筋トレの回数を人に数えてもらうと、正確になるだけでなく多く動けるのか。補助者が見える条件で行ったベンチプレスの試験を軸に、回数、きつさ、自信の違いを読む。声の励ましだけの効果や減量とは区別し、ダイエット中に相手へ頼む役割と、日々の記録の見比べ方を考える。
ベンチに横になり、隣の人のカウントに合わせてバーを押す。自分だけなら終わりにした辺りでも、もう少し動けた。これは数え間違いが減ったのか、応援が効いたのか。それとも、そばに誰かがいること自体に意味があるのか。ベンチプレスの小規模な試験では、補助者が見える条件で、見えない条件より実施回数が増えていた。[2]
ただし、その結果を「数えてもらえばダイエットが進む」と読み替えることはできない。この試験で比べたのは補助者の見え方であり、測ったのはその場の挙上回数やきつさ、自信である。カウントの正確さ、励ましの言葉、体重の変化は、それぞれ別の問いとして考えたい。[2]
回数の数え方は既存記事「腹筋運動の回数は自分で数えて正確?考え事のある日のカウントを読み解く」に譲る。ここで扱うのは、同じ運動でも人がそばにいる条件によって、できた回数をどう読むかという問題だ。友人と予定を合わせて通う工夫とも切り分け、運動を始めた後の場面に絞る。

補助者が見えるだけで、回数は変わったのか
筋トレでいう補助者は、単に数字を読み上げる係と同じではない。今回の中心となる研究では、ベンチプレスの場にいる補助者が、参加者からはっきり見える条件と、視界から隠れた条件を比較した。後者でも補助者そのものをなくしたわけではない。この違いは、安全のための人を外して試そうという話にしないためにも大切だ。[2]
参加したのは、日頃からレクリエーションとして筋トレをしている12人で、年齢は平均21.3歳だった。別々の日に、最大挙上重量の60%の重さを使い、続けられなくなるまでのベンチプレスを3セット行った。最大挙上重量とは、ここでは1回持ち上げられる最大の重さを指す。同じ参加者が異なる条件を経験する比較である。18〜39歳の女性全体にそのまま当てはめず、筋トレ経験のある少人数の結果として読む。[2]
補助者が見える条件では、総挙上回数が平均4.5回多かった。総挙上重量も209.6kg多く、どちらの差も統計学的に有意だった。総挙上重量は、持ち上げた仕事の量を重量で集計した指標であり、体重がその分変わるという意味ではない。桁が大きくても、体重計の話ではない。[2]
この4.5回は、試験で行ったセットを通じた総回数の条件間差である。毎セットそれだけ上乗せする目標ではなく、参加者全員に同じ差が出る保証でもない。対象も種目も決まった小さな試験として、「人の存在が、その場で発揮される回数を動かしうる」という範囲で受け取るのが妥当だ。[2]
参加者には、補助者の見え方を比べる狙いをそのまま伝えない工夫も用いられた。研究の意図を知った上で期待に沿って頑張る状況とは区別して、補助者の存在を調べようとした試験である。それでも、参加者が実際に経験したのはベンチプレスの場面だ。自宅の自重運動や、初めて運動する人の反応まで同じになるとは決められない。[2]
同じ人が別の日に条件を経験した点にも意味がある。もともと多く挙げられる人の集団と、あまり挙げられない人の集団を比べただけの数字ではない。一方で、実施回数の平均差を読むときには、研究対象となった人たちの範囲を保つ必要がある。身近な相手に頼むかを考える材料にはなるが、誰にでも当てはまる上積み表にはならない。[2]
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
数を数えることと、励まされることは同じではない
誰かにカウントを頼む場面には、別々の仕事が混ざる。終えた動作を記録する仕事、声をかける仕事、動作を見守る仕事だ。日常では同じ相手がまとめて担うため、「数えてもらったらできた」という感想になる。しかし、補助者が見える条件と見えない条件の比較だけから、増えた回数を読み上げの効果に振り分けることはできない。[2]
たとえば、自分で数える日と、友人が数えながら励ます日を見比べるとする。回数が違ったとき、カウントの担当だけでなく、相手の存在や声の条件も同時に違っている。試験の結果を暮らしに引き寄せるなら、「人に数えてもらうと何が変わったのか」を先に言葉にしておくとよい。単に記録を任せたいのか、そばにいてほしいのかで、頼む内容は変えられる。
「あと少し」という声は、残りの予定を知らせる言葉にも、さらに続けてほしいという要求にもなる。ここを曖昧にしたままでは、相手が数えているつもりでも、自分は急かされていると感じるかもしれない。これは励ましの最適な文句を決める研究結果ではなく、役割を混ぜないための実務上の工夫だ。
補助者の存在を調べた試験は、人に頼む選択肢を考える手掛かりになる。一方で、その結果を、声が大きいほどよい、厳しく追い込むほどよいという指示には変換しない。比較された条件は補助者の見え方であり、言葉の強さの順位ではないからだ。[2]

回数が増えたのに、きつさは低かった
この試験で興味深いのは、実施量と本人の感覚が同じ方向には動かなかった点である。補助者が見えない条件では、見える条件に比べ、全身の主観的なきつさが0.78、局所のきつさが0.81高かった。主観的なきつさとは、本人が感じた運動のつらさを評定したものだ。回数が少ない側で、きつさは高かったのである。[2]
同時に、補助者が見えない条件では自己効力感が1.58低かった。自己効力感は、その課題を自分はできそうだと感じる見通しである。これらはそれぞれの評価指標上の差であり、きつさが一定割合減った、自信が一定割合増えたという数字ではない。違う物差しの値を並べて、どれが最も大きな変化だったかとも決められない。[2]
著者らは、補助者の存在による実施量の増加を、きつさの低下と自己効力感の上昇に結び付けて解釈している。ただし、同じ試験で一緒に変化した指標があることと、心の中で起きた順番をすべて確定することは別だ。「自信さえ持てば筋肉の限界を超えられる」という精神論に縮める必要はない。[2]
立川駅北口の夕方、仕事を終えて運動の記録を開くと、できた回数だけに目が行きやすい。だが、回数だけを前回と比べると、その数字に至る感覚が抜け落ちる。研究では実施回数、きつさ、自己効力感を別々に測っていた。日常のメモでも「何回できた」と「どう感じた」を別の欄にする、という使い方なら、その区別を保ちやすい。[2]
そばにいる人の性別で選ぶ必要はあるのか
補助者がいるなら、相手によっても結果が変わるのだろうか。筋トレ経験者20人、男女各10人を対象に、男性または女性の補助者のもとで最大挙上重量を測った研究では、補助者の性別は実測した最大挙上重量に影響しないと整理された。18〜39歳の女性にそのまま当てはめるには、男女を含む筋トレ経験者の結果である点を考慮する必要がある。人がいるかという問いと、その人の性別による違いは、別々に検討されている。[1]
この研究では、最大挙上重量だけでなく、動作の平均速度やピークパワーも評価した。著者らは、速度やパワーには注目すべき影響がありうると述べている。したがって「相手の性別は、運動中のすべての指標に無関係」とまで広げるのも正確ではない。持ち上げた重さと、持ち上げ方の指標を分けて読む必要がある。[1]
別の無作為化比較試験でも、半数が男性の筋トレ経験者20人を対象に、補助者の性別と、回数や動作速度から推定する最大挙上重量の関係を調べている。女性の参加者では、男性の補助者がいるとき、特定の推定式で算出した最大挙上重量が、女性の補助者がいるときより高かった。これはWathen式とMayhew式による推定値についての結果であり、18〜39歳の女性の日常の筋トレにそのまま当てはめられるかは別に確かめる必要がある。[3]
実測の最大挙上重量と、回数を式に入れて得た推定値は同じ欄に置けない。この試験では、用いた推定法によって実測値とのずれ方も異なった。「相手が変わったら強くなった」という一文では、測った値と計算した値が混ざってしまう。日頃の相手選びなら、性別を能力の保証にするより、何を頼むかを話せるかに目を向けたい。[1][3]
数字で読む補助者とベンチプレス
12人:補助者が見える条件と見えない条件を経験した、レクリエーションとして筋トレを行う参加者数。[2]
60%と3セット:最大挙上重量に対する試験の負荷と、続けられなくなるまで行ったセット数。日常の推奨量ではない。[2]
4.5回:補助者が見える条件で多かった総挙上回数の平均差。各セットに足す回数ではない。[2]
0.78:補助者が見えない条件で高かった、全身の主観的なきつさの差。割合を表す値ではない。[2]
20人:男性・女性の補助者による最大挙上重量への影響を調べた研究の対象人数。[1]
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
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