失恋で胸が痛いのは比喩だけなのか。別れた相手の写真を見たときに動いた脳の場所を調べた実験と、ブロークンハート症候群とも呼ばれる心臓の病気の引き金、年齢、胸痛の割合の数字を読み、分かった話とまだ分からない話を分けて確かめる。うれしい知らせのあとの例にも触れる。
夜11時、スマホの画面に別れた相手の写真が流れてくる。胸の奥が締まる。痛いと言えば大げさで、痛くないと言えばうそになる。
その痛みは、比喩だけとは言い切れない。望まない別れを最近経験した人に元恋人の写真を見せ、拒まれたことを考えてもらった脳画像の実験では、身体の痛みの「感覚」を支える場所が活動し、同じ人が身体の痛みを受けたときの活動と重なった[4]。
ただし、この実験が示したのは脳の話で、なぜ胸なのかという問いまでは届かない。胸のほうには別の話がある。ブロークンハート症候群とも呼ばれる心臓の病気は実在するが、患者の中心は閉経後の女性で、発症前の出来事を数えると感情より身体のストレスのほうが多かったレビューもある[1]。名前と中身がずれている。

元恋人の写真で動いたのは「つらさ」の場所だけではなかった
それまでの研究が描いていた図はこうだ。人に拒まれる経験と身体の痛みは脳の中で重なるが、重なるのは痛みの情動の面を支える場所で、感覚の面を支える場所ではない[4]。心の痛みは身体の痛みと「いやだ」を分け合っているだけで、「どこが、どう痛い」は分け合っていない、という図である。
2011年に米国科学アカデミーの紀要に載った実験は、ここを突いた[4]。拒絶を強く引き起こすために著者らが選んだのが、望まない別れを最近経験した人だった。別れた相手の写真を見ながら、拒まれたことを考えてもらう。手続きとしては明快で、参加者にはかなり酷な課題だと思う。
同じ人に身体の痛みの条件も受けてもらい、機能的MRI(脳の活動を撮る方法)で両方を比べた。すると、二次体性感覚野と背側後部島皮質という、身体の痛みの感覚の面を支える場所が活動した[4]。
著者らはもう一段、念を入れた。活動した位置を、500本を超える既発表の研究のデータベースと照らし、その場所の活動がどれほど身体の痛みに特有かを調べたのである。陽性的中率(その場所が動いたときに、身体の痛みだと言い当てられる割合)は最大で88%だった[4]。「最大で」は読み飛ばさないほうがいい。どの場所でも88%という意味にはならない。
著者らの結論は強い。拒絶と身体の痛みは、どちらもつらいという点で似ているだけでなく、共通の体性感覚の表現を持つ[4]。
条件を1つ確かめておく。この実験が拒絶を引き起こすのに使ったのは、最近の望まない別れと元恋人の写真の組み合わせである。友人にランチを断られた午後にも同じことが起きるとは、この1本からは言えない。
疑問の続きは、体で確かめるのがいちばん早い。
拒まれたときの脳の反応は、炎症の指標とも関連していた
失恋の実験ではないが、隣にもう1本置いておく。健康な若い成人124人に実験室で社会的なストレス課題を受けてもらい、口の中の液で炎症の指標を測った研究がある[5]。課題に伴って、腫瘍壊死因子の受容体の一種とインターロイキン6という2つの指標が有意に増えた[5]。
そのうち31人が後日、脳画像の装置の中で社会的拒絶に対する反応を測られた。腫瘍壊死因子の受容体の増え方が大きかった人ほど、背側前帯状皮質と前部島皮質の活動が大きかった。インターロイキン6にはこの関係が見られなかった[5]。
背側前帯状皮質と前部島皮質は、拒まれたときの苦痛や負の感情の処理に関わると報告されてきた場所で[5]、先の実験で動いた感覚の場所とは名前が違う。著者らは、社会的ストレスが炎症を伴う病気へのかかりやすさを高める経路に関わりうると述べる[5]。関連を見た研究なので、拒まれると炎症が起きて病気になる、と一直線には読めない。ただ、拒まれた経験が気分の中だけで完結していない可能性は、頭の隅に置いておいてよいと思う。

なぜ胸なのか。脳の実験と胸の間の段差
「痛みの脳が動く」と「胸が痛い」の間には段差がある。二次体性感覚野が動いたという結果は、痛みが胸に置かれる理由までは説明しない。
手がかりになりそうなのは、心臓と脳の行き来である。2026年の神経心臓学のレビューは、心臓と脳を、閉じた輪のようにやりとりする回路として描く[18]。安静時に優位なのは迷走神経による調節で、そこには身体の内側の情報を脳幹へ送る感覚の線維が含まれる[18]。
胸は脳から見て、便りの来ない土地ではない。だから失恋の胸の痛みもこの道を通っている、と書きたくなるが、これは私の推測であり、論文の結論ではない。
本当に心臓の動きが変わる病気がある
もう1つの「胸」は比喩ではない。たこつぼ症候群という心臓の病気である。1990年代に日本の著者らが報告し[2]、英語の論文でもTakotsuboの名で載っている。別名がブロークンハート症候群だ[9]。
急に左心室の動きが悪くなり、急性の心筋梗塞のように見えるのに、冠動脈の造影はふつう正常で、左心室の機能は数日から数週間で回復する[2]。
14の研究を見つけてまとめた2006年のシステマティックレビューでは、来院時の症状は胸痛が67.8%、息苦しさが17.8%だった[1]。28の症例集積を対象にした2008年のレビューでは、胸痛が83.4%、息苦しさが20.4%である[3]。胸の訴えは、この病気の中心にある。
仕組みの説明はこうだ。急なストレスで脳が活性化し、コルチゾールとカテコールアミン(アドレナリンやノルアドレナリン)が増える。カテコールアミンの急増が、心筋への直接の毒性や冠動脈の収縮、心臓の負担の増加など複数の経路で心筋を傷つける[2]。2006年のレビューでは、ノルアドレナリンの上昇が74.3%の患者で報告された[1]。ただ、この仕組みを整理した2017年のレビュー自身が、原因と発症の仕組みは解明しきれていないと書く[2]。
では、失恋の夜の胸の痛みはこの病気なのか。そう決めてしまう理由はないし、失恋のあとだから心配ないと決める理由もない。次の数字を見ると、話はもう少し込み入っている。
名前に反して、引き金は身体のストレスのほうが多いという集計がある
2006年のレビューの数字は、名前の印象を裏切る。発症の前にあった出来事は、感情のストレスが26.8%、身体のストレスが37.8%だった[1]。身体のほうが多い。2026年のレビューは、感情や身体のストレスが多くの例を引き起こす一方で、3分の1は引き金を特定できないと書く[14]。
身体の側の引き金は幅が広い。症例報告だけを集めた2026年のレビューでは、頭の中の出来事が引き金になった例として、発作(てんかん発作など)が43例、くも膜下出血が36例、虚血性脳卒中が18例あった[19]。著者らは、すべて症例報告なので慎重に読むべきだと断っている[19]。欧州の地中海クロゴケグモ(毒グモ)の咬傷を集めたレビューには、心臓の合併症の1つとして、たこつぼに似た心筋症の報告が入っている[20]。失恋と毒グモが、同じ病名の近くに並ぶ。
年齢もずれる。2008年のレビューでは患者の90.7%が女性で、平均年齢は研究によって62歳から76歳だった[3]。2026年のレビューも閉経後の女性に多いと書く[14]。立川駅のホームで泣いている22歳は、この統計の中心にはいない。起きないという意味ではないが、数字が描いているのは別の年代である。
感情の引き金として例に挙がるのも、死別やパニック発作[9]、悲しみや恐怖[10]だ。失恋がその何割を占めるのかは、これらの数字からは読み取れない。ブロークンハートの名を失恋と訳して読むと、この病気を見誤る。
数字で読む失恋と胸の痛み
- 88%: 元恋人の写真の実験で活動した場所について、身体の痛みだと言い当てられる割合の最大値[4]。
- 124人と31人: 社会的ストレスと炎症の研究の参加者と、そのうち脳画像まで受けた人数[5]。
- 67.8%と83.4%: たこつぼ症候群の胸痛の割合。2つのレビューで開きがある[1][3]。
- 26.8%と37.8%: 発症前にあった感情のストレスと身体のストレスの割合[1]。
- 90.7%: 患者に占める女性の割合。平均年齢は研究により62〜76歳[3]。
- 3分の1: 引き金を特定できない例の割合[14]。
疑問の続きは、体で確かめるのがいちばん早い。
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