立川 基地の町の文化を歩く ユーミンが歌ったゲートと、コーラの瓶を返せという通達

極東の大交差点、立川基地

基地の町の文化を考えるとき、忘れてはいけないことがある。立川基地は、ただの駐屯地ではなかった。人と物が、世界中から集まり、世界中へ散っていく場所だった。

21号の特集は、立川基地には設置期間を通じて輸送と補給を主な任務とする部隊が駐屯し、米軍の軍事航空輸送サービス、略してMATSの輸送の拠点になっていた、と書く。とくに昭和31年(1956)からは、羽田空港で扱われていた軍事輸送も、立川基地のターミナルで受け入れるようになり、多くの人と物が行き交った。百科事典の立川飛行場の項目によれば、最盛期には平均で月に約2300回の発着と、月に約2万人の空輸が行われた。

特集の写真には、思わず見入ってしまうものが二枚ある。一枚は、昭和34年(1959)12月、立川基地に降り立ったとみられる、日系人で初めて米国議会に選ばれたダニエル・K・イノウエ議員の姿。もう一枚は、同じ年の11月の写真で、題は「SAYONARA」。MATSが使っていた、鳥居をあしらったタラップである。機体とタラップの側面に、MATSの文字が見える。

鳥居をくぐって、飛行機に乗る。それで日本に別れを告げる。誰が考えたのか知らないが、ずいぶん思い切った演出だ。立川の空の玄関には、神社の入口がついていたことになる。

この玄関口からは、スポーツの話もいくつか出入りしている。

百科事典によれば、日本のプロ野球で史上初めての現役メジャーリーガーの外国人選手、レオ・カイリーは、兵役で来日中の1953年に毎日オリオンズで投げ、来日初登板から6連勝した。だが朝鮮戦争の休戦で除隊命令が出て、9月3日、立川航空基地から空路で帰国することになり、チームメイトに挨拶する暇もなく去った。日本のプロ野球の短い伝説は、立川の滑走路で幕を閉じている。

逆に、立川の基地から日本の頂点に上った人もいる。ジョージ・カーターは、立川基地所属の米軍兵士だった。1961年にプロボクサーとしてデビューし、長身を生かしたボクシングで「足長おじさん」と親しまれた。1970年2月5日には、輪島功一から判定で日本ジュニアミドル級の王座を奪い、翌年にはミドル級の王座も取って、日本で2階級を制した。基地の兵士が、日本のボクシングの歴史に名前を残している。「足長おじさん」という愛称で呼ばれる王者は、たぶん、そう多くない。

1968年には、近鉄バファローズなどで投げた元投手のディック・ディサが再び日本に来て、立川基地のレクリエーションセンターの職員となり、基地内の野球チーム「立川AIO」の監督を務めたと百科事典は書く。基地には、基地のリーグがあり、基地の監督がいた。

もう一人、記録に残る名前がある。女優のキャシー・ホーランは、アメリカ空軍の航空機関士だった父が立川基地に転勤になったため、1964年に来日した。日本でモデルとして働き、俳優の仕事も始めた。1967年から1969年まで、第315航空師団の月刊誌『The Airlifter』にコラムを連載し、ベトナム戦争に従軍している兵士からファンレターがたくさん届いたという。

基地は、戦争の後方だった。朝鮮戦争の、そしてベトナム戦争の。その後方の町で、野球の監督がいて、ボクサーがいて、コラムを書く若い女性がいた。歴史の年表には載らない人々の暮らしが、柵の内側にも確かにあった。

初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。

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ユーミンが歌ったゲートと、西立川の雨

冒頭のバス停に戻ろう。

JR青梅線西立川駅の南口(2022年)。「雨のステイション」の駅とされる。
JR青梅線西立川駅の南口(2022年)。「雨のステイション」の駅とされる。
写真: Asanagi / CC0 / Wikimedia Commons

百科事典の『紅雀』の項目によれば、「LAUNDRY-GATEの想い出」は、かつての友人との想い出をつづった曲だ。題名は、実在した米軍立川基地のゲートのひとつで、「ランドリーゲート」の名前は、1998年の秋まで立川バスのバス停名に残っていた。いまのバス停名は「富士見通り」である。

なぜ、洗濯なのか。立川飛行場の項目には、基地の縮小が進んだ1971年の項に、ランドリー、つまり洗濯工場の閉鎖という言葉が出てくる。基地の中には、兵士たちの服を洗う大きな洗濯工場があった。門の名前は、たぶんそこから来ている。ただ、これは私の推測で、門と工場を結びつけた記録までは見つけられなかった。

いずれにしても、洗濯工場の門の名前が、基地が返還されたあとも21年間、日本の路線バスの停留所に残り、その名前が日本のポップスの題名になって、いまも歌われている。洗濯物の門は、思いがけず長持ちした。よく洗った布は丈夫だ、ということかもしれない。

同じ作者には、もう一つ、立川の駅を歌った曲がある。1975年のアルバム『COBALT HOUR』に入った「雨のステイション」だ。百科事典によれば、この「ステイション」はJR青梅線の西立川駅で、しとしとと降る雨をイメージしたと、本人が著書『ルージュの伝言』で明かしている。後年には歌碑が設けられ、2006年から2026年1月19日まで、この曲が駅の発車メロディに使われていた。

西立川駅の公園口を出ると、目の前は国営昭和記念公園だ。そこはかつて、立川基地の敷地だった。雨の駅の向こうに、基地が広がっていた時代がある。発車メロディは今年の1月で役目を終えたが、雨の日に駅に立てば、あの歌の情景は、たぶん今も変わらずそこにある。

光と影──町が子どもを守ろうとしたこと

基地の町の文化を、楽しい話だけで終えるわけにはいかない。

砂川の阿豆佐味天神社の境内にある水天宮。基地の拡張にともない境内に合祀された。
砂川の阿豆佐味天神社の境内にある水天宮。基地の拡張にともない境内に合祀された。
写真: ECHIGOSENNIN / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons

新しい市史の編さんが始まったころ、広報紙の2号には、こんな一文が載った。戦後、立川には米軍基地が置かれ、松本清張の『ゼロの焦点』に描かれたように、生きるために米兵を相手にする仕事に就かなければならなかった女性も、たくさん住んでいた。こうした立川の暗い面にも目を背けずに記録を残すべきだ、という趣旨の言葉である。

百科事典の『ゼロの焦点』の項目は、この小説の構想が、上石神井に住んでいた松本清張が、近所の食堂で、立川の米軍基地の町で米兵を相手に生きていたと思われる女性に出会い、彼女たちはその後どうしただろうかと思いをめぐらせたところから膨らんだ、と書いている。戦後の日本の推理小説の代表作のひとつは、立川の基地の町の、名前の残らない人々への想像から生まれた。

三井住友トラスト不動産の街の記録は、朝鮮戦争の時代、立川基地が米軍の極東最大の輸送基地となり、米兵相手の商売で景気がよくなる一方で、米兵の市民への暴力や飛行機の騒音が問題になっていた、と書く。賑わいと怖さは、同じゲートから出てきた。

その中で、町の人々が何をしたかを示す記録がある。市史の民俗・地誌部会が富士見町一丁目の町会で聞き書きをしたところ、富士塚公園は、第二次世界大戦後、米軍の駐留にともなう風紀の乱れから青少年を守るために、町会が主導して児童会館を建てた場所だという話が出てきた。基地の町の子どもたちのために、大人たちが自分たちで居場所をつくった。いまも公園は町会活動の拠点になっていると、広報紙の8号は書く。

基地は、神さまの居場所も動かした。市の散歩コースの案内によれば、高松町の熊野神社は、もとはいまの立飛企業の南門のところにあったが、昭和20年の空襲で焼け、いまの場所に移った。百科事典は、この社の境内地が昭和21年に駐留軍に接収されたと書く。砂川の阿豆佐味天神社の境内にある水天宮は、もとは砂川五番にあったが、1961年、米軍立川基地の拡張にともなって合祀された、と百科事典は伝えている。神さまも、基地の都合で引っ越しを強いられた。

コーラの瓶とクリスマスのプレゼントと、子どもを守るための児童会館と、引っ越した神さま。基地の町の文化は、その全部でできている。どれか一つだけを拾って懐かしむと、たぶん嘘になる。

基地の町の文化は、どこへ行ったのか

最初の問いに戻る。基地の町の文化は、なぜこんなに見えにくいのか。

答えの半分は、基地そのものが、きれいに消えたからだ。広報紙の15号によれば、立川基地の施設は、民間に返された敷地の一部を除いて、ほとんどが跡地の開発の中で解体された。風洞の映画館も、洗濯工場も、もう無い。メインゲートのあった区画には、市制50周年の事業で広場「憩いの場」がつくられ、いまはファーレ立川の玄関口のようになっている。柵の内側は、公園になり、防災基地になり、市役所になった。

あのころと、いまを並べてみる。あのころ、曙町二丁目の交差点には米兵向けの英字の看板が並び、交差点の向こうはゲートで、その奥の空を輸送機が行き来した。1960年代の町には、北口に「シネマ立川」「立川セントラル」「立川松竹」「立川中央」、南口に「立川名画座」「立川日活」「立川大映」「東映立川南座」「立川東宝」など10館の映画館が並び、『映画の街』と呼ばれたと、三井住友トラスト不動産の街の記録は書く。その名前を読んで、ああ、あった、と思う人もいるだろう。いま、同じ交差点のそばには広場があり、基地の跡地につくられたサンサンロードの上を、多摩モノレールが走っている。広報紙の21号は、2025年のサンサンロードの写真に、基地跡地を開発してつくられた、と添えている。看板の英語は消えたが、交差点に立って北を見ると、空の広さだけは、たぶんあのころと変わらない。

もう半分は、文化が、もともと町の側に溶けていたからだと私は思う。豚の餌から出てきたハム。英語の夜回り。駅のサンタと輸送機。キャンプのステージで覚えたギャグ。それらは基地の中に閉じこめられていたのではなく、ゲートをくぐって町に出て、人々の暮らしや芸や記憶の中に入り込んだ。入り込んだものは、もう基地の文化とは呼ばれない。ただの立川の文化になる。

そして、記録はいま、遠い海の向こうからも戻りつつある。立川市は令和5年度から、米国国立公文書館に保管された記録を集めている。21号は、米軍基地の中のことだけでなく、日本の公文書に残っていない日本の出来事の記述が見つかることもある、と書く。海岸作戦の写真も、鳥居のタラップの写真も、そうして立川に帰ってきた。基地の町の文化の一部は、半世紀以上たって、ようやく町に里帰りしている。

立川の人はよく、自分の街には語るほどの文化がない、と言う。だが、見たこともないコーラの瓶を手で描いて村に知らせた役場があり、西部劇がかかる風洞があり、のちの国民的な笑いが英語の通じない客の前で鍛えられた夜があった。それを文化と呼ばないのなら、何を文化と呼べばいいのか、私にはわからない。

新宿から中央線で一本、川崎からなら南武線で一本。週末に北口を出て曙町二丁目の交差点に立ち、北の空を見上げてみるといい。半世紀前に輸送機が行き来した空の下を、いまはモノレールが静かに横切っていく。

寄り道クイズの答え

答えは(B)コーラの空き瓶。立川市の市史編さん広報紙『たちかわ物語』19号によれば、昭和20年、米軍はコーラの空き瓶を拾ったら米軍に返すよう、立川警察署を通じて周辺の自治体に通達した。まだコーラになじみのない時代で、砂川村役場の通達などには、手描きの瓶が図示されていた。

訪ねる前に

  • 憩いの場(旧立川基地メインゲート跡): 立川駅北口から北へ、曙町二丁目交差点のそば。かつて陸軍飛行第五連隊の正門、のちに米軍立川基地のメインゲートだった区画で、市制50周年事業として1990年に広場がつくられた。ファーレ立川のアートと合わせて歩ける(ファーレ立川の一編を参照)。
  • 栄緑地(基地の引き込み線の跡): 立川駅と飛行場の東側を結んだ貨物の引き込み線の跡を、遊歩道にしたもの。市の散歩コース「近・現代を歩く」で、熊野神社や飛行第五連隊正門跡と一緒に案内されている。散歩コースの地図: https://www.city.tachikawa.lg.jp/kanko/bunka/1004244/1004848/1004891.html
  • 西立川駅(「雨のステイション」の駅): 立川駅から青梅線で1駅。公園口を出ると国営昭和記念公園の入口がある。昭和記念公園の一編と組み合わせると半日の行程になる。
  • 立川市歴史民俗資料館: 立川市富士見町3-12-34。常設展示のほか、見学の手引き「立川飛行場のあゆみ」を配布している。入館無料。開館時間と休館日は市の施設案内で確かめてほしい: https://www.city.tachikawa.lg.jp/kanko/bunka/1004244/1004849/1004905.html
  • 市史編さん広報紙『たちかわ物語』のバックナンバー: 本文で引いた19号(コーラの瓶)、20号(基地のまちから商都へ)、21号(米国国立公文書館の調査)は、市のサイトで読める: https://www.city.tachikawa.lg.jp/kanko/bunka/1003076/1003087.html
  • 都心と神奈川から: 新宿からはJR中央線快速で立川まで乗り換えなし(30分台)。神奈川からは、川崎からJR南武線で乗り換えなし(立川まで約1時間)。時刻と所要時間はJR東日本の公式で確かめてほしい。
  • 基地と砂川闘争そのものの歴史は、この特集の「立川基地と砂川闘争の歴史を歩く」に、夜の町の移り変わりは「立川の夜を歩く」に詳しい。

基地のゲートがあった曙町二丁目で

米軍立川基地のメインゲートは、曙町二丁目の交差点に面していた。オンザショア立川店があるのは、その同じ曙町二丁目、立川市曙町2-14-10のエトロワビル3階だ。JR立川駅北口から徒歩1分。かつて米兵向けの看板が並んだ町の、駅に近い側にある。

溶岩プレートを敷いたスタジオで行う、溶岩ホットヨガのスタジオである。常温のヨガやピラティス、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングもあり、ヨガだけで25種類以上のレッスンがある。基地の兵士が日本の王座を取ったボクシングの町で、ボクササイズの汗をかくのも、悪くない縁だ。

営業は8時から23時30分まで、年中無休で、曜日による違いはない。憩いの場から栄緑地まで歩いたあとでも、西立川まで足を延ばしたあとでも、寄る時間はある。

ヨガの体験レッスンは税込1,980円。60分のレッスンに、バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれる。身ひとつで寄れる。

妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できないが、常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。

料金は https://ontheshore.jp/price/ 、店の案内は https://ontheshore.jp/ 、体験の予約は https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp で確かめられる。

ゲートのあった交差点から、駅のほうへ少し戻る。半世紀前、柵の向こうから町へ流れ込んだものの行き先を考えながら、3階へ上がる。

冒頭の写真: 北の空から見た立川飛行場(2023年)。滑走路の周りの一帯は、かつて米軍立川基地だった。(写真: ブルーノ・プラス / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons)

この記事の情報は2026年10月時点のものです。

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