「目を閉じないで」。
ゆっくりと伸びてくる拳を前にしたとき、空手を始めたばかりの人のほとんどは目を閉じます。顔をそむけ、肩をすくめ、息を止める。速くもない、強くもない、手前で止まると分かっている拳なのに、体のほうが勝手にそうしてしまう。大人も子どもも、ここはあまり変わりません。
それで当たり前なのです。人の体は、顔に何かが近づくと目を閉じ、身を縮めるようにできています。ただ、目を閉じた一瞬のあいだ、目の前で何が起きているのかは見えません。見えなければ、下がることも、よけることも、その場から離れることも、ずっと難しくなります。
空手の稽古には、この「目を閉じてしまう体」を、少しずつほどいていく時間があります。
この記事は、立川駅北口から徒歩1分の溶岩ホットヨガスタジオ、オンザショア立川店が書いています。同じ場所で、ワールド極真会空手連盟 東京支部として極真空手を教えています。教えるのは、極真空手 三段・師範代で、東京支部長を務める代表本人。稽古は、代表との1対1です。今日は、その稽古の中で育っていく「自分の身を守る」ための体と心について書きます。技の紹介ではありません。技のもっと手前にある、土台の話です。

護身術という名前のクラスは、うちにはない
最初に、正直に書いておきます。オンザショアには、護身術の専用クラスがありません。「護身術コース」と名前をつけて看板に掲げれば分かりやすいのは承知のうえで、そうしていません。身を守るための考え方と動きは、極真空手とキックボクササイズのレッスンの中で教えています。
理由は単純で、身を守る力は、技の一覧表から生まれるものではないと考えているからです。手首をつかまれたらこう、後ろから来たらこう。そういう技を十も二十も覚えたとしても、立っていられない体、目を閉じてしまう体、声の出ない体、怖さで動けなくなる体では、たぶん使えません。逆に言えば、立てる体、見ていられる体、声の出る体、離れる判断のできる心があれば、技の数はそれほど多くなくてもいい。だから、毎回の稽古そのものの中に、それを入れています。
そして、もう一つ。空手を習えば必ず身を守れる、とは言いません。そう言い切る人がいたら、少し疑ってかまいません。どれほど稽古を積んでも、危ない目に遭わない保証にはならないし、危ない場面をうまく切り抜けられる保証にもなりません。それでも、何も知らない体と、何度も稽古で揺さぶられてきた体とでは、怖いことが起きた最初の一秒の過ごし方が違ってくるかもしれない。この記事は、その「かもしれない」の中身を書くものです。
そして、空手の稽古で身につける護身の目的は、相手を倒すことではありません。危ない場面に近づかないこと。近づいてしまったら、離れること。そのための体と心をつくることです。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
倒れない体――立ち方と重心から始まる
空手の稽古は、立ち方から始まります。極真空手の基本稽古にも、たとえば前屈立ち、騎馬立ち、三戦立ちといった、いくつもの立ち方があります。足の幅、つま先の向き、膝の向き、重心をどこに置くか。ただ立っているだけなのに、正しく立とうとすると、太ももの内側やお尻、足の裏がじわじわと熱くなってきます。
なぜ、そこまで立ち方にこだわるのか。身を守るという目で見ると、理由ははっきりしています。押されたとき、ぶつかられたとき、引っぱられたとき、倒れてしまうと、起き上がるまでに時間がかかります。床に手をつき、膝を立て、立ち上がる。その数秒のあいだ、体は思うように動けません。立っていれば、下がれます。向きを変えられます。走り出せます。倒れないことは、それだけで、次の動きを手元に残しておくことなのです。
重心がどこにあるか、自分では分からない
ふだん、自分の重心がどこにあるかを気にして暮らしている人は、あまりいません。かかとに体重を乗せて立つ人。つま先に寄りかかるように立つ人。片方の脚にばかり乗っている人。どれも、毎日の暮らしの中で体がつくってきた癖です。
かかとに乗りすぎていると、前から軽く押されただけで後ろへよろけます。つま先に寄りすぎていると、今度は前へつんのめる。膝がまっすぐ突っ張っていると、揺れを吸い込めずに、体ごと持っていかれます。
空手の稽古では、膝をわずかにゆるめ、足の裏全体で床をとらえ、へその下あたりに重さを集めるように立つことを、何度も繰り返します。言葉で書くと地味ですが、これがなかなかできません。できたと思っても、突きを一本出しただけで崩れる。蹴りを一本出せば、もっと崩れる。
1対1だから、押して確かめられる
1対1の稽古の良いところは、この立ち方を、指導者の手で確かめられることです。進め方は一人ひとり違いますが、たとえば構えて立ったところを、代表が肩のあたりを軽く押してみる。どちらへ、どれくらいぐらつくかで、その人の重心の癖が見えてきます。右へ逃げやすいのか、後ろへ逃げやすいのか。自分では気づけない癖も、押されてみると体のほうが白状します。
押されて半歩下がるのは、失敗ではありません。半歩下がって、それでもまだ立っていられれば、それは成功です。倒れない体とは、びくともしない体のことではなく、揺れても戻ってこられる体のことです。
この感覚は、稽古の外にもついてきます。急ブレーキで揺れる電車の中、雨で濡れた階段、人の多い朝の駅。つり革や手すりに頼りきらずに、自分の足で揺れを受け止められる。それは護身という言葉の前に、毎日を少し安心して歩くための力でもあります。

目を閉じない――極真の稽古で「当たる」を知る
極真空手は、直接打撃の空手として知られています。寸止めではなく、実際に当てる。そう聞くと、「だから怖い」と感じる人が多いと思います。けれど、身を守るという目で見ると、この「当たる」を知っていることには、別の意味があります。
人は、知らないものをいちばん怖がります。何かが体に当たる感触を、一度もちゃんと知らないまま大人になった体は、何かが触れた瞬間に頭が真っ白になりやすい。どれくらい痛いのか、痛いあとに自分の体がどうなるのか、それが分からないからです。
稽古の中で、軽く当てる、軽く当てられるという経験をしていると、少しずつ分かってきます。お腹を締めて息を吐いていれば、軽い衝撃はちゃんと受け止められる。腕のどこで受ければ痛くないか。受けたあと、体がどこへ流れるか。そして、当たったからといって、そこですべてが終わるわけではない、ということ。この「終わりではない」という感覚が体の中にあると、何かが起きたときにも、頭のどこかで考え続けられる余地が残るかもしれません。
我慢比べをする稽古ではない
誤解のないように書いておきます。痛みに耐える強さを競うための稽古ではありません。どこまで強く当てるのか、そもそも当てるところまで進むのか。それは、1対1で、その日の体の状態と相談しながら決めます。痛いのは嫌だ、顔の近くに拳が来るのはまだ怖い。そう最初に言ってください。それは弱音ではなく、稽古を組み立てるための大事な情報です。子どもの場合は、年齢と体の大きさに合わせて、さらに慎重に進めます。
空手で「当たる」を知るのは、痛みに強くなるためではなく、痛みや衝撃の前で目を開けていられるようになるためです。
目は、拳ではなく全体を見る
目を閉じなくなってくると、次は「どこを見るか」が問題になります。迫ってくる拳だけを見つめていると、もう片方の手も、足も、見えなくなります。武道では昔から、遠くの山を眺めるように相手の全体をぼんやり見る、という教えがあります。一点を凝視するのではなく、肩、腰、足、全部が視野に入っている状態。
これも、最初は難しい。けれど何度も繰り返していると、ある日ふと、拳の向こうの肩が動くのが見えるようになります。動きの起こりが見える。見えれば、半歩早く下がれます。
間合い――一歩で届く距離を体で覚える
空手では、相手との距離を「間合い」と呼びます。組手の構えで向き合ってみると、すぐに分かることがあります。手を伸ばせば届く距離と、一歩踏み込めば届く距離は、思っているよりずっと近い、ということです。
人は、腕の長さで距離を測りがちです。腕が届かないから大丈夫、と。けれど、人は踏み込みます。一歩踏み込めば、腕の長さに足の長さが足されます。稽古の中で、指導者が少しずつ立つ位置を変え、届く距離と届かない距離を体で確かめていくと、自分が思っていた「安全な距離」が、実はまったく安全ではなかったことに気づく人が少なくありません。
この感覚が体に入ると、稽古の外でも、知らない人との距離が自然に気になるようになります。後ろに立たれたとき、横から声をかけられたとき、無意識に半歩ずれて、相手の一歩の外へ自分を置く。それを考えずにやれるようになるのは、頭で覚えた知識ではなく、何度も向き合ってきた体の記憶です。

声――気合いは相手ではなく、自分に向けて出す
空手の稽古では、声を出します。突きに合わせた気合い、返事の「押忍」。初めての人は、たいてい声が小さい。大人になってから、お腹の底から大きな声を出したことのある人は、意外なほど少ないものです。
声を出すと、息が吐けます。息が吐けると、体が動きます。逆に、怖いとき、人は息を止めます。息を止めた体は固まり、のどは締まり、声は出なくなる。気合いの声は、相手を威嚇するためのものだと思われがちですが、まずは自分の体を動かすためのものです。固まりかけた体に、「動いていい」と知らせる合図のようなものだと思ってください。
1対1の稽古では、声の小さな人を笑う人がいません。そもそも、笑う人がそこにいません。最初は小さな「押忍」からでいい。一回目より二回目、二回目より三回目。声は、出した回数のぶんだけ出るようになります。
子どもにとって、この声には特別な意味があります。困ったとき、嫌なことをされそうになったとき、「いや」「やめて」と、はっきり言える声。大人に向かって大きな声を出していい場面がある、と体で知っていること。稽古の気合いは、その練習にもなっています。
離れる判断――戦わないことを選べる強さ
ここまで、立ち方、目、間合い、声と、体の話をしてきました。最後に、いちばん大事な心の話をします。
この道場は、大山倍達総裁の極真精神「頭を低くして(謙虚)、目を高くして(野心)、口を閉じて(静寂)、親孝行を基本とし、他を利する」を大切にしています。総合格闘技・柔術・古武術の技も積極的に取り入れ、強さを追求する道場です。ただ、技を増やすことと、その技を使う場面を選ぶことは、分けて教えなければなりません。
身を守るためなら、使わずに離れられる技は使わなくていい。私たちがいちばん伝えたい強さは、「戦わないことを選べること」です。
稽古でついた自信が、いちばん危ない
空手を続けていると、体に自信がついてきます。それ自体は、すばらしいことです。けれど、その自信が、危ない場面へ足を向けさせたら、本末転倒です。少し強くなった気がして、いつもなら避ける道を通ってみる。言い返さなくていい場面で、言い返してしまう。
「頭を低くして」という言葉は、身を守るという目で読むと、自分の力を大きく見積もらない、という意味にも読めます。「口を閉じて」は、挑発に乗らない、言い返さない、という意味にも読めます。稽古で強くなったと感じたときほど、この二つの言葉を思い出してほしいのです。
空手を習うのは、売られた喧嘩を買える人になるためではありません。喧嘩が始まる前に、黙って立ち去れる人になるためです。
「おかしい」と感じた自分を信じる
離れる判断に、立派な理由は要りません。なんとなく嫌な感じがする。この人との距離は近すぎる気がする。それが気のせいだったとしても、離れて損をすることはほとんどありません。気まずさと安全を天秤にかけたら、安全を取る。失礼かもしれない、と迷う一瞬が、いちばんもったいない一瞬です。
稽古では、向き合っている相手の起こりを見て、半歩下がることを何度も繰り返します。下がることを、負けだと感じなくなる。それも、身を守るための大事な稽古です。
怖さで固まる体に、少しずつ慣れていく
この記事の最初に、目を閉じてしまう体の話を書きました。怖いと体が固まるのは、自然なことです。稽古を続けても、まったく固まらなくなるわけではありません。ただ、固まってから動き出すまでの時間は、少しずつ短くなることがあります。
そのために、空手の稽古でしていることは、とても地味です。怖さを、少しずつ、何度も味わうこと。ゆっくりの拳から始めて、目を開けていられたら少し速く。少し速い拳に慣れたら、軽く当てる。怖さが強すぎると体はかえって何も覚えないので、少し緊張するくらいの強さで、うまくできた経験を積み重ねていきます。
1対1の稽古なら、その怖さの階段を、一段ずつ一緒に決めていけます。今日はここまで、次はもう一段。固まったら、まず息を吐く。吐けば、体は少しだけ戻ってきます。それを何十回も繰り返していると、固まることそのものより、固まったあとに戻るやり方のほうが、体に残っていきます。
固まったことのある体は、固まったことのない体より、戻り方を知っています。
女性と子どもに教えるということ
この道場の空手の稽古は、女性と子ども(小中学生。男の子も習えます)が対象です。大人の男性は受け付けていません。
女性の稽古では、力比べにしないことを土台に置いています。力で押し合えば、力の強いほうが勝つ。だから、押し合う場面をつくらない体、つまり倒れない立ち方、近づきすぎない間合い、離れる判断を、繰り返し稽古します。突きを何十本か出すころには、背中にじんわりと汗がにじんでいる。その汗の中で、少しずつ自分の体の扱い方が変わっていきます。
子どもの稽古で伝えたいのは、「強くなったから大丈夫」ということではありません。逃げることは負けではない、ということ。困ったら近くの大人やお店に助けを求めていい、ということ。そして、礼をすること、返事をすること、人の話を最後まで聞くこと。空手を習った子が乱暴になるのではなく、自分の力を知っているからこそ使わない子になる。それが、この道場が目指しているところです。
稽古の外で持っておきたい心構え
体を鍛えるより先に、誰にでもできることもあります。ここでは防犯の一般的な心構えとして、控えめに書いておきます。
周りを見る余裕を、少しだけ残して歩く。暗い近道より、少し遠回りでも明るく人のいる道を選ぶ。不安を感じたら、家に急ぐより先に、お店や駅の改札など、人の目のある場所へ向かう。危ないと感じたときに迷わず助けを求められるよう、緊急のときは110番、緊急ではない困りごとの相談は警察相談専用電話の「#9110」があることを覚えておく。子どもには、通学路のどこに助けを求められる場所があるのかを、ふだんから一緒に確かめておく。地域によっては「こども110番の家」の目印を掲げているお店や家もあります。
こうした心構えには、体力も技術もいりません。そして、どれほど空手の稽古を積んでも、こちらのほうが先に効きます。空手の稽古で身につく体と心は、その外側の心構えを、内側から支えるものだと考えてください。
始める前に知っておいてほしいこと
空手は体を使う稽古です。始める前に、次のことを確かめてください。
- 医師から運動を止められている方は利用できません。
- ケガや持病、気になる症状のある方は、始める前に医師に相談してください。
- 稽古の途中で気分が悪くなったり、痛みが出たりしたら、すぐに伝えて休んでください。 1対1なので、遠慮はいりません。
- 怖いこと、苦手なことは、最初に言ってください。 当てる強さも、進め方も、そこから決めます。
まとめ
オンザショアには、護身術の専用クラスはありません。身を守るための考え方と動きは、極真空手とキックボクササイズのレッスンの中で教えています。空手の稽古の中で育てていくのは、技の一覧表ではなく、その手前の土台です。
揺れても戻ってこられる、倒れない立ち方と重心。「当たる」を知り、衝撃の前でも目を開けていられること。一歩で届く間合いを体で覚えること。固まりかけた体を動かすための気合いの声。そして、戦わないことを選び、「おかしい」と感じたら離れる判断。怖さで固まる体には、少しずつ、何度も、慣れていく。
空手を習えば必ず身を守れる、とは言いません。けれど、稽古を重ねた体と心は、怖いことが起きた最初の一秒を、少しだけ違うものにしてくれるかもしれません。それを、極真空手 三段・師範代の代表が、最初の一回からあなた一人に向き合って教えます。
立川で空手の相談をする
空手(極真空手)の稽古は、ワールド極真会空手連盟 東京支部長で、極真空手 三段・師範代の代表との1対1のパーソナルです。対象は女性と子ども(小中学生。男の子も可)です。何が不安か、どんな体の状態か、どんな場面で身を守る力がほしいと感じているか。相談は、公式サイトにある公式LINEから送ってください。お子さんの稽古の相談・申込は、保護者の方からお願いします。レッスン中は電話に出られないことが多いので、LINEがいちばん確実です。
もう一つの入口として、キックボクササイズがあります。こちらも1対1のパーソナルで、女性限定です。初めての方の体験は1回 税抜4,980円(税込5,478円)、事前決済です。パンチやキックの練習の中で、身を守るための考え方も教えています。
場所は、オンザショア立川店と同じ、東京都立川市曙町2-14-10 エトロワビル3F。JR立川駅の北口から徒歩1分です。
ゆっくり伸びてくる拳の前で、今日は目を閉じてしまってもかまいません。次の稽古で、ほんの一瞬だけ長く、目を開けていられたら。それが、身を守る体の始まりです。押忍。
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