筋トレ後の有酸素運動で乳酸は心臓の燃料になるのか。健康な人の運動時の研究をもとに、血中濃度、心臓への取り込み、酸化の違いを読む。心臓は乳酸を使うと同時に作ることもある。乳酸値の低下だけで回復や運動の優劣を決めず、病気の心臓を調べた研究との境界も整理する。
スクワットの最後の反復を終えた脚で、歩き始める。「乳酸を流すため」と聞くと、脚に残ったものを排水するような景色が浮かぶ。だが健康な心臓は、休んでいるときにも乳酸を消費し、運動中にはその取り込みを増やす。乳酸は捨てるものという説明だけでは、行き先の大事な部分が抜ける。[13]
答えの芯は、乳酸は心臓の燃料になる、ただし血中濃度が下がった数字だけから心臓で使った量は分からない、ということだ。健康な人を扱った運動時のレビューでは、心臓に取り込まれた乳酸はほぼすべて直ちに酸化され、二酸化炭素になったと整理されている。これは「筋トレ後は必ず有酸素運動を足すべきだ」という処方とは別の知見である。[13]
既存記事「有酸素運動・無酸素運動後の乳酸の行き先は?直接酸化と肝臓の糖合成を追う」には、全身での行き先の整理を譲る。ここでは心臓に入る血液と出る血液、その間で使われる乳酸に焦点を絞る。立川駅へ歩く帰り道を、心臓専用の乳酸処理コースと呼ぶ必要はない。

心臓は安静時から乳酸を使う
心筋とは、心臓の収縮を担う筋肉のことである。運動中の乳酸代謝を扱ったStanleyのレビューは、正常で健康な人の心臓が安静時から乳酸を消費すると述べる。乳酸利用は、きつい運動の後にだけ始まる特別な後片付けではなく、平常時からある燃料利用だ。座って靴ひもを結ぶ場面と、歩き出した後を、利用しない状態と利用する状態に二分するのは正確ではない。[13]
同レビューによると、運動に伴う乳酸取り込み速度の増加には、心筋への血流の増加と、血液から乳酸を取り出す働きの増加の両方が関わる。ここで大切なのは「速さ」という言葉である。血液にどれほど含まれているかという濃度と、心臓が時間あたりにどれほど受け取るかは、別の量だ。[13]
日常のたとえなら、駅前を通る人の密度と、改札を通過する人数は同じではない。人が密集している写真だけでは、通過の速さまで分からない。乳酸でも、血液の値だけを見て心臓への供給を決めつけないことが必要になる。レビューが血流と取り出しの両方を挙げているのは、この区別に関わる。[13]
最大酸素摂取量の40〜60%に当たる最大下の運動では、心筋による乳酸の取り出しは動脈血の乳酸濃度に大きく依存していた。最大酸素摂取量とは、運動時に取り込める酸素量の最大値を指す。研究の強度はその値に対する割合であり、歩行の速度や筋トレの回数そのものではない。[13]
したがって、この割合を読んで、通勤の歩く速さをそのまま当てはめることはできない。ましてスクワットの後に乳酸がどこまで増えたかを、脚の重さだけで数値に置き換えるのは避けたい。運動中の心臓の働きを説明する条件と、今日の運動メニューを選ぶ条件を分けておくと、研究の数字を無理なく使える。
また、この研究の問いは「心臓が乳酸を使えるか」であって、「どの筋トレをした人が最も早く回復するか」ではない。脚の筋トレ、上半身の筋トレ、終了後の歩行を同じ場面として扱わないことが、読者の側でできる大事な読み分けである。心臓で起こる仕組みを知る価値は、特定の順番を義務にすることとは独立している。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
取り込むことと燃料にすることは、どう確かめるのか
血液から乳酸が減ったとしても、それだけで心臓の中の使われ方まで見えるわけではない。Stanleyのレビューが取り上げた研究では、動脈と冠静脈洞にカテーテルを置き、同時に測っていた。冠静脈洞は心筋を流れた血液が集まる場所である。入口側と出口側を比べ、心臓をまたぐ乳酸の受け渡しを調べる設計だ。[13]
これは腕や指先で採った血液の値を、時間を空けて見比べる話とは異なる。前者は臓器を挟んだ差を問う。後者で分かるのは、その採血場所、その時刻での濃度である。心臓への取り込みを論じる研究が、わざわざ心臓の前後を測っている点を見落とすと、手元の乳酸値に過剰な役割を持たせてしまう。[13]
さらに、燃料として実際に酸化されたかを調べるため、放射性炭素で目印を付けた乳酸を持続的に入れる追跡研究も用いられた。目印を追うことで、入口と出口の量の差だけでなく、その乳酸が何になったかへ踏み込める。レビューでは、運動中に取り込まれた乳酸のほぼすべてが、心筋で直ちに二酸化炭素へ酸化されたとされる。[13]
酸化とは、ここでは乳酸をエネルギーに利用する代謝の過程を指す。「減ったから燃えたはずだ」と推測するのと、追跡によって酸化を確かめるのとでは、答えられる問いが違う。乳酸が心臓の燃料になるという説明は、単なる呼び名の変更ではない。取り込みの測定に加え、行き先を追った研究が支えている。[13]
ただし「取り込まれた乳酸のほぼすべて」という分母は重要である。これは体内にある乳酸のほぼすべてを心臓が処理した、という意味ではない。心臓の入口まで来た分、さらにそのうち取り込まれた分に関する話だ。文の前半を省いて「乳酸は全部心臓で燃える」とすると、研究が調べた範囲をはみ出す。[13]
実験で付ける目印は、運動する人が自分で何かを摂取する勧めでもない。研究方法を読む目的は、燃料利用をどう確認したかを知ることにある。「乳酸を使う仕組みがある」から「その材料を追加すればよい」へ進むには別の検証が必要だ。代謝の仕組みを知った日の買い物が、すぐ増える必要はない。
心臓は乳酸を使いながら作ることもある
もう少し意外なのは、健康な心筋が乳酸を消費すると同時に産生することも、追跡研究で示されている点である。全体としては消費側でも、内部では産生が続いている。差し引きで受け取った量と、内部で作られた量を区別する必要がある。[13]
例えば出入りを差し引いた結果が取り込み側でも、出口へ出す流れも同時に存在し得る。この説明は言葉遊びではない。動脈と冠静脈洞の濃度差だけを読む場合と、目印を付けた乳酸を追う場合では、同時に進む流れの見え方が変わるためだ。心臓は入口だけの倉庫ではない。[13]
同レビューでは、最大酸素摂取量の40%に当たる中程度の運動で、心筋の乳酸産生速度は安静時を超えて増加しなかった。一方で、動脈血の乳酸が安静時より増える運動では、心筋の酸化代謝に対する乳酸酸化の相対的な寄与が増えると整理されている。作る側と使う側を同じ方向に動くものと考えないことが肝心だ。[13]
この結果からは、乳酸を使っている心臓を「乳酸を全く作っていない心臓」と同一視できないと分かる。また、乳酸の利用割合が増えたという結果は、心臓が使う燃料すべてが乳酸へ置き換わったという意味でもない。割合が変わる話と、ほかの燃料の存在が消える話には距離がある。[13]
Dongらのレビューは、心筋が脂肪酸、ブドウ糖、乳酸、アミノ酸、ケトン体などを利用できる性質を「代謝の柔軟性」として説明する。通常の生理的状態では、必要なエネルギーのおよそ60%を脂肪酸の酸化が供給し、残りをほかの燃料が担うとされる。乳酸はこの複数ある選択肢の中に位置づく。生理的状態と心疾患を横断するレビューであり、18〜39歳の女性の筋トレ後にも同じ燃料割合をそのまま当てはめることはできない。[2]
ここに出てくる60%は、心筋のエネルギー供給についての値である。筋トレ後の歩行で体全体が使う脂肪の割合でも、体脂肪が減る割合でもない。同じ「燃料」という言葉があっても、心臓という臓器を調べる話と、体全体の運動を評価する話では対象が違う。数字の大きさより先に、その数字の住所を確かめたい。[2]
研究で使う「相対的な寄与」は、心筋の酸化代謝全体に対して乳酸の利用が占める位置を表す。乳酸の取り込み速度とは、比較の軸が異なる。取り込みが増えたという文を読むときは時間あたりの量に、寄与が増えたという文を読むときは全体に対する位置に注目すると、似た言葉を混同せずに済む。[13]
数字で読む心臓と乳酸
40〜60%:最大酸素摂取量に対する運動強度。この条件では心筋の乳酸取り出しが動脈血濃度に大きく依存していた。[13]
40%:心筋の乳酸産生が安静時を超えて増えなかった中程度の運動強度。乳酸を作らないという意味ではない。[13]
約60%:通常の生理的状態で、心筋に必要なエネルギーを脂肪酸の酸化が担う割合。運動後の全身の脂肪燃焼率ではない。[2]
安静時と運動時:乳酸の供給と取り込みを比べる条件。健康な心臓は、安静時から乳酸を利用している。[13]
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
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