デジャヴは若い頃より減るのか。健康な成人542人の調査では年齢が高いほど頻度が低い関連が見られた。ただし、記憶実験で測る見覚えの働きまで一様に衰えるとは限らない。体験した人の割合と起きる回数、年齢層の比較と個人の変化を分け、日常の不思議な感覚を研究から読み解く。
初めて開いたはずの喫茶店の扉。その先の窓も、席の配置も、以前に見た気がする。そんなデジャヴを、学生の頃にはよく感じたのに最近は覚えがない。年齢との関係を考える手がかりはある。健康なイタリアの成人542人の質問紙調査では、年齢が高いほどデジャヴの頻度が低いという関連が見られた。[12]
ただし、これを「年を取ると、見覚えを感じる記憶の働きが丸ごと弱くなる」と読むのは早い。言葉を見た後で記憶を調べる別の実験では、見覚えに基づく働きの推定値に年齢による差が見られなかった。[1] 日常で不思議な体験をする頻度と、実験で測る記憶の働きは、同じ数字ではない。
年齢が違う人同士を比べた結果から、自分のこれからの回数を予告することもできない。この記事では「若い頃より減るのか」に焦点を絞る。発生の仕組みは既存記事「デジャヴはなぜ起きる?初めての景色を知っていると感じる脳を、仮想現実と電極で追う」に譲り、ここでは体験の割合、頻度、見覚えの測り方を順に見ていく。

年齢が高いほど少なかった、という調査の答え
中心になるのは、デジャヴの体験を調べる質問紙のイタリア語版を検証した観察研究である。対象は18〜70歳、平均年齢40歳の健康な成人542人。神経疾患や精神疾患のない人を募り、自分で質問紙に回答してもらった。そのうち396人、73%がデジャヴを体験していた。[12] 18〜39歳の女性だけの結果ではないため、その割合や年齢との関連を同年代の女性にそのまま当てはめるには、対象の違いを考える必要がある。特別な体験のように感じる一方、この集団では体験した人が多数を占めている。
この研究は、デジャヴを起こす条件を割り当てる実験ではない。日頃の体験を尋ねて、年齢などの特徴との関係を調べたものだ。結果として、デジャヴの頻度には年齢との逆の関連があった。[12] 高い年齢と低い頻度が結びついていた、という意味であり、「加齢が頻度を下げた」と原因まで確定した表現には置き換えられない。
参加者はイタリアの神経内科外来10施設で募集された健康なボランティアで、患者の家族、医学生、医師などが含まれる。募集期間は2013年9月〜2016年3月だった。[12] 病院で集めたから全員が患者なのでも、健康な参加者だから国民全体をそのまま代表するのでもない。どこで、どのような人を集めたかは、数字の適用先を考えるうえで外せない。
たとえば立川駅北口で年代の違う知人に同じ問いを投げかけたとしても、イタリアの調査と同じ割合になると決めておく理由はない。この研究から受け取れるのは、年齢と頻度の関連が実際に観察されたという答えである。[12] 自分と友人の体験談だけで「年齢は無関係」と言い切るよりは確かな手がかりになるが、国や集団を越えた個人別の予定表にはならない。
研究のもう一つの目的は、質問紙がデジャヴを検出し、その特徴を捉える道具として働くかを確かめることだった。著者らはイタリア語版について、良好な特性を保ち、体験を捉える信頼できる道具だと結論している。[12] 年齢差の研究として読むときにも、まず体験を共通の道具で尋ねた結果であることを押さえたい。単に雑談で「ある、ない」を拾った数字ではない。
年齢の違う集団を比べる場合には、「年上の参加者の頻度が低かった」と「同じ参加者が年を重ねて頻度が下がった」を区別する必要がある。質問紙研究の年齢との関連は、前者として受け取る結果である。[12] 自分の学生時代と今を比べる問いに近くても、研究が行った比較と完全に一致するわけではない。昔の自分を今日の質問紙へ呼び戻すことはできないのだ。集団の傾向を知ることは、自分の過去を正確に再現できることとは違う。
また、参加者の教育年数には1〜19年の幅があった。[12] 年齢の範囲だけが対象者の特徴なのではない。読者にとって大切なのは、多様な特徴を持つ人の回答を集めた研究から、年齢だけを取り出して個人の理由にしないことである。
疑問の続きは、体で確かめるのがいちばん早い。
73%は起きる回数ではなく、体験した人の割合
「73%が体験した」という数字は目を引く。[12] けれども、この割合をそのまま頻度に読み替えると話が変わる。体験がある人の割合と、どれくらい繰り返し起きるかは別の問いだ。「参加者の多くが経験していた」と「ほとんど毎日起きていた」はつながらない。前者を示す数字に、後者の意味を足してはいけない。
同じように、研究参加者の平均年齢40歳という数字も、デジャヴが最も多い年齢を表していない。[12] 平均は、集まった人の年齢を要約した値である。体験の頂点を探した数字でも、境目を決めた数字でもない。平均年齢を眺めて「この年齢を越えたら減る」と線を引くのは、数字の役割を取り違えている。
日常でも似た混同がある。「最近はない」と言うとき、最後の体験を思い出せないのか、以前より少ないと感じるのか、そもそも体験した記憶がないのか。答えている問いが違えば、同じ「ない」でも意味は違う。これは自己採点の精度を競う話ではない。調査結果を自分の話に引き寄せる前に、自分が知りたいのは体験の有無なのか、回数の変化なのかを言葉にしておくためだ。
年齢との関連も、その区別の上に載る。この研究が示したのは、年齢が高いほど頻度が低いという関係である。[12] それを「高齢になると誰も体験しない」と言い換えることはできない。集団に傾向があることと、各人が同じ順序で変わることは別だ。若い知人には覚えがなく、年上の家族には覚えがあるという会話があっても、それだけで集団の関連と矛盾したことにはならない。
逆に、自分の記憶が研究の方向と合ったからといって、原因まで分かったことにもならない。「学生の頃より減った気がする」という振り返りは、その人の体験として扱えばよい。そこに研究を添えるなら、「健康な成人の調査でも年齢との関連が見られた」とするところまでだ。[12] 体験の不思議さを、確証の強さに上乗せしないことが大事になる。
見覚えと、いつどこで覚えたかは別に測れる
年齢差をもう少し細かく読むために、記憶実験へ寄り道する。ここでいう「親近性」は、以前に接した感じ、つまり見覚えに基づく記憶の働きである。「回想」は、そのときの出来事や文脈を思い出す働きとして区別される。言葉を使った生涯にわたる記憶研究では、この両者の寄与を分けて推定している。[1] どちらも日常語では「覚えている」に収まりやすいが、研究では別の成分として扱われる。
この研究では、14〜85歳の参加者を5つの年齢群に分け、3つの実験を行った。よく使われる言葉と、使われる頻度の低い言葉を学習時に提示し、直後や1日後に記憶を調べた。[1] 18〜39歳の女性にそのまま当てはめる結果ではなく、幅広い年齢群の比較として読む。目の前の言葉を前にも見たかを判断する課題であり、街角で突然デジャヴが起きたかを尋ねる質問紙ではない。研究の舞台を入れ替えないことが、比較の出発点になる。
結果では、言葉を以前に見たか判断する再認記憶の成績は、年齢に対して逆U字の形を示した。回想の推定値も同じ形で、とくに使用頻度の低い言葉で目立った。一方、親近性の推定値には生涯を通じた年齢差が見られなかった。[1] 記憶の成績が年齢とともに違っていても、すべての成分が同じ曲線を描いたわけではない。
直後に尋ねるか、1日置いて尋ねるか、よく使う言葉かどうかも、再認の成績や両成分の推定値に影響していた。ただし、年齢に対する再認成績の逆U字という形自体は、言葉の使用頻度や保持間隔によって変わらなかった。[1] 「記憶は年齢で変わる」という大きな言葉の中に、課題の条件と、測る成分の違いが同居しているのである。
カフェで見かけた顔に見覚えがあるのに、どこで会った人か出てこない。これは区別を思い浮かべるための例であり、その場で記憶の成分を測ったことにはならない。それでも「何となく知っている感じ」と「場面まで思い出せること」を別々の問いにすると、研究の結果は読みやすくなる。見覚えの働きが保たれるという結果を、具体的な思い出もすべて同じように保たれると広げずに済む。[1]
数字で読むデジャヴと年齢
542人:デジャヴ質問紙のイタリア語版を検証した、健康な成人の人数。[12]
18〜70歳:その質問紙研究の参加者の年齢範囲。平均は40歳だった。[12]
396人、73%:同じ研究でデジャヴを体験していた人。体験の回数を表す数値ではない。[12]
14〜85歳:言葉の再認記憶で、回想と親近性の寄与を調べた実験の年齢範囲。[1]
36人・38人・30人:別の親近性研究の若年成人、認知機能が保たれた高齢成人、健忘型の軽度認知障害のある高齢成人の人数。[3]
疑問の続きは、体で確かめるのがいちばん早い。
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