筋肉痛で動けない朝、痛みの強さと動く怖さ、実際に出せる力は同じなのか。腰・肩・首に筋肉痛を起こした実験と腰のメタ分析を読み比べ、関連があった結果となかった結果を整理する。怖さを気のせいと片づけず、研究の数字の意味、日常での記録方法、医師に相談するときの伝え方まで考える。
洗面台の下に落ちたタオルを拾いたいのに、腰をかがめる前から身構える。痛いから止まっているのか、動いたらもっと痛むと思って止まっているのか。「筋肉痛で動けない」と検索するとき、その境目を自分で言葉にするのは難しい。
答えの芯は、痛みの強さ、動くことへの怖さ、実際に出せる力を別々に見ることである。健康な人の腰に筋肉痛を起こした実験では、事前に測った痛みへの恐怖が、翌日の最大筋力の低下や生活への支障と関連していた。肩では筋力と痛み、首では筋力と心理的苦痛が関連し、部位によって結果が異なった。[1][2][3]
怖いから気の持ちようで動けばよい、という話にはならない。腰の研究をまとめたメタ分析でも、筋肉痛のある時期には最大限に出せる力が低下していた。身体の変化と心理面の関連を並べて読むことが、「痛すぎる」という訴えを軽く扱わず、必要以上に決めつけない出発点になる。[6]

「動けない」の中身を、痛みと怖さと力に分ける
運動のあと時間がたって現れる筋肉の痛みは、遅発性筋痛と呼ばれる。競技者やレクリエーションでスポーツを行う人の画像診断を扱ったレビューでは、慣れない、または強い伸張性運動のあと、通常は24〜72時間で現れるものとして整理されている。18〜39歳の女性の日常的な運動後にも同じ診断上の特徴が当てはまるかは、個別に判断する必要がある。伸張性運動とは、力を出しながら筋肉が引き伸ばされる動きのことだ。ここでいう筋肉痛は、運動中に突然起こるあらゆる痛みをひとまとめにした呼び名ではない。[4]
「痛い」は今の感覚であり、「動かすのが怖い」はこれから起きそうなことへの構えである。研究では、その怖さを質問票で調べ、筋力は別のテストで測っている。腰の実験も、痛みの自己申告だけで力の低下を推定したものではない。健康な参加者に筋肉痛を起こす前後で、最大体幹筋力を測った研究である。[2]
たとえば朝の支度で、床のバッグを拾う動作が気になるとする。腰を曲げたときに感じる痛みと、触れる前から浮かぶ「今日は無理そうだ」という予想は、同じ場面に重なっていても、相談時には別々に伝えられる。その場で痛くてやめたのか、痛みを予想して試さなかったのか。この区別は、自分を採点するためではなく、困り方を具体化するための整理である。
また、研究で測った最大筋力は、日常のすべての動作を代表するわけではない。腰のメタ分析では、体を反らす方向に最大限の力を出す能力は下がった一方、前に曲げる可動域には有意な変化がなかった。可動域とは関節や体を動かせる範囲のことである。「力が落ちる」と「動く範囲が狭くなる」も、別の結果として読む必要がある。[6]
鏡の前で腕が上がったから筋力も元通り、と判定することはできない。逆に、ある動作で身構えたから体全体が動かないとも決められない。研究が複数の項目を測る理由を、日常でも少し借りればよい。どの場面の何に困っているのかを、小さな動作の言葉で残すのである。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
腰の実験では、筋肉痛のあとに怖さとの関連が現れた
Trostらの研究では、健康な30人が、体幹を伸ばす筋肉に筋肉痛を起こす前と後に最大筋力テストを受けた。痛みへの恐怖は筋肉痛を起こす前に質問票で調べ、現在の痛みと生活への支障は筋肉痛を起こした翌日に評価した。もともとの怖さと、そのあとに起きる身体の反応を時間を分けて調べた設計である。18〜39歳の女性に絞った結果ではなく、この年代の女性にも同じ強さの関連があるかは、この実験だけでは判断できない。[2]
筋肉痛を起こす前には、痛みへの恐怖と発揮筋力との関連はなかった。ところが筋肉痛を起こしたあとには、怖さが強いことが、低い最大発揮筋力、本人の筋力低下の大きさ、生活への支障の増加を予測していた。少なくともこの実験では、恐怖の強い人が初めから筋力も低い、という単純な関係ではなかった。[2]
さらに、測定時の痛みの強さや身体計測上の要因は、それらの結果に有意な寄与を示さなかった。痛みの数字だけでは捉えきれない違いに、痛みへの怖さが関連していたと読める。ただし、この結果は「痛みは筋力に関係しない」という一般法則ではない。対象は健康な人であり、実験で起こした腰の筋肉痛という条件が付いている。[2]
ここでの「予測」は統計上の関係を表す。怖さを薬や説明で下げた群と、下げなかった群を比べ、筋力が回復するかを検証した試験ではない。したがって、怖さを取り除けば低下した力が戻る、という介入の効果まで読み込むことはできない。関連を見つける研究と、対処の有効性を確かめる研究は役割が異なる。[2]
生活に置き換えるなら、中央線に乗る前にバッグを持ち上げる場面を思い浮かべたい。「昨日より痛い」だけでなく、「持ち上げようとすると身構える」「手をかける前にやめた」と言えるなら、困り方の説明は詳しくなる。ここで勧めているのは筋力の自己測定ではない。診察や相談のときに、痛みの感想だけで会話が終わらないようにするための言葉の用意である。
この腰の実験で注目したいのは、筋肉痛の前には関連がなく、起こしたあとに関連が現れたという順序だ。普段から動くのが苦手だったかという話と、運動翌日に身構えるようになったという話は、分けて聞く意味がある。[2]
肩と首では、同じ「不安」でも結果が違った
肩の研究は、健康な男性19人、女性23人を対象にしていた。首や肩の痛みの既往がなく、上肢の筋力トレーニングを日常的には行っていない人などが参加し、肩を外向きに回す筋肉を疲労させて筋肉痛を起こした。運動前の不安、痛みへの恐怖、痛みを破局的に捉える傾向と、24時間後の結果を調べている。破局的な捉え方とは、痛みを極端に悪い結果へ結びつけて考えることである。男女を合わせた結果なので、18〜39歳の女性に同じ説明率をそのまま当てはめることはできない。[3]
痛みへの恐怖だけで、普段感じる痛みの個人差の16%、圧迫して誘発した痛みの個人差の10%を説明した。だが、筋力発揮については違う。筋力の個人差の11%を説明したのは普段の痛みの強さであり、痛みへの恐怖ではなかった。肩では恐怖が多くの評価項目と関連したものの、筋力はその例外だったのである。[3]
上肢の生活上の支障では、普段の痛みの強さと痛みへの恐怖を合わせて、個人差の50%を説明していた。ここでも、生活で困る程度と筋力の測定結果は同じではない。服を着るのがつらいという訴えを、筋力の数値だけで十分に表せるわけではないことを考える材料になる。[3]
首の実験には健康な86人が参加した。18〜39歳の女性だけを対象にした結果としては扱えず、この年代の女性への当てはまりは別に確かめる必要がある。首を前に曲げる筋肉に筋肉痛を起こし、24時間後に筋力と可動域を再評価した。痛みは低〜中程度で、痛みの程度を線上に記す視覚的評価尺度では、およそ30〜40mmだった。筋力と可動域はいずれも統計的に有意に低下していた。[1]
その低下を予測したのは、不安や抑うつを含む心理的苦痛であり、動くことへの恐怖や破局的な捉え方ではなかった。心理的苦痛は筋力低下の個人差の43%、可動域低下の個人差の22%を説明した。また、運動前の不安は24時間後の痛みの個人差の19%を説明した。同じ心理面でも、測る内容によって関連する結果が違う。[1]
腰では恐怖と筋力、肩では痛みと筋力、首では心理的苦痛と筋力という違いがある。これは「怖さが大事」と「怖さは無関係」のどちらかへ研究を仕分けする話ではない。部位、対象者、質問票、評価する動作が異なる実験を、その違いごと受け取る必要がある。今回の研究から、筋肉痛の全身共通の心理的な原因を決めることはできない。[1][2][3]
肩の実験では、痛みへの恐怖と性別を合わせて、動くことへの恐怖の個人差の26%を説明していた。ここには、痛みそのものを恐れる気持ちと、体を動かすことへの恐れを別の評価として扱う視点もある。日本語ではどちらも「怖い」と言えてしまうが、何を恐れているのかを尋ねる余地は残る。[3]
たとえば「腕を上げると痛みそうだ」と「腕を上げたら体を悪くしそうだ」は、本人が相談したい内容として書き分けられる。相手に伝えるときに医学用語へ翻訳する必要はない。まず自分の言葉を残し、その意味を医師と確認する方がよい。「不安あり」という短いメモだけでは、何に身構えたのかが見えにくいからだ。
そして、研究で関連がなかった項目も読み飛ばせない。首では動くことへの恐怖が機能低下を予測しなかったという結果がある。怖さを尋ねることは有用な視点でも、それだけで全員の困り方を説明できるとは考えない。この留保が、本人の話を聞く前に理由を決めないために役立つ。[1]
数字で読む筋肉痛と動く怖さ
30人:腰に筋肉痛を起こす前後で最大体幹筋力を測った実験には、これだけの人数が参加した。[2]
24時間:肩の実験で痛み、筋力、上肢の生活上の支障などを再評価した時点である。[3]
16%:肩の実験では、痛みへの恐怖が普段の痛みの個人差をこの割合で説明した。[3]
43%:首の実験で、心理的苦痛が筋力低下の個人差を説明した割合である。[1]
18研究・452人:腰の筋肉痛のメタ分析に含まれた研究数と参加者数である。[6]
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
1
2






