ストレス発散のつもりで始めたゲームで、惜しい失敗の後にもう一度遊びたくなる。その意欲は、気分が楽になった証拠なのか。単語当てや接戦の実験、スロット課題の研究から、成功に近づく感覚といら立ちの違いを読む。終了後に日常へ戻れるかも含め、自分の遊び方を振り返る視点を考える。
単語当てで合っている文字が増えたのに、最後の答えに届かない。気晴らしのつもりが、惜しい回答を見たまま画面を閉じられない。「あと少しでできた」が頭に残り、もう一度だけ試したくなる。ここで確かめたいのは、遊びを続けたい気持ちと、遊んで楽になった気持ちは同じなのか、という点だ。
惜しい失敗は、条件によって意欲を高める。ただし、同じように惜しく見える結果でも、目標に近づいた時と足踏みした時では、気分やいら立ちが違った。単語当ての実験は、その区別を示している。「もう少し」の表示だけで、ストレス発散に向くと決めるのは早い。[7]
体を動かすゲームの問いは既存記事「ストレス発散のゲームは体を動かす方がよい?座って遊ぶ場合と気分を比べる」に、遊ぶ相手の問いは「ストレス発散のゲームは協力して遊ぶ?対戦する場合と終了後の気分を比べる」に譲る。また、隣の記事「ダイエットで食べすぎた夜、残すのが惜しい?家庭と旅先で食品ロス対策を分ける」が扱う食べ残しの惜しさとも区別する。ここでは、画面の中の失敗が成功に近く見える時の意欲と気分を追う。

惜しい失敗は、結果より手前で目を引く
ニアミスとは、成功には届いていないが、すぐ近くまで来たように見える結果である。単語当てを用いた研究では、正解から文字があと少しだけ違う回答がそれに当たり、スロット課題では当たりの図柄に近い並びが使われる。同じ「惜しい」でも、実際の手掛かりが増える遊びと、偶然の並びを眺める遊びが含まれる。[7][16]
まず、成功までの距離を画面から推測する場面を考える。文字の色が変わり、どの部分が合っているかが分かれば、前の回答より進んだと感じられる。単語当ての研究では、目標へ近づいたと分かる結果の後に、進行を阻まれた結果の後よりも、肯定的な感情と意欲が高まった。逆に、進行を阻まれる結果ではいら立ちが増えた。[7]
ここで測られたのは単純な勝ち負けだけではない。まだ正解していなくても前進はあり、正解に近く見えても進展していない場合がある。失敗という同じ分類の中に、次の試行に使える情報が入ってきた場面と、足止めされた場面があるのだ。研究結果を日常に置き直すなら、点数だけでなく、前より何が分かったかを言葉にしてみるとよい。[7]
ニアミスはほかの結果よりも、主観的な覚醒を強く伴った。覚醒とは、この場合は本人が感じる気持ちの高ぶりであり、安らぎと同じ意味ではない。画面に引きつけられた事実を、そのまま休息の成果と読まないことが肝心だ。この研究では、感情の方向と、意欲と、高ぶりを別に測っている。[7]
仕事のメールを見た直後に遊ぶ場面なら、「仕事から注意が離れた」と「穏やかな気分になった」も別々の問いになる。研究が示すように目標への接近で意欲が動くなら、画面への集中が強まっても不思議ではない。しかし、集中できたことだけで、遊び始めた目的まで達したとは判断できない。これはゲームを禁止する理由ではなく、楽しみを選ぶ時の物差しを増やすための区別である。[7]
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
同じあと少しでも、前進と足踏みでは違う
単語当ての研究で特に面白いのは、ほぼ同じ画面が続いた時の違いである。課題は、5文字の単語を6回の試行で当てるものだった。初めて4文字が合った時は、次の回答でも同じ4文字が合ったままの時より、意欲と肯定的な感情が高く、いら立ちは少なかった。成功に近い状態そのものより、そこへ近づいた流れが重要だったのである。[7]
初めて合った部分が増えた時には、前の回答から先へ進んでいる。その後に同じ結果が出れば、見た目の成功への距離は近いままでも、直前からの進展はない。「さっきもここまで来た」という足踏みは、初めて近づいた時とは違う体験だ。ニアミスをひとまとめにすると、この時間の流れが消えてしまう。[7]
たとえば帰宅後のパズルで、解き方を変えた結果として分かる部分が増えたなら、その失敗は次の工夫につながるかもしれない。一方、同じ所で止まったまま再挑戦を重ねているなら、近さの表示だけが残っている可能性がある。これは日常での見直し方の提案であり、そのパズルに研究と同じ感情変化が起こると約束するものではない。[7]
「失敗したから気分が悪い」と決めつける必要もない。男性参加者が同じ相手と対戦するストップウオッチ課題の実験では、大差で敗れた条件より、僅差で敗れた条件の方が成績がよく、本人の楽しさの評価も高かった。結果を待つ時の脳の電気的反応も、接戦の条件で強かった。勝てなかった試合にも、楽しさと挑戦の余地はあった。男性を対象とした実験なので、18〜39歳の女性に同じ差が生じるかは別に検証する必要がある。[19]
ただし、この実験の相手は訓練を受けた実験協力者であり、男性同士の特定の課題である。帰宅後の娯楽とは、相手との関係や課題の目的が異なる。示しているのは、敗北の有無だけでは動機づけを説明しきれず、大差か僅差かという課題との釣り合いも関係する、という範囲だ。[19]
単語当ての足踏みと対戦の接戦を比べると、惜しい失敗に共通の効能を期待するより、その時に何が起きているかを見る方が役に立つ。新しい手掛かりが増えたのか。相手と競える手応えがあったのか。それとも同じ結果を見続けているのか。どれも「あと少し」と呼べるが、研究で扱われた条件と感情の組み合わせは異なる。[7][19]
偶然のゲームでは近さと次の成功を分ける
実際の手掛かりを積み上げる課題での前進と、偶然の結果が惜しく見えることは分けたい。スロット課題を使った研究では、インターネットゲーム障害のある22人と健康な対照者22人に、当たり、ニアミス、明確な外れを経験してもらった。ここでは「好き・楽しい」に当たる評価と、「もっと遊びたい」に当たる評価が別々に測られた。臨床群を含む比較であり、18〜39歳の女性一般にその差をそのまま当てはめることはできない。[16]
ゲーム障害のある群は、対照群より遊びたい評価と継続が高かったが、ゲームを好む評価に群の差はなかった。続けたい気持ちが強いことを、そのまま楽しさの強さで説明できなかったのである。これは臨床的な特徴を持つ少人数の比較研究であり、長く遊んだ読者を診断するための結果ではない。[16]
さらに、全体としてはニアミスが明確な外れよりも強く遊ぶ意欲を引き出したわけではなかった。一方、当たりの線の手前で止まるか、通り過ぎて止まるかという位置による差はあった。手前で止まったニアミスの方が意欲を高く評価され、この違いはゲーム障害のある群で弱かった。単に惜しい図柄なら必ず意欲が上がる、という説明はこの結果に合わない。[16]
別の仮想スロットの実験では、62人をニアミス頻度が19%の条件と2%の条件に無作為に分けた。調べたのは衝動性、批判的思考、遊びの継続との関係である。衝動性とニアミス条件の有意な交互作用は見られなかった。衝動性が高いほどニアミスの多さで必ず長く遊ぶ、という一律の筋書きは支持されなかった。[8]
この実験では、衝動性が高い場合、批判的に考える力が高いほど継続が長いという関係も示された。この結果では、考える力の高さは早い切り上げと結びついていない。いずれも継続行動を調べた結果であり、ストレスがどれだけ減ったかという効果量への置き換えはできない。ゲームの中で粘ることと、遊びの目的を達することを別に確認したい。[8]
ここで区別したいのは、研究の比較の単位でもある。ゲーム障害のある群と対照群の差は、人の特徴による比較だ。一方、手前で止まる場合と通り過ぎる場合の差は、結果の見え方による比較である。両方を混ぜると、「惜しい結果を見て続けたから障害がある」といった飛躍が生まれる。研究が示すのは特定の課題での群や条件の差であり、読者個人の状態を判定する線引きではない。[16]
同様に、ニアミスの頻度を変えた実験も、意欲が強い人を見分ける簡単な試験にはならない。調べられた関係には衝動性や批判的思考が含まれ、結果も「頻度が多ければ全員の継続が増える」という形ではない。自分が長く遊んだ理由を考える時も、惜しい表示だけに原因を絞らず、その時の楽しさや切り上げたい気持ちを別に確かめる余地を残したい。[8][16]
数字で読む惜しい失敗と継続
5文字を6回で当てる課題では、初めて近づく場合と足踏みする場合で感情が違った。[7]
22人と22人の群比較では、遊びたい評価に差があっても、好む評価に差はなかった。[16]
62人の実験で用いられたニアミス頻度は19%と2%であり、衝動性との有意な交互作用はなかった。[8]
34人の成人を調べた聞き取り課題では、ゲーム化で成績がよくなる一方、いら立ちも増えた。[9]
259人と193人を対象とする調査では、遊びから日常へ戻る感覚と遊び後の気分に関連があった。[5]
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
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