飲みやすい日本酒のフルーティーさは果物由来?酵母がつくる香りの分子を読む

日本酒のフルーティーな香りは、果物を使わなくても酵母の働きで生まれうる。酢酸エステルをつくる仕組みと、日本酒の酵母を変えた実験を手がかりに、香りの生成、甘さ、アルコール生成を分けて読む。中国の米酒の研究との違いも確かめ、飲みやすいという言葉を成分の視点から考える。

米からつくる日本酒に、なぜ果物を思わせる香りがあるのか。献立の横にある「フルーティー」という説明を読むと、果汁を加えた酒を想像するかもしれない。この香りは、果物を加えずにも生まれる。酵母が発酵中につくるエステルという成分群が、酒の香りに関わっている。[7][9]

答えの芯は、果物らしい印象と果物を使った事実は別だということだ。酵母内でのエステル生成を扱うレビューは、日本酒を含む発酵酒の感覚的な品質にエステルが重要だと整理している。日本酒の醸造実験でも、酵母の遺伝子の働きを変えると香り成分の量が変わった。[9][18][19]

ただし、フルーティーだからアルコールが少ない、と読み替えることはできない。日本酒の実験には、エタノールの生成は変わらず、香り成分だけが減った例がある。ここでは「飲みやすい」を香りの入口として受け止め、その香りが発酵のどこで生まれるかをたどる。[18][19]

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果物らしさを、原材料の名前と分ける

酵母は、できあがった酒に香りを添えるだけの存在ではない。酵母自身の代謝、つまり細胞内で材料を変換する過程で、エステルが合成される。エステル生成を扱うレビューでは、酒類で重要な群として酢酸エステルと中鎖脂肪酸のエチルエステルが挙げられている。「エステル」という言葉は、特定の香り成分の固有名ではなく、複数の成分を含むまとまりである。[9]

この区別をすると、「果物の香りがするなら果汁が入っているはず」という連想をほどきやすい。酢酸エステルは、酵母内の材料から酵素の働きでつくられる。香りの説明に果物の言葉が出てきたとき、原材料表示と香りの表現は別々に読むのがよい。果物らしさという感想だけで、製造に使った材料まで決める必要はない。[7]

酒の香りには、エステル以外の成分も関わる。中国の米酒の成分分析では、エステルのほか、アルコール、アルデヒド、有機酸など多様な成分が調べられている。フルーティーという短い言葉の後ろに、異なる物質が並んでいると考えるほうが実態に近い。この研究の対象は日本酒ではなく、中国の米酒である点は分けておく。[6]

既存記事「プロテインの飲みやすさは鼻でも変わる?飲む前と口に残る香りの違いを読む」が扱う、香りをどう感じるかという問いはそちらに譲る。こちらの問いは、香りの成分がどのようにつくられるかである。隣の記事「日本酒の飲みやすさは甘さで決まる?糖の量だけでは読めないアルコールの刺激」とも分け、甘口の選び方より、酵母の内部で進む仕事に焦点を置く。

疑問の続きは、体で確かめるのがいちばん早い。

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酵母の中には、香りの材料をつなぐ酵素がある

酢酸イソアミルや酢酸エチルは、酒類の主要な香り成分に含まれる酢酸エステルである。酢酸エステル生成のレビューによると、これらはアセチルCoAという細胞内の材料と、それぞれに対応するアルコールから合成される。その反応を担うのが、アルコールアセチルトランスフェラーゼと呼ばれる酵素だ。[7]

長い名前だが、ここでは香りの材料をつなぐ役と考えればよい。大事なのは、アルコールが存在することと、その先のエステルが十分につくられることは、同じ出来事ではないという点だ。材料があり、反応を担う酵素が働き、その働き方が調整される。レビューは、材料の状態、不飽和脂肪酸、窒素源の割合、酸素などが、この生成に関わると整理している。[7]

さらに酵素の量を左右するのが遺伝子の働きである。レビューで扱われた遺伝学・生化学の研究では、酸素や不飽和脂肪酸を加えたときに酢酸エステル生成が減る仕組みとして、ATF1という遺伝子の働きが抑えられ、酵素の合成が減ることが示唆されている。ATF1は、この酵素の活性の大部分に関わる遺伝子とされる。[7]

「酵母が香りを出す」という説明を、単なる性格の違いで終わらせないところが面白い。香りの量には、材料と、それを扱う仕組みの両方が関わる。酵母の名前だけを覚えるより、酵母が置かれた条件も関係する、と理解しておくと研究の結果が読みやすくなる。[7][9]

ただし、これは発酵中の酵母についての話だ。瓶の中の酒に空気を触れさせたとき、香りがどう変わるかを試した結果ではない。酵母を育てる条件と、食卓で栓を開けた後の扱いは違う場面である。醸造の仕組みを、そのまま家庭で香りを増やす手順として読むのは避けたい。[7]

酢酸エステルの仕組みを知った後には、エステルのもう片方の群も意識したい。エステル生成のレビューは、酢酸エステルの合成に関わる遺伝子や生化学的な経路の研究と、中鎖脂肪酸エチルエステルの分子レベルの研究を分けて整理している。似た名前の成分を一括りにして、同じ材料や調整の仕組みを当てはめないための区分でもある。[9]

このレビューが扱うのは、香りを人に楽しませる仕組みだけではない。酵母自身にとってエステルをつくることがどのような利点になるか、という問いもある。複数の仮説が提案されてきた一方で、このレビューでは十分に納得のいく説明には至っていないと整理された。飲む側には香りとして目立つものでも、それを生む細胞の側から見ると、別の問いが残っている。[9]

アルコールの生成が同じでも、香りは変わる

日本酒を使った具体例が、BIO3という遺伝子の働きを変えた実験だ。BIO3はビオチンの合成に関わる。ビオチンは脂肪酸合成に参加する酵素の補助役となる成分であり、この研究では日本酒の酵母に遺伝的な変更を加え、発酵の様子を比較した。人が酒を飲んだ試験ではなく、酵母と醸造を対象にした実験である。18〜39歳の女性が感じる香りや飲みやすさに、そのまま当てはめることはできない。[18]

結果は、エタノールの生成については変化がなかった。一方で、日本酒醸造中のヘキサン酸エチルと酢酸イソアミルの量は減少し、有機酸の組成も変わった。香り成分の合成に関連する遺伝子の働きも低下していた。酒の主なアルコールであるエタノールと、香りに関わるエステルを別々に測ると、同じ方向には動かなかったのである。[18]

別の日本酒酵母の実験では、EHLという遺伝子群が調べられた。研究者は親株と、これらの遺伝子の働きを変えた株を比べ、代謝物やビタミンの要求性を調べている。この遺伝子群は、パントテン酸という成分の合成に部分的に関わるとされた。対象は酵母であり、18〜39歳の女性の好みや体への影響を調べた結果ではない。[19]

この実験でも、変更した株のエタノール生成は親株と同程度だった。それでも日本酒醸造時のヘキサン酸エチルと酢酸イソアミルは減り、有機酸のコハク酸の生成も減った。同じ酒造酵母の比較の中で、アルコール生成を保ちながら、香りと酸の構成が変わる例が重なった。[19]

ここから読み取れるのは、香りの強弱をアルコール生成の代理の目盛りにはできない、ということだ。遺伝子を操作した研究用の株の結果なので、市販酒の香りの順位をつける根拠にはならない。それでも、「よく香るから発酵が強い」「香りが弱いからアルコールも少ない」という単純な対応を考え直す材料にはなる。[18][19]

比較する相手も大切だ。EHLの研究で基準となるのは、その実験に用いた親株であり、店頭に並ぶ日本酒の平均ではない。研究者が遺伝子の働きを変えた株と親株を比べることで、その変更と成分の差を結びつけて調べている。同じ名前の香り成分が出てきても、米酒の工程を追った研究と同じ比較ではない。[19]

BIO3の実験では、培地での培養と日本酒醸造の両方でエタノール生成が調べられた。培地は酵母を育てるための環境であり、できあがった酒そのものではない。培養と醸造を区別したうえで、どちらでもエタノール生成が変わらず、醸造時にはエステルが減ったという組み合わせを読むと、この実験の焦点が見えてくる。[18]

数字で読む、香りと発酵のずれ

2群:エステル生成のレビューで、酒類に重要とされたのは酢酸エステルと中鎖脂肪酸エチルエステルである。[9]

15°Cと30°C:BIO3の実験では、この培養温度でエタノール生成が変わらず、日本酒醸造でも生成は変わらなかった。[18]

83成分:中国の米酒の醸造過程を分析した研究で、定量された低分子の代謝物の数である。[6]

60%:同じ米酒研究では、アミノ酸とエステルの含量のうち、この割合が後半の発酵段階に蓄積したと報告された。[6]

7.79%:酵母の種培養液を超音波処理した米酒実験で、対照に比べてヘキサン酸エチル含量が増えた割合である。[17]

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宮川涼 Founder

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