方向音痴はなぜ起きるのか。仮想の町を歩く人の脳の317個の神経細胞の記録、景色と地図を受け持つ領域の研究、若い男女とエストロゲンの試験、脳の男女差研究の40年の総括、音の手がかりの試験を読み、道を見つける脳の仕組みと、よく聞く性差の話がどこまで本当かを確かめる。
地下の通路から階段を上がり、地上に出たところで足が止まる。目の前の交差点ははっきり見えている。けれど、その交差点が駅のどちら側なのかが出てこない。方向音痴を自認する人には、おなじみの数秒だろう。
道を見つける力は、1つの能力ではない。人の脳から直接記録した研究では、特定の場所で反応する細胞が主に海馬に、目印の見え方に反応する細胞が海馬傍回にあり、行き先に反応する細胞は前頭葉と側頭葉に広く散らばっていた[1]。目の前の景色を捉える領域と、その景色を広い環境の中に位置づける領域も、別々にある[2]。部品が多いぶん、どこか1つが追いつかなくても迷う。ここは私の読みである。
性差の話も、言われているほど単純ではない。若い男女を比べた試験では、男性は周りの位置関係を基準にするやり方で、女性は自分の体を基準にするやり方で成績がよかった[10]。差は、どのやり方で成績がよいかの違いとして表れた。著者らは、男性のほうが空間の課題でおおむね上回るという見方も、多くの研究をよく見るとそれほどはっきりしないと書いている[10]。

仮想の町を歩く人の脳で、場所の細胞と目印の細胞が見つかった
出発点はネズミである。ネズミの海馬にある場所細胞は、動物が周りの特定の場所を通るときに発火を増やし、その環境の地図のように働く。哺乳類で、神経の活動と複雑な行動の結びつきを示すもっとも目を引く例の1つとされる[1]。
人でも、脳の画像の研究から、海馬と海馬傍回がナビゲーション(道を見つけて移動すること)に関わると考えられてきた。ただしこれらの領域は目で見る刺激にも選んで反応するので、人の道案内がネズミと同じ場所の符号で動いているのか、見た目に頼る別の仕組みで動いているのかは分からなかった[1]。
2003年の研究は、この問いに神経細胞の単位で答えようとした。参加者が仮想の町を探索して道をたどるあいだ、人の内側側頭葉と前頭葉の317個の神経細胞から直接記録したのである[1]。見つかったのは、特定の場所で反応する細胞と、目印の見え方に反応する細胞だった。前者は主に海馬に、後者は海馬傍回にあった[1]。前頭葉と側頭葉の各所の細胞は、参加者の行き先や、場所と行き先と見え方の組み合わせに反応した[1]。
「ここはどこか」「何が見えているか」「どこへ行くのか」に、脳はそれぞれ反応する細胞を持っている。駅前の店の看板は覚えているのに、そこへの行き方が出てこない、という迷い方があるのも、こう考えると不思議ではない。これは私の読みで、この研究が方向音痴の人を調べたわけではない。
疑問の続きは、体で確かめるのがいちばん早い。
景色を見る場所と、景色を地図に置く場所は別にある
2008年の総説は、脳の画像の研究から見つかった2つの領域に注目した[2]。どちらも、道をたどる課題の最中にも、景色のような道案内に関わる画像をただ眺めているときにも働く。海馬傍場所領域と、脳梁膨大後部の領域である[2]。
最近の結果では、この2つは別々の、補い合う役目を持つ。海馬傍場所領域は目の前の景色を表すことに、脳梁膨大後部は、その景色をもっと広い空間の中に位置づけることに、より強く関わる[2]。著者は、これを人のナビゲーションを担う脳の網の目の部品を切り分ける第一歩と位置づけている[2]。
2017年の総説は、もう少し大きな地図を描く[3]。「認知地図」の仮説では、脳は空間の環境をひとまとまりに表し、記憶を支え、次の行動を導く。ネズミの電気生理の研究は40年にわたり、海馬とその周りの場所細胞、格子細胞、境界細胞、頭の向きの細胞が、この認知地図を形にしていると示唆してきた[3]。
人の脳にも似た仕組みがあるらしい。総説が挙げる最近の研究は3つのことを示す。海馬と嗅内皮質が地図のような空間の符号を支えること、海馬傍回や脳梁膨大後部などの後ろの領域が、地図を動かない目印につなぎ止める大事な入力を出すこと、そして海馬と嗅内皮質の空間の符号が前頭葉の仕組みと組んで道順を計画することである[3]。著者らは、空間の符号、目印への固定、道順の計画という3つの要素が、空間以外の多くの思考の部品にもなりうると論じている[3]。
地上に出た瞬間の交差点ははっきり見えるのに、駅のどちら側か分からない。景色を表す働きと、景色を広い地図に置く働きが別の領域にあるという整理は、あの感じによく合う。これも私の読みである。

ラットでは、行き先までの道を前頭葉からの回路が支えていた
道を見つけるには、いまの位置とこれから行く位置の関係が要る。海馬の神経細胞の活動は、いまの位置だけでなく、行き先までの道筋も表すようだ。ただ、海馬が行き先の方向の情報をどこから得るのかは、よく分かっていなかった[4]。
2015年のラットの研究は、そのための回路を報告した[4]。道筋によって変わる発火が、内側前頭前野、視床の結合核と呼ばれる部分、海馬のCA1という領域で見られた[4]。結合核を壊すか、光で働きを止めると、CA1の道筋による発火は大きく減った。結合核からの入力を受けないCA3では、道筋による活動はほとんど見られなかった[4]。著者らは、内側前頭前野から結合核を通る投射が、目的に向かう行動の中で未来の道筋を表すのに欠かせないと示唆している[4]。
地図そのものにも層がある。2016年のマウスの研究は、海馬のCA1の深い層と浅い層の細胞の活動を光で見比べた[6]。頭を固定して探索するあいだ、浅い層の場所の地図は深い層より安定していた。一方、行き先を学ぶ課題では深い層の地図がとくに安定し、報酬の場所を深い層の細胞がどう表すかが課題の成績を予測した[6]。浅い層は環境の安定した地図を、深い層は目立つ特徴を学ぶことで形が変わる柔らかい表し方を担う、と著者らはまとめている[6]。
自分がどれだけ動いたかは、目と前庭感覚を合わせて測る
地図を持っていても、自分がいまどちらを向き、どれだけ進んだかが分からなければ使えない。2025年の総説によれば、自分の動きの知覚は、とくに目からの信号と前庭感覚(頭の回転や傾きを感じる感覚)を統合する多感覚の働きで、ナビゲーションに欠かせない[17]。2つの信号が食い違うときには、感覚どうしの較正をやり直すことで知覚の安定を保つ[17]。
動くと視界の景色が流れる。この流れ、オプティックフローについて、2024年のメタ分析は脳の画像の研究を統合した[18]。オプティックフローの処理は、自分の体を基準にするナビゲーションとは楔前部の前方で働く場所を共有していたが、周りの位置関係を基準にするナビゲーションとは共有していなかった[18]。著者らは、オプティックフローから得た自分の動きの情報が、自分の体を基準にするナビゲーションに使われていると考えている[18]。
ラットでは、目と回転の感覚だけで地図が立ち上がることも示された。2014年の研究はラット用の仮想現実を作り、回転と全方向への歩行を許した[5]。嗅内皮質と海馬の回路の場所細胞、頭の向きの細胞、格子細胞は、現実の世界とよく似た2次元の活動の模様を示し、境界細胞も見つかった[5]。
向きと位置の感覚は、雑音と不確かさの中で保たなければならない。2026年の総説は、外からの入力が目印につなぎ止めることで、頭の向きと位置の表し方を安定させるとしている[13]。私の読みでは、改札を出てから角をいくつ曲がったかを覚えていられなくても、目印は向きを取り戻す手がかりになる。地図の側から見れば、目印はただの飾りではない。
数字で読む道を見つける脳の研究
- 317個: 仮想の町を歩く人の内側側頭葉と前頭葉から直接記録した神経細胞[1]
- 40年: 場所細胞などが認知地図を作ると示唆してきたネズミの電気生理の研究の年月[3]
- 4種類: その研究が挙げる場所細胞、格子細胞、境界細胞、頭の向きの細胞[3]
- 64人: 45〜65歳。仮想現実の迷路で音の方向の手がかりを受けた群は有意に速く終えた[7]
- 47本: 子どものナビゲーションの測り方を集めたレビューに選ばれた研究。3,385本から絞った[19]
- 24本: 軽度認知障害と認知症の人のナビゲーションの成績を統合した研究の数[11]
疑問の続きは、体で確かめるのがいちばん早い。
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