ヨガをしていても、隣の人や画面の体と比べてしまう。サントーシャを手がかりに、外見の比較と体への満足感を調べた研究を読む。比較との関連をまとめたメタ分析、画像や動画を見せた実験から、心構えだけに頼らず、見る内容と自分を評価する基準を見直す方法、その限界を考える。
マットを敷いたときは、肩を動かしたかっただけだった。ところが見本のポーズを探しているうちに、気になるのは動作よりモデルの体型になる。いつの間にか今日の目的が「動くこと」から「あの体に近づくこと」へ入れ替わっている。
サントーシャヨガを調べ、「周りと比べずにいられるだろうか」と考える人へ、先に答えたい。外見を比べる傾向と体への不満には関連があり、見せる画像を変える実験でも比較や満足感の変化が認められる。ただし、これをそのままサントーシャやヨガの効果と呼ぶことはできない。[6][10][18]
必要なのは、比較が浮かぶたびに自分を叱ることより、何を見て、何を採点しているかを点検する視点である。言葉の背景は既存記事「サントーシャ(知足)|今あるものに満足する勇気」に譲り、ここでは外見の比較を調べた研究から、ヨガへ持ち込む評価基準を考える。

比較する回数と、体を嫌う気持ちは同じものか
ボディイメージとは、自分の体をどう感じ、どう捉えるかという話題である。ここでは、体への不満と、体を尊重する肯定的な評価を分けて読む。比較が多いこと、不満が強いこと、肯定的に捉えにくいことは近い話でも、研究では別の指標として扱われている。[6]
オンラインの社会的比較と体への評価をまとめた系統的レビュー・メタ分析は、83研究、計55,440人を対象とした。社会的比較とは、他者を参照して自分を評価することであり、ここでは主に画面上の比較が問題になる。比較傾向が高いほど体への懸念が強いという平均相関はr=0.454、95%信頼区間は0.409〜0.498だった。肯定的なボディイメージとの相関はr=−0.242、95%信頼区間は−0.329〜−0.155だった。[6]
相関係数は、一方が大きい人ほど他方がどうなりやすいかを見る数値である。0.454を「比較すると体への不満が45.4%増える」と読むのは誤りだ。比較する人ほど懸念が強いという関連はあっても、集計された相関だけでは、比較が先か、不満が先か、別の要因が両方に関わるかは確定しない。[6]
同じ分析では、摂食障害症状との平均相関もr=0.36、95%信頼区間0.28〜0.43だった。一方で関連の強さは、研究の質、国、使うSNS、比較の種類、女性参加者の割合などによって異なった。女性参加者の割合が異なる研究を含む集計なので、18〜39歳の女性に同じ相関の強さが当てはまるかは分けて考える必要がある。[6]
ヨガの隣のマットへ話を移すなら、「比較してしまう人は心が弱い」という人物評価に使わないことが出発点になる。研究が扱ったのは傾向と評価指標の関係であり、人柄の優劣ではない。[6] たとえば「脚が上がる人を見た」という出来事と、「だから自分の体には価値がない」という採点は、生活の中では切り分けて言葉にできる。ここで見直したいのは、他人を見る行為そのものより、その後に自分へ渡している採点表だ。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
健康のための画像でも、見た直後に不満は動く
体を鍛える写真なら健康的な刺激になる、とは限らない。フィットスピレーションは、運動や食事の意欲を促す画像・動画のうち、鍛えた体など外見を前面に出す内容を指す。運動の情報と、理想化された外見の提示が同じ画面に入る点が、この題材の難しさである。[2][18]
米国の女子大学生150人、平均年齢19.28歳を対象にした無作為割り付けの実験では、動物かフィットスピレーションの短い動画集を5分間見せた。後者を見た群では対照群に比べ、社会的比較、外見への懸念、自分を太っていると感じる程度、悲しさが大きかった。[2]
これは短時間の動画を見た直後の心理指標であり、体の形が変わった結果ではない。動画を見ただけで、その日の自分への見方が動いたという点に注目したい。また、外見への懸念にもともと強い人と弱い人などで反応は異なった。全員が同じ反応をするという実験ではない。[2]
別の女性161人の実験は、鍛えた理想的な体の画像、体型の変化を並べた画像、旅行画像に無作為に割り付けた。理想体型と体型変化のどちらの画像でも、体への満足感の低さ、外見比較の多さが認められた。画像の種類と満足感の変化との関係には、外見比較が媒介していた。媒介とは、結果へ至る途中の経路として統計的に検討されたという意味である。[18]
変化前後を並べた画像も、比較の対象になっていた。比較対象が完成した体でも、変化の物語でも、体への採点が厳しくなる可能性がある。[18] ヨガの準備として動作を確認したい日と、体型の変化を眺める日は、目的が違う。見たあとに練習へ向かいたくなったのか、それとも今の体を隠したくなったのか。感想をそのまま次に見る内容の判断材料にしてよい。
自分を肯定する言葉だけで、画像の働きは消えるか
「どんな体も大切」と書かれていれば安心だろうか。若い女性308人、年齢17〜30歳を対象とした無作為割り付けの実験では、フィットスピレーション画像か多様な体の画像に、体を尊重する言葉、体の働きを重視する言葉、両者を混ぜた言葉を重ねて提示した。[10]
多様な体の画像を見た場合、外見への満足感と体を尊重する評価が高まり、体の機能への満足感は変わらなかった。一方、フィットスピレーション画像では機能への満足感が低下した。多様な画像では社会的比較もより好ましい方向にあった。しかし、重ねる言葉の種類と画像の種類の組み合わせによる相互作用は認められず、体の尊重を説く言葉と機能を説く言葉の間にも差はなかった。[10]
この結果は「機能に目を向ける言葉が無意味」という話ではない。少なくともこの提示方法では、言葉のテーマの違いが結果の違いを生まなかったという範囲で読む。画面の端に優しい文章を置くだけで、中央の画像から受ける影響を自在に打ち消せるとは考えにくい。[10] 画像の種類による違いと、言葉の種類による違いを分けて検討した点が、この実験の特徴である。
ボディポジティブ、すなわち多様な体を受け入れる内容について、56研究を検討した系統的レビュー・メタ分析でも、評価は一枚岩ではなかった。体への満足感や気分に短期的な改善を認める一方、体を尊重する評価は持続的な傾向を測る指標では改善があり、その時点の状態を測る指標では有意な効果がなかった。体への不満や機能の指標にも有意な変化がなく、社会的比較や自分の外見を監視する傾向への影響は限定的だった。[13]
「多様な画像を見たから、もう比較しないはず」という期待は置かないほうがよい。肯定的に見ることが増える結果と、不満が減る結果は同義ではない。[13] 日常の目標も「自分の体を全面的に好きになる」だけに固定せず、比較を誘う画面を閉じて、予定していた運動へ戻れるかという行動で考えられる。
実験と日常の違いも押さえておきたい。実験では見る画像や動画を割り付けるため、提示された内容による直後の違いを検討しやすい。反面、日常では自分で投稿を選び、友人とのやり取りや運動の情報も同時に受け取る。比較傾向の関連を調べたメタ分析と、画像を提示した実験は、答える問いが違う。両方を合わせても、ふだんのSNS利用全体を単純に有害と決める材料にはならない。[6][10][18]
レビューの56研究には実験と観察研究が含まれ、データの形式や対照群の条件から19研究がメタ分析から除かれた。したがって、56研究すべての効果量を単純に平均した数字と考えてはいけない。また、継続的な接触に伴う満足感の改善を報告した縦断研究がある一方、長期的な効果の解明は今後の課題とされる。直後の満足感、持続的な自己評価、日常の比較行動では、測っている時間と内容が異なる。[13]
数字で読む外見比較と体への評価
83研究・55,440人:オンライン比較と体への評価などをまとめたメタ分析の規模である。[6]
r=0.454:比較傾向と体への懸念との平均相関。因果や増加率の数字ではない。[6]
5分:女子大学生の動画実験で、視聴後の比較や外見への懸念に群間差が出た提示時間である。[2]
308人:画像に重ねる言葉と画像の種類を検討した若い女性の実験参加者数である。[10]
56研究:ボディポジティブな内容の効果を検討したレビューの対象数で、指標ごとに結果は異なった。[13]
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
1
2






