有酸素運動中に考え事がそれるのは悪い?空想と周囲への気づきを分けて読む

有酸素運動中に夕飯や仕事のことを考えると、集中できていないのか。街中の歩行観察、運動後の講義を調べた比較試験、注意を向けて歩く予備研究から、周囲の記憶と動作、学習中の注意を分けて読む。意図した空想を一律に悪者にせず、運動中と終わった後で確かめたいことを考える。

散歩に出たはずなのに、頭の中では明日の会議が始まっている。歩き始めたときは足取りを気にしていた。いつの間にか、頭の中では明日の返信を書いている。足は先へ進んでいるのに、考え事だけが職場へ戻っている。そんな帰り道に「運動にも集中しなければ」と宿題を増やしたくなることがある。

考え事がそれたことだけで、歩行が失敗したとは判定できない。街中の歩行者を調べた研究では、通過した看板に気づいていなかった人も、看板への衝突を避けていた。周囲を覚えていることと、歩くための処理が働いていることは、同じではなかったのである。[6]

ただし、講義の内容を理解したい場面では、注意がそれることは別の意味を持つ。若者を対象にした比較試験では、運動後の講義中の考え事が少なくなり、理解の成績が改善した。[2] 意図して空想したか、気づかずそれていたかを自分の言葉で分けつつ、「何をしている最中の、何への気づきなのか」を確かめるのがこの記事の入口だ。

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考え事の内容より、注意が必要な場面を分ける

この記事でいう空想は、歩きながら週末の予定を思い描くような日常の言葉である。自分で考え始めた場合もあれば、気づいたら予定表の中にいた場合もある。一方、講義を見ているのに別のことを考えていたかを尋ねる研究では、その場の課題から注意が離れたことを調べている。[2] 同じ「考え事」でも、評価する目的が違う。

歩くことが目的の帰り道と、説明を聞き取ることが目的の講義では、成功の物差しも変わる。看板を避けて通れたかを測ることと、話の内容を理解できたかを測ることを、集中力という言葉だけでまとめない方がよい。歩行観察は前者を、運動後の講義の比較試験は後者を、それぞれ具体的に確かめた研究である。[6][2]

「好きなことを考える時間にしたい」と思って歩き出す日もあるだろう。その希望と、交差点や人の流れに対応する必要は分けて扱える。ここでは空想に点数を付けるより、考え事を続けたい場面と周囲を確かめたい場面を言葉にすることを提案する。これは研究が認定した訓練法ではなく、異なる測定対象を日常で取り違えないための整理である。

既存記事「ヨガのスピリチュアルなひらめきは測れる?発想の数と役立つ考えを読み分ける」には創造性の問いを譲る。今回確かめるのは、歩いている間の空想が良いアイデアを生むかではない。考え事をしていたという感覚、周囲の記憶、実際の動作をどう読み分けるかである。退屈で続かない日の対処や、翌日に残る疲れの記憶も隣の記事の問いだ。

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看板を覚えていなくても、避けて歩いていた

オランダのユトレヒト中心部で行われた観察研究では、歩道に看板を置き、歩行者がどの距離から避ける動きを始めるかを調べた。通過後には、そのとき考えていたこと、道への慣れ、ほかの行動をしていたかに加え、看板や文字を思い出せるか、見たものだと分かるかを尋ねている。参加した歩行者は234人だった。街中の歩行者を対象にした結果であり、18〜39歳の女性にそのまま当てはめられるかは、この観察だけでは判断できない。[6]

看板に気づいていなかった人は53.8%だったが、衝突した人はいなかった。[6] 数字だけ見ると奇妙だ。看板は記憶には残らなかったのに、進路には影響していた。研究者は、歩行が高度に自動化された熟練した行動であることを踏まえ、意識して気づいていなくても認知や知覚の処理が失われているとは限らないと論じている。[6]

ここで大切なのは「覚えていない」の読み方だ。通過後に看板を思い出せなかったことを、歩行中に周りの情報を一切受け取らなかった証拠にすると、実際に避けた動作を説明できなくなる。この観察では、意識的な気づきを尋ねる方法と、進路を変える行動の測定を組み合わせたからこそ、両者のずれが見えた。[6]

さらに、この研究では考え事をしていること、同行者との会話や携帯電話の使用、道に慣れていることによる、気づきや回避行動への影響は認められなかった。[6] これは街中でよくある歩き方を対象にした観察結果である。携帯電話を見ながら歩く行動を勧める実験でも、考え事の内容を指定して優劣を比べる試験でもない。

駅からの道で「さっきの店先を覚えていない」と思ったとき、記憶の空白だけから注意の働き全体を採点する必要はない。ただし、衝突しなかったという結果を、どの場面でも安全という保証に読み替えることもできない。研究の結論は、意識的な気づきの欠如が必ず危険を意味する証拠は得られなかった、という範囲である。[6]

この結果は、空想していた自分を責める材料を減らす一方で、通勤路の安全を代わりに判断してはくれない。信号の手前では前方を確かめる、考え込みたいならいったん立ち止まる、といった行動は、その場の環境に合わせて選ぶ実用上の工夫だ。看板を避けた歩行者の割合を、自分の今日の道の保証書にはしない。

看板の文字を思い出す問いと、看板そのものを見たと分かる問いが設けられていた点も参考になる。思い出すことと、見覚えがあると判断することを通過後に確かめ、さらに通過中の回避を観察している。[6] 「見えていたはずなのに覚えていない」という日常の感想には、こうした異なる確認の仕方が混ざりやすい。帰り道を詳しく再生できないからといって、その時間を全部無意味だったと扱わないための視点になる。

一緒に歩いていた相手との会話を覚えていても、店先の文字までは覚えていないことはある。研究では同行者との会話も、携帯電話の使用も、考え事とともに調べられたが、看板の気づきや回避への影響は認められなかった。[6] ここで比べている結果は看板についての結果であり、会話の内容をどれだけ理解できたかではない。同時に行っていたことが多いという印象だけで、測った結果を別の課題へ広げないことが大切だ。

運動後の講義では、注意のそれが減った試験がある

若者を対象とした無作為化比較試験では、40人を高強度の有酸素運動を行う群と座って休む群に分けた。運動は30分間で、その後にストレスを生じさせる課題を行い、続けて20分間の動画講義を見た。講義の途中には、注意がそれていたかを尋ねる問いが組み込まれていた。対象は若者であり、18〜39歳の女性にそのまま当てはめられるかは、女性だけを対象にした結果とは区別して考える必要がある。[2]

結果として、運動を行う群では講義中に課題へ注意を向ける行動が多く、考え事による注意のそれが少なかった。講義の理解度の成績も改善した。[2] 看板の研究とは異なり、ここでは説明の内容を受け取ることが求められる。課題と関係のない考え事が少なくなることには、その講義を理解するという目的に沿った意味がある。

ただし、運動はストレス反応を弱めなかった。[2] 「運動したら心が落ち着き、そのおかげで集中できた」と一本道で説明するのは正確ではない。ストレス反応への結果と、講義中の注意や理解への結果は分かれていた。気持ちが晴れた実感だけを、運動後の認知面の変化を判断する物差しにしない理由になる。

同じ試験では、その時点の不安が強いほど考え事が多く、考え事が多いほど理解度が低いという関連も見られた。[2] この関連は、不安を減らせば同じだけ理解度が上がるという因果の証明ではない。群を分けて運動を比べた部分と、不安や注意の関係を調べた部分では、読み取れることが違う。

夜のオンライン講座を前に「今日はまだ気が張っているから、何をしても頭に入らない」と決めつけたくなる日がある。この試験は、ストレス反応が弱まらなくても学習に関わる結果が良くなる可能性を示している。[2] 気分の採点と、説明を聞き取れたかの確認は分けておける。帰宅時の気分だけで、その晩の学びを閉店させなくてもよい。

一方、これは運動を終えた後の講義を調べた試験である。[2] 運動中の空想をなくすべきだという結果にはならない。高強度の運動を、集中のために誰もが選ぶべき標準として扱うことも避けたい。実験に組み込まれた運動時間や強度は、結果を理解する条件であって、そのまま自分の処方箋になる数字ではない。

数字で読む考え事と注意の研究

234人:街中で看板の回避と通過後の気づきを調べた歩行者数である。[6]

53.8%:その看板に気づいていなかった歩行者の割合だ。看板への衝突はなかった。[6]

40人:高強度の有酸素運動と座位休息に無作為に分けられた若者の人数である。[2]

30分間と20分間:比較試験の運動時間と、その後に視聴した動画講義の時間である。[2]

13人と8週間:高齢者が注意を向けて歩くプログラムに参加した予備研究の人数と期間だ。[3]

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宮川涼 Founder

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