ウォーキング中に外国語を話すと、母語の会話より足取りは変わるのか。軽い歩行中に単語を覚えた実験と、発音の難しさを調べた研究から、記憶の成績と歩行速度を分けて考える。言葉を加えれば運動効果が増すとは決めつけず、学習、会話、続けやすさをそれぞれの目的に合わせて見直す。
公園の周回路で、昨日覚えた英語の言い回しを口にする。日本語ならそのまま話せる内容なのに、動詞を探した瞬間、足まで考え込んだ気がする。こんな日の疑問は、歩く速さを上げる話だけでは片づかない。
先に答えると、外国語を話せば母語より必ず歩行が遅くなる、とはここでは決められない。一方、トレッドミルでごく軽く歩きながら外国語の単語を覚えると、座って覚える場合より、その後の再生の成績がよかった実験はある。確かめられたのは覚えた言葉を思い出す成績であり、外国語会話中の足取りの優劣ではない。[15]
「歩きながら英語」は、単語を覚えること、声に出すこと、相手に返事をすることをまとめた言葉になりやすい。この記事ではそれをほどいて考える。「ウォーキングに階段を足すと骨への刺激は変わる?平地との荷重の違いを読む」に身体への荷重の問いを譲り、こちらは歩く時間に言葉の作業を重ねるときの読み違いを扱う。

外国語を覚える実験は、外国語で会話する実験と違う
中心になるのは、外国語の語彙を覚える間に、ごく低い強度の歩行を行った研究である。語彙とは単語や言葉のまとまりのことだ。この研究は同じ参加者が異なる条件を経験する被験者内実験で、歩いて覚える場合と、身体を休めて覚える場合を比べた。別々の集団の得意不得意を比べるだけの調査とは、比較の仕方が異なる。[15]
行われた実験は2つで、いずれも身体を動かしながら覚えた条件のほうが、その後の記憶成績がよかった。ここでいう再生は、学んだ言葉を後から思い出すことを指す。学習中に気分よく口が回ったかではなく、後に思い出せたかという時間を隔てた結果を見ている点が大切だ。[15]
この結果は、机に向かわなければ単語学習にならない、という思い込みを見直す材料になる。ただし「英語を話す」という日常語に広げると、実験で比べた作業から離れてしまう。単語を頭に入れるときの歩行と、相手の話を聞き、返答を組み立てながら歩くことは、同じ条件として扱えない。記憶の実験は会話力の試験でも歩行速度の試験でもない。[15]
たとえば通勤の帰りに語彙を振り返る日と、友人に外国語で仕事の説明をする日を想像してみる。どちらも本人には外国語の時間だが、確かめたいことが違う。前者なら後で言葉を思い出せたか、後者なら伝えたいことを伝えられたかが問いになる。どちらが速く歩けるかを知りたいなら、さらに別の問いを立てる必要がある。
同じ時間に作業を重ねたというだけで、結果の項目まで同じにはならない。「歩行に語学を足せば効率的」という見出しを見たら、何の効率を指すのかを補って読むとよい。覚える効率なのか、移動の速さなのか、運動としての負荷なのか。単語の再生がよかったという結論は、そのうち記憶の項目に置くのが正確である。[15]
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
発音の難しさは、足取りとは別に調べられている
声に出す場面に近づくために、発音の学習を調べた研究も見ておきたい。健康な成人9人が矯正装置を装着した後、発音の難しさと脳活動を調べられた研究である。声を出す、声を出さずに話す、黙読するという条件で、機能的磁気共鳴画像法を用いて評価した。これは脳の活動に伴う変化を見る方法だ。矯正装置をつけた成人の結果を、18〜39歳の女性の外国語学習にそのまま当てはめるには、発音課題の違いを考える必要がある。[17]
この研究では、右上側頭回という脳の部位の活動が、装置をつけた状態での発音の聴覚的な調整に関わっていた。その活動は、自分で感じる発音の難しさや、時間とともに難しさが減ることとよく関連していた。聴覚的な調整とは、自分の声を聞き、その聞こえ方を手がかりに発音を合わせる働きである。[17]
一方、発音に関わる運動制御や、身体の感覚を手がかりにする制御の脳活動には、同じような時間に伴う変化は見られなかった。研究者は、新しい発音動作の学習において、声を聞いて調整する働きの重要性を示している。難しく感じる発音を、舌を動かす筋力だけの問題に還元しないための材料である。[17]
ただし対象は、外国語で歩きながら会話する人ではなく、矯正装置によって発音の条件が変わった成人だ。この実験から、外国語なら足が止まる、日本語なら歩行が乱れない、と結びつけることはできない。外国語の難しさを説明する補助線にはなるが、母語と外国語の歩行比較に置き換えるのは飛躍になる。[17]
生活の中で「発音を直そうとして歩きにくかった」と感じたら、まず感覚をそのまま分けて言葉にすればよい。口の動きが難しかったのか、自分の声を聞こうとしていたのか、それとも道が混んでいたのか。研究名を当てはめて原因を決めるより、どの場面だったかを残したほうが、次にどう学ぶかを選びやすい。
母語と外国語という区分だけでも、本人の状況は言い尽くせない。慣れたあいさつを言う場面と、初めて使う表現を探す場面は、同じ外国語の中にもある。外国語という名札だけで負担をそろえたつもりになるより、何を言おうとしていたかを具体的にする。ここでの目的は語学力の採点ではなく、歩く時間の使い方を考えることである。
「効果的な速度」は、記憶の成績だけでは決まらない
ウォーキングの効果的な速度を知りたい人にとって、軽い歩行で語彙の再生成績がよかったという結果は興味深い。ただし、その実験を最適な歩行速度の処方箋にはできない。研究で扱われたのはごく低い強度の活動であり、速いほど多く覚えられるという速度の序列を示す結論ではない。[15]
「より効果的な運動」を探すときにも、目的語が必要になる。外国語の単語を覚えることと、身体を動かすことでは、達成を確かめる項目が異なる。単語の成績がよいから身体への運動効果も大きい、という足し算は成立しない。頭が忙しかった日を、そのまま運動量が多かった日として記録する根拠にはならない。[15]
記憶の実験では、血液中の脳由来神経栄養因子と、唾液中のコルチゾールも調べている。前者は略してBDNFと呼ばれる。血液中のBDNFは記憶成績と関連せず、唾液中のコルチゾール濃度は、正しく再生できた項目数と正の関連を示した。歩いて記憶がよかったことと、その仕組みを特定できることは別である。[15]
正の関連とは、値が高い場合にもう一方も高い傾向があった、という意味だ。だからコルチゾールを増やせば単語を覚えられる、とはならない。身体の指標と成績を一緒に測った結果を、日常で操作すべき目標に変える必要はない。語学のために身体を追い込むという読み方も、この実験のごく軽い歩行という条件から外れる。[15]
歩きながら覚えることに魅力を感じるなら、まずは記憶という目的を保って考えたい。昨日より汗をかいたか、口が疲れたかではなく、後で言葉を思い出せたかを見る。逆に散歩が目的の日には、単語の正答をすべての評価に持ち込まなくてよい。散歩の途中に小さな語学試験を開いても、散歩全体を採点する必要はない。
研究の比べ方にも目を向けたい。同じ参加者が歩く条件と休む条件を経験した結果は、普段から運動している人と、していない人の記憶力の差を述べたものではない。「もともと歩く人は語学が得意なのだ」と読むと、実験の比較を別の問いへ変えてしまう。ここでは、学ぶときの身体の状態を変えた比較として受け取る。[15]
さらに、成績がよかったという方向と、自分にとってどれほど役立つかという大きさも分けておく。実験で歩く条件が上回ったからといって、覚えられる単語数が倍になるような約束にはならない。語彙を覚える条件での結果を手がかりに、学習の選択肢として考える程度がよい。自分の予定に組み込むかどうかは、道の状況や、歩くこと自体を楽しめるかも含めて判断する。[15]
机で覚える方法を捨てるか、歩く方法へ全面的に切り替えるかという二者択一にもする必要はない。移動中に言葉を思い出してみて、落ち着いた場所で確認する、と予定を分けることもできる。実験の条件を参考にすることと、毎日の学習を実験どおりに再現しようとすることは違う。
数字で読む歩行と言葉の研究
2つの被験者内実験で、ごく軽い歩行中に外国語の語彙を覚えた条件のほうが、その後の再生成績がよかった。[15]
9人の健康な成人を対象に、矯正装置装着後の発音の難しさと脳活動を調べた。[17]
3つの条件で発音関連の脳活動を評価した。声を出す、声を出さずに話す、黙読するという区別である。[17]
8人のスペイン語話者が歩行を促すメッセージの翻訳を検討した。歩行速度を比較した人数ではない。[18]
45人が参加した英国の質的研究では、家族や友人、言語面を支える仲間との活動が提案された。語学併用の効果量を示す数字ではない。[19]
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
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