笑った後に痛みに耐えやすくなる研究はある。ただし、気分が明るくなること、痛みの点数が下がること、筋肉が回復することは同じではない。笑いヨガ教室を探す前に、健康な成人の比較試験や脳画像研究から、自然な笑いに期待できる範囲と、教室選びで確かめたい点を読み解く。
夕食のあと、友人とコメディーを見て声を出して笑った。気分は軽いのに、椅子から立つと昨日の筋肉痛はまだある。「笑うと痛みに強くなる」という話は、この食い違いをどう説明するのだろう。近くの笑いヨガ教室を探す前に、楽しい時間と痛みの変化を分けて考えたい。
笑った後に、実験で痛みに耐えられる強さが増すことはある。映像や舞台を使った実験群では、笑った後の痛みの閾値が対照条件より高く、その違いは気分が前向きになったことだけでは説明されなかった。ただし、別の無作為化比較試験では、笑いの映像の後に痛み耐性に有意な上昇はなかった。[2][4]
答えの芯は、笑いには痛みへの反応を変える可能性があるが、痛みの消失や治療、教室での再現までを約束する結果ではない、ということだ。笑って気持ちがよくなることと、どこまで耐えられるかは別の測定である。ここでは自然な笑いを使った研究を中心に、その違いを追う。[4][9][12]

「痛くない」と「耐えられる」は測っているものが違う
痛みの研究を読むとき、最初に確かめたいのは、結果の名前である。「痛みの閾値」は痛みを感じ始める境目を指し、「痛み耐性」は痛みを伴う刺激にどこまで耐えられるかを指す。研究には、笑いの後の反応を閾値として扱うものと、冷水に手を入れていられる時間などを耐性として扱うものがある。どちらも単に「痛みが減った」と置き換えると、測定の違いが消えてしまう。[2][10]
さらに、本人が痛みをどれほど強いと評価するかという点数もある。子どもの予備研究では、冷水課題中の痛みの強さの評価と、手を入れていられる時間を別に記録した。対象は7〜16歳であり、18〜39歳の女性にそのまま当てはめるには、年齢と生活場面の違いを検討する必要がある。面白い映像を見ている最中には耐えられる時間が延びたが、笑いやほほえみの回数、映像をどれだけ面白いと感じたかは、痛みの評価や耐性と有意に結びつかなかった。[10]
これは日常の言葉にも関わる。帰宅後に「今日は楽だった」と言ったとき、それが気分のことなのか、座っている間の痛みのことなのか、動作を続けやすかったことなのかは、本人の中でも重なりやすい。感想を否定する必要はない。ただ、研究と照らすなら「何が楽だったか」を言葉にするところから始めたい。
笑いの研究で耐性が変わっても、痛みの点数は別に確認する必要がある。冷水刺激を用いた成人の実験では、ユーモアのある映像群などで耐性が増した一方、痛みの評価には、性差を除いて群による効果がなかった。耐えられる時間が長い人を、痛くない人だと決めつける読み方は、この結果と合わない。[12]
教室の感想を読む際も同じだ。「楽しく参加できた」という声は、その時間を選ぶ手がかりになる。一方で、その一文を痛みの強度や治療効果の証拠として扱うには、測っているものが違う。自分が求めるものを、楽しい時間、体を動かす機会、痛みへの対処と書き分ければ、期待をひとつの言葉に詰め込まずに済む。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
笑いの実験で見えた変化と、上がらなかった試験
映像を見せる実験室と舞台公演を見る場面で行われた、計6つの実験をまとめた研究がある。ここでは笑いの前後の痛みの閾値を、脳内のエンドルフィンという物質の働きを間接的に捉える指標として使った。結果は、対照条件に比べ、笑った後で閾値が有意に高かったというものだ。著者らは、この痛み耐性に関わる効果は、前向きな気分への変化だけによるものではないとした。[2]
しかし、笑いの映像を見れば毎回、痛みに強くなると読むのは早い。健康な若い参加者40人による無作為化クロスオーバー試験では、同じ人が笑いを誘うコメディー映像と、面白みに乏しいドキュメンタリーの両方を経験した。クロスオーバーとは、人ごとの違いを抑えるために、参加者が比較する条件をそれぞれ受ける設計である。対象は健康な若い参加者であり、18〜39歳の女性の慢性的な痛みへの適用は、この実験課題とは分けて検討する必要がある。[4]
この試験では、筋肉を伸ばされながら力を出す運動で片脚ずつ遅れて生じる筋肉痛を起こし、鈍い力を加える検査で痛み耐性を調べた。30分のコメディー視聴後には耐性の有意な変化はなかった。一方、ドキュメンタリーの後には、耐えられる力が17±5 N低下した。Nは力の単位である。[4]
したがって、この試験を「笑うと耐性が上昇した」と紹介するのは正確ではない。コメディー条件では有意に変わらず、比較条件では低下した、という結果だ。研究は笑いによる好ましい影響を示すものの、出発点を超えて耐性が伸びた結果と、低下しなかった結果は分けて読む必要がある。[4]
気分の評価では、コメディー後は変化量が2±1、ドキュメンタリー後は−11±2で、条件による違いがあった。呼吸の不規則さもコメディーで大きかった。ただし、この点数を「幸福が何割増えた」と読み替えることはできない。気分の変化と耐性の変化を別に示した点が、この試験を読む手がかりになる。[4]
笑いの側に好ましい結果があることと、その大きさを生活の痛みに換算できることも別である。実験で加えた力の差を、肩の痛みがどれだけ減るか、駅までどれだけ歩きやすくなるかには直接置き換えられない。家での期待を作るなら、「笑えば改善する」という予定ではなく、「気分と体の感覚を分けて見てみる」という構えが、この結果に近い。
脳内の物質は、痛みの検査だけで分かったのか
エンドルフィンの話が出ると、痛み耐性の上昇をそのまま脳内物質の測定と思いたくなる。しかし、痛みの検査を使う研究では、その変化を間接的な指標として扱っている。間接的な指標は仕組みを考える助けになるが、物質の働きを脳の中で画像として調べる方法とは区別したい。[1][2][9]
その違いを埋める手がかりが、健康な男性12人の脳画像研究である。体内のオピオイドという、痛みの調節などに関わる物質の放出を調べるため、PETと呼ばれる画像検査を用いた。参加者は親しい友人と30分、笑いを誘うコメディー映像を見た条件と、検査室で30分ひとりで過ごした条件で調べられた。脳画像の対象は男性であり、18〜39歳の女性にも同じ放出の変化が起こるかは、女性を対象とした画像測定で確かめる必要がある。[9]
友人と笑った後には快い感覚が増し、視床、尾状核、前部島皮質という脳の領域で内因性オピオイドの放出が認められた。内因性とは、体の中で作られるという意味である。この研究は、社会的な笑いと脳内の仕組みを結びつける、画像による証拠を加えた。[9]
同じ論文の行動実験では、男女の参加者が集団で映像を見て、笑いを誘うコメディーの後のほうが、笑いを誘わないドラマの後より痛みの閾値が大きく上昇した。ただし、脳画像を撮った男性の集団と、この行動実験の男女をひとまとめにして、「男女全員の脳で同じ測定をした」とは書けない。研究の中にも対象と測り方の違いがある。[9]
もうひとつ目を向けたいのが比較相手だ。脳画像の検査で比べたのは、親しい友人とコメディーを見る時間と、ひとりで過ごす時間だった。教室で初対面の人と笑う場面には、友人との親しさも、映像の面白さも、そのままそろわない。画像で仕組みが見えたからといって、どんな集まりにも同じ強さの作用を割り当てるには、参加者の関係や活動内容もそろえた比較が必要になる。[9]
研究を比べるときには、笑った条件だけでなく、対照条件で何をしていたかも見たい。コメディーと面白みに乏しいドキュメンタリーを比べた試験では、後者で気分と耐性が低下した。親しい友人との視聴と、ひとりで待つ時間を比べた脳画像研究とは、比較の組み立てが異なる。結果に差があるという共通点だけで、同じ体験を測った研究として足し合わせることはできない。[4][9]
また、統計的に有意だったという表現は、自分にも同じ変化が起きるという予告ではない。健康な若い参加者の試験と、健康な男性の脳画像研究では、参加者も測る対象も異なる。教室の案内で研究の数字を見かけたときは、人数の多さだけで判断せず、誰が何をした後の、何の変化だったかまでたどりたい。数字は期待を膨らませる飾りではなく、期待する範囲を定める目印になる。[4][9]
数字で読む笑いと痛みの研究
6つの実験:映像や舞台を用い、笑った後の痛みの閾値が対照条件より高かった研究である。[2]
40人:健康な若い参加者が、コメディーとドキュメンタリーをそれぞれ経験した無作為化比較試験の人数だ。[4]
17±5 N:ドキュメンタリー後の痛み耐性の低下量。コメディー後は有意に変わらなかった。[4]
12人:友人との笑いの後に脳画像を調べた健康な男性の人数であり、行動実験の人数ではない。[9]
30分:脳画像研究で友人と映像を見た時間。笑いヨガの必要時間を示す数字ではない。[9]
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
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