ランニングのHIITで速めたり緩めたりすると、消費カロリーは一定速度の足し算で求められるのか。加速と減速の仕事、筋肉が使うエネルギー、短い全力走の測定を論文から読み分ける。男性競技者の研究の数字を自分用の目標にせず、平均速度だけでは見えない運動の違いを考える。
河川敷の目印を過ぎたら速め、次の目印で緩める。走り終えた脚には切り替えの感覚が残るのに、平均速度はいつものジョギングと似ている。「同じ距離なら、使ったエネルギーも同じだろうか」。速度を変えるランニングでは、この疑問を平均値だけで片づけられない。スプリントや往復走を扱うレビューは、速度が変わる走りには一定速度の走行より追加のエネルギーが必要だと整理している。[2]
ただし、速くする時に使った分を、遅くする時に同額だけ取り戻せるわけではない。体の動きとしてのエネルギーと、筋肉が働くために使うエネルギーは別であり、加速と減速を同じ消費カロリーとして割り振ることもできない。[14] 答えの芯は「加減速を無視した足し算には限界があるが、加速と減速を対称にも扱えない」である。[2][14]
既存記事「HIITのランニングマシンは急に速くする?速度の切り替えと負荷の違いを読む」には機械の速度切り替えの問いを譲る。また「HIITのランニングは加速しても呼吸の拍を固定する?足と息の同調を読む」には呼吸の拍を合わせる問いを譲る。ここで考えるのは、強い運動と回復を挟むHIITのランニングを、どのようにエネルギーとして読むかだ。止め方による筋肉痛や、往復走のコース設計ではなく、消費カロリーの数字が何を数えているかに焦点を置く。

平均速度が同じでも、走り方の経歴は消えない
一定速度でまっすぐ走る場面と、速度を上げ下げする場面は、研究上も分けて扱われる。スプリントや往復走のエネルギーをまとめたレビューでは、速度が一定でない移動に追加の代謝エネルギーと機械的エネルギーが必要になるとしている。代謝エネルギーとは、体内で運動を支えるために使われるエネルギーである。機械的エネルギーとは、体の速さや高さなど、動きの側から捉えたエネルギーだ。[2]
平均速度は走行全体を短く表せる。しかし、同じ平均値に至るまで速さをどのように変えたかまでは残さない。一定の速さを保ったのか、勢いをつけては緩めたのか。その違いを消したまま一定速度の消費だけで置き換えると、速度変化のある運動を一定速度の運動として読んでしまう。レビューが両者を区別するのは、走った距離の帳尻だけでは追加の仕事を表せないからである。[2]
たとえば、仕事帰りに河川敷を走り、目印の間だけ速める日を思い浮かべる。記録を振り返るなら、距離と時間の横に「速める場面があった」と残しておきたい。これは消費カロリーを増額するための係数ではなく、運動の条件を省略しないためのメモだ。速度変化を含む走りのエネルギーは、一定速度で走る場合とは分けて評価する必要がある。[2]
ここで「加速するほど必ず効率がよい」と話を進めるのは早い。追加のエネルギーを要することと、目的に適した運動であることは同じ意味ではない。レビューが検討しているのはスプリントや往復走の消費とその機械的な要因である。そこから自分の健康や長期的な成果に対する優劣を、そのまま決めることはできない。[2]
また、この論点は「速く走る区間の消費」と「遅く走る区間の消費」を丁寧に分けさえすれば終わる話でもない。速度が変わる途中をどう数えるかが残るからだ。定速で走っている間の値を、切り替えの途中にも同じように当てはめられるか。短い走行を読む時には、定速部分だけでなく、加速から減速までを含む運動全体を見る視点が必要になる。[2]
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
減速は、加速で払ったエネルギーの払い戻しではない
速める時には前へ進む勢いが増え、緩める時にはその勢いが小さくなる。それだけを見ると、増えた分と減った分が相殺されるように思える。しかし、筋肉が使うエネルギーは、体の勢いの増減を符号つきで合計したものではない。機械的な推定と生理学的な消費の関係を扱ったレビューは、筋肉の収縮様式や、エネルギーの移動、弾性による蓄積と再利用によって、同じ機械的変化でも代謝の負担が異なると説明している。[14]
筋肉が縮みながら力を出す収縮と、力を出しながら引き伸ばされる収縮は、動きのエネルギーへの関わり方が違う。これらを区別しない計算では、同じ量の機械的な変化に同じ消費を割り当ててしまう。ところが、機械的パワーを求める方法自体も、それぞれ異なる前提を含み、結果に大きな違いが生じるとレビューは指摘する。[14]
したがって、減速を「消費がマイナスになる区間」と考えるのは適切でない。同じように、「加速で増えた消費と同額を減速でも使う」と決める根拠にもならない。動きを抑える働きと、動きを生む働きの違いを、消費カロリーへ変換する段階で考慮する必要がある。速さが戻ったことだけでは、体内のエネルギー収支は元に戻らない。[14]
さらにスプリントでは、加速の後に減速が必要になる。そのため、加速区間だけの消費と、その後の減速区間だけの消費を分離することが難しいと、スプリントと往復走のレビューは述べる。日常の走行で「ここまでは加速のカロリー、ここからは減速のカロリー」ときれいな境界線を引く発想にも、この測定上の問題がつきまとう。[2]
この違いを知ると、脚に感じた負担を消費カロリーと同じものとして扱わずに済む。ブレーキをかける動きがあったという記録は、動作を理解する手がかりになる。しかし、その感覚に決まった熱量を付けるには、機械的な仕事から代謝エネルギーへ移す根拠が要る。動きの大きさをそのまま消費と読めない点が、このレビューの重要な指摘である。[14]
短い全力走は、走っている間の酸素だけでは数えきれない
速度変化が大きいスプリントや往復走は短時間で行われることが多く、消費エネルギーの計算には無酸素性の供給も含める必要がある。無酸素性とは、ここでは酸素摂取量だけでは捉えられないエネルギー供給を指す。短い運動だから消費も酸素の数字だけで簡単に求められる、とはならない。[2]
この点を具体的に見る研究がある。訓練された男性のチーム競技選手16人が、30秒の全力走、自転車運動、連続跳躍を無作為な順で行った比較実験である。研究者は酸素摂取量、血中乳酸の蓄積、運動後に余分に消費された酸素を用い、有酸素性、解糖系、ホスファゲン系の寄与を推定した。後の両者は、短い強い運動を支える無酸素性の供給として分けて計算されている。18〜39歳の女性に同じ消費量や供給割合をそのまま当てはめられるかは、この男性競技者の実験だけでは判断できない。[18]
全力走の総エネルギー消費は130.8±18.0 kJで、連続跳躍の95.4±19.6 kJより高かった。自転車は125.6±14.9 kJであった。一方、有酸素性エネルギーの寄与には種目間の有意差がなかった。同じ長さの全力運動でも、総消費の差と有酸素性の差が一致するわけではないことを示す結果だ。[18]
全力走では、解糖系が55.2±9.4 kJ、ホスファゲン系が49.6±7.5 kJと推定された。これは走っている最中に吸った酸素だけを読めば足りる運動ではなかったということだ。ただし、男性競技者が全力で行った試験の集団平均であり、運動習慣の異なる読者にそのまま割り当てる値ではない。[18]
単位がkJであることにも意味がある。ここでは論文の単位のまま示し、自分の食事や運動のノルマへ換算しない。研究で求めた総消費には、複数の測定値から推定した供給の内訳が含まれる。「走行中の酸素」と「運動を支えた総エネルギー」を同じ値として並べれば、測ったものの違いが隠れてしまう。[18]
この実験で表示された「±」も置き去りにしない。総消費の130.8 kJだけを抜き出すと、全員が同じ値だったように見えるが、論文は130.8±18.0 kJとして結果を示している。集団の数字にはばらつきがある。自分が同じ時間だけ走れば同じ消費に達する、と読むための保証値ではない。[18]
さらに、全力走の値を見ても、そのうちどれだけが加速のためで、どれだけが減速のためだったかは分からない。この試験が比較したのは運動種目による供給の違いである。[18] 加速と減速を切り分けにくいというレビューの指摘を踏まえれば、種目全体の総消費から各局面の消費を逆算しない方がよい。大きな合計値が分かっても、内訳のすべてが分かったことにはならない。[2]
数字で読む短い走行のエネルギー
16人:全力走、自転車、連続跳躍を比較した、訓練された男性チーム競技選手の人数である。[18]
30秒:比較実験で各全力運動を行った時間であり、一般向けの推奨時間ではない。[18]
130.8±18.0 kJ:全力走の総エネルギー消費の推定値である。[18]
55.2±9.4 kJ:全力走で解糖系が担ったエネルギーの推定値である。[18]
49.6±7.5 kJ:全力走でホスファゲン系が担ったエネルギーの推定値である。[18]
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
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