多発性硬化症(MS)は、脳や脊髄の神経線維を覆う髄鞘が炎症で壊れ、信号の伝わり方が乱れる疾患です。症状は人によってまったく違い、歩きにくさ、バランスの悪さ、手のしびれ、視力の問題、そして多くの人が最も困ると答える疲労が含まれます。かつては「運動は症状を悪化させる」と考えられていた時期もありましたが、現在は運動療法が MS のリハビリテーションの中核に位置づけられています。
では、その運動としてピラティスはどうか。2026年に公表されたネットワークメタアナリシスは、22件の無作為化比較試験を統合して「ピラティスは移動能力・バランス・疲労・生活の質を改善しうる」と結論しました。ところが2019年のメタアナリシスは、「ピラティスは他の療法より優れていない」と述べています。この2つは矛盾していません。比較の相手が違うだけです。この記事では、その違いを軸に数字を読みます。
要点(結論から)
- 神経内科の主治医と、できれば理学療法士の関与を前提にする。 症状の型と障害度によって、適切な内容はまったく違う。
- 対照と比べれば、移動能力・バランス・疲労は改善する——ただし確実性は「低」が中心で、有害事象は調べられていない。
- 他の運動療法より優れているという根拠はない。 2019年のメタアナリシスはこの点を明確に述べている。
何を測っているのか
MS の運動研究で使われる指標は、症状の多様さを反映して多岐にわたります。本稿に出てくる主なものを整理します。
- TUG(Timed Up and Go):椅子から立ち上がり、3m 歩いて戻り、座るまでの秒数。短いほど良い。
- BBS(Berg Balance Scale):14項目の動作でバランスを採点する。56点満点で、高いほど良い。
- 6MWT(6分間歩行):6分間で歩ける距離。長いほど良い。
- MFIS/FSS:疲労の影響と重症度を測る質問票。低いほど良い。
- MSQOL-54:MS 向けの生活の質の質問票。身体面と精神面に分かれる。
もうひとつ、EDSS という障害度の尺度があります。0が正常、10が MS による死亡で、6.5 は両側の補助具があれば 20m 歩ける段階です。以下の研究の参加者は主に EDSS 0〜6.5、つまり歩行が可能な範囲の人たちです。車椅子を常用する段階の人には、これらの結果は当てはまりません。
2026年のネットワークメタアナリシス——対照と比べれば一貫して良い
Nabil Y, Mansour A, Mohamed AA, et al. Comparative effects of pilates-based interventions on functional mobility, balance, fatigue, and quality of life in people with multiple sclerosis: a systematic review and network meta-analysis. BMC Sports Science, Medicine and Rehabilitation. 2026;18:307.
2025年10月までの文献から、4週間以上のピラティス系介入を検証した22件の無作為化比較試験、合計901名を統合しています。トルコとイランの研究が多く、各研究の規模は20〜100名です。ネットワークメタアナリシスという手法は、複数の介入を同時に比較して順位づけできる点が特徴で、ピラティスを「通常のピラティス」「ピラティストレーニング」「在宅ピラティス」「遠隔リハビリ併用」などに分けて評価しています。
| 評価項目 | 介入の型 | 対照との差(95%信頼区間) | 確実性 |
|---|---|---|---|
| TUG | ピラティス | −5.23秒(−6.39〜−4.06) | 低 |
| TUG | ピラティストレーニング | −1.60秒(−1.89〜−1.31) | 低 |
| BBS | ピラティス | +8.58点(7.86〜9.30) | 低 |
| 6MWT | ピラティス+遠隔リハ | +50.81m(0.16〜101.46) | 低 |
| 6MWT | ピラティス | +4.81m(0.11〜9.51) | 低 |
| 疲労(MFIS) | 在宅ピラティス | −9.50点(−15.93〜−3.07) | 低 |
| 疲労(MFIS) | ピラティス | −5.54点(−8.42〜−2.66) | 低 |
| 疲労(FSS) | ピラティス+遠隔リハ | −2.46点(−3.25〜−1.67) | 中 |
| QOL 身体面 | ピラティス+遠隔リハ | +17.64点(5.97〜29.31) | 中 |
| QOL 精神面 | ピラティス+遠隔リハ | +16.55点(2.24〜30.86) | 低 |
対照(通常ケアや無介入)と比べると、ほとんどの項目でピラティス側が有意に良い結果です。TUG の −5.23秒、BBS の +8.58点は、日常の動作として体感できる大きさです。
ただし、数字の読み方に注意が要る
この表には、額面どおりに受け取れない箇所がいくつかあります。
第一に、同じ「ピラティス」でも型によって効果量が大きく違うことです。TUG は「ピラティス」で −5.23秒、「ピラティストレーニング」で −1.60秒。この分類は研究の記述に基づくもので、実際の運動内容の違いを正確に反映しているとは限りません。分類が細かいほど各カテゴリーに入る研究は少なくなり、1〜2件の研究が推定値を支配します。
第二に、6分間歩行の +50.81m は信頼区間が 0.16〜101.46 と極端に広いことです。下限はほぼゼロで、「効果があるかもしれないし、ほとんどないかもしれない」という状態です。一方、通常のピラティスは +4.81m で、統計的には有意でも、6分間で5m の差は臨床的にはごく小さい。2分間歩行と10m歩行では、どの型にも有意差はありませんでした。
第三に、精神面の生活の質では、最上位に来たのはピラティスではなく「能動的対照」でした。ピラティスと遠隔リハの併用が +16.55点で有意ではありますが、順位では他の運動を伴う対照群のほうが上です。この事実は、レビューの要約には出てきにくい部分です。
そして確実性です。10項目のうち「高」はゼロ、「中」は2つだけで、残りは「低」か「非常に低い」。22件のうち10件(45.5%)がバイアスのリスク「高」と判定されています。有害事象の記載はありません。
2019年のメタアナリシス——他の療法とは差がない
Sánchez-Lastra MA, Martínez-Aldao D, Molina AJ, Ayán C. Pilates for people with multiple sclerosis: A systematic review and meta-analysis. Multiple Sclerosis and Related Disorders. 2019;28:199–212.
この2019年のレビューは14研究(10件の無作為化比較試験と4件の準実験研究)を対象にしています。個々の研究では、身体機能を扱った11研究のうち10研究、疲労を扱った6研究のうち4研究、生活の質を扱った3研究のうち2研究が有意な改善を報告していました。ここまでは2026年の結果と整合します。
しかしメタアナリシスの結論はこうです。機能的移動能力、心肺持久力、疲労、生活の質のいずれについても、ピラティスは他の療法より優れていなかった。
2026年の結果と矛盾しているように見えますが、そうではありません。2026年のレビューの表に並ぶ数字は主に「対照(無介入や通常ケア)との差」です。2019年のレビューが問うたのは「他の運動療法との差」です。対照よりは良いが、他の運動と比べて特別に良いわけではない——これはシリーズの他の記事(慢性腰痛、変形性膝関節症)で繰り返し見てきた構図と同じです。
バランスに絞った2022年の検証
Arik MI, Kiloatar H, Saracoglu I. Do Pilates exercises improve balance in patients with multiple sclerosis? A systematic review and meta-analysis. Multiple Sclerosis and Related Disorders. 2022;57:103410.
8研究を統合したこのレビューは、対照群と比べて BBS で SMD 1.017(p=0.041)、バランス自信尺度(ABC)で SMD 0.604(p=0.024)、TUG で SMD 0.944(p=0.045)の改善を報告し、Functional Reach では有意差なし(SMD 1.846、p=0.060)としています。
ここで一点、注記しておきます。この論文の抄録に記載された信頼区間は、下限が負であるにもかかわらず p 値が0.05未満となっており、数値として整合していません。本稿ではその信頼区間を転記していません。 抄録の誤植か、本文では別の値が示されている可能性がありますが、確認できていないものは書かないという方針に従います。効果量と p 値の方向は2026年の結果と一致しているので、バランスの改善という結論そのものは揺らぎません。
なぜ疲労が減るのか——そして減らない場合
MS の疲労は、運動で増えるのではないかという懸念が長くありました。現在はむしろ、適切な強度の運動が疲労を減らす方向に働くことが複数の研究で示されており、2026年の結果もそれに沿っています。MFIS で −5.54点、在宅型では −9.50点です。
ただし FSS(疲労重症度尺度)では、有意差が出たのはピラティスと遠隔リハの併用だけで、通常のピラティス単独では差がありませんでした。同じ「疲労」でも尺度によって結果が分かれる。これは MS の疲労が身体的疲労と認知的疲労、そして「疲れやすさ」と「疲労の影響」を含む多面的な現象で、ひとつの質問票がその全体を捉えられないことを示しています。
実践上の含意は明確です。体温の上昇で症状が一時的に悪化する現象(ウートフ徴候)を持つ人は少なくないため、室温、運動強度、休憩の取り方は、健常者向けのクラスと同じにはできません。研究で使われたプログラムはこの点を考慮して修正されたものであり、一般のクラスにそのまま参加すればよいという結論は、ここから導けません。
在宅・遠隔の型が上位に来ることの意味
2026年の順位を見ると、疲労では在宅ピラティス、6分間歩行と生活の質では遠隔リハ併用型が最上位です。これを「在宅のほうが効く」と読むのは早計です。それぞれのカテゴリーに入る研究は少なく、推定値は不安定です。
それでも、ひとつ言えることがあります。MS の人にとってスタジオに通うこと自体が、疲労、移動の困難、体調の変動という壁になります。在宅や遠隔で行える形式が、少なくとも対面と同程度の結果を示したという事実は、「続けられる形式」を選ぶ根拠になります。 慢性疾患の運動療法では、どの種目を選ぶかより、続けられるかどうかのほうが長期の結果を左右する、という見方はここでも当てはまります。
MS の運動療法全体の中での位置づけ
MS の運動療法として最も研究の蓄積があるのは、有酸素運動とレジスタンストレーニングです。歩行持久力、筋力、疲労、抑うつに対する効果が繰り返し示されており、多くの診療指針がこの2つを基本に据えています。ピラティスの研究はそれより新しく、2013年以降に集中しています。
したがって現時点での位置づけは、有酸素運動とレジスタンストレーニングの代わりではなく、それらに加える、あるいはそれらが難しい人の入口として、というものになります。バランスと体幹の制御に重点を置く運動である以上、歩行の不安定さが主な困りごとである人には理にかなった選択肢です。一方、心肺持久力を高めたい人にとっては、2019年のレビューが示すとおり、ピラティスが他の療法を上回る根拠はありません。
研究の多くは週2〜3回、8〜12週間の介入です。これより短い期間や低い頻度で同じ結果が出るかは分かっていません。また、22件すべてが介入終了時点の評価で、効果がどれだけ持続するかを追跡したデータはありません。
この結果の使い方
- 神経内科の主治医と、できれば理学療法士の関与を前提にする。 症状の型と障害度によって、適切な内容はまったく違う。
- 対照と比べれば、移動能力・バランス・疲労は改善する——ただし確実性は「低」が中心で、有害事象は調べられていない。
- 他の運動療法より優れているという根拠はない。 2019年のメタアナリシスはこの点を明確に述べている。
- 精神面の生活の質は、ピラティス以外の能動的な介入のほうが上位だった。
- 研究の対象は歩行可能な段階(EDSS 0〜6.5)に限られ、長期の追跡データはない。
- 体温管理と強度の調整を理解した指導者のもとで行う。 これは効果量の議論の手前にある条件である。
出典
- Nabil Y, Mansour A, Mohamed AA, et al. Comparative effects of pilates-based interventions on functional mobility, balance, fatigue, and quality of life in people with multiple sclerosis: a systematic review and network meta-analysis. BMC Sports Science, Medicine and Rehabilitation. 2026;18:307.
- Sánchez-Lastra MA, Martínez-Aldao D, Molina AJ, Ayán C. Pilates for people with multiple sclerosis: A systematic review and meta-analysis. Multiple Sclerosis and Related Disorders. 2019;28:199–212.
- Arik MI, Kiloatar H, Saracoglu I. Do Pilates exercises improve balance in patients with multiple sclerosis? A systematic review and meta-analysis. Multiple Sclerosis and Related Disorders. 2022;57:103410.
この記事は公表された研究の要約であり、診断や治療の助言ではありません。多発性硬化症の方が運動を始める際は、必ず主治医にご相談ください。運動中に視力の変化、強いしびれや脱力、著しい疲労、体温上昇に伴う症状の悪化があれば中止し、医療機関にご相談ください。

