ストレス解消の映画選び、悲しさと喜びは同時にある?ほろ苦い場面の感じ方を読む

ストレス解消の映画に悲しい作品を選びたくなるのはなぜか。悲しさと喜びが同時に生じる混合感情を、映画の実験や感情測定のレビューから読む。泣くことと楽しむこと、体の反応と主観の違いを整理し、作品の評判だけに頼らず、自分の感じ方を確かめる選び方を考える。

エンドロールが流れ、別れの場面を思い返す。悲しいのに、見てよかった。ストレスを解消したくて映画を選んだ夜に、こんな感想が残るのは矛盾なのだろうか。作品の中では誰かが泣いていて、自分も涙ぐんだ。それでも、感想を「つらかった」だけでは閉じられない。

この食い違いを考える鍵は、悲しさと喜びが同時にある「混合感情」だ。ほろ苦い映像を使った実験では、幸せと悲しさがただ交代するだけでなく、同時に報告されることが確かめられている。悲しい映画を選ぶ気持ちを、暗い気分を増やしたいだけだと決める必要はない。[15]

ただし、感情が混ざることと、仕事のストレスが減ることは別の問いである。本記事は映画の順位を作る代わりに、悲しさがある体験に喜びも含まれる仕組みと、その確かめ方を扱う。既存記事「ストレス解消に悲しい歌を選んでもよい?慰めと考え込みを分ける聴き方を読む」には音楽の選び方を譲る。「ストレス発散に泣ける映画は役立つ?直後と時間を置いた後の気分を読み比べる」とも分け、ここでは鑑賞中に同居する感情を中心に読む。

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悲しさと喜びは同じ瞬間にあってよい

楽しいか悲しいか、と聞かれると、どちらかを選びたくなる。研究でも、快から不快へ続くひとつの軸で感情を捉える見方と、肯定的な感情と否定的な感情を分けて捉える見方が論点になってきた。後者は、喜びがあっても悲しさが同居する体験を扱える。[15]

別れが描かれる場面を思い浮かべると、この区別は使いやすい。離れることは悲しく、出会えたことはうれしい。ここで必要なのは、どちらが本音かを裁くことではない。ほろ苦い場面を見た人が両方を感じたという報告を、言葉の矛盾として片づけずに測ることである。[15]

ラルセンらの一連の実験は、「同時」と呼んでいるものが、実は素早い切り替わりではないかを検討した。研究の前半では、映像を見ながら幸せと悲しさを連続的に評価してもらった。ほろ苦い映像では、対照となる映像より、同時に混ざった感情が多く報告された。見終わった後の大まかな感想だけに頼らず、進行中の報告で確かめた点が重要だ。[15]

後半の実験では、研究者が先に「うれしさも悲しさもあったか」と誘導している可能性を調べた。自由に感情を答える方法でも、ほろ苦い映像の後には混合感情が報告されやすかった。混合感情を答えることは期待されていないと伝えた場合や、もともと感情の同時体験を信じていなかった人でも、この傾向が見られた。[15]

この結果から引き出せるのは、特定の映像条件で、喜びと悲しさの同居を支持する証拠が得られたということだ。悲しい作品なら必ず楽しくなる、という作品選びの法則ではない。自分が悲しかったと話した直後に「でも、好きだった」と付け加えても、前の感想を撤回したことにはならない。[15]

たとえば友人と感想が分かれたとき、「楽しかったなら悲しくなかったのでは」と相手に聞き返す必要はない。作品への好み、登場人物への気持ち、その場で感じた悲しさを分けて話す余地がある。感想を明るいか暗いかにまとめる前に、どんな場面で何を感じたかを言葉にする。これは混合感情の知見を日常へ持ち帰るための見方である。[15]

疑問の続きは、体で確かめるのがいちばん早い。

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映画の筋を理解することと、自分が感じることは違う

「あの別れは悲しい場面だ」と説明できることと、自分も悲しかったことは、同じではない。感情の研究では、刺激について持っている知識を答えたのか、実際の気持ちを答えたのかを区別する必要がある。イツケスらは、この違いを画像と映画を用いる実験で調べた。[6]

画像を使った実験では、自分の感情ではなく画像についての知識に注目するよう指示すると、混合感情の評価が多くなった。ところが、混合感情を起こすために使われてきた映画の映像では、感情に注目する指示と知識に注目する指示の間に差がなかった。映画では、単に「この話には悲喜両方の要素がある」と理解しただけでは説明しにくい体験が生じた、と研究者は解釈している。[6]

ここで映画は画像より必ず深い、と格付けする必要はない。実験が示すのは、使う刺激と質問の仕方によって、同じ「混ざっていた」という答えの意味が変わることだ。映画の筋書きの分類と、見ている本人の感情の測定を分けると、混合感情が何を指すのかがはっきりする。[6][8]

家での振り返りなら、「いい話だった」の次に、自分に向けた問いを置く方法がある。人物を気の毒だと思ったのか、自分も悲しくなったのか。再会をよい出来事だと理解したのか、その瞬間にうれしかったのか。これは心理検査ではなく、研究が区別している理解と体験を、感想の中でも分けるための工夫である。[6]

評判の高い作品を見ても、評判どおりの感情になる義務はない。研究者が意図した感情を起こす映像でさえ、何をどう測るかが検討されている。映画紹介の「感動」という大きな言葉を、そのまま自分の気分の名前にしなくてもよい。どこに心が動かなかったかも、自分の感想として残しておける。[8]

感情の平均が中間でも、悲喜両方がある場合がある

映画の気分を快から不快までの線に置くと、中ほどの評価が出ることがある。そこで「普通だった」「心が動かなかった」と結論する前に、快と不快がどちらも弱かった場合と、両方があった場合を分けて考えたい。混合感情の測定を扱うレビューは、主観的な報告と客観的な測定、さらに単独の値で捉える方法と複数の値で捉える方法を整理している。[8]

幸せと悲しさの関係を調べた別の実験では、映像の鑑賞中や音楽を聴く間に、刻々の評価を集めた。その結果、両感情の相関と、両感情が同時に生じる度合いは、区別する必要があった。ほろ苦い刺激では混合感情の指標が上がっても、幸せと悲しさの相関が必ず弱くなるわけではなかった。[12]

相関とは、ある値が変わるときに別の値がどう動くかという関係だ。一方、同居はその瞬間に両方があるかという問いになる。映画全体で悲しさが増える場面ほど喜びが減る傾向があっても、一部の場面で両方を感じることはありうる。研究で異なる測り方が必要なのは、これらが別の特徴だからだ。[12]

日常の感想で複雑な計算をする必要はない。「全体として明るかったか」という質問に加え、「悲しいときに、うれしさもあったか」を考えれば、見る角度は変わる。平均点だけで映画の感情を要約すると見落とすものを、場面に戻って探す。その際も、感情が混ざっていたかどうかを、作品の出来の採点と一緒にしないことが大切だ。[8][12]

同じ作品の中で、人物の言葉には喜び、状況には悲しさを感じた、と書くこともできる。感情の対象を添えると、気持ちを無理にひとつへ畳まずに済む。研究の指標を日記で再現するのではなく、何をひとまとめにしていたかに気づくための補助線として使いたい。

測り方を見ておくと、研究同士の違いも理解しやすい。感情の同居を、見終わってから振り返るのか、鑑賞中に追うのかで、答えている時間の範囲が違う。レビューが今後の課題に挙げているのも、測定の信頼性、時間に沿った変化、異なる反応の間の整合性である。混合感情という名前が同じでも、測定の内容まで同一とは限らない。[8]

たとえば「映画を見た夜は悲しくもうれしかった」という感想は、その夜の経験を伝える言葉として自然だ。しかし、その言葉だけでは、悲しさとうれしさが同じ場面で重なったのか、別の場面に分かれていたのかは決まらない。連続評価の実験が役立つのは、その区別を直接検討するためである。日常の感想を否定するのではなく、研究の問いをより細かくするための測定だと考えるとよい。[15]

数字で読む映画と混合感情

6つの実験で、連続評価や自由回答などを用い、ほろ苦い映像による混合感情を検討した。[15]

43人の女性が参加した生理実験では、楽しさ、嫌悪、その混合を生む映像への反応を比較した。[11]

48人の女性を対象に、20〜30秒の映像を見る際の感情の向け方を変えた実験がある。[1]

4分の映画映像を使った年齢横断の研究では、映像後に混合感情が増え、その後の自然な回復期間を経て弱まった。[5]

若年成人71人と高齢成人44人を比べた研究は、悲しい映像への反応と回復、肯定的・否定的感情の同居を別々に評価した。[9]

疑問の続きは、体で確かめるのがいちばん早い。

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宮川涼 Founder

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