デジャヴはなぜ起きるのか。経験者の割合は文献によって約60%から97%まで開き、頻度は年齢とともに下がる。仮想現実で配置の似た景色を見せた実験と、てんかんの人の脳への電気刺激から、示されている説明と、医師に伝えたほうがよい場面を分けて読む。
初めて入った店の階段を上がったところで、足が止まる。窓の位置も、奥の棚の並びも、知っている。次の瞬間には、来たことがないのも分かっている。知っているのに初めて。研究者もデジャヴをこの矛盾として定義している。なじみの感覚と「これは新しい」という判断が同時に立つ状態だ[10]。
なぜ起きるのかの詳しい仕組みは、まだ分かっていない[20]。ただ、1本の実験が支持した説明がある。目の前の景色の配置が、前に見た別の景色の配置と重なり、しかもその景色を思い出せないとき、なじみの感覚だけが出どころを失って浮く。仮想現実の景色でこの条件を作ると、なじみの評定もデジャヴの報告も、まったく新しい景色のときより高くなった[4]。
珍しい体験でもない。2024年のメタ分析(複数の研究の数字を統合する方法)では、健康な人の74%が経験していた[9]。しかも若い大人のころに山があり、その後は年齢とともに減っていく[10]。記憶の衰えの印だとしたら、向きが逆である。

経験者は60%か、74%か、97%か
デジャヴの経験率は、論文ごとに顔を変える。
2003年に、1世紀を超えて積み重なった調査と症例を見渡したレビューは、約60%とした[3]。2021年の症例報告と短い文献レビューは、およそ3分の2と書く[14]。2024年のメタ分析は74%で、95%信頼区間(真の値がありそうな幅)は67〜79%だった[9]。1,677件の記録から46本の研究を選んだ仕事で、著者らは、知る限りデジャヴについて初めての系統的レビュー・メタ分析だと述べている[9]。
そして2018年のナラティブレビュー(著者が文献を読み物の形でまとめる形式)には、一度でも経験した人が97%にのぼると考えられ、67%は定期的に経験する、とある[20]。
おかしいのはここだ。2018年の「定期的に経験する」67%は、2003年の「経験した」約60%より大きい。定期的に経験する人が、一度でも経験した人より多いことはない。同じ集団を測っていないか、尋ね方が違うのだろう。これは私の読みである。2003年のレビュー自身も、経験率と原因にはなお体系的な研究が要ると書いていた[3]。
いま言えるのは次の範囲だ。健康な人の統合値は信頼区間の下限でも67%あり、多数派の体験と言ってよい[9]。一方の97%は「そう考えられている」という書き方の数字で、統合の結果とは性格が違う[20]。
「知っている気がする」現象がどれくらい多いのかを、研究者はまだ知らない。
疑問の続きは、体で確かめるのがいちばん早い。
若い大人に山があり、年を取ると減る
デジャヴの頻度は年齢とともに下がる[3]。2023年のレビューはもう少し細かく、若い大人のころに山があり、その後に減っていくと整理した[10]。
記憶の故障だとすれば、不思議な動きである。故障なら、年を重ねた脳のほうに多く出そうに思える。
このレビューが持ち出すのは「葛藤」の説明だ。デジャヴを、なじみの評価と新しさの評価のぶつかり合いと見る。神経画像の研究でも、葛藤に関わる脳の領域が関係すると指摘されてきた。そのぶつかりを見張る働きは、デジャヴと似た年齢の曲線をたどり、若い大人で山を迎えてから落ちていく。著者らは、この説明なら、ふつうの人でデジャヴが年齢とともに減る理由を一貫して語れるかもしれないと提案している[10]。
私はこの読み方が好きだ。来たことがある気がしても「いや、来たことはない」と判定する働きがあって、はじめて矛盾が生まれる。判定が動かなければ、本当に来たことがあると思い込むだけで終わる。ただし、これは文献を読み物の形でまとめたレビューの提案で、実験で決着した話ではない。
関連する要因としては、ストレスと疲れ、それに社会経済的な水準と学歴が挙がっている[3]。疲れた日に多いというのは実感に合う人もいるだろう。学歴のほうは少し肩透かしである。大学院へ行くとデジャヴが増える、という話ではない。関連が報告されているだけで、何が何を生むかは別の問題だ。
精神科の領域では、不安のある人や、自分や周りの現実感が薄れる症状のある人で、デジャヴがより多く見られるという[20]。これも関連の話で、デジャヴがあれば不安の病気だという意味にはならない。

仮想現実の景色で、デジャヴを作った実験
2012年の実験は、この感覚を実験室で作ろうとした[4]。土台は「ゲシュタルト親近性仮説」で、景色を構成する要素の配置が、前に見た配置と重なるのに、前の景色そのものは思い出せないとき、デジャヴが起きると考える。
実験では没入型の仮想現実を使った。新しい景色が、前に見た景色と配置の点で似ていて、しかも前の景色を思い出せなかったとき、なじみの評定もデジャヴの報告も、まったく新しい景色より高かった。新しさとなじみを同時に感じる、あの食い違いも現れた。さらに、新しいと判定された景色の中でも、記憶の中の景色と特徴がよく一致するものほど、なじみの評定とデジャヴの報告は上がった。著者らはこれを、思い出せないときに特徴の一致がなじみとデジャヴを生みうることを示唆する、と結んでいる[4]。
日常に置き直すとこうなる。去年の夏に一度だけ入った美容室と、今日のカフェが、入口と窓と棚の並びだけ同じだったとする。美容室のことは思い出せない。「この並びは知っている」という信号だけが届き、出どころが分からないまま、目の前のカフェに貼りつく。念のために書くと、これはたとえ話で、この実験が美容室を調べたわけではない。
もちろん、街で起きるデジャヴのすべてが配置の一致で起きるとは言えない。2003年のレビューは、科学の説明を4系統に分けている。2つの認知の過程が一瞬ずれるという二重処理の説、発作や神経の伝わり方の乱れを見る神経の説、それと気づかずに触れていた刺激のなじみを見る記憶の説、注意を向けずに見たものを直後に注意して見るという注意の説である[3]。スマホを見ながら中央線を降り、ふと顔を上げた瞬間を思い浮かべると、最後の説は分かりやすい。
脳に電気を流すと、デジャヴが出ることがある
もう1つの証拠は、まったく別の場所から来た。てんかんの手術の前に、発作の起点を探すため脳に電極を入れる検査である。
1898年にジャクソンは、側頭葉の内側から始まる発作で、鮮やかな記憶のような幻覚や、まったく同じ場面を前に生きたという感覚が出ると観察していた。この状態は「夢幻状態」と呼ばれる[1]。1994年の報告は、側頭葉が関わる発作のある16人を調べ、夢幻状態が自然の発作で6人に9回、電気刺激で14人に43回、化学的な活性化で3人に5回起きたことを記した。同じ人の同じ電極でも、刺激によってデジャヴが出たり、情景の幻覚が出たりした[1]。
2004年の研究は、てんかんのある24人で280回の刺激を分析した。海馬の下にある嗅内皮質を刺激すると、デジャヴ型の反応が扁桃体や海馬の刺激より割合として多く出た。同じく海馬の下にある嗅周皮質の刺激は、むしろ記憶のよみがえりと結びついていた[2]。2022年のレビューはこうした記録から、デジャヴはこれらの皮質と海馬の異常な同期から生じるという仮説を示している[16]。
注意したいのは、いずれもてんかんのある人の脳だということだ。健康な人が階段の上で感じるデジャヴが同じ回路で起きるとは、これだけでは言えない。2018年のナラティブレビューは、健康な人でも、神経や精神の病気のある人でも、側頭葉がデジャヴの起源らしいと書く。ただし同じ文献は、正確な仕組みは分かっていないとも書いている[20]。
数字で読むデジャヴ
- 約60%:2003年のレビューが示した経験者の割合[3]
- 74%:健康な人の経験率の統合値。95%信頼区間は67〜79%[9]
- 62%:てんかんの人のうち、発作の合間のデジャヴの経験率。同じく48〜75%[9]
- 22%:てんかんの人のうち、発作中のデジャヴの経験率。同じく15〜32%[9]
- 280回:てんかんのある24人で分析した脳への電気刺激の回数[2]
- 9回と43回:夢幻状態が自然の発作で起きた回数と、電気刺激で起きた回数[1]
疑問の続きは、体で確かめるのがいちばん早い。
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