糖質制限を始めて喉が渇き、体重も減ると、水が抜けたのかと気になる。渇きを調べた食事試験と水分バランスを扱うレビューから、感覚・飲んだ量・体重の数字を分けて読む。研究の対象や期間の違いも確かめ、運動日の補給を一律の量で決めず、食事の変化と体調を見直す手がかりを示す。
夕食の主食を減らした翌朝、体重計から降りてすぐにコップへ手が伸びる。数字は下がったのに、口の渇きが気になる。「糖質制限で水分が抜けたから、喉が渇くのだろうか」。水筒の残りと体重計を交互に見ると、同じ出来事のように思える。
糖質を強く制限する食事で渇きが増した参加者は報告されている。ただし、別の食事比較試験では渇きの変化は食事条件によらなかった。渇きだけから水分不足の程度や、失った水の量まで決めることはできない。[2][4]
また、体重の減少には水分バランスの変化が関わりうるが、減った重さをすべて水、あるいはすべて脂肪と読むのは飛躍である。飲んだ量、体から出た量、体に残る量、本人の感覚を分けるところから考えたい。[1]

糖質制限という名前より、食事をどう変えたかを見る
ご飯を少し減らすことと、糖質を極端に少なくして脂質を多くする食事は、同じ条件ではない。健康で運動する成人を対象にした研究を検討したレビューは、ケトジェニック食による栄養性ケトーシスを、一般に血中ケトン体が0.5 mMを超える状態と説明する。ケトン体はこの食事条件で増える物質であり、糖質摂取量の大まかな目安として1日50 g未満を挙げている。対象は健康で運動する成人であり、18〜39歳の女性に同じ反応が生じるかは、このレビューだけでは判断できない。[1]
ここでの数字は、読者が目指すべき摂取量ではない。どのような食事を研究したのかを確かめるための条件である。レビュー自身も、その状態になる糖質量には多くの要因が関わるとしている。昼の主食を減らしたという情報だけで、研究と同じ状態だと考えることはできない。[1]
たとえば、食事の写真を見返すなら、「糖質制限をした」とだけ書くより、主食をどんな食品に置き換えたかを残すほうが後から説明しやすい。朝食だけ変えたのか、夕食も変えたのか。食べる量そのものを減らしたのか。これは食事の良し悪しを採点する作業ではなく、自分の変更内容を具体的な言葉にする作業である。
渇きが報告された魚を中心とする研究でも、糖質と同時に、食事の総量も変えている。健康な成人14人が、魚とオメガ3脂肪酸を多く含むケトジェニック食を2週間行い、同時に摂取エネルギーを1日500 kcal減らしていた。食事の内容と総量が一緒に動いている。[4]
この研究を「糖質を減らせば誰でも同じように渇く」と読み替えると、食事条件の違いが消える。普段の食卓と研究の食卓を重ねる前に、何を変えた試験なのかを確認する必要がある。糖質制限というラベルだけでは、変更した献立の中身までは伝わらない。[4]
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
渇きが増えた研究と、食事で違わなかった研究がある
魚を中心とする試験は、同じ参加者の食事変更前と変更後を比べる単群の前後比較研究である。別の食事を続ける対照群は置かれていない。食事後には一部の参加者が渇きの増加や口臭を報告した。一方で、身体症状に関する大きな有害事象は認められなかったとされる。[4]
「一部の人が渇きを訴えた」は、読者の実感に近い結果である。しかし、「渇きを訴えた人は全員、水分が同じだけ不足していた」という結果ではない。前後比較で起きた変化を、糖質制限だけが原因の現象と断定することもできない。症状の報告として受け取り、原因や不足量の証明とは分けたい。[4]
これとは異なる比較をしたのが、日常的に運動する大学生年代の健康な男性29人を対象とした無作為化・順序を調整した食事試験である。参加者は、脂質を多く含む食品と、糖質を多く含む食品を別の機会に食べた。どちらも1,000 kcalで、運動の3時間前に摂取した。男性を対象とする荷物歩行の試験であり、18〜39歳の女性の日常生活へ結果をそのまま当てはめることはできない。[2]
その後、体重の30%の重さの荷物を背負い、傾斜のあるトレッドミルで疲労困憊に至るまで歩いた。渇きと満腹感は運動を通じて変化したが、その変化は食べた食品の条件によらなかった。脂質の多い食品を食べたことによって、渇きが一律に強まったという結果ではない。[2]
前者は食事を続けた後の変化、後者は運動前の食事を替えたときの比較である。対象も期間も運動条件も異なるため、単純に勝敗をつけることはできない。少なくとも、糖質の少ない食事なら必ず渇きが増す、という説明には収まらない結果がある。[2][4]
通勤帰りに感じた渇きを考える際にも、この違いが役に立つ。食事を変えた日の感覚なのか、運動をした日の感覚なのか。それらをまとめて「糖質のせい」と書くより、場面ごとに記録するほうが、後で相談するときにも状況が伝わる。研究の違いは、自分の体験を細かく分ける理由になる。
飲んだ量と、体に残った量は別の問いである
水筒が空になったことから分かるのは、そこに入れていた飲み物を飲んだという事実である。それだけで、その日の体内の水分が十分だったとまでは言えない。逆に、水筒がいつもより早く空になったことを、体から同じ量の水が余計に出た証拠と読むこともできない。
水分の収支を考えるときには、「入った量」「出た量」「残る量」を混ぜないほうがよい。健康で運動する成人についてのレビューも、ケトジェニック食と比較食の体重や除脂肪量の違いを考える際に、水分バランスの変化を挙げている。体重という最終的な重さだけでは、その内訳を決めにくいという読み方につながる。[1]
除脂肪量とは、脂肪を除いた体の部分の重さである。数字が下がると筋肉を失ったと考えたくなるが、レビューは摂取エネルギーやたんぱく質の違いに加え、水分バランスの変化も考慮している。除脂肪量の変化を、そのまま筋肉そのものの変化と扱うのは適切ではない。[1]
同様に、「体重が下がって喉も渇いた」という同時発生から、「その差は全部、抜けた水だ」と逆算することはできない。渇きの実感と体重の測定値は、別々の情報として保管するほうがよい。体重計には、水分だけを表示する専用の窓はついていない。[1][2][4]
ここで必要なのは、家庭で精密な収支計算を完成させることではない。飲み物の量を記した欄と、渇きを感じた場面を書いた欄を分けるだけでも、同じ数字として扱わずに済む。朝の体重を残す場合も、そこから自動的に水分不足の判定を付け足さない。測った事実と、自分の解釈を区別するためである。
塩分の排出を詳しく追う問いは、既存記事「糖質制限を始めると塩分も出やすい?食事の変化と腎臓の排出を研究で読む」に譲る。ここでは、塩をどれだけ追加するかを渇きから決めるのではなく、口の感覚と飲水量と体重が違う種類の情報だという点に絞る。
渇きを調べた運動試験では、歩き続けられた時間が主要な評価項目であり、渇きは副次的な評価項目であった。つまり、まず確かめたかったのは荷物を背負った歩行を続けられるかという問いである。渇きも測った試験だが、糖質制限を始めた人の水分不足を判定する検査として組まれたものとは区別して読む必要がある。[2]
継続時間の平均は脂質中心食で55±25分、糖質中心食で54±22分だった。平均値は近いが、それぞれの条件の数値には広がりがある。条件間で有意差がないことは、すべての参加者がまったく同じ時間だけ歩いたという意味ではない。渇きの感覚を比べるときも、集団としての結果と、自分が感じることを無理に一致させなくてよい。[2]
魚を中心とする前後比較のほうは、体組成や筋力とともに、吐き気、便通、眠気、睡眠、空腹、渇きなどの身体症状を調べていた。渇きは食事後の体験を捉える項目のひとつだったのである。体重がどう変わったかと、本人がどう感じたかを別々に扱っている点は、日常の振り返りにも参考になる。[4]
たとえば相談用のメモなら、「食事変更後、帰宅時に渇きが気になった」「飲み物は仕事中と帰宅後に飲んだ」「体重は朝に測った」と分けて書ける。数字を埋めることだけを目的にせず、分からないことは分からないまま残してよい。飲水量の記録がない日に、体重差からその量を作り出す必要はない。正確そうな計算より、実際に起きたことが伝わる記録を優先したい。
数字で読む糖質制限と渇きの研究
14人:魚を中心とする食事の前後比較を行った健康な成人の人数である。[4]
2週間:その食事を続けた期間であり、長期の水分管理を示す期間ではない。[4]
29人:運動前の脂質中心食と糖質中心食を比較した、健康で活動的な男性の人数である。[2]
1,000 kcal:その比較試験で、両条件にそろえられた食品のエネルギー量である。[2]
55分と54分:荷物を背負った歩行の継続時間の平均値で、条件間に有意差はなかった。[2]
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
1
2






