福生・牛浜・拝島から、青梅線で立川へ
ここから実用の話をする。JR青梅線は立川から出る。百科事典によれば、青梅鉄道が立川駅から青梅駅までを開いたのは明治27年(1894)11月19日で、拝島駅と福生駅はその日に開業した。牛浜は遅れて、しかも慌ただしく生まれた。多摩飛行場のまわりに軍の施設が次々に建つと、軍の命令で停留場が設けられ、昭和18年(1943)3月1日に仮停留場として開業した。最初は、定期券をもつ軍関係者しか切符を扱わなかったという。牛浜は、横田という基地ができる前から、基地のための駅だった。
立川へ向かう駅の並びは、福生、牛浜、拝島、昭島、中神、東中神、西立川、立川。JR東日本の公式の時刻表(2026年10月の土曜・休日)で、ある朝の列車をいくつか拾ってみる。
- 快速が福生を9時08分、牛浜を9時10分に出て、立川に9時24分に着く。
- 普通が福生を9時17分、牛浜を9時19分、拝島を9時22分に出て、立川に9時34分に着く。
- 青梅特快が牛浜を9時44分に出て、立川に10時01分、そのまま新宿に10時29分に着く。
時刻表は変わるので、これは計画ではなく、距離の感じをつかむための数字だ。見ておきたいことが三つある。私が確かめた列車では、快速も青梅特快も、福生から立川までは各駅に停まっていた。この区間では、列車の種類を気にしなくていい。牛浜の時刻表で「立」の印がついた列車は立川止まりで、印のないものは中央線に入って東京まで行く。そして、東京へ直通する快速などには「グリーン車自由席」と記されたものがある。二階建ての上等な車両だが、運賃とは別にグリーン料金がかかるので、腰を下ろす前に JR東日本の案内で確かめておくといい。
途中の駅で、覚えておきたいものが二つある。
拝島は、週末の分かれ道になる。西武鉄道の駅案内によれば、拝島では JRの八高線、五日市線、青梅線に乗り換えられ、西武拝島線は東へ、西武立川、武蔵砂川と続く。この武蔵砂川が、日曜日に訪ねる神社の最寄り駅だ。
西立川は、立川の一つ手前で、降りればすぐ公園だ。昭和記念公園の案内によれば、西立川口は西立川駅から歩いて約2分。福生から、乗り換えなしで180ヘクタールの公園の門まで行ける。
電車に乗るときの、いくつかの習い
立川に特有の話ではない。東京まわりの電車は、だいたいこう動いている、というだけのことだ。
- Suica や PASMO のような交通系 IC カードを1枚もっておく。JR も西武線も多摩モノレールも路線バスも、同じカードで乗れる。運賃表の前で漢字と格闘しなくてすむ。
- 車内は静かに。JR東日本の案内によれば、平成27年(2015)10月1日から、関東・東北・甲信越の鉄道事業者37社がそろって同じ呼びかけをしている。優先席の付近では混雑時に携帯電話の電源を切る。それ以外ではマナーモードにして、通話は控える。幼い子が声を上げるのは誰も責めないが、大人は声を一段落とすのが、ここの車内の流儀である。
- カードとあわせて、現金も少しもっておく。小さな店や神社の授与所、祭りの屋台、多くのラーメン店の入口にある食券機では、現金があると安心だ。迷ったら、注文の前に聞けばいい。
- 帰りの終電は先に調べておく。立川の宵はにぎやかだが、青梅線は一晩中は走らない。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
土曜日、緑町で南極に触れ、座れる美術を歩く
立川の週末は、基地にも都心にも無いものから始めたい。南極の氷である。しかも、ただで触れる。

写真: RuinDig/Yuki Uchida / CC BY 4.0 / Wikimedia Commons
緑町にある国立極地研究所の南極・北極科学館は、公式の案内では入館無料で、原則として日曜、月曜、祝日などが休館だ。だから、ここは土曜日に行く。立川北駅から多摩モノレールで一駅の高松まで、会社の時刻表で3分。そこから歩いて約10分。
館内では南極の氷に触れられる。南極点まで往復した KD604型の雪上車が、実物で置いてある。第7次隊の調査旅行のためにつくられ、1968年9月から翌年2月にかけて、同じ型の4台が昭和基地から南極点まで往復5,000キロメートルの調査旅行をやり遂げた。研究所の数字も、それだけで読み物になる。ドームふじ基地の観測史上の最低気温はマイナス79.7度、最高気温はマイナス18.6度。研究所が保管する隕石は約1万7,400個。立川は、隕石の街でもあったのだ。関東平野の冬のからっ風に文句を言いながら暮らしている人には、いい薬になる数字である。
なぜ立川に南極があるのか。基地が返ってきたあと、その土地に国の研究機関が移ってきたからだ。緑町の一角には、長い名前のまじめな建物が並んでいる。帰りにはモノレールの窓を見てほしい。全長16.0キロメートル、立川北と立川南のあいだはわずか0.4キロメートルで1分。冬の晴れた日には西側の窓に富士山が見え、冬至をはさむ約2か月半は、窓から「ダイヤモンド富士」をねらえる。
ファーレ立川、北口の109点
立川北駅で降りれば、もう美術の街の中だ。基地の返還地につくられたファーレ立川には、36の国と地域の92人の作家による109点の作品が、屋外に、無料で置かれている。公式の案内では、JR立川駅の北口から歩いて3分。車止めや換気口、腰かけるものが作品になっている。街に車止めが要るなら、それを美術にしてしまえ、という考えでつくられた街である。ミニマリズムの彫刻家ドナルド・ジャッドの最後の作品も、この中にある。知らないうちに座っていた作品も、たぶん一つや二つではない。
基地から来た人に知ってほしいことがある。いま曙町二丁目の交差点のそばで、ファーレ立川の玄関のように人を迎えている小さな広場は、かつて立川基地の正門があった場所だ。市の歴史の冊子には、昭和27年(1952)ごろのその交差点の写真があり、米兵相手の英語の看板が並んでいる。
GREEN SPRINGS、ヤギと滝と横田の空
サンサンロードという広い歩行者の通りを北へ行くと、飛行場の跡地に2020年に開いた GREEN SPRINGS がある。公式の案内では駅から徒歩約8分。開発した会社の記録によれば、この一等地では3年間、ヤギが草を食べていた。いまは駐車場の上の人工地盤に約1ヘクタールの広場があり、ビオトープがあり、長さ120メートルのカスケードが水を落としている。
建物の背が低いことに気づくだろう。理由の一つは空にある。近くに陸上自衛隊立川駐屯地の飛行場と、横田基地があり、航空法の高さの制限がかかるのだ。横田の空が、立川の街並みの高さを決めている。そのうえこの街は、容積率500%が許された土地を、約150%しか使わなかった。空に遠慮した分を、芝生に回したのである。
土曜の夜、駅の南と北の食べもの横丁
立川駅には顔が二つある。駅は40年以上、北にしか口がなく、南口が開いたのは昭和5年(1930)だった。北口は広いデッキと百貨店と基地の時代の夜の街に育ち、南口は田畑を細かく割った土地の上に、細い路地を残した。
南から始める。南口からデッキを進むとアレアレアに入り、ラーメンスクエアはアレアレア2の3階にある。公式の案内ではデッキから1〜2分。自らを「ラーメンのブロードウェイ」と呼ぶこの一角の面白さは、店の入れ替わり方にある。2005年から「ラーメントライアウト」という新しい店主のオーディションを開き、書類の審査のあと、面接と調理・試食の審査をする。合格者はここに店を出し、開業の祝い金として100万円を受け取る。公式の案内によれば、これまでに20人の店主がここを「卒業」し、名店に育った。野球のトライアウトは選手の腕を試すが、立川は丼で試す。入口の食券機で券を買い、店の人に渡す。日本の多くのラーメン店と同じ作法だ。
それから線路の下をくぐって、かつて基地の客をもてなした北へ。北口の東側、昔「屋台通り」と呼ばれたあたりには、小さな店が肩を寄せ合う横丁がある。英語の看板は消えたが、門から来る客を食べさせる、という街の習いは残っている。立川の商店街が合同で開く飲み歩きの催し「立川バル街」は、2026年で14回目を数え、前売り券で54の店をめぐれる。週末に開かれているかどうかは、公式の案内で確かめてほしい。
ひとつ正直に書いておく。ある飲食店の案内サイトは、立川駅のまわりには夜遅くまで開いている店が意外に少ない、と書いている。立川の宵は豊かだが、夜は長くない。早めに食べて、きちんとした顔で青梅線に乗って帰るのがいい。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。




