料理を残すともったいないと感じることと、実際に食べる量が増えることは同じなのか。30代のダイエットで気になる残す罪悪感を、食品の無駄への心配、食べ切る傾向、実測した摂取量に分けて読む。日本の成人調査も手掛かりに、体重との関連を言い切れない理由と食卓で見直す場面を考える。
夕食の弁当のふたを閉じかけて、残ったご飯に目が戻る。もう十分だと思うのに、「捨てるくらいなら」と箸を伸ばす。お腹周りを気にして食事を見直していると、食べても残しても採点されるような夕食になりがちだ。
残す罪悪感だけでは、実際の食事量や体重は説明できない。食品の無駄を心配する人ほど食べ切ると自己申告する傾向はあったが、大盛りの昼食で実測した摂取量や、客観的に測った体重との関連は見られなかった研究がある。[1] 気持ちの強さだけで、その人の食事量を決めつけるのは早い。
既存記事「食欲を抑えられない日は自分を責める?食べ過ぎ直後の気持ちと次の食事を読む」は食後の気持ちを扱う。また「ダイエットの食事は残すともったいない?完食の意識と盛る前の量を研究で読む」の食卓の工夫に対し、ここでは、罪悪感に近い心配を質問した結果と、実際に食べた量を測った結果がなぜ同じ答えにならないのかを中心に読む。

「もったいない」と「食べすぎた」は別の質問だ
食品の無駄を気にすること、食べ物を残さないつもりでいること、皿の料理を全部食べること、食事で摂取するエネルギー量。この並びは自然に見える。しかし、途中のつながりをすべて確かめて初めて、「心配があるから食べすぎる」と言える。心配と完食が結び付いたという結果だけでは、その先の食事量までは決まらない。[1]
Sheenらは、食品を無駄にすることへの心配を測る質問尺度を作り、食べ方や体重との関係を調べた。尺度とは、気持ちや傾向を複数の質問への回答で数値化する道具である。この研究では5項目の尺度を使い、関連する概念との対応や、繰り返し回答したときの安定性も検討した。[1] 心配の測定と、食事量の測定を分けて検討する設計である。
研究は3つに分かれる。最初は心配を測る道具と、残り物を食べるなど無駄を避けようとする意図の関係を確認した。次は自己申告の食べ切り傾向と客観的な体重、さらに別の研究で大盛りの昼食をどれだけ食べるかを調べた。[1] 同じ食品の無駄という話でも、質問紙、体の測定、食事の観察では、見ているものが違う。
たとえば「普段は残さず食べる」と答えた人が、小ぶりな弁当をいつも完食しているかもしれない。反対に、量の多い外食を残す人でも、食べた量そのものは多い場合がある。これは研究結果の数字ではなく、完食したかだけでは量が定まらない理由を示す例である。空の容器は、食事量の単位にはならない。
ここで自分の食卓を振り返るなら、「残すのが嫌だ」と「今日の量が多かった」を別々に言葉にしてみたい。前者は価値観や気持ちの話、後者はその食事の量の話だ。心配を消さなければ食事を整えられない、と考える必要があるかを、まず研究の結果から確かめよう。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
自己申告では結び付いても、実測では結び付かなかった
食品の無駄への心配が強いほど、食べ切る傾向を強く自己申告していた。一方、客観的に測った体重や、過体重・肥満に当てはまる可能性との関連は見られなかった。大盛りの昼食を提供した実験でも、心配の強さは実際の摂取量を直接にも間接にも予測しなかった。[1] この食い違いが、この記事の問いへの大切な答えである。
「関連が見られなかった」は、誰も罪悪感で箸を伸ばさないという意味ではない。個々の夕食に起こり得ることと、集団の中で心配の強い人ほど多く食べたかは、別の問いである。研究の場では、心配の得点から実測の食事量や体重の違いを説明できなかった、と読むのが適切だ。[1]
逆に、質問紙で関連があった部分を、すべて気のせいとして捨てるのも違う。無駄を避けようとする意図や、本人が捉えた完食傾向との対応は見られた。[1] 「私は残すのが苦手だ」という実感を否定する必要はない。その実感を、そのまま摂取量の測定結果に置き換えないことが重要になる。
自己申告は、自分がどんな食べ方をしていると思うかを知る材料になる。実測は、その場で何をどれだけ食べたかに近づく材料になる。体重はさらに別の結果だ。食品の無駄を気にするという質問への回答だけで、この異なる結果をまとめて説明することには限界があるというのが、研究全体の読みどころである。[1]
夕食を終えたとき、「残すのが嫌で食べたから、体重にも悪いはずだ」と結論を急ぐ前に、どこまでが確認した事実かを分けたい。食べ終えたことは分かる。罪悪感を覚えたことも分かる。しかし、その気持ちがなければどれだけ違ったかは、皿を見ただけでは分からない。自分への判決に、測っていない量まで足さなくてよい。
体重との関連は研究によって一致していない
英国の大学の若年成人385人を対象にした横断研究では、食べ切る傾向と体重の重さに関連が見られた。身長と体重、食べ切る傾向はいずれも自己申告で集められ、調整前の分析でも調整後の分析でも関連があった。18〜39歳の女性にそのまま当てはめるには、男女を限定しない若年成人の結果である点を考慮する必要がある。また、子どもの頃に親から完食を促されたという振り返りと、食品の無駄への心配は、それぞれ食べ切る傾向の予測因子だった。[3]
横断研究は、ある時点の回答同士の関係を見る研究である。この結果から「完食をやめれば体重が減る」とは言えない。著者らも、完食とその後の体重増加の関係を追う研究が必要だとしている。[3] 体重が重い人に完食傾向が強かったという結果を、未来の変化を保証する文章には変えられない。
ドイツ語版の完食傾向尺度を検討したオンライン調査では、参加者207人の76%が女性だった。女性の参加が多くても、18〜39歳の女性に絞った結果としては扱えない。ここでも、子どもの頃の完食の促しや食品の無駄への心配は、完食傾向と関連した。しかし全体では、完食傾向と体重、性別、自制心、食行動との関連は見られなかった。[10] 完食しやすいから意志が弱い、と決める根拠にもならない。
ただし、この調査では、ダイエットがうまくいっていない人の中では、完食傾向の高さと体重の重さに関連があった。[10] 全体では見られない関係が、特定の群では見られたという結果だ。この群の関連をすべての女性に広げることも、全体の結果を理由に無視することも避けたい。
英国の若年成人、ドイツ語のオンライン調査、客観的な体重と昼食を測った研究は、参加者も測り方も同じではない。[1][3][10] どれが本当かを勝負させるより、「何を測ると、どの範囲で関連が見えたか」を読む方が生活に戻しやすい。自分の年齢に近い言葉が題名にあっても、研究対象まで自動的に自分と同じになることはない。
数字を比べるときは、調整後にも関連があったという言葉にも注意したい。英国の研究では調整後も体重との関連が残ったが、横断研究であることは変わらない。[3] 調整とは、分析でほかの要因を考慮することであり、その場で食べ切る行動を変えて比較したという意味ではない。統計の説明が増えたからといって、原因と結果の順番までは確定しない。
また、ドイツ語版尺度の研究では、質問のまとまりとしての性質や、繰り返し答えたときの安定性も検討された。[10] 尺度の測定が安定していることと、その得点が体重を説明することも別問題である。「完食の傾向を測れる」と「その傾向が体重増加を起こす」は、よく似て見えて、研究で確かめる内容が異なる。
食卓で役立つのは、研究の結論に自分を押し込むことではない。昼食の弁当では食べ切り、外食では残すという人なら、どちらかの回答だけで自分を代表させる必要はない。「普段は」という言葉にまとめる前に、量を選べた日と、用意された量を受け取った日を思い出してみる。研究が区別した測り方を、日常の問いを細かくするために使うのである。
数字で読む残す心配と食べ切り傾向
3つの研究:食品の無駄への心配から、意図、体重、実測した昼食量までを分けて調べた。[1]
5項目:心配を測る尺度の質問数。摂取量や体重を直接表す数字ではない。[1]
385人:英国の大学での横断研究。完食傾向と自己申告の体重に関連があった。[3]
207人:ドイツ語版尺度のオンライン調査。全体では完食傾向と体重の関連は見られなかった。[10]
1,707人:日本の成人調査。食事前の量の計画と完食行動を組み合わせて分類した。[8]
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
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