立川まんがぱーくは、旧立川市役所の庁舎を改修した子ども未来センターの2階にある、畳敷きの漫画の館。約4万冊のまんがと約2500冊の絵本、押入れ風の読書スペース。なぜ市役所が漫画の館になったのか。公募の仕組み、残された第2庁舎、事業者の提案を資料でたどる立川さんぽ特集の一編。
市役所で靴を脱いだことがあるだろうか。私はない。住民票を取りに行く日も、税金の相談に行く日も、人は靴のまま番号札を握って窓口に並ぶ。
ところが立川には、市役所だった建物の2階で靴を脱ぎ、畳に上がり、押入れにもぐりこんで漫画を読む場所がある。立川まんがぱーくという。JR立川駅の南口から歩いて13分、錦町の立川市子ども未来センターの中だ。
脱いだ靴は、入口のコインロッカーに入れる。公式サイトによれば、その靴箱ロッカーの代金が、そのまま入館料になる。切符売り場も改札係もいない。靴を預けた瞬間に、客になる。話の早い館である。
なぜ市役所が漫画の館になったのか。誰が、どういう経緯で、4万冊の漫画と畳を運びこんだのか。役所というものは、ふつう、そういう思いつきをいちばん止めそうな場所だ。白状すれば、私は立川を、乗り換えのついでに通り過ぎる街だと思っていた。その問いを抱えて、南口から錦町へ歩きはじめる。
立川まんがぱーくとは──旧市役所の2階、畳の上の4万冊
立川まんがぱーくの公式サイトによれば、館内は床のほとんどが畳敷きで、小さな机や座布団、押入れのような空間が用意されている。古民家をイメージした畳と木のインテリアの中で、一日中まんがに没頭してもいいし、待ち合わせに使ってもいい、と書いてある。蔵書は約4万冊。絵本コーナーには約2500冊の絵本があり、ひな壇のような椅子に親子で並んで座れる。床が畳なので、赤ちゃんがはいはいしても安心だという。
本は借りられない。館内と、入館者専用のテラスで読む。途中で外に出て戻ることもできないが、専用のスリッパに履き替えれば、トイレやテラス、子ども未来センターの広場までは出られる。図書館というより、畳の大広間に漫画が詰まった、親戚の本家に近い。
開いたのは2013年3月だ。国立国会図書館のカレントアウェアネスは、同年3月20日の開館を、約3万冊の漫画を所蔵する有料施設として伝えている。蔵書はその後、約4万冊になった。
ちなみに、2012年6月の時点で同じカレントアウェアネスは、開館予定の施設を「約5万冊の漫画を所蔵する」と紹介していた。そして現在の公式サイトは、リクエストに応えるなどして「5万冊程度まで増やす予定です」と書いている。5万冊は、10年以上ずっと、ここの目標であり続けている。地平線のような数字だ。近づくと、少し向こうへ下がる。
もっとも、この館の面白さは冊数にはない。建物がかつて何をしていたのかを知ったとき、畳の意味がにわかに変わって見えてくる。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
錦町の市役所が、泉町へ引っ越した日
立川の市役所は、いま、駅の北側の泉町にある。新庁舎の設計を担った人たちが2013年に書いた技術論文は、立川市新庁舎が、昭和33年、つまり1958年に建設された錦町の旧庁舎の老朽化、狭さ、バリアフリーの問題を解決するために計画されたと記している。工事は2008年7月から2010年3月まで。立川まんがぱーくの公式サイトの沿革によれば、市庁舎が泉町へ移ったのは2010年5月だ。

写真: Altomarina / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons
錦町の庁舎が建った昭和33年の南口を、少し思い浮かべてみたい。三井住友トラスト不動産のまちアーカイブスによれば、1960年代の立川には、南口の立川名画座や立川日活をはじめ10館の映画館があり、「映画の街」とも呼ばれた。その中には「立川錦座」と名乗った館もある。南口の駅前には1952年、初代の丸井立川店が開いていた。市の年表をめくると、庁舎が建って3年後の1961年の項に、「全国初の女性市議会議長が選ばれる」とある。1970年には、のちに漫画の館となる第二庁舎が完成した。新しい庁舎に、新しいことの好きな街が出入りしていた時代だ。
南口で生まれ育った人の記憶も残っている。昭和5年から立川で商いを続ける地元の印刷所の後継ぎが、多摩地域の情報サイトで昭和40年代から50年代の少年時代を語っている。いまの多摩モノレール立川南駅のあたりには、民家がずらりと立ち並んでいた。諏訪通りには、いまではほとんど見かけない布団の打ち直し屋があった。諏訪公園には、らせん状の小道を上りきったところから、2台の長いすべり台が出ていた。あのころ、モノレールの駅の場所には、誰かの家の夕餉があった。いま、そこを電車が空中で通り過ぎる。
もっとも、あのころの南口は、北口の背中を見ていた。まちアーカイブスによれば、1972年度の駅前の商店街の総売上は、南口側が約2割、北口側が約8割だった。1964年に都市計画が決まった南口の区画整理は、激しい反対運動のなかで1974年にようやく工事に手がつき、完了したのは2015年だ。半世紀がかりの引っ越しである。
移転は、南口の人の流れを変えた。公式サイトは、多くの職員が働き、市民が通う市庁舎がいなくなったことで、駅の北口側が多様な商業施設で賑わう一方、南口側の人通りが減り、商店街から以前の活気が少しずつ失われていった、と率直に書いている。役所は、思っている以上にまちの心臓だったらしい。職員の昼食、窓口の帰りの寄り道。そういうささやかな往来が、建物ごと北へ引っ越した。半世紀かけて南口を整えている最中に、心臓だけが先に北へ行ったのだ。
国土交通省がまとめた事例資料は、その危機感の出どころを記録している。旧庁舎の敷地の使い道を話し合う「市民100人委員会」で、新庁舎への移転後の地域の賑わいを心配する声が上がり、旧庁舎の跡地の活用について、立川駅南口周辺まちづくり協議会で検討が始まった。
旧庁舎は二つの建物でできていた。市は「コスト縮減」「ストックの有効活用」「環境負荷の低減」を重く見て、二つを別々に扱うことにした。古い第1庁舎は老朽化して耐震性も足りなかったので解体し、跡地を活用する。第2庁舎は耐震補強をしたうえで、改修して使い続ける。
日本建設業連合会の建築事例集によれば、残された第2庁舎は1970年に竣工した建物だ。改修の時点で築43年。角を丸めた彫塑的なコンクリートの表現をもつ、モダニズム建築の流れをくむ建物だったと、設計者は書いている。
ここまでは、どこの町にもある話だ。古い役所を壊すか、残すか。残すなら何に使うか。たいていの町では、答えは会議室か倉庫か、何とかセンターの事務室に落ち着く。立川の答えは、畳と押入れと漫画になった。分かれ目は、公募の書き方ひとつにあった。
「最低限だけ決めて、あとは自由に」という公募
国土交通省の事例資料のなかで、私がいちばん長く眺めたのは、取組のポイントとして書かれた次のくだりだ。
公募にあたって、市は、市民の意見を踏まえた「広場」や「子育て支援」など、最低限の機能だけを施設の要求水準として示した。余ったスペースの使い方は、民間事業者から自由な提案を受ける仕組みにした。その結果、行政の内部からは出にくい「まんが」をテーマにした斬新な活用提案が実現した、と資料は書く。
行政の内部からは出にくい。国の資料が、真顔でそう書いている。たしかに、市役所の会議室で「旧庁舎に畳を敷いて押入れを作りましょう」と発言する職員の姿は、私にはうまく想像できない。想像できたとしても、その発言のあとの会議室の沈黙までしか浮かばない。だから市は、自分たちが決めることを最小限にして、余白を外に開けた。漫画は、その余白から入ってきた。
公募は2011年3月に始まり、4月に事業者が選ばれた。9月に基本協定が結ばれ、10月に改修工事の契約。2012年12月、旧市庁舎は「立川市子ども未来センター」としてリニューアルオープンし、2013年3月に全館が開業した。立川まんがぱーくが開いたのは、その全館開業と同時である。
選ばれたのは、合人社計画研究所を代表企業とするグループだった。日建連の事例集によれば、清水建設、佐藤総合計画、studio-L、街制作室、ワーカーズコープ、ムービック・プロモートサービス、共立、壽屋の9社による提案が採用された。
この顔ぶれの中に、壽屋の名前を見つけて、少しうれしくなった。フィギュアやプラモデルで知られるコトブキヤである。同社の発表によれば、創業は1947年、立川市曙町の玩具店「おもちゃの店 壽屋」だった。本社はいまも立川市にあり、有価証券報告書を出す上場企業になった。戦後まもなく北口で店を開けたおもちゃ屋が、70年近く立川に根を張り続け、南口の旧市役所の再生に名を連ねている。売上で2割と8割に分かれていた北と南が、ここでひそかに握手をしている。
お金の仕組みも、ふつうの公共施設とは違う。国の資料によれば、施設の改修費は約8億円で、立川市が全額を負担した。ただし、その数字には「立川まんがぱーくを除く部分」と但し書きがつく。まんがぱーくの部分は事業者の自主事業なので、改修費は全額が事業者の負担だ。
公式サイトのよくある質問には、こんな問いまで載っている。「立川まんがぱーくは立川市が運営しているのですか?税金が使われているのですか?」。答えは、市が選んだ指定管理者が独立採算の自主事業として運営しており、運営について市から指定管理料は支払われていない、というものだ。この質問がわざわざ載っているのが可笑しい。旧市役所で漫画を読んでいると、つい税金の使い道が気になる人がいるのだろう。建物の前世は、そう簡単には抜けない。
数字で読む 立川まんがぱーく
- 約4万 — まんがの蔵書。全部読み終えるより先に、新刊が出る。
- 約2500 — 絵本の数。こちらは読み聞かせる側の喉が先に尽きる。
- 1958 — 錦町の旧庁舎が建てられた年。この庁舎の時代に、立川は「映画の街」と呼ばれた。住民票と映画が、同じ駅から歩いて手に入った。
- 2割 — 1972年度、駅前の商店街の総売上のうち南口側の取り分。残りの8割は北口が持っていった。
- 43 — 改修の時点での、第2庁舎の築年数。耐震補強をして、第二の人生は漫画の家主である。
- 9 — 旧庁舎の再生を提案したグループの会社の数。その中に、立川生まれの模型とフィギュアの会社がいる。
- 約8億円 — 改修費。ただし、まんがぱーくの分は1円も入っていない。
では、余白から入ってきた漫画の館は、中をどう組み立てたのか。答えは、押入れと棚の並べ方にある。
押入れと、ジャンル別の棚
公式サイトの沿革には、2013年7月の項に、ひとことだけ「館内に、押入れスペースを大増設」とある。開館からわずか4か月。何が起きたのかは書かれていない。見当はつく。人は、押入れに入りたかったのだ。
公式の館内見取り図によれば、押入れ風の読書スペースは、まんがコーナーの奥にも、絵本コーナーの隣にもあり、階段の下にもある。家族や友達どうしで自由に使ってよいという。押入れの上の段に布団と一緒にもぐりこみ、懐中電灯で本を読んだ子どもの夜を覚えている人は、少なくないはずだ。あれを大人がやってよい場所が、旧市役所の2階にある。私も入ってみたい。入るのはいい。この膝で出てこられるかが問題だ。
棚の並べ方にも、はっきりした考えがある。公式サイトによれば、書店やネットカフェでは掲載誌や出版社ごとに分けるのが一般的だが、ここでは「歴史・文化・音楽」や「生活・育児・健康」のように、ジャンル別に配置している。作家を問わず、分野ごとの作品を見つけやすくするためで、普段読まないタイトルにも手を伸ばしてほしい、と書いてある。
出版社の垣根を越えて、育児の漫画は育児の棚に、歴史の漫画は歴史の棚に並ぶ。図書館の分類と、古本屋の勘のちょうど中間あたりに、ここの棚はある。
公式サイトには、「のらくろ」の貴重な本も見られると書かれている。歴史まんがや学習まんが、図鑑など、勉強に役立つ本を集めたコーナーもある。棚に出しきれない本は「閉架」にしまわれていて、館内の専用の用紙に書いて渡せば、スタッフが出してくれる。押入れの奥に、さらに見えない押入れがあるわけだ。
旅人の寄り道クイズ
立川まんがぱーくで、入館料を払う方法はどれか。
- A 受付の窓口で、係の人に払う
- B 靴を入れるコインロッカーに、硬貨を入れる
- C 入館ゲートで、交通系のカードをかざす
答えは、この記事の終わり近くで。
棚に届く声と、十余年の小さな変化
館は、開いたときの姿のままではない。資料を年の順に並べると、十余年のあいだに少しずつ形を変えてきたのがわかる。
開館を伝えた国立国会図書館のカレントアウェアネスによれば、2013年の開館当初の開館時間は、平日が10時から19時、土曜と休日は20時までだった。2015年11月にこの館を訪ねたGIGAZINEの記事も、同じ時間を伝えている。その記事には、館内のカフェの券売機に、カレーやラーメンと並んで、からあげや枝豆、ビールやハイボールの札まで並んでいたと書かれている。旧市役所の2階で、畳にあぐらをかき、ハイボール片手に漫画を読む。昭和33年に落成式に並んだ人たちには、とても言えない。同じ記事は、カフェの外の自動販売機の周りには、靴を脱いだままでも買いに行けるよう、床に木の板が敷かれていたとも伝えている。靴を脱いだ客のために、自動販売機の前まで道を敷く。細部に、この館の性格が出ている。
その後、館は2015年3月に平日限定の入館パスポートを売り出し、2020年6月に感染症対策のため販売を休止した。公式サイトのよくある質問には、いまも「再開未定」とある。開館時間は月曜から土曜が18時まで、日曜と祝日は整理券を配る2部入替制になった。時代の波は、畳の上にも届く。
客の声に応えて変わったものもある。公式サイトの「来館者の声」には、読みたい漫画がどこにあるかわからなくて困った、という立川市の10代の声が載り、館は同様の意見を多数受けて、館内に蔵書の検索システムを用意し、ネットからも検索できるようにしたと答えている。昭島市の20代の男性からは、もっと短い声が届いている。「まんがの分類がおかしい。」館の返事は、こうだ。「分類についてのご意見、ぜひお聞かせください。」出版社をまたいでジャンルで並べる、という館のこだわりに、真正面から異議が届き、館はそれを正面から受け止めて、続きを聞かせてほしいと頼んでいる。苦情を、ここまで率直に公式サイトに載せる施設を、私はほかに知らない。
棚の中身も、ただ増えているわけではない。GIGAZINEの2015年の記事によれば、館は日本財団が2015年10月に発表した選書100作品をすべて所蔵しており、それは全国で3か所しかないと紹介されていた。いま館内には「これも学習マンガだ!」と名づけた棚があり、館のスタッフが1作ずつ紹介する「まんがるゥのこれも学習マンガだ! NAVI」は、2026年10月の時点でシーズン2の第26回を数える。その回で取り上げたのは、カナダから来た弟の夫と暮らすことになった父と娘の物語『弟の夫』で、文化庁メディア芸術祭の漫画部門で優秀賞を、アメリカのアイズナー賞で最優秀アジア作品賞を受けた作品だと、紹介文は書いている。学習漫画と聞いて歴史や科学の本ばかりを思い浮かべていた私は、ここで少し考えを改めた。人が人を理解していく過程も、学ぶに値する。
この館は、漫画を読む場所であるだけでなく、描く入口にもなっている。2026年10月24日には、小学4年生から高校生を対象に、定員12名のまんがペン入れ体験教室が開かれる。講師は、有名漫画家のチーフアシスタントを務めた経歴の持ち主で、参加費は無料だが、入館料はかかる。会場の欄には「まんがぱーく内 旧ミーティングルーム(館内奥の部屋です)」とある。旧市役所の中の、さらに「旧」のつく部屋。この建物では、どの部屋も一度は何か別のものだった。
全国の本棚を訪ね歩く個人のサイトには、同じ作家の話題作が棚に見当たらず、別の短い作品は置いてあった、子どもへの配慮かもしれない、という観察がある。真偽は館に確かめていない。ただ、家族で来る館の棚を、客がそうして推理しながら眺めている。それ自体が、この棚の面白さだ。
外からの評価も積み重なった。公式サイトのメディア掲載の一覧には、2025年3月の「じゃらんニュース」の記事「全国のマンガ図書館・ミュージアム10選!」が並んでいる。旧市役所の2階が、全国の漫画の館と肩を並べて数えられている。
棚の話はここまでにして、靴を履き直し、外へ出てみたい。旧市役所の再生は、館の外の芝生にまで続いていた。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
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