水から引かれた柴崎分水を、中央線の上に通すための水の橋で、コラムは「水橋」と呼んでいる。江戸の分水が、明治の鉄道をまたいでいる。線路の上を渡るのは、人や車ばかりではない。
その先では、奥多摩街道が「中山陸橋」で中央線を渡る。コラムによれば、初代は「山中陸橋」と呼ばれた木造の橋で、これも立川村十二景に描かれ、橋の先には段丘の下に広がる集落と、遠くの山並み、右端には富士山まで描かれているという。
駅の東では、市の年表によれば、昭和37年に立川駅の東の踏切の地下道ができ、中央線と立体交差する陸橋「ふじみ橋」が完成した。駅をまたぐ南北自由通路が開通したのは昭和57年、駅の西側の自由通路は平成28年だ。地域情報紙の記事には、駅の西側で青梅線と中央線を渡る「西の踏切」が、昔は「開かずの踏切」と呼ばれ、昭和40年に地下道ができてなくなった、という話が残っている。踏切の前で待ちくたびれた昭和の人たちに、いまの自由通路を見せてあげたい。
そして、もう渡れない橋もある。北口のあたりには、立川飛行場からあふれる雨水を多摩川へ流すために掘られた、全長約4キロの排水路があった。市の年表によれば、昭和22年に通水し、昭和24年に「緑川」と名づけられ、昭和35年に蓋をかける工事が行われた。交差点の名前に残る「曙橋」「東橋」は、この緑川に架かっていた橋の名残だ。川を追いかけて歩いた人のブログは、羽衣町に、親柱が片側だけ残る「尺串橋」があると書いている。川が地下に消えても、橋の柱が一本だけ、地上で川の場所を覚えている。
橋の名前が覚えていること
ここまで渡ってきて、冒頭の問いに戻る。立川の橋の名前は、何を覚えているのか。
一の橋、三の橋、四ノ橋という番号は、玉川上水に沿って細長く延びた砂川村の、上流から下流への暮らしの順番を覚えていた。旦那橋は名主の屋敷を、天王橋は鎮守の社を、宮の橋は阿豆佐味天神社を覚えていた。新おちらし橋は、あふれる水に悩まされた村の記憶を、坂下橋と滝下橋は、多摩川が削った段丘の崖を覚えていた。曙橋と東橋は、地下に消えた川を。そして立日橋は、川をはさんだ二つの街の名前を、そのまま背負っている。
ただ、すべての橋が答えをくれたわけではない。一番橋、稲荷橋、上宿橋、鷹の道橋、松風橋。名前の由来を確かめられなかった橋も多い。そして、富士見町の無名橋は、最後まで何も語らなかった。名前のない橋は、名前のない暮らしの道のために架けられたのだろう。畑へ行く道、隣の家へ渡る道。江戸の『上水記』に書かれた作場橋のように。
立川は、多摩の真ん中で、川と上水と線路が何本も交わる街だ。交わるところには、必ず橋がある。51の市の橋、都の橋、鉄道の橋。その一本一本が、誰かが向こう岸へ渡りたいと願った場所の印である。この街が多摩の結節点と呼ばれるのは、駅が大きいからだけではない。渡る場所を、何百年もかけて、ひとつずつ増やしてきたからだ。
寄り道クイズの答え
答えは(A)旦那橋。上水事典が紹介する現地の説明板によれば、見影橋は砂川村の上水の上流から4番目の橋で「四ノ橋」と呼ばれ、名主の砂川家に近かったことから「旦那橋」とも呼ばれた。大正の末の改修で「御影橋」、のちに「見影橋」と書き改められた。
訪ねる前に
- 玉川上水の橋(天王橋・新家橋・見影橋・金比羅橋): 西武拝島線の武蔵砂川駅が見影橋に近い。天王橋は五日市街道と上水の交わる場所。上水沿いの緑道を東へ歩けば、新家橋、見影橋、金比羅橋と順に渡れる。市の玉川上水の案内: https://www.city.tachikawa.lg.jp/kanko/bunka/1004244/1004847/1019994/1004854.html
- 立日橋と残堀川の合流点: 多摩モノレールの柴崎体育館駅から多摩川へ向かって歩いて数分。橋のたもとのトンネルは自転車が勢いよく通るので、歩くときは気をつけたい。
- 根川の橋: 根川緑道は立川駅南口から歩ける。終点の根川貝殻坂橋まで、市の散歩コース「矢川から多摩川方面を歩く」が案内している: https://www.city.tachikawa.lg.jp/kanko/bunka/1004244/1004848/1004890.html
- めがね橋と立川村十二景: めがね橋は立川駅南口から西へ、中央線沿い。十二景は立川市歴史民俗資料館が保管している(展示の有無と開館日は資料館で確かめてほしい): https://www.city.tachikawa.lg.jp/kanko/bunka/1004244/1004847/1019994/1004881.html
- 市が管理する橋の一覧(立川市 橋りょう長寿命化修繕計画): https://www.city.tachikawa.lg.jp/_res/projects/default_project/page/001/006/651/r4_kyoryo_chojumyouka_keikaku.pdf
- 組み合わせるなら: 坂下橋のあたりは地形と坂の記事、天王橋の伏越は玉川上水と砂川の記事、日野橋と中央線の鉄橋は多摩川の水害と橋の記事の道筋につながる。
- 地図の上で橋を探すなら、国土地理院の地理院地図が便利だ: https://maps.gsi.go.jp/
橋を渡り終えたら、立川駅北口で
橋めぐりは、思ったより歩く。上水の橋を一本ずつ渡り、残堀川を下り、多摩川の二階建ての橋まで来るころには、脚はすっかり棒のようになっているだろう。帰りはモノレールで、立日橋の二階を渡って駅へ戻るのもいい。
立川駅の北口から徒歩1分、立川市曙町2-14-10のエトロワビル3階に、オンザショア立川店がある。溶岩プレートを敷いたスタジオで行うホットヨガのスタジオだ。常温のヨガやピラティス、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングもあり、ヨガだけで25種類以上のレッスンがある。
営業は8時から23時30分まで、年中無休で、曜日による違いはない。朝のうちに上水の橋を渡っても、夕方まで多摩川べりを歩いても、寄る時間はある。
ヨガの体験レッスンは税込1,980円。60分のレッスンに、バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれる。橋めぐりの帰りに、身ひとつで寄れる。
妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できないが、常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。
料金は https://ontheshore.jp/price/ 、店の案内は https://ontheshore.jp/ 、体験の予約は https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp で確かめられる。
51の橋を渡ってきた足で、最後に渡るのは、駅の北口の横断歩道だ。立川の橋めぐりは、たいてい、そこで終わる。
冒頭の写真: 多摩川に架かる立日橋。赤い道路橋の上を多摩都市モノレールが走る(写真: osekkai / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons)
この記事の情報は2026年10月時点のものです。
立川さんぽ特集のほかの記事
- 立川の空襲と戦争の記憶 北口の広場は建物疎開の跡だった。山中坂の壕と13回の空襲
- 立川の紅葉・イチョウを歩く 都が選ばなかったケヤキと、市でただ一本の天然記念物
- 立川 基地の町の文化を歩く ユーミンが歌ったゲートと、コーラの瓶を返せという通達
- 立川基地と砂川闘争の歴史を歩く──広がらなかった滑走路と、返された土地の使いみち
- 立川の銭湯と湯の文化 6円が600円になるまで、市内に残る3軒の湯けむり
- 立川防災館と立川広域防災基地を歩く──首都の予備の頭脳は、なぜ立川にあるのか
- 立川シネマシティの極上爆音上映──映画館が消えた街に、東京初のシネコンが立つまで
- 立川の文化施設をめぐる──「国立」音大は立川にあり、美術館は信用金庫の1階にある
- 立川をサイクリング──昭和記念公園の14キロと多摩川へ、飛行場が選んだ平らな街を走る
- 立川の踊りと市民の祭り 立川音頭は4つある、そして「立川はフラフラだ」
- 立川ゆかりの人びと 小澤征爾は立川の小学校に通い、彗星の発見者は立川で生まれた
- 立川ゆかりの有名人 ノッポさんは立川の高校を出て、「ダバダ〜」の作曲家は立川基地で弾いた
- 立川 ファーレ立川アートの見どころと回り方──世界の巨匠が、駅前で車を止めている
- 立川の農業と直売所を歩く 23区の畑の半分を超える町で、一番広く育つのは木だった
- 立川で始まった「日本初」 世界初の量産電気自動車、全国初の女性議長、サザエさん裁判
- 立川の民話と伝説を歩く 残堀川は大蛇の血の跡と伝わり、送り狼には「ごくろうさま」を
- 立川・普済寺と諏訪神社を歩く 国宝の石と千二百年の社、立川という名が生まれた村
- 立川で働く・生まれる仕事の今と未来──昼の人口が夜より2万人多く、開業率は多摩26市で一番の街
- 立川の新しい文化と公演のこれから──バレエの国際予選も「学園都市」の祭りも駅から歩ける
- 立川の緑と環境のこれから CO2を6割減らす街の足湯と、消えては現れる緑
- 立川と外国人観光の今と未来──東京を訪ねた旅人の2.3%だけが知る街へ、羽田からバス1本
- 立川の人口と子育てのこれから 外れた予言より4万人多い未来と、2028年の峠
- 多摩モノレール延伸はいつ? 箱根ケ崎まで7駅、町田へ16km──立川が多摩の背骨の真ん中になる日
- 立川と首都直下地震のこれから──465億円の新しい防災拠点と、競輪場が避難所になる日
- 立川・昭和記念公園のこれから レインボープール跡地に、なぜ誰も手を挙げなかったのか
- 立川駅周辺の再開発とこれから 「ベッドタウンにしない」と決めた駅前の、デッキとグリーン車の未来
- 立川・立飛とGREEN SPRINGSの次の十年 市の25分の1を持つ会社と予測を超えた街
- 立川 GREEN SPRINGSの見どころ 一等地にヤギがいて、屋上に多摩川が流れる
- 立川観光と散歩の総合案内──国宝も南極の氷も砂浜もある、空の都の歩き方
- 立川の地形と坂を歩く 平らな街は、なぜ北から南へ50メートルあまり傾いているのか
- 立川の歴史を歩く(出典つき年表) 畑と桑の村は、なぜ百年で多摩の中心になったのか
- 立川飛行場と神風号 午前2時にロンドンへ発ち、羽田へ帰った国産機と空の都
- 立川は神奈川県だった 明治26年の三多摩東京移管と、賛成の砂川・反対の立川村長
- 立川競輪場(立川けいりん)を歩く──グランプリ発祥のバンクが、街の図書館と学校を建てた
- 立川の子どもの昭和史 駄菓子屋「デモ屋」と、基地のクリスマスに配られた3.5トンの飴
- 立川の航空神社と、羽田より先の「東京飛行場」──空に祈った社はなぜ駐車場の片隅に
- 立川・昭和記念公園のこもれびの里と日本庭園──飛行場の跡に、狛江の名主の家が建っている
- 立川の図書館を歩く──たぬきと招き猫と牛のマーク、図書館の無かった市が全国上位になるまで
- 立川のライブハウスと音楽の街 元キャバレーの舞台と、「TM」が多摩だったころ
- 立川まんがぱーくの見どころと行き方──市役所だった建物で靴を脱ぎ、畳の上の4万冊にもぐる
- 立川の花火大会と祭り 昭和記念公園の五千発は、なぜ打ち上げ場所が秘密なのか
- 昭島散歩 立川から9分、海のない街にアキシマクジラと「島」がある理由
- 福生散歩 横田基地はなぜ横田にないのか、国道16号のアメリカンな街の親は立川飛行場
- 福生の酒蔵散歩 石川酒造と田村酒造場、多摩川のそばで川の水を使わない二つの蔵
- 八王子城跡散歩 立川の武士が仕えた、1日で落ちた山城と日本でただ一つの「桑の都」
- 八王子・高尾山散歩 立川から乗り換えなしで行く「世界一」の山と、首を賭けて守られた森
- 日野散歩 土方歳三と新選組のふるさとへ、立川の岸に「日野の渡し」の碑が立つわけ
- 国分寺散歩 お鷹の道と真姿の池、武蔵国分寺跡を立川から歩く 「はけ」は立川から始まっていた
- 国立散歩 「国立」の立は立川の立──大学通り、一橋大学、谷保天満宮を立川から歩く
- 御岳山散歩 武蔵御嶽神社と御岳渓谷、山の神社は参拝の道順を立川から書き起こす
- 青梅散歩 昭和レトロの街並みと映画看板、青梅線は青梅の人が立川へ引いた線路だった
- 立川・根川緑道から多摩川へ散歩 市名の「川」はどの川か、市も知らない
- 立川・猫返し神社(阿豆佐味天神社)と水天宮──名付け親は宮司ではなくジャズピアニストだった
- 立川の夜景と朝の富士山──冬至の夕日は富士の方角へ沈む、デッキとモノレールの空の時刻表
- 立川の夜を歩く──北口と南口の飲み屋街・横丁の歴史、闇市の広場と10館の映画館
- 立川のラーメンとうどん──ラーメンスクエアと武蔵野の小麦、婚礼のご馳走はうどんだった
- 立川は23区に負けているのか 公園は区部の3倍、富士山は新宿より23キロ近い
- 立川の古い村と史跡を歩く──石碑と井戸ばかり残るのは、村が引っ越し好きだったから
- 立川・オニ公園(錦第二公園)へ子連れで──鬼門を守る赤鬼は方角を45度まちがえたのか
- 立川の公園めぐり 一人あたり都平均の2倍、二百六十の公園と「やり投げの月曜日」
- 立川の町名・地名の由来を歩く 曙町と羽衣町は、なぜ名前を取り替えたのか
- 立川で南極に触れる 入場無料の南極・北極科学館と、飛行場の跡に生まれた研究所街
- 立川 雨の日の過ごし方と時間つぶし──雨が一番多いのは梅雨でなく9月、駅の二階から歩く
- 立川市歴史民俗資料館の見どころ──国宝は複製、蚕は本物。立川の歴史を預かる小さな館
- 立川の桜・花見の名所を歩く 駅前の「玉桜」から根川の土手、基地の引込線まで、百年の花の地図
- 立川の学校と学び舎の街──制服の無い百年校、夜の教室、鐘の鳴る音大、南極を学ぶ大学院
- 立川のロケ地と作品の舞台を歩く──神様も防衛隊員も、なぜ立川へ「休みに」来るのか
- 立川の養蚕と桑畑の歴史 砂川は桑苗の生産で全国一だった、空の都の下に眠る蚕の村
- 立川はなぜ「なんでもある」のか──商業の街の百年、魚屋のスーパーから都内初のIKEAまで
- 立川・昭和記念公園の見どころを歩く イチョウ並木が四角いのは、空のせいだった
- 立川の姉妹都市サンバーナディノと世界──東京で最初の姉妹市と、国際司法裁判所長になった交換高校生
- 立川のお土産と名物──59品の「立川のたいこばん」と、酒蔵のない街にある東京の地酒の本部
- 立川のスポーツ観戦と走る場所──仮設のアリーナから日本一が二度、滑走路から1万人が走る街
- 立川駅の歴史をたどる 村はずれの停車場は、なぜ多摩でいちばんの駅になったのか
- 立川の夏の過ごし方と水遊び レインボープールが眠る公園で、森は30分ごとに霧になる
- 立川・サンサンロードを歩く──車の入れない幅40メートルの道に、冬は60万の灯り
- 立川・立飛の歴史と見どころ 飛ばなくなった会社は、なぜ「飛」の字を手放さないのか
- 立川の歴史と立川氏 街の名を名乗った武士は去り、700年前の古文書だけが帰ってきた
- 立川・多摩モノレールの景色と車窓 立川の隣の駅で、富士に日が沈む
- 立川と多摩川の水害と橋の歴史 汽車は人より37年早く川を渡った、渡し船と堤防の物語
- 立川の玉川上水と砂川を歩く 散歩の見どころと歴史、江戸の水道はなぜ川の下へ潜ったか
- 立川の名物・名産品、東京うど 地下3メートルで白く育つ野菜は、夏を高原で過ごす
- 立川の鉄道さんぽ 200メートル遠回りする「短絡線」と、横田へ燃料を運ぶ列車
- 立川の水道と井戸 蛇口の水はどこから来るのか、街の下に眠る水源井戸をたどる
- 立川はなぜ「東京初」が多いのか IKEAも伊勢丹の支店もシネコンも、西の街から始まった
- 立川の野鳥と生きもの タヌキは下水管で眠り、ホタルは公園に住み、タカの居場所は書かれない
- 立川・矢川緑地と「はけ」を歩く──真冬も15度の小川と、20年減らない湧き水の謎
- 立川の週末さんぽ 横田基地から青梅線で14分、基地の「親」だった街を案内する
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
2




