運動の時に聞く曲で、終わる直前だけ頑張れる気がする。その感覚を、音楽の展開予測、和音の心地よさ、曲の終止を調べた研究から考える。予想どおりなら必ず快いわけではなく、聴く快さと運動のきつさも別である。曲の終わりを運動終了の合図にする前に、選曲と記録で分けたい条件を示す。
マットの上で体を動かしていて、知っている曲の最後の盛り上がりが近づく。「ここまで来たら終われそうだ」と思ったところで、まだ繰り返しが残っていた。曲は終わる顔をして、もう少し続くことがある。
音楽では、次に何が来るかという期待や、期待からのずれが、聴く快さに関わる。ただし、その関係は「予想が当たるほど快い」という一直線ではない。予測しやすい流れでの意外な和音も、先の読めない流れでの予想どおりの和音も、高い快さにつながった実験がある。[8]
したがって、終わり方が分かる曲を好むことと、その曲で運動のきつさが減ることは分けたい。ここでは曲の終止、つまり音楽として一区切りついたと感じる終わり方を扱う。聴取時の予測や脳反応を、最後まで動ける効果に読み替えず、運動の時に聞く曲の使い方を考える。[7][14]

曲の終わりと運動の終わりは、同じ合図ではない
「曲が終わりそうだ」には、違う手掛かりが混ざる。曲を覚えていて残りの展開が分かる場合もあれば、音のつながりを聞いて落ち着き先を感じる場合もある。音楽の期待を扱う研究では、長期に学ばれた音楽構造の知識と、直前の音響情報に基づく予測が、独立して期待や快さを説明した。知っている曲名を思い出せることだけが、音の先を読む方法ではない。[2]
ここで扱う終止感は、再生機器の残り時間とは違う。音楽経験のない人に短い西洋クラシック曲を聞かせた実験では、期待される終止から、期待をほどよく外す終止、さらに大きく外す終止へと、曲の末尾を操作している。音楽の文脈をどう締めくくるかを変えた実験であり、運動をあとどれだけ続けるかを知らせた実験ではない。対象は音楽経験のない人であり、18〜39歳の女性が運動中に感じる終止感や意欲へそのまま当てはめられるかは、別に検証する必要がある。[14]
日常に置き直せば、再生時間を見て「もう終わり」と知る場面と、音を聞いて「収まった」と感じる場面を別々に観察するとよい。たとえば曲の残り時間を見ずに聞いたとき、どこで区切りを感じたかを思い出す。これは研究結果から提案する聴き方であって、運動能力を高める方法として試された手順ではない。[2][14]
既存記事「ボクササイズのリズムは次の音を予測する?合図を待つ動きとの違いを読む」には、動作を始めるタイミングの問いを譲る。また、隣の記事が扱う拍の外れ方と乗りたい感覚にも立ち入らない。ここで問うのは、動き出しではなく、曲の末尾を運動の終了地点として扱ってよいかである。
「この曲まで」と予定すること自体は、生活の区切りを作る工夫になる。ただ、曲が音楽として解決すること、録音が停止すること、自分で運動を終えることは、それぞれ別の出来事である。選曲を考えるときは、どの区切りを使いたいのかを先に言葉にしておく。和音の終止に反応した研究を、録音の終了まで耐える研究として読むと、この違いが消えてしまう。[14]
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
快さは予測の当たり外れだけでは決まらない
音楽を聞いて先を読む働きを、音楽的期待と呼ぶ。これを快さと結びつけて調べた実験では、米国のポップソングに含まれる80,000個の和音をモデルで解析し、次の音がどれほど読みにくいかと、実際の音がどれほど意外かを数値化した。和音とは、複数の音が重なった響きである。[8]
ここで重要なのは、読みにくさと意外さを分けた点だ。先が読みにくい状態では、来た音を驚きとして受け取るかも変わる。一方、来る音を強く予想しているときには、それを外す音が大きな驚きになる。実験では、不確実性が低く驚きが大きい組み合わせと、不確実性が高く驚きが小さい組み合わせで、快さの評価が高かった。[8]
つまり、落ち着く終わり方だけを集めれば、いつでも最も気持ちよく聞けるという結論にはならない。展開の文脈が違えば、快さと結びつく音の条件も違う。予想を外すことを一律に失敗とみなすのも、意外な展開ほど優れているとみなすのも、この結果には合わない。[8]
同じ研究では、機能的磁気共鳴画像法による脳活動の測定も行われた。不確実性と驚きの組み合わせに対応したのは、扁桃体、海馬、聴覚皮質であり、側坐核では不確実性への対応が示された。快さの話を「意外な音なら報酬に関わる場所が一律に強く働く」と単純化できない結果である。[8]
ただし、ここでの評価対象は音を聞いた快さだ。仕事帰りに運動を続けたくなったという感覚へつなぐなら、「曲の展開を楽しめた」と「運動を続けられた」を別々に尋ねる必要がある。楽しい曲を聞けた日にも運動を切り上げてよい。快さを測った実験から、体を動かし続ける義務は生まれない。[8]
音の並びと、身についた知識が期待を作る
別の研究は、739曲の米国ポップソングから取り出した1,000個を超える和音を対象に、期待と快さの主観評価を計算モデルと比較した。比較したのは4つのモデルであり、音の局所的な特徴から予測する仕組みと、長期に身につけた音楽構造から予測する仕組みを検討している。[2]
その結果、感覚に基づく期待と、知識に基づく期待の両方が、重ならない形で評価を説明した。とくに驚きの感じ方については、後者が説明するばらつきは前者の2倍を超えた。これは長期的な音楽構造の表現が重要であることを示す結果であって、知っている曲なら運動への効果が2倍になるという意味ではない。[2]
説明するばらつきという言葉は、個人の能力が何倍になったかを表していない。モデルが、評価の違いをどこまで捉えたかという比較である。運動向けの選曲に応用するとき、この数字を持久力や意欲の増加率へ置き換えないことが大切だ。研究の数字には、それが何を数えたものかという名札が必要である。[2]
立川駅北口からの帰り道に思いついた曲でも、家に着いて実際に聞くと印象が違うかもしれない。選曲メモには「知っている」「好き」に加え、「終わりが読める」「途中で予想が外れる」と書き分けてみる。好きな曲を採点するためではなく、自分が曲のどの部分を目印にしているかを整理するための案である。[2][8]
さらに、響きのまとまりを左右するのは和音の種類だけではない。34人を対象とした聴取実験では、重なる音それぞれが前後でどう動くかという声部進行と、和声の良し悪しを操作し、最後の和音の音色が違うかを答えてもらった。声部進行と和声の両方が反応時間に影響した。[7]
声部進行が良い場合は、声部進行も和声も悪い場合より反応が速かった。一方、和声だけが良い条件では同じ比較結果にならなかった。音の終わりを処理する際には、最後の響きだけを切り取らず、そこへ至るつながりを見る必要がある。ただし、この反応時間は音色を判断する課題の成績であり、パンチや足運びの速さではない。[7]
曲の最後だけを抜き出して選ぶ場合にも注意点がある。声部進行の実験では、最後の和音の前に音の系列を聞かせている。末尾の響きへの反応を理解するために、それ以前の音の流れを条件に含めたわけだ。「この音で終わればよい」という単独の音の指定より、そこへどう到達したかを含む知見として受け取るほうが正確である。[7]
たとえば、気に入った終わりを聞くために曲の途中から再生する日と、最初から通して聞く日があったら、その違いもメモに残す。両方で同じ感想になると決めつけず、自分の経験として記録するのでよい。これは声部進行の実験を再現するものではなく、聞く範囲を変えたことを見落とさないための工夫だ。[7]
期待と快さを比べた研究が、別々の主観評価を用いた点も参考になる。先が分かると感じることと、気持ちよいと感じることを、同じ質問で済ませていない。日常でも「終わりを予測できたので、この曲はよかった」と急いで結論にせず、「予測できたが好みではなかった」という感想を残せる形にしておくと、選曲の理由が具体的になる。[2]
そのうえで運動の記録には、予定していた動作を行ったか、途中で予定を変えたかを別に書く。曲の評価だけが残ると、あとから「楽しい曲だったから、運動も楽だったはず」と経験をひとまとめにしやすい。聞くことの感想と、実際に何をしたかを並べて残すのは、その日の出来事を確かめ直すための案である。
数字で読む音楽の期待
80,000個の和音:不確実性と驚きをモデルで数値化した解析対象である。[8]
739曲:期待と快さを感覚的・認知的なモデルで比較した研究は、これだけの楽曲を用いた。[2]
1,000個超の和音:同研究で主観的な期待と快さの評価に用いた対象である。[2]
34人:声部進行と和声を変え、末尾の和音の音色判断を調べた実験には、この人数が参加した。[7]
8つの仕組み:音楽による感情を説明するレビューが提示した枠組みであり、運動効果の種類ではない。[1]
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
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